東北・北海道

【福島】会津へ走った東武快速──東武鬼怒川線・野岩鉄道会津鬼怒川線・会津鉄道会津線 #63

“ごった煮”快速の始発駅:浅草

残念ながら廃止されてしまったが、僕はこの快速列車がとても好きだった。まだ特急がない時間なので、老いも若きも、富めるも貧しきも、朝一番で急ぐ人はみんなこの快速に揺られる、その「ごった煮」感が好きだったのかもしれない。会津田島までの所要時間は3時間25分を要し、奇しくも2012年に廃止された東海道線普通電車321M(東京5:20発〜静岡8:45着)と同じ時間。2007年の常磐線上野─いわき間直通普通電車が廃止されるなど、長距離を走る一般列車がどんどん削減されてゆくなか、かなり遅くまで残った貴重な存在の会津田島直通快速であった。

僕は経験したことはないが、2扉ボックスシートが連なる車内と、その「ごった煮」感を重ね合わせ、会津田島直通快速に新幹線開通前の国鉄急行電車をイメージする人もいたようだ。1982年の東北新幹線開通によって粗方廃止されてしまったものの、往時の東北本線はそこそこのスピードと低廉な急行料金から、特急に伍して急行電車を支持する人も多かったよう。会津田島直通快速は、まさに2扉ボックスシートの165系や475系急行電車が走っていた時代の姿を現代に残す、貴重な存在であったのだ。

僕は浅草7:10発の二番列車、快速35列車:東武日光・会津田島行きをよく利用した。この快速は下今市で浅草7:30発特急けごん1号に追いつかれるものの、追いつかれるだけで特急は東武日光へと逸れてしまうため、結局はこの快速が会津田島、果ては会津若松を経て磐越西線の喜多方まで先着する。会津線経由で喜多方へ向かうにはこの浅草7:10発快速が一番列車だったため、それもあってよく乗った。

▲6両編成のうちそれぞれの行き先を示した案内。下今市での分割があるためこうした案内は欠かせない

快速の停車駅は浅草・とうきょうスカイツリー・北千住・春日部・東武動物公園・板倉東洋大前・新大平下・栃木・新栃木・新鹿沼・下今市。下今市から東武日光行きは東武日光まで無停車、会津田島行きは各駅停車。特急との停車駅の差は東武動物公園・板倉東洋大前・新大平下・新栃木の4駅しか差がなく、所要時間も10〜15分程度しか変わらなかった。

▲北千住から春日部までノンストップだった快速

特に北千住─春日部間28.2km・17駅連続通過は特急と全く同じで、首都圏を走る一般列車では例外的な通過駅の多さだった。これだけ通過駅が長くて多いのは、京葉線通勤快速新木場─蘇我間35.6km・11駅連続通過に匹敵し、関東私鉄では2018年までの小田急線快速急行下北沢─新百合ヶ丘間16.6km・15駅連続通過(現在は登戸停車となったため10.3km、10駅連続通過)を凌ぐ、文句無しの一位。

東武鉄道は東上線でも池袋─川越間30.5kmをノンストップで結んだ特急を2008年まで運行していたが、それだけ東武鉄道には私鉄としては長距離路線が多く、長距離利用も多かった証左と言えるだろう。

浅草駅は1931年の開業以来、東武鉄道のターミナルであり続けている。ただ、首都圏私鉄の始発駅としては例外的に山手線に接続しておらず、立地が問題となったことから、近距離列車は各駅停車が地下鉄日比谷線直通、準急・急行が地下鉄半蔵門線直通へと移行し、浅草駅にやってくる一般列車は、都内の北千住または竹ノ塚で折り返してしまう区間運転の普通ばかりとなってしまった。

2006年のダイヤ改正までは、浅草─伊勢崎間全線114.5kmを走破する準急伊勢崎行きがほぼ終日1時間に1本あったほか、日光線方面も浅草─新栃木間88.9kmを結ぶ準急新栃木行きがほぼ終日1時間に2本あり、浅草駅は名実共に東武鉄道のターミナルとして君臨していたのだが、一般列車の地下鉄への移行と共に、利用者数は減少傾向が続いていた。

▲半蔵門線・東急田園都市線直通の急行とすれ違う区間快速東武日光・会津田島行き。6050系は浅草口から姿を消した

しかし、2012年には隣の業平橋駅最寄りに東京スカイツリーがオープンし、その業平橋駅もとうきょうスカイツリー駅へと改称したことを契機に、浅草駅も開業当初のモダンな姿へと復元された。浅草とセットで東京スカイツリーを周遊する観光客が増えたこともあり、少し前のうらぶれた雰囲気は、かなり払拭されている。

この間も一部を除いて特急列車は浅草始発を貫き、朝夕は伊勢崎線の区間急行館林行き・太田行きといった、中長距離を走る一般列車も浅草発着で存続している。特に1日3本(土休日1本)の区間急行太田行きは、浅草─太田間94.7kmを約2時間かけて結ぶ、これまた首都圏では例外的な長距離一般列車として、現在でも存続している。

1〜5番線まである浅草駅のうち、快速は一番左の5番線が定位置だった。右から順に、1・2番線に普通(朝夕は区間準急・区間急行も)、3・4番線は特急専用で中間改札があり、そして5番線の快速という構成だった。現在は快速が廃止されてしまったため、5番線は使用停止となっている。

快速は長距離列車であったこともあり、発車30分前ともなれば早くも並ぶ人がいた。このあたりもJRの長距離普通列車や国鉄急行電車を彷彿とさせる人の動きだったと思う。僕もだいたい30分前くらいには着いておき、ボックスシートの窓側順方向へと座れるように準備しておくのが常だった。発車まで暇なので改札近くの売店で食料を仕入れたり、時には東武線グッズを購入するのも常だった。

▲送り込みの区間急行。浅草発着の区間急行のうち、6050系は朝の上りと深夜の下りの上下1本ずつだけだった

浅草7:10発快速東武日光・会津田島行きとなる列車は、新栃木5:01発→浅草6:48着の区間急行で送り込まれるため、入線は発車22分前と早かった。本来特急専用ながらまだ特急列車がないためガラガラの4番線へと到着客を降ろすと一旦ドアを閉め、車内清掃が入った。このあたりもJRの長距離列車と同じ作法だと感心した覚えがある。だいたい発車10分前くらいに準備が整い、ボックスシートの半分くらいが埋まるのも常だった。

▲朝日を浴びながらいざ会津田島へ

そうして7:10に、朝日を浴びながら浅草を出発。急カーブして隅田川を15km/hで渡り、はるか190km先の会津田島を目指して旅立つのだった。

***

次回は、会津田島直通快速の流れを汲む浅草5:58発区間急行南栗橋行きでスタートし、快速の思い出を辿りながら、会津を目指してみようと思う。

(つづく)

Twitterで新着記事を受け取るLINEで新着記事を受け取る

1 2 3 4