東北・北海道

【北海道】空知から天塩の良港へ…JR留萌本線(2) #90

前回に引き続き、新千歳空港から留萌本線の終着駅・留萌を目指す。


夜の下り普通留萌行きに乗る


留萌本線の起点、深川に着いたのは18:01。東京ならばまだ薄明かりがあってもいいが、東京よりも東に位置する北海道では、日の出が早い代わりに日の入りも早い。

接続の留萌本線普通留萌行きは18:09発。この後は19:22発、そして20:13発の最終と続く。留萌本線は(一応)都市間輸送を担うため、概ね朝夕1時間間隔、昼間2時間間隔と廃止が取り沙汰される路線の割には運転本数が多く、高速バスと比較しても見劣りしないレベル。留萌─札幌の特急自由席往復きっぷ「Sきっぷ」も設定されているなど、直通列車はなくすべて深川で乗り換えとなる上、留萌本線は特急列車でなくすべて普通列車となるなどの不利はありながらも、高速バスとの対抗が強く意識されている。


18:09発普通留萌行きは、下り普通旭川行き(18:01着)、下り特急カムイ31号旭川行き(18:05着)、そして上り普通岩見沢行き(18:00着)と、上下合わせて3本の接続を受ける。留萌、深川、旭川はそれぞれ留萌振興局(旧・留萌支庁)、空知総合振興局(旧・空知支庁)、上川総合振興局(旧・上川支庁)とそれぞれ属する広域組織が異なるものの、留萌振興局と上川総合振興局は一まとめにされることが多く、結びつきも強い。このため、高校生の帰宅時間帯にあたる便は、旭川方面からの場合は特急でなく普通との接続が重視されている。深川を跨ぐ流れも少なくないのだろう。

キハ54形は国鉄民営化寸前に登場したステンレス製の強力気動車で、北海道でおなじみのキハ40形とは一味違う。全国でも旭川・釧路周辺か、四国の松山周辺でしか見られないものだ。留萌本線は50.1kmしかないが、宗谷本線は旭川から稚内まで259.4kmを6時間かけて走破する運用もあり、特に旭川6:03発の下り普通稚内行きの一番列車は、特急に一度も抜かれることなく、12:08に稚内へ着くまで宗谷本線を北へ北へ走り続ける。このため一般用のキハ40形に対し、キハ54形は0系新幹線から流用された転換クロスシートが備わっているなど、長距離運用にも対応する造りが特徴。旭川方のロングシート部分は「貨客混載スペース」とされ、宗谷本線稚内─幌延間で試行されている宅配便の荷物の運搬にも用いられている。


離れ小島となっている6番線に停車していたキハ54形に乗り込むと、そこそこの乗客がいた。意外にも高校生は半分くらいで、出張帰りのような格好の人もいる。旭川方面からの高校生もいるだろうし、深川市内の高校もあり、制服は何種類か混じっていた。18:05に札幌からの特急が着くと、また何人かが乗り込んできた。さすがに高校生はおらず、札幌からの用務帰りといった感じ。発車前に運転士さんが雪舞う中ホームへ出て笛を吹く頃には、15名ほどの乗客がキハ54形の車内を、そこそこ埋めていた。18:09、深川発。

札幌をはじめ、北海道の都市は碁盤の目に区画されていることが多く、ここ深川も例外ではない。メインストリートと並行に置かれた深川駅を札幌方面へと出発すると、早速90度右カーブして、今度は深川市内を垂直方向へと進み、次の北一已まではこれが続く。カーブが切れて函館本線が見えなくなる頃には架線がなくなり、しばらくは住宅街が続くが、ほどなくして一面の農地になる。

※この先、駅間の写真は翌朝の上り列車で撮影したものであり、下り列車とは向きが異なります。

▲急カーブで函館本線から分かれていく

深川を出る頃には真っ暗になっていたので、キハ54形は前方を強力なヘッドライトで照らすものの、雪の中へ伸びる二本の軌条と、吹き付ける牡丹雪しか見えない。それでもキハ54形は、一面の雪の中をグイグイと進んでゆく。

最初の停車駅、北一已までは深川市。「きたいちやん」とは何とも特徴的な地名だが、アイヌ語でサケやマスの産卵場を意味する「イチャン」へ「一にして已む(やむ=おさまる)」という縁起を担いで字を充てたものだ。

▲北一已駅。周囲はベッドタウンの要素も見られる

1997年まではアイヌ語に準じ「きたいちゃん」と読んだが、周囲の実情に合わせて読み方が変更されている。周囲は一面の農地だが、少し離れた地区には保育園もある住宅団地となっている場所もあり、3名ほどが降りた。向かいの高校生は「あれ、もう秩父別着いた?」「まだだよ、よく見ろ」というくらい、話に夢中になっている様子。乗り過ごすと大変な目に遭うが、ちょっと心配になる。

▲深川留萌自動車道を潜る。この道路の開通が留萌本線に大きな影響を与えたと言ってもいい。

次の秩父別、続く北秩父別は雨竜郡秩父別町となる。わずか2駅だがここまで来るともう純農村地帯で、「北の国から」さながらの景色になってくる。小さいながら市街地を持つ秩父別では、深川からずっとお喋りを続けていた高校生達が降りていった。

▲がっしりした木造駅舎を持つ秩父別駅。かつては交換設備を有し、その名残のシケインが駅前後にある。

この普通は留萌本線内全駅に停車するが、1駅も通過駅がないのは2往復ずつと少数派。特に次の北秩父別に停車する下り列車は1日2本しかなく、それも始発は16:18で、この18:23発はもう最終。留萌方面への利用は全く考慮されておらず、深川方面への通学に特化したダイヤであり、いったいどんな人が使うのだろうと見ていたが、北秩父別で降りていく人はいなかった。周囲を見回しても、深川留萌自動車道(新直轄方式のため高速料金無料)の、大きな高架が目立つばかりだ。

▲原野の中の北秩父別駅。ホームは1両分のみで、仮乗降場に出自を持つことがよくわかる。

3連トラス鉄橋で石狩川支流の雨竜川を渡り、次は石狩沼田。

雨竜郡沼田町の中心駅で、他に沼田町には真布、恵比島の2駅がある。かつて札沼線が留萌方から分岐していたが1972年と早い段階で廃止となっており、残った留萌本線部分も1面1線まで縮小されているなかでは、その痕跡はわからない。その石狩沼田では10名ほどが降りてしまい、残った乗客はわずか5名ほど。

▲留萌本線の途中駅で最大の石狩沼田駅。近代的な鉄骨造に改築されており、少なからず利用がある様子が窺える。

恵比島から先はすべて留萌市となり、峠下、幌糠、藤山、大和田、終着・留萌と続くが、峠下─幌糠間に「東幌糠」、幌糠─藤山間に「桜庭」と2つの廃駅がある。石狩沼田から先は廃駅が出るような過疎地であり、この分だと残った5名は全員留萌まで行くだろう。石狩沼田は深川起点14.4kmでしかなく、まだ留萌までは35kmほどあるのだが、過半数の乗客が石狩沼田までに降りてしまった。せっかく特急と接続していても深川都市圏の帰宅列車のような扱いでしかなく、営業係数1,500超の理由が見えてくる。仮に深川─石狩沼田、石狩沼田─留萌で区切れば、深川─石狩沼田に限れば数値は改善するだろうが…。

▲沼田町の郊外に位置する真布駅。

農地のただなかに位置する真布、続くSLすずらんが発着した恵比島も、こうも暗くては「明日萌駅」のセットも雪と風に埋もれるばかり。どちらも乗降はなく、さっさと発車してゆく。かつての恵比島は交換設備を持つ急行停車駅だったのだが、石狩沼田と同じく1面1線に縮小された今、その栄光はどこへやら。

▲木造駅舎が残る恵比島駅。かつてはここから留萌鉄道が分岐し、留萌周辺の炭鉱からの石炭貨物列車が集まる駅だった。

恵比島を出ると、空知と留萌を隔てる山越え区間にかかる。

二度のΩカーブで勾配を稼ぎ、下りきるとその名も峠下。現在の留萌本線で唯一の交換可能駅で、深川─留萌間50.1kmのほぼ中間、深川起点28.3kmに位置する。しかしその名の通り駅周囲にひと気はなく、当然乗降客もなし。上り普通深川行きと交換するが、あちらも大いに空いていた。

▲留萌本線唯一の交換設備を持つ峠下駅。周囲に民家は殆どなく、専ら信号場のような役割となっている。

幌糠、藤山と経るにつれ、だんだんと谷が開けていく。

▲車掌車を転用した”貨車駅”の幌糠。ここまで来るとだいぶ谷が開けてくる。

最後の停車駅、大和田は留萌市街地の外れに位置し、やや住宅の灯りも見られるようになってくるが、それまでに比べればの話であり、静かな駅であることに変わりはない。留萌駅まで5.9kmもあるため、サブターミナルのような存在でもなさそうだ。

▲最後の停車駅、大和田。ここまで来ても民家はまばらだ

留萌市街地は海岸に沿ってというより、留萌本線と並行する留萌川に沿って伸びているので、大和田─留萌間に途中駅を造っても良さそうなものだが、最後まで叶わなかった。かつては留萌駅から1.3km地点に東留萌信号場があり、羽幌線の旧線がここから分岐していたという(1941年に留萌駅から直接分岐するように改められたため廃止)。

▲東留萌信号場跡。今でも平地が開けており、石炭貨物列車が構内を埋めていた往時が思い起こされる。

仮乗降場のようなホームもあったといい、現存していれば「東留萌駅」として、有効に利用されていたかもしれない。留萌─増毛間が健在だった頃は、留萌駅から2.1km離れた次に瀬越という駅があり、留萌市役所などが位置する中心部へは留萌駅よりも近かったため、こちらが留萌のサブターミナルであったようだ。

▲今なお側線が多数残る留萌駅構内。しかし、大部分は有効に使われているとは言えない。

大和田から5.9kmで終着・留萌。石狩沼田で降りなかった5名は、やはり全員が留萌までの乗客だった。みどりの窓口も備える大きな駅だが、窓口営業時間を過ぎているため、終着駅でもワンマンの運転士さんが集札する。

▲深川から1,290円。並行する沿岸バスは運賃1,100円、快速便なら所要時間もJRと同等であるため、JRは苦しい立場にある。
▲ステンレス車体とはいえ国鉄らしい無骨な表情をしたキハ54形。雪だらけの前面が過酷な環境を物語る
▲終着駅となった留萌駅。かつて右下には「せごし」と書かれていたはずだ。全道で駅ナンバリングが実施されているが、留萌本線は廃線が近いためか未実施。
▲石炭輸送で賑わった時代の面影を残す留萌駅舎。2階にはローカルラジオ局が入居する
▲夕食は北海道らしく海鮮でと決めていた。夏季は民宿も営む「漁師の店 富丸」は留萌駅から8分ほど。
▲名物「富丸丼」をいただく。てんこ盛りの刺身という、漫画のようなシチュエーションだ。この山盛りで3,000円+税とは、却ってお値打ちかもしれない。
▲北海道を隅から隅までネットワークするコンビニ、セイコーマート。夜が早かったため、一通りの買い出しをしてホテルへ入った。

朝の深川行きは”沼田線”状態

翌、1/6(月)。せっかく留萌まで来たのでもう少し留萌を楽しんでも良かったが、冬季とあって博物館や観光施設は尽く冬季休業。雪深い中クルマがなくては満足に移動もままならないため、名残惜しいが札幌へ引き返す。ただ、素直に函館本線を引き返しても面白くないので、廃線まで丸4ヶ月と迫った札沼線を経由することとし、以下の行程を組んだ。

8:30ごろホテルを出て、留萌駅へ向かった。留萌駅は中心街となる「留萌十字街」周辺から徒歩15分ほど離れており、ホテルや飲食店も留萌十字街周辺に集中し、留萌市役所もこの一角にある。留萌駅から縦横斜めの五叉路が伸びており、駅を中心とした中心の道路が張り巡らされているものの、少し遠い。廃止となった増毛方面の隣駅「瀬越」の方が十字街へはまだ近く、こちらへは徒歩10分ほどであった。

留萌駅から駅前通りをまっすぐ徒歩3分にある観光案内所「お勝手屋 萌」に留萌本線グッズがあると聞きつけ、9:00のオープンと共に入店。

増毛方面だけでなく、国鉄時代に廃線となった羽幌線関連の展示や商品まであり、鉄道に関する思い入れが感じられる。鉄道ファンの訪問も多いのだろう。

雪の降りしきる中を歩き、9:10頃に留萌駅に着いたが、改札はまだ始まっていなかった。

北海道は防寒と危険防止のため、伝統的に列車別改札が行われており、発車5分前にならないと入場できない。小樽─札幌─岩見沢・札幌─苫小牧のICカードエリアでは有名無実化しているものの取り扱いはまだ行われており、滝川など函館本線の主要駅でもこれは同じだ。

留萌駅には線内唯一のみどりの窓口が併設されており、時折窓口に人が訪れる。自分もここで「留萌→滝川」「浦臼→札幌」の乗車券を買い求めたが、次に並んでいた御年配は「空港までね」と告げ、新千歳空港までの乗車券・特急券を買い求めていた。

北海道のみどりの窓口で「空港」と言えば、新千歳空港で話が通じるのだろう。留萌からでは新千歳空港・旭川空港とも直行するバスはないため乗り換えは避けられず、この点は定時性に優れる留萌本線にも分があるというもの。新千歳空港─旭川の快速エアポート〜特急カムイの直通は廃止されてしまったが、こうした様子を見るに、空港直通列車の再開は望まれているに違いない。

9:25過ぎ、9:31発普通深川行きの改札が始まった。既に列車自体は深川8:04発→留萌9:01着で到着しており、約30分で折り返し。留萌発の上り列車はすべて改札前の1番線発で、頑丈な跨線橋が結ぶ先の2番線は、6:36と20:20の到着列車が使うのみ。

これは、それぞれ6:47発・20:20発の上り列車が1番線にいて、物理的に2番線を使わざるを得ないからだ。下り到着の場合は降りるだけだが、上り出発の場合は駅にギリギリに着くと、2番線への跨線橋を駆け上がらなくてはならない。そのため、改札前の1番線を上り列車優先としているのだろう。

跨線橋の前には、次の列車がどのホームから出るのかを知らせる行灯式発車案内があるが、今はすべてが1番線発の深川行きのため、表示は固定となっている。

増毛方面はランプが消えているだけで覆い隠されてはおらず、かつて増毛へ通じていた過去を物語っている。その時代はどの列車も1番線発というわけにはいかないから、この発車案内も有効に機能していたことだろう。

留萌9:31発普通深川行きの乗客は、自分を入れて5名。なんとも寂しいが、通学のピークを過ぎた時間とあってはこんなものだろう。深川で特急カムイ9号旭川行きに9分接続、留萌9:31発→旭川10:55着=1時間24分。また特急ライラック18号札幌行きに22分接続、留萌9:31発→11:25着=1時間54分。旭川や札幌への用事には適した時間帯と言えるが、そのような乗客は実質的に4名しかいない。

留萌9:31発普通深川行きは各駅停車でなく、留萌の次の大和田、その次の藤山は通過。郊外の集落の小駅は通過し、留萌市街→深川・旭川・札幌への速達性を高めるためと思われるが、仮乗降場同然の北秩父別にも停車しているから、よく分からない。もっとも、この前後の普通は大和田・藤山に停車し、北秩父別は通過しているから、小駅の停車を振り分け、列車ごとの所要時間にばらつきが出ないようにしているのかもしれない。

9:31、留萌発。大和田、藤山は通過し、幌糠からは各駅停車となるが、乗降はない。9〜15時台は峠下の列車交換がなく、このキハ54形1両が深川─留萌を往復するだけとなる。峠を越えた先の恵比島も乗降は無かったが、次の仮乗降場由来の真布で若者が1名が乗ったのには驚いた。留萌を出て以来の乗客である。

しかし次の石狩沼田からは15名ほどがしっかり乗車。原野の中の北秩父別では乗降なしだったものの、秩父別、北一已でも2名ずつ乗り、10:27着の深川では25名ほどが降り立った。途中駅での下車は全くなく、全員が深川までの乗客であった。

深川に降り立った乗客のうち、改札口へ向かったのは5名ほど。半数以上はやはり9分接続の下り特急カムイ9号旭川行きに乗り継ぎ、札幌行きを待つのは5名ほどだった。

25名のうち20名を真布・石狩沼田〜北一已で乗せており、この実態からは天塩・空知の峠越えの流動が細く、実質的に深川と留萌の郊外路線となっており、それに数少ない全線利用が乗っかっているという現状がわかる。

深川留萌自動車道が延伸し、現状は留萌─札幌で3時間かかっている高速バス「高速るもい号」、留萌市街は経由しないが郊外を経由し、元川町(留萌)─札幌を2時間15分ほどで結ぶ「特急はぼろ号」の更なる時間短縮も視野に入ってくるとあらば、留萌本線はその役目をいよいよ終えつつあるのかもしれない。

留萌以外に都市や観光地は殆どなく、留萌以遠からバスと鉄道を乗り継ぐ客も、沿岸バス「特急はぼろ号」が1日6往復出ており、羽幌・幌延方面だけでなく増毛方面もカバーしているとあっては、期待できない。かつて留萌本線や羽幌線が担った役割は、完全に高速バスがカバーしている。そうした中で、今後数十億円をかけて鉄道を維持する意義が、果たしてどれほど認められるだろうか…。

深川駅に降り立った乗客の意外なまでの多さは、この地域に人がいないわけではないことを物語るものだった。しかし、だからといって鉄道を維持するに足るかといえば、あまりに長く、人の流れも細い峠越え区間のせいで、心許ないとしか言えない。利用がまだ多い深川─石狩沼田だけでも残しては…とも思うが、それでは留萌からの5名は乗らずに直接深川駅へ出てしまうまでで、深川駅に到着する人数からはやはり減る。沼田口の延命措置でしかない。

天塩地方随一の良港を擁し、最盛期には恵比島や羽幌周辺のみならず、遠く札沼線の石狩月形からも石炭を運んだ留萌本線。短いながらも本線を名乗り、それに恥じない活躍をした留萌本線は、産炭地であった沿線の変化からだいぶ持ち堪えた。しかしその変化自体に抗うことは、どうやら敵わなさそうだ。留萌本線の落日は、あとわずかに迫っている。

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次回は、廃線まで4ヶ月に迫った札沼線で、新十津川駅を見遣ったのち、札幌へ向かう。

(つづく)