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【佐賀】幻の「JR呼子線」とイカと朝市の町 – 昭和バス呼子線 #27

「昨日はお客さんが溢れて大変。ばってん今日は平日だけんゆっくりしたもんだ」

呼子朝市通りのおっちゃんが呟く。土休日ともあらば、決して広くない朝市通りは観光客で大賑わいになるようだ。

平日でもそこそこ人出がある呼子朝市通り

松浦川右岸に残る「東唐津」

翌6/25、「唐津第一ホテル リベール」で目を覚ました。松浦川左岸の河口、松浦橋の袂に位置するこのホテルは、交通アクセスにやや劣る代わりに朝食や大浴場が充実しており、松浦川の眺めも申し分ない。爽やかな朝を迎えられた。

そして、松浦川の対岸に建つ大きなホテル、「唐津ロイヤルホテル」こそは、かつての筑肥線経路変更前の東唐津駅跡地である。

松浦橋松浦橋の対岸に唐津ロイヤルホテル、奥に高島を望む
左奥が宝当(ほうとう)桟橋。高島(右、宝当神社)への定期船が出る
呼子名物いかしゅうまいが朝食バイキングで出てきたのは嬉しかった。周りだけでなく中身もイカづくし

唐津へと最初に到達した鉄道は、現在の唐津線である。唐津興業鉄道の手によって山本─唐津─妙見(現・西唐津)間が1898年に開通。1903年に長崎本線と接続する久保田まで全通し、佐賀方面と結ばれている。1909年に国有化され、この時に唐津線の名がついた。

しかし唐津線は博多方面へは遠回りであったことから、博多─唐津─伊万里間を短絡ルートで直結すべく、1925年に北九州鉄道(現・筑肥線)が新柳町(福岡市中央区)─東唐津間を開通させ、この時初代東唐津駅が置かれた。唐津市街地には既に唐津線唐津駅があったものの、川幅だけで500mもある長大な松浦川に鉄橋を架けることができず、やむなく松浦川の対岸に東唐津駅を置くことで代替としたもの。筑肥線と唐津線の接続駅は松浦川を7kmほど遡った山本駅とされ、山本駅は博多─東唐津─山本─伊万里間の筑肥線と、佐賀─山本─唐津─西唐津間の唐津線がX字に交差する接続駅となった。

こうして唐津市には、博多方面へのターミナルとなる東唐津駅・市街中心部かつ佐賀方面への唐津駅・筑肥線と唐津線の接続駅となる山本駅という3つのターミナル駅が分立することとなった。このうち最も賑わったのは、松浦川を隔てて市街中心部とは2kmほど離れていたものの、やはり九州最大の都市たる博多方面へのターミナルとなった東唐津駅であり、みどりの窓口も佐賀方面へのローカル列車が発着するだけの唐津駅ではなく、東唐津駅に置かれていた。駅構内には車両基地も併設され(東唐津気動車区)、筑肥線の一大拠点となっていた。

東唐津駅移転前、1980年12月の時刻表。東唐津駅にはみどりの窓口および駅弁販売ありのマークがつき、博多─東唐津間の区間列車も多かった。筑肥線途中駅最大の拠点として機能した様子が窺える。しかし博多─唐津間の列車本数は今の半分もなかった

この名残として、かつての駅周辺には「東唐津」の住所が残っているが、1kmほど南に移転した現在の東唐津駅と離れてしまっている。また、現在の東唐津駅付近では土地区画整理事業が進められているが、この事業名は「新東唐津駅土地区画整理事業」となっており、旧駅との混同が防止されている。

新東唐津駅とは実在しない駅名で、いっそ駅名を「新唐津駅」としても良かったんじゃないかと思うが、そこは東唐津の名が消えることを惜しんだ人たちがいるのだろう。旧駅からは現・東唐津駅も、この時同時に出来た和多田駅も大差ない距離だが、「松浦川右岸に出来た新しい駅」に東唐津の名を託したのだと思うと、駅名ひとつとってみてもドラマを感じるかのようだ。

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「呼子線と玄海原発」

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