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【佐賀】【福岡】海辺の単線から大都会の地下鉄へ – JR筑肥線・福岡市地下鉄空港線(西唐津-姪浜-天神) #28

海

「いまお菓子の袋開けるけん、ちょっと待っとって」

九州ことばが筑肥線の車中に聞こえる。その長閑な風景とやわらかな方言の響きは、とてもこれから百万都市福岡の地下鉄に入っていく電車には思えない。

海

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・”地下鉄の終点”は地方交通線?

12:44に昭和バス呼子線で西唐津駅前バス停に着き、目の前のJR西唐津駅へ。次の筑肥線福岡空港行きは13:04発と、20分の待ち時間がある。

西唐津駅前駅名板がかなり控えめなので遠目からだと駅とわかりにくい

 

西唐津駅前改札口は西側にしかないため、反対側へは跨線橋で結ばれる

 

西唐津駅の駅名版外に表示している駅名板はこれだけ。JR九州標準のものはない
西唐津駅に掲示されている昭和バスの時刻表バス時刻表も掲示されており、唐津駅より案内は整えられている

唐津─西唐津間はほぼ筑肥線と一体化しているものの、唐津線として開業した経緯ゆえに路線としては唐津線である。福岡空港からの地下鉄が西唐津まで概ね終日1〜2本/h直通し、もちろんICカードSUGOCAにも対応している。が、JRの運賃区分としては筑肥線の「幹線」ではなく、割増運賃となる「地方交通線」であり、唐津線も地方交通線のため、唐津─西唐津間も地方交通線である。これは1980年施行の国鉄再建法制定時に区分されたものがそのまま残っているためで、当時の唐津─西唐津間は博多方面の筑肥線と繋がっていなかった(前回記事参照)。地下鉄直通の6両編成が定期的にやってくる「地方交通線」など、ここ唐津─西唐津間の他にはないだろう。

この「幹線」と「地方交通線」の区分が現状に即していない問題は各所にあり、例えば秋田新幹線が走り、東北の大動脈の一つである田沢湖線がローカル線扱いの「地方交通線」であったり、広島都市圏輸送を担い、輸送密度19,000人/日を記録する可部線がやはり「地方交通線」のまま。一方、9往復/日の筑肥線非電化区間や、10往復/日の美祢線(山口県)が「幹線」だったりと、40年近く前の基準からするといよいよ乖離が激しくなってきている。適宜見直す規定があっても良かったように思うが、1980年と同じ基準で見直しをしたとすると、過疎化・少子化および鉄道貨物輸送の衰退により、地方交通線から幹線に格上げになる路線よりも、幹線から地方交通線に格下げになる路線の方が多くなるに決まっている。つまり、割増運賃を取られる路線の方が増えてしまうわけで、値上げと捉えられてもおかしくない。

地方ローカル線を利用する通学生は過疎化・少子化によって減少傾向にあり、その減少傾向にある通学生から更に割増運賃を取ったところで大して増収にならず、値上げを契機にJRを使わなくなってしまったら逆効果だ。田沢湖線(秋田新幹線)や可部線など、地方交通線の運賃制度で割りを食っている利用者もいるのは事実だが、都市圏の利用者の収益で地方のローカル幹線が支えられている構図もまた事実。そうした事情から、40年近く前の運賃制度を今に引きずったままになっている。

そうは言ってもJR北海道のローカル幹線などは今すぐ地方交通線に指定しても良さそうなところが結構あるし(それも経営悪化の一因だろう)、何らかの手を打った方がいいとは思うのだけれど。

・”地下鉄の終点”は単式1面1線…西唐津駅

西唐津駅は1983年の筑肥線電化・地下鉄直通開始・唐津駅乗り入れの際に改築され、コンクリートの変哲のない駅舎が建つ。1面1線のホームの脇に唐津鉄道事業部唐津運輸センター(旧・唐津電車区)が隣接し、筑肥線の電車と唐津線・筑肥線非電化区間の気動車が配置されている。地下鉄直通の電車と、国鉄時代の雰囲気を色濃く残すキハ47形が同じ車庫に並んでいるのは、なんともユーモラスだ。

唐津線・筑肥線非電化区間用のキハ47とキハ125が待機する。  車庫は電車と共用なので当然架線も張ってある
西唐津駅の全景駅の全景。左の空き地に呼子線ホームが造られるはずだった

現在は住宅地の中の駅といった感じの西唐津駅だが、かつて1898年に唐津興業鉄道の手で開業した際は、唐津炭田から産出される石炭の積出港がここにあり、西唐津駅は旅客駅というよりも貨物駅としての役割の方が大きかった。石炭輸送当時の貨物ヤードが、筑肥線電化開業時に電車の車庫として転用されたというわけだ。門司や鳥栖のような「鉄道のまち」でこそないが、時代に応じて役割を変えつつ、100年以上も西唐津駅周辺の広大な敷地が鉄道用地であり続けているというのは、なかなかに意義深い。

ホームで電車を待っていると、全国でも筑肥線にしか走らない、103系1500番台の3両編成が入ってきた。接近放送はなく、事務室から適宜駅員さんが肉声放送を入れている模様。

見た目は105系だが中身は103系。筑肥線にしか走らない両者ハイブリッドの希少車
筑前前原─西唐津間の区間運転は必ず103系によるワンマン運転となる

1983年の筑肥線電化開業時に6両編成で導入されるも、唐津方の需要に合わせて一部の編成が3両編成に短縮されたものだ。3両編成は15分間隔運転の境目となる筑前前原─西唐津間のみの運転で、筑前前原で6両編成の福岡空港行きと必ず接続をとる。12:52に西唐津に到着した3両編成は降車確認後ドアを閉め、奥の車庫へと引き上げていった。

ホームの奥からそのまま車庫へと繋がっている。103系は車庫へと引き上げていった

さて、データイムの筑肥線西唐津─筑前前原間は概ね2本/hの運転で、西唐津─福岡空港間の全線直通が1本/h、西唐津─筑前前原間の区間運転が1本/hとなるのが基本。次の13:04発は福岡空港行きの全線直通。12:52着の3両編成が引き上げていくと、同じ車庫から303系の6両編成が入ってきた。

6両編成はこの303系か新鋭305系に統一。流行りの顔だがJR九州らしいデザインが施されている

モノトーンのインテリアに赤いドアが映える。全車ロングシート4扉で長距離乗車には不向き
先頭車の写真を撮るべくホームの先端まで歩いて行ったが、普通に電車が止まる部分のホームに大きな雑草が生えていた。とはいえ、6両編成は1時間に1本くらいしか来ないし、改札口から離れた屋根もないホームから電車に乗り込む乗客も多くないとあっては、ホームに草が生えていても大した問題にはならないのだろう。西唐津駅の乗降客数は約1,000人/日と、お隣唐津駅の4,500人/日に比べて少ない。昭和バスとの乗り換えは隣の唐津駅よりも便利とはいえ、観光案内所や土産物屋があるわけではなく、観光客が乗り降りする駅でもない。地下鉄電車の終点にしては、かなり地味な駅だ。

ホームの真ん中に大きな草が生えていた

発車前になると改札口近くの車両には1両10人ほどが乗ったが、そこから離れた車両は貸切状態。西唐津から地下鉄天神までは1時間26分と、そこそこの距離がある。地下鉄との境界になる姪浜まででも1時間10分かかり、これは東京メトロ日比谷線の東武線直通列車の最長区間となる、北千住─南栗橋間に相当する所要時間。そう考えると、筑肥線と福岡市地下鉄空港線の直通運転は、三大都市圏外ではかなりの長距離となる部類だ。

13:04、西唐津発。唐津線・筑肥線・福岡市地下鉄空港線直通、普通福岡空港行き。

・単線の筑肥線から大都会の地下鉄へ

地平の西唐津駅を出た福岡空港行きはほどなく高架に上がり、唐津の市街地を進んでゆく。西唐津─唐津間には幻の呼子線の分岐点となるはずだった幅広の高架橋があり(いわゆる『イカの耳』)、呼子線建設に沸いた時代を偲ばせる。

西唐津から2分で市街中心部の唐津。やはりここからパラパラと乗車があり、1両に10人ほどとなった。西唐津→唐津のみの利用もそこそこいて、気軽な足として電車が利用されている様子が窺える。西唐津─唐津間は運賃160円・所要2分と、バスの200円・所要5分よりも早くて安い。運転間隔もどちらも30分間隔程度だ。

しかしながら、現在の筑肥線は昭和バスの高速バス「からつ号」としのぎを削る関係にある。筑肥線の普通列車で天神─唐津間は1時間20分(1日5往復の快速なら1時間5〜10分)だが、からつ号は1時間10分と、10分とはいえバスの方が早い。運賃も筑肥線1,140円に対しからつ号1,030円と、バスの方が110円安い。車内設備も筑肥線は一般的な4扉ロングシートの通勤型電車なのに対し、からつ号は4列ながらリクライニングシート。しかし定期運賃は筑肥線の方が安いため、定期客は筑肥線、定期外客はからつ号という棲み分けがなされているのだろう。今回は西唐津・唐津─天神・博多(東比恵・箱崎宮前・六本松まで有効)の2枚きっぷを利用したため、片道930円相当で乗車できた。しかし、からつ号も4枚3,000円=片道750円相当の回数券を発売しており、運賃面での競合は激しい。

唐津の次、和多田駅のすぐ手前で山本・佐賀・伊万里方面への唐津線と分かれ、和多田駅を出たところでかつての筑肥線が渡れなかった松浦川橋梁を渡る。たしかに長い橋で、遠くにはさっき眺めた松浦橋や唐津ロイヤルホテル、宝当桟橋や唐津城が眺められた。松浦川橋梁を渡りきると東唐津駅。駅前には病院があり、病院帰りと思しき高齢者の乗降がそこそこ多い。東唐津を出たところで1983年開業の新線区間は終わり、再び地平の単線を走るようになる。

松浦川松浦川橋梁を渡る
旧東唐津駅から山本方面へ続いていた線路跡を横切る。うっすらと線路敷らしき跡が残る

次の虹ノ松原駅は、文字通り虹の松原の最寄駅。4.5kmにわたり松林が続く、江戸時代からの名勝である。駅名標はなぜか「虹の松原」となっていたが、単なる誤記とも思えない。北九州鉄道時代はたしかに「虹の松原駅」であったのが、1937年に国鉄筑肥線に転換された際に「虹ノ松原駅」に改められた歴史はあるが…JR九州標準の駅名標はどこへやら、筆文字の年代モノの駅名標だけが掲げられている。まさか80年前のものではないだろうが、その経緯が気になるところだ。

虹ノ松原駅小さな木造駅舎が残る虹ノ松原。イオンモール最寄駅という一面もあり当然ICカード対応
虹ノ松原駅の駅名標筆文字の駅名標が残る。国鉄標準のスミ丸ゴシックでもない独自の様式

次は浜崎(はまさき)。現在は唐津市だがかつての東松浦郡浜玉町(はまたまちょう)の中心駅で、唐津市街からの買い物帰りと思しき乗客が降りていく。唐津から乗っていた8人グループのおばちゃんも、浜崎で半分くらい降りた。また会えるだろうに、相当名残惜しそう。浜崎では乗車よりも降車の方が多く、唐津都市圏が概ねこのあたりまでであることが察せられる。

浜崎を出ると県境を越え、次の鹿家(しかか)は福岡県糸島市(旧・糸島郡二丈町)。この間5.2kmにわたり駅が無く、電車は6分かけて海辺のぐねぐねとした線路を辿ってゆく。筑肥線で最も地形が険しいあたりで、ここが佐賀と福岡、そして肥前と筑前の境目なのも道理。

海辺に沿ったわずかな平地を国道と分け合う

海岸線沿いに国道と線路が並び、次々とトンネルをくぐる線路の様子は、関東で言うなら伊東線あたりの景色を彷彿とさせる。反対に言うならば、伊豆半島並みに険しい地形のなかを、6両編成の地下鉄直通電車が走っているというのも、全国的にも珍しい光景のように思う。鹿家で2分停車し、103系3両の普通西唐津行きと交換。単線ながら交換待ち時間は殆ど無く、各駅停車の割には案外スピード感のある走りだ。

糸島市内に入っても福吉、大入(だいにゅう)は海辺の小駅といった感じで、快速は停まらない。しかし次の旧糸島郡二丈町の中心駅・筑前深江はまとまった市街地を形成しており、朝晩には福岡空港方面からの折り返しもあることから、徐々に乗客が増えてくる。やけにきれいな駅だと思ったら橋上駅舎化して間もないらしく、都市鉄道の駅としてレベルアップしつつある様子が見て取れる。駅名に冠される旧国名も肥前○○から筑前○○に変わり、県境を越えたことが駅名からも見て取れる。

筑前深江駅筑前深江で6両編成の普通西唐津行きと交換

筑前深江を出ると田園風景となり、地形の険しさは影を潜める。筑前深江を出て3つ目はいかにもな駅名の新駅・美咲が丘で、駅周辺は絵に描いたような新興住宅地。1面1線ながら2番線を増設できる準備がなされており、宅地化の波が筑前前原を越えて及んでいることがわかる。

西唐津から48分、13:52に筑前前原(ちくぜんまえばる)着。4分停車して時間調整。西唐津を出て以来単線だったが、ここから先は複線に変わる。列車本数も単線区間は約30分間隔だったが、ここからの複線区間は約15分間隔。3両編成ワンマン運転も西唐津からここまでで、3両編成の場合はここで6両編成に乗り換え。この電車は西唐津から6両編成だったため、時間調整のみで発車。座席が完全に埋まり、ここからの乗客は立ちとなる。複線区間に入ると途端にマンションが増え、完全に福岡都市圏に入ったことがわかる。

筑前前原駅糸島市の中心・筑前前原駅。シンボルは銅鏡でヤマト政権以前の伊都国(いとこく)があったとされるところ

 

折り返しが多いためホームは一定しないが、折り返し列車同士は対面接続となる

 

1番線で待機する福岡市地下鉄1000系。地下鉄車は基本的に筑前前原までの乗り入れ
発車を待つ西唐津発福岡空港行きJR303系

筑前前原─波多江間の新駅・糸島高校前駅予定地はロータリー造成中といったところで、2019年度開業予定の駅の構造物は何もなかった。波多江、周船寺(すせんじ)を経て次の九大学研都市では、学生をはじめ多数の乗降があり、ホームドアも稼働中。九州大学伊都キャンパスの開校と同時に開業した駅で、箱崎・六本松など都心に存在したキャンパスを移転・拡大統合した(賛否両論あるが)、九州の新たなる知の拠点である。

筑前前原─姪浜間には先の糸島高校前をはじめ、九大学研都市(2005年開業)、下山門(1986年開業)と新駅が多く、電化前の駅間にほぼ1駅ずつ新駅が並び、それも福岡都心から離れるにつれて駅が新しくなっていくため、都市化の進展を窺わせてくれる。

ここまで来るともはや玄界灘沿いの長閑な単線を走っていた電車の空気は残っておらず、本当に西唐津からこの電車に乗っていたのかどうか、自信がなくなってくる。それほどまでに筑前前原の前後の環境の変化は劇的だ。数ある地下鉄・郊外鉄道の直通運転のなかでも、福岡市地下鉄空港線・JR筑肥線の直通運転はかなり際立った環境の変化を見せてくれる路線と思う。

九大学研都市を出てもう家並みは途切れないだろう、と思ったがそれも束の間、次の今宿(いまじゅく)を出たところで再び山が海岸まで迫ってきて、線路もまた海辺に押し出される。上り線はその名も長垂山(ながたれやま)を迂回するが、下り線はトンネルでショートカットする。この区間を含む今宿〜下山門(しもやまと)間の複線化は2000年と遅く、この近辺の都市化がつい最近であったことが察せられる。山越えとなるのはこの今宿〜下山門間が最後で、3.6kmにわたり駅がないため、家並みも一旦途切れる。それだけに緑が残り、長垂公園は海水浴やバーベキューの名所となっているようだ。

下山門を出ると、次は地下鉄空港線とJR筑肥線の境界駅にして、2面4線の立派な高架駅である姪浜(めいのはま)。筑前前原からの筑肥線は15分間隔だったが、姪浜からは地下鉄線内折り返し電車が更に増え、7〜8分間隔の頻繁運転になる。西唐津を出るときは30分間隔だったのが、姪浜を出るときになると7〜8分間隔・4倍の運転本数となる。重ねて言うが、同一路線内でここまで環境が激変するのは珍しい。8分後に続く姪浜始発が既に扉を開けて待っているが、そんなことはお構い無しに立客多数の西唐津発に乗り込んでくる乗客ばかり。姪浜から天神は僅か15分なので、着席に拘らない向きの方が多いのだろう。

姪浜を出たところで地下に潜り、外の様子は見えなくなる。福岡ドームなどが位置する百道浜(ももちはま)地区への最寄りとなる西新(にしじん)からは箱崎線直通貝塚行きが加わり、貝塚線が分岐する中洲川端までは約5分間隔と、更に電車が増える。ここまで来るとつり革もほぼ埋まってきて、もはや単線区間からの乗客がどれほど残っているかはわからない。乗るばかりでなく降りる乗客も徐々に増え、大都会・福岡の真ん中に入りつつあることがわかる。

そして14:30、福岡の中心地たる天神に到着。車内の八割方が降り、自分も天神で降りた。入れ替わりに天神から博多・福岡空港方面へ向かう乗客がなだれ込んでいく。差し引き同じくらいの混雑率になって、福岡空港行きは天神を出て行った。6両編成からごっそり降りた乗客でホームや階段は人だかりになり、エスカレーターの麓には行列が伸びる。

天神を出発していく福岡空港行き。3分後に西新発貝塚行きが続行してくる

改札口は複数あり、西鉄天神大牟田線の駅や、やや離れた地下鉄七隈線天神南駅へは天神地下街で結ばれる。人の流れが交錯し、買い物客やビジネス客、そして観光客とありとあらゆる人々が交わりあう。さっきまで長閑な呼子の港にいて、ガラガラの筑肥線に揺られてきた身からすると、その変わり身の早さに呆気にとられる。

福岡(天神)と博多を分かつ那珂川からキャナルシティ博多を望む

ここが九州一の大都会、福岡・天神なのだ。

(つづく)