九州・沖縄

【沖縄】フェリーに代わって伊良部島へ――共和バス【7】伊良部佐良浜平良線(1) #56

「お客さん、観光?」「ええ、伊良部大橋を渡ってみたくて」「珍しいね。ま、楽しんでってくださいよ」

島の乗務員さんは、どこまでも人懐こい。

▲平良港結節地点で宮古協栄バス平良(車庫)行きと接続を取る共和バス佐和田車庫行き

離島架橋を望んだ伊良部島

宮古諸島の中で、宮古島に次いで大きい伊良部いらぶ島。幅数十メートルの水路を挟んで下地しもじ島とも隣接しており、実質的に同じ島である。2005年の宮古島市成立以前、旧宮古郡伊良部町の人口は約6,300人と、現在の八重山郡竹富町(竹富島、西表いりおもて島、波照間はてるま島などで構成)の約4,000人よりも多く、高速船でわずか10〜15分で結ばれる旧平良市との結びつきは強かった。この伊良部島と宮古島を結ぶ橋こそが伊良部大橋で、2015年に開通したばかり。合併から10年が経って、ようやく伊良部島と宮古島が結ばれたのだ。

伊良部大橋の開通により、宮古諸島は宮古島の北側にある大神おおがみ島、宮古列島に属しながらも宮古島から67kmと距離がある多良間たらま島(宮古郡多良間村)およびその属島である水納みんな島を除き、有人島への離島架橋がすべて達成された。何かと比較される八重山諸島の離島架橋が殆ど進んでいないのとは、対照的な動きと言える。

特に石垣島・竹富島間は高速船で10〜15分・ほぼ終日30分間隔での運航と、宮古島・伊良部島間とほぼ同じ距離、同じような深い関係であるにもかかわらず、全くと言っていいほど動きがない。これは、竹富島全体が「竹富島憲章」によって厳しい開発規制がかけられており、赤瓦に石垣といった伝統的家屋が建ち並ぶ風景の維持に努めているため。架橋による離島苦からの脱却・開発の促進…といったものとは、真逆のスタンスをとっているからだ。同じ沖縄、同じ離島であるのに、架橋による開発を望んだ伊良部島と、離島ゆえの景観保護を選んだ竹富島とで、これだけ差が表れるのは興味深い。

一説には、八重山がリゾート志向なのに対し、宮古はスポーツイベント志向であることが、離島架橋に対するスタンスの違いの理由であるとも聞く。つまり、八重山諸島のうち、竹富島が伝統的家屋の維持、西表島が自然環境の維持など、島が持つ資源を守ることを通して観光産業の発展を目指しているために、環境を一変させる離島架橋をそこまで望んでいないのに対し、宮古諸島は冬でも温暖な環境を活かしたスポーツ合宿・キャンプの誘致に努めており、空港からバスで合宿先へ直行できるよう、離島架橋が重要になってくるというわけだ。加えて、バスはフェリーよりも悪天候に強く、安定した運行に繋がる。悪天候だからといって合宿自体がキャンセルされるわけではないが、フェリーが欠航してしまうと宿泊地に辿り着くことができないのは、イベント遂行上、困ったことになってしまう。

また、宮古諸島は「離島の中で最も経済的に自立した離島である」とも言われる。前述のようにスポーツイベントの誘致に努めた結果、スポーツ合宿という大口の安定した顧客を掴むことができているのだ。団体の規模に応じた受け入れ態勢が求められる以上、一度決まった合宿先はなかなか変更されることはないし、毎年決まった時期に、決まった規模で実施されるために、景気や天候の波を受けないスポーツ合宿は、まさに理想の顧客なのだ。

一方、リゾート開発は景気や天候、季節変動の波をもろに受ける。景気が良い時はいいが、悪くなるとリゾート需要はあっという間にしぼんでしまうし、安定した顧客を掴みにくいのだ。観光の面からすると八重山・石垣の方がどうしても目立ち、宮古はサブ的な存在である。しかし、経済的な地盤が強固なのは宮古の方であるというのが、離島架橋に対する姿勢の違いからも見えてくる。

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「島と島を結ぶマイクロバス」

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