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【長崎】かつての国際貿易港・平戸を歩く――松浦鉄道西九州線(2)・西肥バス平戸松浦線・佐世保平戸線 #24

かつてフィランドと呼ばれし国際貿易港・平戸。オランダがもたらした世界地図に漢字が添えられた様からは、往年の平戸が開いた世界への扉を見るかのようだ。

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目次

佐々駅ののんびり緩急接続

佐々で快速佐々行きから普通伊万里行きに乗り換え。1番線に上り佐世保行き、2番線に下り普通伊万里行きが停車しており、下り快速佐々止まりは行き止まりの3番線に到着。快速佐々行きから普通伊万里行きへの乗り換えは3番線から構内踏切を渡り、2番線へ。下り快速→普通の接続と、上りとの交換を3線でうまくこなしており、限られた線路容量を無駄なく利用しているのには感心する。

f:id:stationoffice:20180809102615j:image行き止まりの3番線から伊万里行きが待つ2番線へ
f:id:stationoffice:20180809102611j:image上り佐世保行き(左)と下り伊万里行き(右)が交換
f:id:stationoffice:20180809102618j:image松浦鉄道の旧塗装を唯一残す1両のみのMR-400形

とはいえ、休日の朝方とあっては快速→普通の乗り換えをしたのは自分の他にもう1人しかいなかった。もとから乗っていたのがほかに5人ほど。普通乗り通しの場合は佐々で16分も停まっており、車内にはなんとものんびりした空気が漂う。接続時間は7分と余裕を持たせており、快速運転で縮めた6分が相殺されてしまっているが、佐々では停車時間を長く取っている列車が多く、普通の交換でも7分程度は停車する場合が多い。ガラガラの状態で佐々を出発した。

f:id:stationoffice:20180809102925j:image小ぢんまりしているが地域の玄関口としての存在感を持つ駅舎
f:id:stationoffice:20180809102921j:imageかつての国鉄ローカル線の雰囲気が残る

9:03、佐々発。松浦鉄道西九州線普通伊万里行き。

・”日本最西端の駅”たびら平戸口駅

乗客数人の伊万里行きは、のんびりした景色の中をおだやかに走ってゆく。佐々までは家々が連なる郊外の景色であったが、佐々を過ぎると途端に田舎の景色になる。主要駅とされる吉井、江迎鹿町(えむかえしかまち)で若干の乗り降りがあった。佐々からたびら平戸口までは38分。

ただ、佐世保市北部のこのあたりは西九州線の旗色は良くない。西九州線だと佐世保から約1時間かかるが、国道バイパスを直行する西肥バス急行だと45分。しかしこの急行バスも急行区間は吉井までで、吉井からは西九州線以上にこまめに停車していくため、平戸口までは急行バスでも80分と、西九州線と大差なくなる。

海に近いところを走ってはいるのだが、たびら平戸口までの西九州線から海はあまり望めない。むしろ青々とした田んぼが広がる、典型的な日本の田舎の景色が広がるばかり。「本当にこの先にかつての国際貿易港・平戸があるのだろうか…」という気さえする。

f:id:stationoffice:20180809103223j:image田園風景が広がる(いのつき─高岩)

しかし西田平を出ると赤い大きな平戸大橋が望め、あの先が平戸なのだ、という高揚感が湧いてくる。台地の上を走る西九州線は大きく右にカーブを切り、いよいよたびら平戸口駅に到着する。9:40、たびら平戸口着。

f:id:stationoffice:20180809103756j:image最西端の座は那覇空港駅に譲ったが存在感は揺るがない
f:id:stationoffice:20180809103752j:image平戸大橋があしらわれた駅名標
f:id:stationoffice:20180809103803j:image乗降客も多いので5分程度停車する列車が多い
f:id:stationoffice:20180809103800j:image国鉄時代の地方の駅の空気が色濃く漂う

f:id:stationoffice:20180809104603j:image日本最西端の駅舎は意外にも?普通の構えだった

たびら平戸口駅には資料館が併設されており、松浦鉄道だけでなく旧国鉄松浦線時代の駅名標や乗車券類、設備機器などが展示されている。記念の硬券入場券も出札窓口で発売されており、自分も一枚記念に購入。ここから平戸市街へは西肥バスに乗り換えとなるが、バスの時間までやや開くため、こうした資料館で時間を有効に使えるのは好ましく思う。ただの待合室で観光パンフレット片手に待たされるより、こうした生きた資料を見学する方がよほど経験としては貴重なものになるからだ。

f:id:stationoffice:20180809105435j:image国鉄松浦線松浦鉄道西九州線への転換記念列車のヘッドマーク
f:id:stationoffice:20180809105430j:image縦書き・漢数字の時刻表
f:id:stationoffice:20180809105439j:imageホーロー板に筆文字の駅名標
f:id:stationoffice:20180809105426j:image現在と駅名が異なる駅もある

・かつての国際貿易港:平戸へ

平戸口→平戸桟橋(平戸市街地)への西肥バスは乗り場が三ヶ所に分散しており、かつ頻発しているわけではないため、乗り場を確認しなければならない。場所によっては10分程度歩く必要があるため、列車との乗り継ぎの場合は注意を要する。

このうち、駅前すぐの「平戸口駅」乗り場は14:52発平戸桟橋行きの1日1本のみで、ほぼ折返し場としての機能しか持たない。

駅から正面の国道204号に出て左へ150m、田平郵便局前にある「平戸口駅前」乗り場は、平戸桟橋─松浦間を結ぶローカル系統「平戸松浦線」が発着する。こちらは「平戸口駅」よりも本数は多いが、停車本数は概ね2時間に1本。

従って多くの場合、駅から徒歩10分程度離れた平戸口桟橋フェリー乗り場に隣接する「平戸口桟橋」乗り場から乗車することになる。平戸口桟橋からは概ね1時間1〜2本が出ており、三ヶ所の中で最も本数が多い。田平市街地は概ねこの平戸口桟橋周辺に形成されており、桟橋周辺には商店やホテルも立地している。

この時は時間を合わせて行ったので、たびら平戸口駅9:40着→国道上の「平戸口駅前」バス停10:03発、松浦発の平戸桟橋行きに乗り継いだ。20分程度と接続は割と良かったが、このような好接続は多くない。佐世保方面・松浦方面どちらから来ても西九州線に並行する西肥バスの路線があるため、接続を取る必要性が薄いのかもしれない。たびら平戸口駅前にバス乗り場の位置と時刻を示す掲示西肥バス自らが出しているあたり、西九州線とバスを乗り継ぐ人がいないわけではないんだろうけど、その程度で済む人数でしかないんだろう。実際、日曜の午前中と観光に適した時間帯であったものの、「平戸口駅前」バス停からの乗客は自分しかいなかった。

f:id:stationoffice:20180809112048j:imageたびら平戸口駅前に掲出された平戸行きのバス案内
f:id:stationoffice:20180809112209j:image国道上のバス停から乗車

10:03、平戸口駅前発。西肥バス平戸松浦線・平戸桟橋行き。

平戸桟橋行きの乗客は自分の他にやはり5名ほど。賑やかなフェリーターミナル、平戸口桟橋からも2人ほど乗せ、平戸大橋を渡る。1977年の架橋以来有料道路であったが、2010年に無料開放されている。平戸口側の田平町は長らく平戸への玄関口として、平戸口桟橋─平戸桟橋を結ぶフェリーが24時間体制で多数発着していたが、平戸大橋の架橋によって廃止され、現在の平戸口桟橋(田平港)から出るフェリーはわずかに離島への便が残るだけになってしまった。しかしそれでも2005年には田平町平戸市が合併して新しい平戸市となっており、海を挟んだ平戸と田平の強い結びつきを感じさせる。

f:id:stationoffice:20180809113125j:image田平と平戸を結ぶ平戸大橋。架橋40年以上を経て色褪せない

平戸口駅前から乗ること15分。平戸大橋を渡り、平戸市街地のバス停にいくつか停車。そして10:18、平戸側のターミナル・平戸桟橋に到着。

f:id:stationoffice:20180809113113j:image終点・平戸桟橋に到着した平戸松浦線

f:id:stationoffice:20180809115637j:image平戸桟橋ターミナルは和風の装い

・平戸が国際港であった時代

平戸桟橋ターミナルの観光案内所でパンフレットを受け取り、まずは桟橋近くの「平戸オランダ商館」を見学し、そこから概ね市街地を時計回りに巡ることにした。

f:id:stationoffice:20180809114941j:image平戸観光の中心「平戸オランダ商館」は平戸桟橋から徒歩5分ほど。1609年の開設から1641年の幕府令による取り壊し、鎖国政策による長崎・出島への移転まで日本の玄関口として機能した。遣隋使・遣唐使船の時代から 島々によって高波から守られる平戸は寄港地として栄えた 1550年のイスパニア船来航から1641年の鎖国まで 平戸はヨーロッパへも開かれた港だった
f:id:stationoffice:20180809114933j:image白壁石造と瓦屋根という和洋折衷の構造は木造建築しか知らぬ当時の日本人を驚かせたことだろう。1641年の取り壊し後は史跡が残るのみだったが2011年に日蘭通商400年を記念して復元された
f:id:stationoffice:20180809114937j:image南蛮人=オランダ人を描いた屏風絵。洋装を日本画のタッチで描いているのが面白い
f:id:stationoffice:20180809114926j:image異国船が出入りする平戸は守りも固かった。これは船に搭載された砲台
f:id:stationoffice:20180809114930j:image商館内の応接スペースを再現した一角。ここで藩主松浦氏とオランダ商館長の面会も行われたという
f:id:stationoffice:20180809114923j:image石造の外壁を支える極太の木柱。その圧倒的な柱の太さと長さからはオランダ商館に賭ける当時のオランダの気概が窺える

f:id:stationoffice:20180809154229j:image昼食は長崎ちゃんぽんならぬ「平戸ちゃんぽん」鶏ガラ主体の長崎に対しあごだし(トビウオ)ならではの魚介の味わいが楽しめる
f:id:stationoffice:20180809154103j:image市内各所で提供される平戸ちゃんぽん。平戸桟橋ターミナル向かいの「もりとう」はアクセス至便で時間が無くても食べられる
f:id:stationoffice:20180809154152j:image平戸城と平戸港を繋ぐ「幸橋」1702年にオランダ商館を建設した技法が反映されており別名「オランダ橋」その優美な姿は江戸時代から変わらない
f:id:stationoffice:20180809154124j:image平戸城の楼門が残る 瓦屋根にそてつが植わるのがいかにも西国
f:id:stationoffice:20180809154217j:imageかつてこの地にあった英国商館の顕彰碑 機能したのは1913〜1923年と僅かな間であったが それでもこの地が国際貿易港だった事実は変わらない
f:id:stationoffice:20180809154128j:image歴史ある都市らしく地銀も立派な建物だ 長崎県の第一地銀・十八銀行も平戸にどっしりと構えている
f:id:stationoffice:20180809154120j:imageカステラにさらに卵を絡めザラメをまぶした「カスドース」で知られる「蔦屋」さん 江戸期以来の伝統的西洋菓子を今に伝える
f:id:stationoffice:20180809154226j:image市街地から少し山裾に登ると青々とした入り江が見渡せる 天然の良港たる長崎を象徴する景色だ
f:id:stationoffice:20180809154140j:image寺院と教会が同じ景色に同居する 様々な人々が集う平戸を象徴する光景としても有名だ
f:id:stationoffice:20180809154116j:image木陰の坂道を登っていくと 平戸ザビエル記念教会に至る
f:id:stationoffice:20180809154059j:image寺院といってもそてつが植わる その雰囲気はやはり独特のものがある
f:id:stationoffice:20180809154136j:image平戸ザビエル記念教会に建つザビエル像 ザビエルは平戸に三度も訪れ布教を行った
f:id:stationoffice:20180809154144j:imageアシンメトリーな外見が特徴的な平戸ザビエル記念教会 1931年に建てられたもの
f:id:stationoffice:20180809154148j:image平戸藩主・松浦(まつら)家の居宅を改装した「松浦史料博物館」松浦家伝来の品々が展示されている 「御用」とあるのは伊能忠敬による測量作業をモチーフにしたもの
f:id:stationoffice:20180809154052j:imageイギリス国旗とオランダ国旗に加えて江戸幕府の御用旗がなびく光景 たった40年を足らずとはいえ 平戸が日本の玄関であった時代があった
f:id:stationoffice:20180809154112j:image外国人観光客の姿も目立った松浦史料博物館 藩主の邸宅の造りをそのまま活用した館内は 今でも格式高い雰囲気を残す
f:id:stationoffice:20180809154055j:image近年湧出した平戸温泉の足湯が市街地にある 「うで湯」もあるのは珍しい
f:id:stationoffice:20180809154222j: image隠れキリシタンの聖地としても有名な生月島(いきつきしま) 世界遺産登録の聖地・中江ノ島と併せて観光に誘う案内がバスターミナルにあった

・意外に便利?西田平駅のバス乗り継ぎ

15:10、平戸桟橋発。西肥バス佐世保平戸線半急行・佐世保駅前行き。14:26発の平戸口駅行きには間に合わず、一本後の佐世保行きに乗ることにした。

佐世保平戸線は平戸桟橋発9:10〜15:10まではきっかり1時間おきに出ており、かつ前述の通り吉井〜佐世保間は急行運転であることから、西肥バスの幹線として機能している様子が窺える。平戸桟橋の待合所でも20人ほどが佐世保行きを待っており、車両も新しい大型ノンステップバス。平戸松浦線は中型ツーステップであり、平戸島内線も中型車の運用らしい。やはり佐世保直通は他のローカル系統と別格の存在感を持つ。

これから西九州線の伊万里行きに乗り継ぐ予定だったが、佐世保平戸線は平戸口桟橋にしか停車しないため、たびら平戸口駅へは平戸口桟橋から10分程度歩かなくてはならない。

地図を見てみると、一つ佐世保寄りの西田平駅の目の前にバス停のマークが見える。Googleストリートビューでそのバス停を見てみると「荻田」とあり、西肥バスの時刻検索をしてみると佐世保平戸線も通るようだ。駅名と停留所名が全く違うが乗り継ぎは可能だろうと踏み、荻田バス停から西田平駅へ向かい、そこから西九州線伊万里行きに乗り継ぐことにした。

余談だが、Google Map上に見えるバス停のアイコンはタップしても停留所名を直接確認することはできないため、「バス停」とかの検索ワードを入力してようやく確認できる…というのは、いかにもまどろっこしい。加えて多数の系統が発着するバス停の場合、それぞれのポールの内容まではわからないため、携帯で調べたい時はGoogleストリートビューに頼らざるを得ないこともしばしば。他のマップサービスも似たようなもので、紙地図がウェブ地図になってなおバスが地図上で分かりにくいというのは、もう少し改良の余地はないものだろうか。

平戸桟橋→平戸口桟橋は12分、そこから西田平駅最寄り「荻田」まで5分。平戸口桟橋で座席の窓側が埋まった。同時間帯の西九州線普通列車よりも利用はやや多そうだ。程なく15:27に荻田バス停に到着、降りたのはやはり自分だけ。平戸口桟橋以外での降車はまだなく、初めてに近い降車だった。

f:id:stationoffice:20180809121540j:image西肥バス「荻田」バス停は西田平駅の目の前
f:id:stationoffice:20180809121548j:image小さな駅舎と簡素なホームの西田平駅

f:id:stationoffice:20180809133458j:image概ね1時間1本が確保されており利用しやすいダイヤ

荻田バス停を降りると、目の前に西田平駅のホームがあった。バスを降りて1分で乗り換えられ、平戸口で乗り換えるよりもよほど近い。しかしながらバスの中での乗り換え案内はなく、これだけ近いのに停留所名と駅名が違うので、乗り換えポイントとして意識されていないのだろう。

しかしながら、西肥バスの平戸松浦線は2時間に1本程度の運行しかなく、伊万里方面への直通系統もないため、平戸市街←→松浦・伊万里方面への往来にはこの西田平駅の乗り継ぎが一番便利なように思う。荻田バス停の上り佐世保行き9〜15時は毎時27分発、西田平駅の下り伊万里方面9〜15時は概ね毎時41分発と接続も良く、佐世保から平戸を通って伊万里へ、という周遊観光ルートが組みやすくなる。ただ、周囲にコンビニはおろか商店すらないため、物資の調達はできない。そうしたものが必要ならば平戸口で乗り換えれば良いだろう。

西九州線も西肥バス佐世保平戸線もどちらも1時間1本が確保されているため、自分としては平戸口で乗り換えるよりもよほど便利だと思うがどうだろう。この乗り換え、もっと利用されていいと思うんだけれども。

西田平駅田平天主堂

西田平駅は、世界遺産ではないものの重厚なレンガ造りが印象的な田平天主堂の最寄りであり、観光協会のホームページでも荻田バス停と並んで紹介されているものの、約2km離れており徒歩30分を要する。

f:id:stationoffice:20180809153300j:image駅名標にも田平天主堂があしらわれている

一応、田平天主堂前にも西肥バスの「天主堂前」バス停があるが、ここに停車するのは平日のみ1日2便(土休日運休)しかなく、しかも夕方の便(天主堂前17:16発江迎行き、18:13発平戸桟橋・平戸営業所行き)は平日であっても学休日は運休。毎日運転となるのは天主堂前7:49発平戸桟橋行き、8:31発江迎行きのみ。従ってバスを使おうとすると平日のみ、①朝方の江迎からの往復か、②夕方の平戸からの往復の2パターンしかなく、しかも②は学休日運休のため、夏休み中などは①の朝の江迎発しかない。実質的には田平天主堂の近くにある長崎県立北松農業高校(ほくしょう─、北松浦郡の意)の通学バスとして機能しているのみで、観光に適した時間帯ではない。公共交通機関を使おうとすると平戸口や平戸市街からのタクシーか、西田平駅からの徒歩に頼らざるを得ないだろう。

①江迎(江迎鹿町駅前)7:31→末橘(すえたちばな駅前)7:35→天主堂前7:49・天主堂前8:31→末橘8:45→江迎8:49

②平戸桟橋16:55→平戸口桟橋17:08→天主堂前17:16・天主堂前18:13→平戸大橋東口18:19(平戸口桟橋は通過)→平戸桟橋18:30

要は「隠れキリシタン」が信仰を秘匿できたほどの田舎なわけで、日常的な交通需要があるところではないわけだ。江迎〜天主堂前の経路上に「肥首」「残念坂」といったおどろおどろしい名前の停留所が居並ぶあたり、この地域が置かれた厳しい状況が透けてみえるかのよう。経路上に世界遺産に一帯が登録されたといってもバス利用客が増えるわけでもなく、結局はタクシー、そして大多数はレンタカーになる。西九州線や西肥バスの利用に結びつくかどうか…「天主堂めぐりバス」のような観光循環バスでもあれば、格段に便利になるのだけれど。

最低限のローカルバスの運行は維持されているだけマシだが、せっかく今まで維持してきた公共交通ネットワークが、世界遺産登録によって育つだろうか。西田平駅掲示された丁寧な案内や、ホームページでも紹介されている詳細なアクセス図を見る限り、公共交通にも配慮はなされていると思う。その芽は芽吹きつつあるような気はする。

f:id:stationoffice:20180809121544j:image普通伊万里行きがやってきた

(つづく)