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【神奈川】”陸の孤島”本牧を走った横浜市電──横浜市電本牧線/横浜市営バス156系統(1) #92

“中区西区にあらずんば横浜市にあらず”──という言葉がある。横浜市のうち、いわゆる横浜のイメージを持たれるのはだいたいこの2区であり、他は”ミナト横浜”のイメージからかけ離れた、山の中を切り開いたニュータウンまである。そのような新開の横浜市と、開港以来の歴史を持つ横浜市を区別するための言葉であろう。少々差別的な意味合いがあるが、ここでは深く触れない。

▲現代のヨコハマを象徴する海辺のタワーマンション群。みなとみらいの開発は横浜のブランドを大いに高めた

そして、そのオールド横浜を結び、70年にわたり走り続けたのが横浜市電だ。第一期の開通は1904年と、大都市圏の”路面電車”としては京都(1895年)、名古屋(1898年)、東京(1900年)、大阪(1903年)に次ぐ5番目。城下町であった歴史を持たない新興の都市としては、日本初の電車が走った街となった。それから約70年にわたり市民の足として走り続けたが、1972年に全廃となった。それから約50年、今なお横浜市電は”横浜の記憶”として、多くの箇所で語られ続けている。

▲横浜市電保存館に並ぶ電車たち。とても半世紀前に引退した電車とは思えず、今にも走り出しそうだ

目次

半世紀前に姿を消した横浜市電

みなとみらいのホテルに暫く滞在する機会を得た。元町・中華街、山下公園、山手町など横浜の定番観光スポットへ行っても良かったが、これらへは東京からでも東急東横線〜みなとみらい線、JR京浜東北・根岸線で容易にアクセスできる。せっかく横浜市内に泊まっているのだから、東京からでは少々アクセスの悪い場所に行ってみたかった。

▲みなとみらいの景観。ランドマークタワーを頂点にした美しい都市景観が広がる

そこで、ホテル近くの「横浜美術館」バス停から乗ったのは、12:24発・横浜市営バス156系統「滝頭(たきがしら)行き」。パシフィコ横浜(12:21)を始発とし、JR桜木町駅・京急日ノ出町駅・地下鉄ブルーライン吉野町駅を経由し、市内南部・磯子区の滝頭(12:50)へ至る系統である。IC一日乗車券(600円)を買い求め、見慣れぬ行き先のバスに揺られた。

▲横浜美術館バス停に到着する156系統滝頭行き。横浜市伝統の肌色に青帯の塗装を継承している

それにしても、「滝頭行き」とは一風変わった行き先だ。幼少期は「たきず」行き?などと思っていたが、滝頭は市内南部の磯子区に所在する、横浜市営バス滝頭営業所を併設する、市営バスの拠点である。鉄道駅からは離れており、最寄りはJR根岸線根岸駅、または市営地下鉄ブルーライン吉野町駅となるが、いずれも徒歩20分程度を要する。このため、滝頭地区のアクセスは市営バスが中心となっており、横浜駅や桜木町駅に向け、日中でも10本/h以上が運行されている。

そして、この横浜市営バス滝頭営業所に併設されているのが「横浜市電保存館」である。先述したように鉄道駅からは離れており、なんでアクセスが悪い場所に博物館を造るのか…と思っていたが、この「滝頭車庫」こそ、1972年に全廃された横浜市電の中で、最後まで存続した車庫だったのだ。

▲横浜美術館バス停で156系統滝頭行きを待つ人々。30分間隔の運転だが乗客は少なくなかった

桜木町駅から野毛大通り、京急日ノ出町駅と続く繁華街を抜けると、日ノ出町駅から吉野町駅までは156系統の単独区間(平戸桜木道路)となる。中でも日の出町2丁目・前里町3丁目・前里町4丁目は日中30分間隔の156系統しか止まらないため、高齢者を中心に乗降が見られた。この区間のメインルートは、ひとつ南側の尾上町や阪東橋を経由する鎌倉街道なのだが、それでも156系統が前里町経由で残されている理由は、この156系統こそが、横浜市電で最後まで残った系統のひとつ、6系統の系譜を受け継いでいるからだろう。

▲カオストレイン(@chaostrain)氏作成の横浜市電路線図。全盛期は現在地下鉄がないエリアへも路線網を広げていたことがわかる

横浜市電6系統は桜木町駅前を起点に、日の出町一丁目(京急日ノ出町駅前)・滝頭を経て、海沿いの蘆名橋(JR磯子駅北1kmほど)に至る経路を辿った。繁華街の伊勢佐木町や、関内の市庁前(横浜市役所前のことをこう呼んだ)や県庁前は経由しなかったが、国鉄・東急桜木町駅へ最も早くアクセスできる系統だった。当時の磯子区周辺は京急線が南部の屏風浦・杉田を掠めるのみで、区役所周辺は横浜市電が頼りだった。1964年の国鉄根岸線桜木町─磯子間の開通までは、桜木町駅が磯子区周辺へのターミナルとして機能していたのだ。

▲横浜市電保存館で展示されているサボ。鉄道駅が現存しない場所ばかりだ

6系統は蘆名橋止まりだったが、横浜市電は蘆名橋から先、屏風ヶ浦を経て、杉田まで続いていた。杉田まで足を延ばしたのは、6系統と同じく1972年の市電全廃まで残り、繁華街の伊勢佐木町を経由した13系統(桜木町駅前─伊勢佐木町─滝頭─蘆名橋─杉田)と、関内の県庁前を経由した8系統(桜木町駅前─日本大通県庁前─浦舟町─滝頭─蘆名橋─杉田)の2つ。しかし蘆名橋─杉田間は、1964年の国鉄根岸線開通の影響をもろに受け、横浜市電の中でも早い時期である、1967年に廃止されてしまう。

▲JR根岸駅。1964年に横浜市電の代替として開業した駅の一つ。当駅開業の3年後、至近を走っていた杉田線・蘆名橋─杉田間が廃線となっている。

その後も6・8・13系統は鉄道から離れた滝頭周辺への足として暫く営業を続けたが、1972年の市営地下鉄1号線(ブルーライン)上大岡─伊勢佐木長者町間開通と引き換えに姿を消した。6・8・13系統の沿線は、桜木町から吉野町までは地下鉄、蘆名橋から先は国鉄根岸線で代替される形となったが、滝頭周辺は代替の鉄道路線が整備されず、市電滝頭車庫に代わり設置された横浜市営バス滝頭営業所による、市営バスが走るのみとなっている。

さて、地下鉄ブルーライン吉野町駅前を過ぎると、156系統をはじめ、多くの系統が滝頭へ向けて集まる区間になる。そのうちの大部分は滝頭止まりだが、滝頭・芦名橋・磯子駅を経て磯子車庫へ向かう113系統も20分間隔で運行されており、この運行形態からも、かつて8・13系統が杉田まで通じていた時代を彷彿とさせる。

桜木町駅前から約20分、156系統は国道16号から逸れてすぐ、横浜市営バス滝頭営業所の中にある終点・滝頭へ到着。桜木町から滝頭へ急ぐには、地下鉄ブルーラインと市営バスを吉野町や阪東橋で乗り継ぐ方法もあるが、運賃が高くなるばかりで、乗り継ぎの手間や待ち時間を考慮すると、どちらも20〜25分で大差ない。

しかしながら、桜木町から根岸線に20分も揺られれば、横浜市電時代の終点・杉田に近い新杉田を経て更に2つ先、根岸線の電車は港南台に着いている。滝頭は根岸線でいえば根岸駅に近いあたりで、桜木町から根岸までは電車で僅か8分と、その速度差は明らか。横浜市中心部から近い割に時間がかかるイメージは否めない。遅くて古ぼけた市電が嫌われ、早くて時間に正確な根岸線や地下鉄が望まれたというのも、肯けるところだ。

横浜市電保存館に眠る電車

滝頭バス停から横浜市電保存館へは3分ほど歩く。広大な横浜市電滝頭車庫のうち、バスの出入りがしやすい国道16号側は横浜市営バス滝頭営業所に転用されたものの、国道から離れた側の一部は市営住宅が建っており、横浜市電保存館はその市営住宅の1階に間借りする形となっている。

市電保存館側にも「市電保存館前」バス停があるが、こちらは21系統(市電保存館前─根岸駅前─山元町1丁目─元町─桜木町駅前)が15分間隔で始発終着となる以外は目立った系統はなく、上大岡駅行きや根岸駅行きなどの生活系統が中心。横浜市中心部へは滝頭バス停の方が本数が多く、従って市電保存館のHPでも滝頭バス停の利用を推している。

入館料は300円だが、バス利用の場合は200円となる(一日券の利用ももちろん可)。館内には7両の横浜市電が保存されており、1972年の全廃から50年近く経過しているとは思えないほど、ピカピカの状態を維持していた。実車の展示のみならず、停留所の安全地帯を再現した一画があったり、映像資料や鉄道模型の展示もあって、意外に充実していた。

中でも横浜市電の発展と衰退を紹介する展示コーナーは、交通関係のみならず横浜発展の礎となった江戸期の吉田新田の開発、そして開港と共に爆発的な発展を遂げてゆく横浜の歴史が深く紹介されており、見応えがあった。ただしコロナウイルス対策のため図書資料に触れることはできず、当時の資料を参照できなかったのは残念。それでも、網の目のように走った横浜市電と、その跡を継いだ横浜市営バス・市営地下鉄の系譜を理解するには十二分だった。

印象的であったのは、「横浜市電は決して劣っていた存在だったのではなく、横浜市の発展の激烈なスピードに対して余力がなく、より大量・高速に輸送できる地下鉄・根岸線への転換が求められたために、廃止にならざるを得なかったこと」が、繰り返し強調されていた点だ。

▲横浜市電と市バスの営業距離の推移。市電は1930年前からほぼ横ばいなのに対し、市バスは戦後の伸びが著しい。それだけ戦後の横浜市の発展が激烈なペースであり、市電では対応しきれなかったことがわかる。

横浜市電が走ったエリアは、南が杉田、西が弘明寺、北が六角橋・生麦と、現在の横浜市域に比べて狭い。杉田から桜木町駅までは40〜50分、渋滞に嵌ればそれ以上にかかっていたというから、磯子から関内までわずか10分で結んでしまう根岸線が開通してしまえば、運賃は安くとも遅すぎる市電は、道路を占有する邪魔者にしかならなかった。開発が進む港北ニュータウンや港南区・戸塚区方面へ延伸しようにも、既開業区間で横浜市中心部まで小一時間を要しているようでは話にならず、道路渋滞の影響を受けない地下鉄を延伸するしかなかったのだ。

▲弘明寺線の終点であった弘明寺電停。京急の弘明寺駅よりも早い開業で、弘明寺門前には市電の方が近かった。ここからの延伸も計画されていたというが、延伸計画は地下鉄に引き継がれ、現在はブルーラインが弘明寺から上大岡、戸塚を経て、はるか藤沢市の湘南台までを結んでいる。

横浜市電にとって運が悪かったのは、殆ど全ての区間が併用軌道だったという点だ。横浜市電のうち専用軌道だったのは、元町と本牧を隔てる山手隧道の僅か200mほどの区間のみで、これ以外の約50kmに及ぶ路線は、全て併用軌道だった。

横浜市電は、関内・元町周辺の市街地を除き、殆どの区間が道路の整備と並行して軌道の建設を行う方式であったため、幅広い道路の中央に軌道がある区間が多かった。横浜市は東京・京都・大阪といった他の大都市に比べて江戸期以来の既成市街地が少ないため、市街地の拡張に合わせ、大通りと軌道をセットで建設し、拡張市街地の背骨としていったのだ。このため、開業当時の写真を見ると、何もない中を大通りと軌道がひたすらに伸び、そのただ中を電車が走る…というシーンになっている。交通を確保してから市街地を拡張するという発想は、1910〜20年代としては画期的で、今日のニュータウン開発にも通じる思想がある。

▲横浜市電保存館HPより。市電が本牧へ延長されたばかりの頃だが、建物が殆ど見受けられず、道路も未舗装。現在はここが本牧通りとなり、建物が通りを挟んで林立している。

しかしながら、郊外都市として再先発の発展を遂げる中にあっては、その大通りと軌道もあっという間にびっしりと建物に覆われ、自動車が埋め尽くし、過大に思われた余力は失われていった。横浜市電が1972年という早い時期に全廃されたのは、横浜市の発展があまりに急激だったから、としか言いようがないだろう。もし、軌道が専用軌道として建設されていたのならば、都市交通として生きながらえていたのではないか、とも思った。

▲横浜市電保存館HPより。道路拡幅がままならない中の苦肉の策として軌道敷内の自動車通行が許可された1960年以降、市電は定時制を喪失。客離れに拍車がかかることとなった。

滝頭車庫に眠る7両の市電。都市の発展と変貌に翻弄されながらも、大都市・横浜のために70年にわたり活躍した電車たちは、我が国の中でも稀有な発展を経験したその歴史を、バスに囲まれながら、静かに語ってくれる。

“陸の孤島”本牧と横浜市電

横浜市電保存館の見学を終え、今度は21系統(市電保存館前─根岸駅前─山元町1丁目─元町─桜木町駅前)の始発「市電保存館前」からバスに揺られた。ちょうど高校生の帰宅時間帯にぶつかり、市電保存館のすぐ隣に、21系統専用のゆとりある始発停留所を持っているが、高校生の列がどんどん伸びていく。おそらくは近隣の横浜市立横浜商業高校別科(理容・美容科)の学生たちであろう。

▲滝頭車庫に憩うバスたち。奥にはデビューを待つ連節バス「BAYSIDE BLUE」の姿が見える。

公式では国道16号上の天神橋バス停(滝頭から1つ横浜駅寄り)が最寄りとされているが、天神橋バス停からJR根岸駅・磯子方面へは多くが滝頭止まりであるため、こちらを利用する学生も少なくない様子。それにしても、公立学校に理容・美容科があるとは、横浜市の懐深さを印象付けてくれる。15:50、市電保存館前発。

市電時代そのままに八幡橋で海に突き当たると、21系統は磯子に背を向け、JR根岸駅方面へ向かう。八幡橋は、滝頭方面からの市電と本牧方面からの市電が合流するポイントであり、八幡橋から2つ先の蘆名橋までは、滝頭方面と本牧方面からの市電が輻輳した。現在の市営バスでもそれは変わらず、滝頭・本牧・磯子の3方面のバスが入り乱れている。

▲根岸駅前に到着した21系統・桜木町駅行き。

市電保存館前から10分で根岸駅前。高校生は八割方が降りた。自分もここで降り、本牧方面へのバスに乗り換える。21系統は本牧の山側を通り、かつての市電の終点・山元町、かつての市電唯一の専用軌道・山手隧道南側の麦田町を経由して元町方面へ向かうため、ここからの乗客も多い。だが高校生のみならず元町方面への買い物客だろうか、根岸駅を通り越す乗客もおり、ここで分割するのは実態に合わない面もありそう。

根岸駅前はロータリー内に多数の乗り場を持つ横浜市営バスのターミナルとなっており、本牧方面や上大岡方面との結節点になっている。駅の南側がENEOSの油槽所で占められているために改札口は北口のみで、駅の規模はさほどでもない。しかしながらバスターミナルの規模は大きく、ここから21系統市電保存館前行きに乗る人も少なからずおり、横浜市電が根岸線+市営バスの結節によって代替された様子がよくわかる。根岸線と21系統を根岸駅前で乗り継ぐと、桜木町〜市電保存館前は17〜20分で結ばれ、市営バスよりも早い。

本牧方面へは最も改札口に近い1番乗り場が充てられており、根岸駅前バスターミナルの中でもメインとして扱われている様子。平日日中でも20人ほどが列を作っており、10分間隔前後で頻発している。経路違いによる整列乗車も案内されていたがあまり守られておらず、目的でないバスが来た乗客は、前まで進んでから列を外れる形になっていた。経路違いとなるのは本牧エリアを越えた先なので、経路違いを気にする乗客が多くないからだろう。

ここから乗ったのは58系統、本牧・山下ふ頭入口・中華街入口経由、横浜駅行き。磯子駅の1つ南隣の磯子車庫を始発とし、本牧を経由して横浜駅までをロングランする、横浜市営バスの中でも屈指の長距離路線にして基幹系統。磯子駅・根岸駅周辺では根岸線フィーダーの役割を持ち、本牧と横浜市中心部を結ぶ幹線としての役割も併せ持つ。それだけに乗客も多く、空席があっと言う間に埋まってゆく。16:10、根岸駅前発。

根岸駅前から本牧へは大きく2つ、一つは間門・本牧原とかつての市電をなぞるルート、もう一つは本牧三渓園の南側を経由し、国道357号・首都高速湾岸線に沿うルートとがある。旧市電ルートは日中も約10分間隔を維持するものの、湾岸線ルートは工業地帯に沿う分需要が平日朝夕に偏っており、日中は30分間隔にまで減る。

58系統は当然ながら、かつての市電5系統(間門─本牧三渓園前─桜木町駅前─平沼橋─洪福寺前)・11系統(蘆名橋─間門─本牧三渓園前─桜木町駅前─横浜駅前─六角橋)に近いルートを採るが、市電が山側の山手隧道を経由するのに対し、58系統は海側の新山下・山下ふ頭入口を経由する点が異なる。

▲市電5系統のサボ。現在の市バス101系統とほぼ同じルートを辿る。起終点の間門・洪福寺はいずれも101系統の途中経由地。

旧市電5系統に近いルートのバスとしては101系統(根岸駅前─本牧─元町─桜木町駅前─平沼町1丁目─洪福寺─保土ヶ谷車庫前)があり、今なお15〜20分間隔を維持している。横浜駅のすぐそばを走りながらも横浜駅に寄らず、旧市電5系統と同じく東海道線を跨ぐ平沼橋を渡り、浅間町車庫を経て洪福寺前へ向かう経路が、脈々と受け継がれている。

▲みなとみらいをバックに高島町付近を走る101系統。みなとみらい地区は経由せず、101系統は市電時代と変わらぬ高島町経由を守っているため、現代横浜の中心たるみなとみらい地区との関連は薄い。

市電5系統が折り返した「間門」を経て、「三の谷」「二の谷」と停車してゆくにつれ、根岸駅前からの乗客が降りてゆく。停留所名はいかにも昔のままで、市電時代から引き継がれている名である。

▲Google streetviewより。かつて市電が折り返し、海水浴や潮干狩りで賑わったという間門電停付近。現在は大きなマンションが取り囲んでいる。

しかし風景はURの大団地に囲まれており、道路に面した低層部は店舗が入り、買い物客の人出も多い。従ってバス停でバスを待つ乗客も多く、往時の団地商店街を思わせる光景が本牧では健在である。

「本牧」バス停は市電時代「本牧三渓園前」と称し、「本牧桜道」と呼ばれる門前通りがここから伸びている。現在は本牧桜道を通り三渓園入口・三渓園前まで向かうバスもあるものの、根岸駅方面から三渓園へはここが最寄りの一つであるため、現在も観光客が降り立つバス停の一つ。交番も交差点に面しており、市電時代から続く主要停留所であることがわかる。

▲Google streetviewより。本牧バス停(旧・本牧三渓園前電停)付近。

本牧の次は「本牧原」を経て「和田山口」。かつて世界でも有数の規模を誇り、12番街まで有したマイカル本牧、現在のイオン本牧店の最寄りというか真ん中に位置する。このため多数の買い物客の乗降があり、バス前面や側面の経由地にも記載される主要停留所の一つ。上屋やバス接近案内も完備されており、バス利用の買い物が根付いている。行き交う人は極めて多く、ここに鉄道駅がないのが不思議なくらいだ。

▲Google streetviewより。和田山口バス停付近。道路を跨いで旧マイカル本牧が聳え立つが、かつてこの付近は長いこと米軍に接収されており、米軍基地内を横浜市電が通過していた。

面白いのは、停留所名は「和田山口」と何の変哲もないが、周囲はイオンに囲まれているのに、車内放送や路線図では何の案内もないこと。「和田山口=マイカル→イオン」の図式は1989年の開業当初から変わっておらず、地元には「和田山口」で通用するからだろう。

▲Google streetviewより。和田山口バス停。まるで地下鉄駅前かのような雰囲気だ。

しかし主要停留所の一つながら市電時代には存在しておらず、本牧三渓園前を出ると、バスでは3つ先の「小港」まで停車しなかった。これは、戦後に本牧一帯が「米軍横浜住宅」として1982年まで接収されており、横浜市電は米軍住宅の中を通り抜けるのみで、停留所が設けられていなかったからだろう。本牧に鉄道が来なかったのは、1982年まで大部分が米軍住宅として接収されており、面としての街が発展しにくかったから、という事情もあるのかもしれない。

▲Google streetviewより。小港バス停付近。旧来の市電ルートは直進だが、58系統は右折し山下公園方面へ向かう。

その小港を出ると麦田町・元町方面へ向かう旧道と分かれ、58系統は市電時代に存在しなかった海沿いの新道へと進んでゆく。「横浜みなと赤十字病院入口」で通院客の乗降が多少目立つ他は、少しずつの乗降を繰り返してゆく。

みなとみらい線と市営バス

かつて外国人居留地(関内)と日本人町(関外)の境となった歴史を持つも、現在は首都高速狩場線が覆い被さる重苦しい景観を晒している中村川を渡ると、まもなく山下町、続いて中華街入口に停車する。僕も16:38着の中華街入口で降りた。

根岸駅から根岸線に乗って石川町で降りればわずか2駅5分だが、本牧地区を大回りするぶん、58系統は根岸駅から30分弱かかった。「本牧」からは20分弱だが、仮に麦田のトンネルを経由する市電が現存していたとしても「元町」までは7停留所。バスよりは多少早かったかもしれないが、やはり根岸線のスピードには敵わない。

ここから58系統は横浜の都心部をきめ細かく結んでゆくが、「日本大通り駅県庁前」からは完全に市電ルートを継承するためにみなとみらい地区は全く通らず、桜木町駅から根岸線に沿って横浜駅へ向かう。クイーンズスクエア(みなとみらい駅前)や赤レンガ倉庫、横浜美術館、日産グローバル本社などのみなとみらい地区への市営バスの乗り入れは、行きに乗った156系統(パシフィコ横浜─桜木町駅─滝頭)などわずかであり、観光循環バス「あかいくつ」などを含め、多くは桜木町駅をターミナルとしている。

▲みなとみらい線元町・中華街駅。このホームの直上に山下町バス停・中華街入口バス停がある。

「山下町」の停留所では、名称は全く異なるがみなとみらい線元町・中華街駅が隣接しているため「みなとみらい線はお乗り換え」との案内があった。上り桜木町駅方面の乗り場の目の前には元町・中華街駅の3番出口が隣接しており、乗り換え利用もありそうだが、山下町では1名が降りただけだった。

みなとみらい線と58系統は、馬車道駅=横浜市役所前までは完全に並行する上、横浜駅を目指すという点では同じなものの、馬車道駅からはみなとみらい駅を経由するみなとみらい線と、桜木町駅を経由する58系統とに分かれる。この微妙な違いこそが、58系統を桜木町駅で打ち切らずに横浜駅までの直通を維持させている要因であろう。

山下町から横浜駅へは更に20分を要する。このため、単に横浜駅へ向かうならば山下町でバスを降り、みなとみらい線の特急に乗ればわずか7分。乗り換え時間を含めても10分あれば十分だが、そのような動きは多くない。

これは、みなとみらい線が密集市街地に後からできた駅であるため、元町・中華街駅が明確なバスターミナルとしての機能を持たないことがあるだろう。加えて、58系統の走る近くには根岸線山手駅・石川町駅・関内駅もあるが、同様の理由でこれら駅はバスターミナルを持たないため、多くの市営バスが根岸線やみなとみらい線に並行しながらも、桜木町駅や横浜駅への乗り入れを続けている。

仮にみなとみらい線が市営地下鉄の一路線であれば、元町・中華街駅での結節も考えられたことだろう。みなとみらい線の運営は第三セクターの横浜高速鉄道が担っており、このために市営バスとの連携がうまくいっていないように思う。

▲デビューを待つ「BAYSIDE BLUE」。とても連節バスの本領が発揮される使い方とは思えず、話題性が先行しているだけのように思う。

市営バスでは2020年7月から横浜駅〜山下公園〜山下ふ頭間を急行運転で結ぶ連節バス「BAYSIDE BLUE」の運行を開始するが、そのルートは多くがみなとみらい線と重複している上に、約30分間隔と本数も多くない。「BAYSIDE BLUE」はみなとみらい線と市営バス・市営地下鉄の覇権争いが生んだ徒花のような気がしてならないのだが、そこは国際観光都市・横浜。「BAYSIDE BLUE」はあくまで横浜駅とみなとみらい・山下公園を結ぶ域内移動のサービスアップであり、みなとみらい線は東横線・副都心線、さらに東武東上線、西武池袋線と直結している強みを生かして、遠く埼玉方面からも通勤客・観光客をどんどん送り込んでくるもの…と割り切っているのかもしれない。「並行すれども競合せず」の理論だろう。

▲東急東横線渋谷駅にて。出発する電車の全てが「元町・中華街行き」である。これほど分かりやすいPRはないだろう。

何しろ、みなとみらい線は終点が「元町・中華街」である。観光客にとって、これ以上ないほど分かりやすく、横浜ブランドを持つ駅名だ。

***

中華街入口のバス停から、山下公園へと歩く。山下公園に吹く風は、コロナなど吹き飛ばしてしまうかのように、今日も変わらず頬を撫でてくれた。ミナト横浜の潮風は、150年前から変わらず、横浜を動かし続けている。

▲横浜の伝統と格式を代表するホテルニューグランド。かつてマッカーサーが何度も宿泊した過去を持つ

(つづく)