「はぁー・・・最of高だなぁ・・・」
65番で「瀬底」バス停に着いてから約2時間。
僕とO君はジャグジーに浸かりながら、瀬底島の海に沈む夕日を眺めていた。
* * *
※タイトルは【76】瀬底線となっていますが、本記事内では乗車しません(できませんでした)。
目次
・駅のようなバス停
瀬底島のほぼ中央部にある「瀬底」バス停。といっても周囲にコンビニや銀行があるわけではなく、バス転回場のほかには、小さな居酒屋と、島出身者のための戦没者慰霊塔が立っているだけ。近づいてみると、沖縄らしい苗字の方々の御名前が慰霊塔に刻まれていた。バス停が3つしかない島でこれだけの方々が沖縄戦でお亡くなりになったという事実を、慰霊塔は静かに語ってくれる。手を合わせて冥福をお祈りした。小さな島であっても、バス停ならば人が集まるときがある。人が集まるからこそ、慰霊塔がバス停のすぐ近くに立っているのかもしれなかった。
そういった意味では、この「瀬底」バス停と鉄道駅との間に本質的な差は少ない。毎日決まった時間に、ここではないどこかへ向かう人々が集まってくるという意味合いにおいて、バス停と駅の違いはないだろう。地方のやや大きな駅前ともなれば、郷土の偉人の銅像だったり、平和都市だとか交通安全だとかの標語を掲げたモニュメントが立っているというのも、慰霊塔が立っているこのバス停と似通っている。空襲の激しかった町では、やはり慰霊塔が駅前に立っていることも珍しくないものだ。
・瀬底の海に沈む夕日
バス停から歩くこと数分で、今宵の宿「フォールームス」に着いた。その名の通り、4部屋しかない小さなホテル。沖縄通のO君が前から気になっていたホテルだそうで、「ホームページが実にエモい」との理由でここに泊まることになった。何ゆえ「エモい」のかを敢えてあまり聞かずに現地まで来たが、彼が沖縄を愛してやまない理由を体感することになる。小高い丘の上にあるホテルに着くと、大きな犬2頭とネコ、やや遅れてご主人が僕らを迎えてくれた。
「ジャグジー、何時にしましょう。オススメはやっぱり日没の5時から6時の間ですよ」
はて、何のことやらと思ったが、聞けば屋上にジャグジーが設置してあり、1部屋1時間の予約を取ってゆったりと浸かることができるのだそう。星空を眺めるのもさぞかし良いであろうが、いくら沖縄といっても2月の夜はちと寒い。御主人のアドバイスに従い、ジャグジーに浸かりながら夕日を眺めることにする。もっとも、この日は僕ら以外の宿泊客はおらず、貸し切りだったが。部屋備え付けのハンモックを初体験しているうち、あっという間に5時になった。そして、最初の場面に戻るのである。
ジャグジーに浸かっている間は、何も考えず、ただただぼーっと夕日を眺めているばかりであったように思う。正直、どんな会話をしたのかすらあまり覚えていない。この開放感、自由、風、これこそが沖縄の醍醐味なのかもしれない。O君が沖縄に入り浸る理由が、なんとなくわかった気がした。伊江島へ帰る人を迎えに来たであろうフェリーが本部港へ入っていくのが見えたあたりで日没となり、ジャグジーの時間は終了した。といっても、誰かに呼ばれたり、チャイムが鳴ったりしたわけではない。ジャグジー近辺に、というかホテル全般に時計の類はほとんど置いておらず、「そろそろ時間だろう」と思ってなんとなく出ただけだ。事実、予約の1時間はとっくに過ぎていたのだが、この島の風に吹かれている限りにおいては、そんなことはどうでもよかった。
僕らの体にもウチナータイムが浸透してきたらしかった。
・「じゃあ、車で送りましょうねェー」
「イチャリバチョーデー」というウチナーグチがある。「出会えば兄弟」他人同士でも一度出会ってしまえば兄弟同然の情が湧く・・・といった意味合いの、実に沖縄らしい素敵な言葉だ。実際、沖縄県民を対象とした意識調査においても、この「人間関係の豊かさ」は優れた県民性であると受け止められているそうだ。
一方、「ヒジュルー」というウチナーグチもある。イチャリバチョーデーとは対照的に「冷たい、無愛想な」といった意味合いになる。O君曰く、「基本的に沖縄人は誰もイチャリバチョーデーなんですが、初対面のナイチャー(内地人)が相手だと最初はよそよそしかったり、つっけんどんだったりもするんです」という。この話を聞いたとき、島社会特有の、よそ者(特に『ヤマト』)に対する警戒心のようなものは、21世紀になって尚あるのかもしれない、と思っていた。沖縄と本土、琉球とヤマトは、いつも微妙なバランスのもとに成り立つ環境にあったことに、変わりはない。
100%シークワーサージュースはいかにも身体に良さそうな味
ホテルの夕食は奥さんお手製のイタリア料理。ザ・沖縄料理・・・といったものを期待していただけに、ちょっと予想外。浅黒い肌に目がくりっとした、いかにも沖縄らしい顔立ちの奥さんだったが、料理の説明だけしてそそくさと引っ込んでしまった。決してヒジュルーとは言わないけれど、なんとなくそっけないような。そんな風に思っていた。
翌、2/10朝。朝食で奥さんお手製のカレーリゾットを食べている時、僕とO君はタクシーを呼ぶか、島の対岸のバス停まで30分歩くかどうか迷っていた。
瀬底発のバスは1日4便あるが、土日祝は午前中の便が7:30しかなく、その次は12:30まで待たねばならず、チェックアウトから2時間以上も空いてしまい、お世辞にも観光に適した設定とは言えない。
この日は沖縄美ら海水族館を見学したのち、今帰仁廻りで名護バスターミナルへ戻り、そこから今度は【77】那覇ゆきで東海岸を縦断し、宜野湾市のホテルに泊まる予定でいた。瀬底島を足早に去ってしまうのは名残惜しいが、さりとて12:30まで待っていると水族館見学の時間が無くなってしまう。さて、どうしようか。
●参考:琉球バス交通「瀬底」発 バス時刻表 2018/2/10現在
07:30 【76】本部港経由 名護BTゆき
10:27 【66】本部港経由 名護BTゆき(平日運転)
↑これがあればよかったが、この日は土曜日。
12:30 【65】記念公園経由 名護BTゆき(土日祝運転)
14:47 【66】本部港経由 名護BTゆき(土日祝運転)
15:15 【65】記念公園経由 名護BTゆき(平日運転)
19:40 【76】本部港経由 名護BTゆき
そう思っていたら、奥さんが顔を出してくれた。
「チェックアウトのあとは、どうするんですか?」
「沖縄美ら海水族館へバスで行こうと思ってるんですけど、12時半までバスが無いんですよね。タクシーを呼ぶか、それとものんびり橋の向こうのバス停まで歩いていくか、悩んでます」
「じゃあ、車で送りましょうねェー」
ウチナーグチの一種だと思うが、「~しましょうねェー」(『ね』にアクセントがくる)というのは、「~しましょうか?/しませんか?」の提案の意味を持つ。つまり、「バスが無いなら、(水族館まで)車で送りますよ」というわけだ。願ってもない申し出だった。
決してヒジュルーなのではなく、旅の二人組へかける言葉がよくわからなかったのかもしれない。一晩泊まればイチャリバチョーデー。困っている人がいれば、我が事のように悩み、共感し、協力できる、それが沖縄人ならではの素朴な優しさを形成していよう。
一見、断定のような「~しましょうねェー」。協力の申し出ゆえ、断られにくい提案であるからこそ、「~しましょうね」という断定の表現が、提案の意味を持つのかもしれない。
伊江島が見える
・水族館へ
ご主人と犬2頭とネコに見送られ、僕らを乗せた奥さんの車はホテルを後にした。最後まで人懐っこい犬とネコたちだった。あんな歓迎を動物から受けたのは初めてだ。あの犬とネコたちも立派なウチナンチューだ。
この日の気温は18度と、沖縄にしては少々うすら寒く、奥さんはニットを着ていた。しかし僕らからすれば半袖に長袖を羽織るくらいで丁度良い。
「私からすると、ちょっと寒いですねェ。20度切ると、冬だーって思いますよ」
車中では、奥さんは打って変わって様々な話をしてくれた。前の晩までのヒジュルー?な感じがうそのよう。それだけ、打ち解けられるだけの時間が経ったのかな。
奥さんは地元の人だそうだが、御主人はなんと新潟の人なんだそう。数多の南の島を旅してきて、瀬底島に落ち着いて、そして奥さんと小さなホテルを開いたんだと。なんと旅人な人生だろう。ちょっとうらやましい。
瀬底島のなかでも最初期のお宿で、小高い丘にあるために眺めが良いのはいいけれど、水道の水圧が弱いのがお悩みだそう。でも、そんなの気にならないくらい、沖縄の風土に溶け込んだ、素敵なお宿だった。
15分ほどで、沖縄記念公園=沖縄美ら海水族館前に着いた。奥さんに改めてお礼を伝え、車を降りる。僕らのことを、手を振って見送ってくれた。また泊まる機会もあるだろうか、どうだろうか。
「良いホテルでした。リピート、アリですね」
沖縄通のO君にとっても、忘れがたい宿になったようだ。
「めんそーれ」と彩られた花壇が迎えてくれた。海の方向には、水族館が控えている。
* * *
(つづく)