「クゥ~~ッ、コレですよ、コレ。この『サロンパス』感」
ビールジョッキを傾け、うまそうに炭酸の液体を喉へ流し込むO君。しかし、彼が飲んでいるのは決して「ビール」ではなく、ましてや「サロンパス」でもないが、とある「ビア」である。
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目次
・はじめてのルートビア
「ルートビア」という飲み物をご存知だろうか。東京をはじめ、本土ではあまりメジャーではないが、沖縄やアメリカではコーラやサイダーのようにごく一般的に飲まれている、炭酸飲料のひとつ。その名の通り、禁酒法施行下の19世紀アメリカにおいてビールの代用飲料として生まれ、「ルート」とはroot=リコリス=甘草、ハーブの一種のこと。名前からして、てっきりアメリカのロードサイドで提供されるからroute=国道のことかと思っていたが、違った。当沖縄編でもちょいちょい登場する「A&W」の名物として知られ、今や沖縄ならではの名物になりつつある。
「一言で言えば、『飲むサロンパス』です」とはO君の言葉。どんな味だか全く想像がつかず、訳が分からないまま店に向かった。
77番を宇地泊で降りると、目の前はアメコミキャラの大看板が建つ、A&W牧港店。1号店の屋宜原(やぎばる)店は米軍施政下の1963年開店と、あのマクドナルド銀座1号店より8年も早い。屋宜原店はイオンモール沖縄ライカムの近くにあり、決して市街の中心とは言えず、事実住所は中頭郡北中城村である。そのようなロードサイド型店舗を50年以上前に出店したのだから、米軍施政下でいかにモータリゼーションが急速に拡大したかがわかろうかというもの。
沖縄県民はA&Wを「エンダー」と呼ぶ(「ンダ」にアクセント)。これは、英語式の「エーンドゥ ダーボゥ」という発音をカタカナ式に改めたものだ。米兵をはじめとして、生きた英語が飛び交う環境にあった沖縄ならではの略し方であるように思う。
屋上の看板をよく見ると、「ドライブインレストラン」とある上に「ROOT BEER」とある。つまり、ドライブインレストランである前に存在そのものがルートビアなのだ。この時は気にも留めなかったが、この後、看板の意味を思い知ることになる。
敷地に入ると、ドライブスルーのようでドライブスルーでない不思議な光景が広がっていた。店舗からガソリンスタンドのような大屋根が伸び、屋根の下には遠隔で注文できるようにメニューとマイクが備え付けられているものの、どういうわけか車止めが中央にある。つまり、行き止まりになっていて、スルーできない。ふと見ると、店員さんがハンバーガーを持ってきて、そのスペースに停めている車の窓から差し入れていた。どうやら運転しながらではなく、車に乗ったまま食べるためのスペースのようだ。観察していると、ハンバーガーを受け取ってすぐ発車する車もあり、ドライブスルー的な使い方をする人もいる様子。
後で知ったことだが、このような形式はアメリカで「drive-in」と呼ばれ、かの地では一般的なものだそう。日本における「ドライブイン」とは全く違うもので、同音異義となっているのが興味深い。
・「ルートビアのおかわりはいかがですか〜」
初めてルートビアを口にした感想は、「訳が分からない」といった感じ。微炭酸で刺激こそ控えめながら、喉の奥からハーブ系・・・いや、サロンパスそのものの、ある種爽快感のある香りが、炭酸に乗って喉の奥からどんどん湧き上がってくる。最初こそ舌がパニックを起こしていたが、二口三口と飲んでいくにつれ、この湧き上がる爽快感がどんどん増してくる。うん、「ALL AMERICAN FOOD」の名に恥じない。これはハンバーガーと合うぞ・・・!!
メインのハンバーガーは、「ALL AMERICAN FOOD」というキャッチフレーズからして、大きさもアメリカンなのかと思っていたが、思ったより小さめ。大体ビッグマックくらいの厚さの中に、パティ、ローストチキン、オニオンリング、トマト、レタスなどなど、割と小さめの具がいくつも入っている。齧る度に出てくる具が変わるから、ひとつのハンバーガーを食べていても、飽きないのだ。
ルートビアとハンバーガーの幸せな循環を楽しんでいたら、思いもよらぬ声がかかってきた。
「ルートビアのおかわりはいかがですか~?」
店内を見れば、ホットコーヒーのおかわりの如く、店員さんがルートビアのピッチャー片手に回っているではないか。他のお客さんも「あぁ、お願いします」といった感じで、何の違和感もなく空のジョッキにルートビアが注ぎ込まれてゆく。僕らの空ジョッキにも、再びルートビアが注ぎ込まれた。そうしてまた、ルートビアとハンバーガーの幸せな循環が始まってゆく。
「おかわり自由」とはいえ、まさか店員さんの側からおかわりを注いで回るとは思わなかった。そういえば、店の看板が示しているように、ここは「ドライブインレストラン」である前に「ROOT BEER」、そう、ルートビアそのものだったのだ。
こういうことだったのか・・・。新たに注がれた独特の香り漂うルートビアを口にしながら、表の看板を思い返していた。
・文字で見る沖縄論壇の迫力
エンダーには琉球新報や沖縄タイムスが置いてあった。沖縄メディアの特異性は噂では聞いていたものの、大学図書館にでも行けばあっただろうが、学生当時は沖縄にそこまで興味もなかったので、東京で沖タイや新報を手にとって読む機会はなかった。それが、エンダーに置いてあったのだ。
手に取ると、琉球新報の佐藤優氏のコラムが目に入った。名護市長選の直後だったため、社説を含め、基地容認派と目される候補の当選に関する考察一色だった。眼力が印象的な佐藤氏だが、母が久米島出身で、つまりは自称しているように、ウチナンチューのハーフだという。どうりでぐりっとした目であったわけだ。
しかし、その鋭い主張で知られる佐藤氏にしても、語気が尋常になく鋭かった。
「ヤマト※に対してしっかり主張してゆかなければならない」(※沖縄から見た本土および本土の人間のこと)とか、「それがヤマトの血とウチナンチューの血を半分ずつ引く自分の責務なのだ」とか、とにかく「ヤマト」という言葉が頭から離れない。
「ヤマト」とは大和朝廷を起源に持つ皇統のことであり、江戸時代の薩摩侵攻に至るまで別の国であったわけだから、当然ヤマトという言葉の中に沖縄県自体は含まない。そして、沖縄県でかなりのシェアを持つ大手地方紙のコラムに、これだけヤマトという、ある種の区別意識を持ったセンシティブな言葉が、これほど多く登場するとは、正直思ってもみなかった。
つまり、沖縄メディアは本土の人間を、「同じ」日本人として認識してはいるが、同時に、ウチナンチューとは「違う」ヤマトの人間だと認識していると思っているのかもしれない。本当に「同じ」日本だと思っているならば、「ヤマト」という言葉を使って、本土の人間のことを対象化して考えないだろう。
彼らにそう思わせるものは何なのか、それが選挙によって顕在化したということなのか。「基地容認派」の勝利は、「同じ」ウチナンチューの中にも、基地容認派という「違う」考え方の持ち主が増えてきたということなのか、そうでないなら何なのか。
「本土」「中央」に対する「離島」「周辺」という概念は、往々にして前者の側に居る者は意識しにくい。異国の香り漂うルートビアのジョッキを傾けながら、日頃読んでいる新聞とはだいぶ違う、舌鋒鋭い沖縄の新聞を黙って読むしかなかった。
・アイスクリームもチャンプルー
チャンプルー文化という言葉がある。沖縄文化を形容する言葉で、かつての琉球貿易が中継貿易で栄えたように「外来の文化をなんでも吸収して、それらをまぜこぜにしてしまう」という意味合いだ。中国式と日本式の城郭建築の特徴を併せ持った首里城正殿などは、チャンプルー文化の典型と言われる。そして、アイスクリームですらもこのチャンプルー文化の影響を強く受けているとは、思いもよらなかった。
エンダー牧港店から歩いて数分のところに、いまや沖縄名物となった「ブルーシールアイスクリーム 牧港本店」がある。赤青黄の原色の電光がギラギラと光るロードサイド看板に、ブルーにオレンジにホワイトの爽やかなロゴマークは、いかにもアメリケンな空気が漂う。並んでいる客もウチナンチューから黒人一家まで、実に多彩なあたりも、人種の坩堝たるアメリカらしい。
しかしそのメニューを見ると、紫イモ、塩ちんすこうといったいかにも沖縄らしいものから、「田芋(たいも)チーズケーキ」といった本土ではメジャーではない沖縄の産品を使ったもの、それだけでなくストロベリーにバナナといったアイスの定番まで、なんとまあアイスケースがチャンプルー状態なこと。
周りを見れば、米兵の一家が紫イモのアイスを頬張っていたり、アジア系観光客が塩ちんすこうアイスを不思議そうな顔で訝しげに舐めていたり。沖縄という地にかかってしまえば、アメリカのアイスクリームですらもオキナワナイズされて、皆を虜にする不思議なアイスクリームを創ってしまう。これこそチャンプルー文化のあり方だろう。
自らを「アメリカで生まれ、沖縄で育った」と称するブルーシールアイスクリーム。那覇の街角で頂くのもいいが、アメリカらしい雰囲気の牧港本店に立ち寄れば、より「チャンプルー文化らしさ」を感じられるはずだ。
・定刻で来るわけがない最終バス
アイスを食べ終わった頃には、22時を回っていた。
ブルーシール牧港本店から本日の宿へ向かうには、国道58号沿いの「牧港」バス停から【55】牧港線で3つ、「兼久原(かねくばる)」で降りればすぐだったが、55番は1時間1〜2本しかない。同じ国道58号沿いの「宇地泊」は本数が多いが徒歩10分。そして、牧港からの55番の最終は22:08。10分遅れくらいなら待ってもいいかと思い、あまり考えずに22時過ぎに店を出た。
バス停に着くと先客が3名。酒を飲んでバスに乗るしかない…といった人もいれば、スマホも見ずのんびりと待っている人もいる。俯きながらスマホをいじっている人がいないあたりは、やっぱり沖縄らしさなんだろう。
10分ほど待ったが、来ない。まあ、そんなもんだろう。
バス停の掲示板を見ると、一応携帯でバスの現在地を把握できるようになっているらしい。使う機会がなかったので使っていなかったが、試しに55番牧港線、宜野湾営業所行きの現在地を検索。
結果、まだ那覇市内にいるらしい。どういうこと?と思えば、何の事はない、ここまで一時間弱かかるはずの那覇市内から、まだ最終バスが出ていないということ。到着予想時刻が一応出ていて、なんとまあ50分遅れ。うん、流石にそれは待てない。
大都市のバスは、遅れが増幅すると、営業所から特発の空車を出し、遅れのバスを一本後の時刻に乗せて運行する。特発を出すことで全体としての定時運行を守るわけだ。
しかし最終バスが50分遅れということは、おそらく一日かけて50分の遅延が積もり積もっていった結果であり、終点に遅れてやってきたバスを、遅れたまま折り返していると思われる。特発を出してまで定時を守るということはしないわけだ。
こんな状態だから、誰も時刻表を当てにしないし、来たバスの乗務員さんに、自分の目的地に行くかどうかを尋ねるのが一番良い。それが一番ストレスがない。だからみんな適当に待っている。
僕らもそれに倣って、来たバスに適当に乗ってみた。確か読谷バスターミナル行きだったと思うが、よく覚えていない。読谷行きなら方向はあっているだろう。
「次は、宇地泊、宇地泊でございます」
牧港から交差点を渡って、その次はもう宇地泊。さっきのA&Wの前だ。
ようやく宿に着く。安心して降車ボタンを押した。
(つづく)