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【佐賀】伊万里の未来を拓く「伊萬里百貨店」 – JR筑肥線(伊万里~唐津) #26

鉄道の衰退を象徴するかのように、駅構内が道路によって分断されてしまった伊万里駅。鉄道にとっては危機的状況ではあるが、実はこの街に市街地復権、ひいては地方都市の未来を拓く種が蒔かれている…そこには、地元・伊万里を愛するアツい人々の姿があった。

左に続くはずの西九州線が無い。繋がっていたレールが断たれた

目次

・駅の分断を乗り越えて

1898年に有田─伊万里間開業、1930年に松浦方面へ延伸、1935年に現筑肥線が博多方面から到達し、現在の路線網が形成された伊万里駅。しかし1988年に旧松浦線が松浦鉄道西九州線に転換され、直通運転が無くなった。往年は博多から唐津、伊万里を経由して平戸口、佐世保へ向かう結ぶ急行「平戸」が走ったルートである。しかしこの頃には筑肥線も西九州線も、長距離列車に対応した長いホームに時折1〜2両の普通列車が発着するだけのローカル線と化し、その重厚な設備を完全に持て余していた。

2002年の伊万里駅改築を機に、東西に長かった駅構内を縦に分割し、東側駅舎の筑肥線、西側駅舎の西九州線の間を、新たな都市計画道路が通ることになった。長大編成の発着もなく、筑肥線と西九州線の直通列車も一本もないという実態に合わせ、大きな駅一つを小さな駅二つに分割し、間に道路を通したというわけだ。

このようなケースでは駅を跨ぐ高架橋を架けるか、アンダーパスを通し、駅自体には手をつけないという事例が多い中で、その実態に合わせて駅自体を割るというのは、ほとんど例がない。工費も高架やアンダーパスより安く、画期的な手法だと思う。

しかしこれによって筑肥線と西九州線を結んでいたレールが断たれ、物理的にも直通運転が不可能になってしまった。新たな軸をつくり再開発を促すという意味では、市街地にとってはチャンスであっても、鉄道にとってはマイナスになりかねない事例でもある。

そのような選択をした伊万里駅をこの目で見ようと思い、西九州線で伊万里駅に辿り着いたのは6/24(日)の19:16。観光客はとうに姿を消し、地元客がぽつぽつと駅前にいる適度であった。

松浦鉄道側の西駅舎。二階に「伊万里・鍋島ギャラリー」が入居し、無料で鑑賞できる。列車本数もJRより多いので利用者も多い

 

西駅舎とJR側の東駅舎を繋ぐデッキ。駅舎内にエレベーターがありバリアフリーにも対応
東駅舎の更に隣にはJR単独の駅舎もある。みどりの窓口もこの中
駅舎間を貫く幹線道路と駅前ロータリーに入る西肥バス。市内の交通ターミナルとして機能している
駅前通りでは大きな古伊万里の美人像が出迎える
通常の数倍の大きさの古伊万里はさすがの迫力

・不思議なお店”伊萬里百貨店”との出会い

西駅舎併設のギャラリーが17時クローズで、駅周辺の見所はもうあまりなかったため、早めに駅に戻ってきた。20:30発筑肥線最終唐津行きまで1時間、どう時間を過ごそうかと思案した末、東駅舎に併設されていたお店に入ってみた。外に向けては蜂蜜を宣伝するポスターがあり、でも中には伊万里焼の大皿・小皿があったり、カフェのようなコーヒースタンドがあったり…。売店ともカフェともつかぬ、実に不思議なお店だった。

「このお店ですか?そうですね、私どもでも何屋かよくわかりませんね(笑)」

そう気さくに答えてくれたのは、この不思議なお店「伊萬里百貨店」のスタッフ、村上さんだった。

本業はIT関係という村上武大(むらかみたけひろ)さん

「伊万里駅の近くに、ゆっくりできるカフェや、観光客の方々に伊万里を発信できるスポットがあまりなかったんですよね。だったら、自分たちがカフェでも、雑貨屋さんでも、なんでもやってしまえばいいんじゃないかと。そう思って、今年の5月に開いたばかりなんです」

確かに、駅前を一周しても目立つのは旧駅舎跡に建つ平屋のローソンくらい。伊万里駅前は、焼物のまち「伊万里」の知名度の割に、気軽に入れる喫茶店や、ちょっといいお土産を選べるようなお店に乏しい印象を受ける。

村上さんと話していると、もう一人の方もお話に加わって頂いた。村上さんはNPO法人「まちづくり伊万里」の副理事長、そしてもう一人の早田さんは理事長なんだそう。そして、そのNPOが「伊萬里百貨店」の運営主体になっている。まさか理事長と副理事長が直々に切り盛りされているとは思わなかった。

「私の本業は文房具屋で、村上はウェブ関係なんですけどね。なんの因果か、こうしてお店に立っていますけれども(笑)」

お二人とも本業が別にあるといい、そのことにも驚く。こうして地元のために働く人々がいるからこそ、現代の「地方」がなんとか支えられていることを痛感する。

「地域活性化と銘打ってイベントを開いても、結局はその場限りのお祭り騒ぎをやって終わりで、確かに人出はあるけど『これが地域活性化なのか?』と言えば、それはちょっと違うな、と。何度かやりましたが、イベントはあくまで一過性で、続きがないんです」

皆が思っている違和感そのものだろう。イベントに携わってきた方だからこそ言えることだ。

店頭の紹介文。イベントや補助金に頼らないという力強い決意が述べられている

焼物だけではなく、稀少な蜂蜜だったり、海の幸山の幸を盛り込んだジェラートを開発したり、コーヒーに至るまで”松浦鉄道沿線のコーヒー店の豆を使う”というこだわり様。まさに伊万里のいいものを掘り起こし、時に自らプロデュース・開発し、国内外に発信してゆくのがこの「伊萬里百貨店」というわけだ。なるほど、それで陳列されている品物が多岐にわたり、村上さん自身「何屋かよくわからない」のも道理。

ほかのお客さんもいなかったので、地元のコーヒーを片手に話が弾む。

伊万里といえばやはり焼物。大皿は手に届かなくても、持ち帰りやすく手に届く値段の中・小皿を取り揃える。村上さん自ら足を運んで揃えた品々だそう

話はいつしか駅舎の話になった。

「あれはね、前の前の市長がやったことなんですよ。昔の南側には何も無かったんですけど、駅が分かれて道路が通ってから、南側もだいぶ拓けました。そういう意味では、確かに地域活性化に貢献している面もありますが、地元での評価は賛否両論、という感じですね」

旧駅舎は北口しかなく、また駅を跨ぐ道路も無かったため、駅の南側へは大きく迂回しなければならなかった。そこで駅舎の東西分割に合わせ、北口の駅舎に突き当たって止まっていた駅前通りをそのまま南へ延長して、市街地中心部を貫く幹線道路を新設。駅南北の均衡ある発展を目指したというわけだ。

確かに、駅の南側にはガストやマックスバリュといった大手資本の店が建ち並び、駅前でありながらどこか郊外のロードサイド的な街並みになっている。それはやはり、駅を貫く道路ができてから造られた街だから、ということなのだろう。

「唐津、伊万里、そして平戸、九十九島に佐世保といった、観光地を結ぶかなめの位置に伊万里があるわけですから、筑肥線と西九州線の直通ができなくなったのは、『ななつ星』のような周遊観光列車を誘致するにあたっては痛いところです。私自身は鉄道が好きなので、博多や小倉に出向く時は、西九州線で有田に出て、そこから佐世保線の特急みどりに乗るくらいなんですけどね」

鉄道のネットワーク性の喪失という意味においては、村上さんの指摘は尤もな話だ。行き止まりの線路を単純に往復するよりも、一周できる周遊ルートを構築する方がロスがなく、JR九州の「ななつ星」のようなクルージングトレインには適しているのは言うまでもない。

ただ、伊万里駅の改築は2002年。その時代において、筑肥線と西九州線の直通復活などは非現実的な話であったことだろう。加えて、筑肥線も西九州線も、1〜2両の気動車の運転に特化した設備へのスリム化が進んでいる。「ななつ星」のような長大編成の列車を受け入れるには、それ相応の設備を要する。線路があるからといって、あらゆる列車がすぐに走れるわけではない。「ななつ星」のような長大編成の列車が、再びこうしたローカル線に走るようになる時代が来るのは、予想もつかなかったことだ。東駅舎と西駅舎をつなぐデッキ部分の下に、筑肥線と西九州線をつなぐ踏切ができれば・・・。

「今は”百貨店”を名乗るには品揃えが満足できませんが、いずれ百貨店レベルにしていきますよ。尤も、それまでお店が続いていればの話ですけど(笑)」

…その心配は杞憂だろう。早田さん、村上さんのような心強い方々がおられる限り、地方はまだまだ元気になれる。自分ができることは何だろうか───その答えを見つけるために、自分は旅を続けているのかもしれない。

何屋さんかわからないけど、このお店を訪れれば、焼物だけではない伊万里の魅力に触れられる。ありがちな売店や食堂とはひと味違う、これからのスタイルを先取りするよう。ユニークな”百貨店”に、伊万里で出会った。

これからが楽しみな”百貨店”だ

『伊萬里百貨店』HP

伊萬里百貨店 (@imarihyakkaten) • Instagram photos and videos

・筑肥線非電化区間の明日

伊萬里百貨店を後にし、筑肥線ホームへ向かった。

今の筑肥線非電化区間は9往復/日しか走らない。伊万里発で見ると、学校登校時間帯である5・6・7時台は続けて1本/h程度走るが、その次は3時間半も開いた11時まで列車がない。データイムの運行はこの11時と13時のみで、これは通院対応の設定であろう。そのあとは下校に合わせた16・17・18時にやはり1本/hずつ走り、その次となると20時でもう最終。

登校・下校の時間帯が1時間1本となり、若干幅をもたせてある以外はローカル線の実態そのもの。実際この9往復/日というダイヤは、曲がりなりにも都市間輸送の機能を持つ路線としては最小限のダイヤといっていい。線区単位ではJR九州でもっとも過疎区間であろう宮崎県の吉都線(きっとせん)も8.5往復/日と、筑肥線非電化区間とほぼ同じ水準。これより少ない区間となると肥薩線の県境区間(人吉〜吉松)が3往復/日、指宿枕崎線の末端区間(山川〜枕崎)が7往復/日といった程度で、ここまで来ると深山幽谷や半島の最奥部といった地勢が厳しい地域になってくる。筑肥線非電化区間の沿線はそこまでの遠隔地というわけでもないので、このサービスレベルはやはり最低限の水準と言えよう。

福岡からそう遠くないにも関わらず、なぜこんなに筑肥線非電化区間の本数が少ないのかといえば、それは福岡連絡の機能をほぼ喪失したからなのかもしれない。

例えば伊万里5:38の始発普通唐津行きは、終点・唐津で地下鉄空港線直通の快速福岡空港行きに2分で接続し、福岡の中心・天神到着は7:39。伊万里〜天神間83.0kmを2時間10分、運賃1,770円で結んでいる。他の列車でも概ね2時間20分程度で到達でき、これだけを見れば筑肥線非電化区間のサービスレベルが特段低いというわけでもないのだが…

似たような距離で比較すると、例えば鹿児島本線の長洲(熊本県)から博多の場合、長洲6:12発普通大牟田行き→大牟田2分接続・快速小倉行き→博多着7:55、81.2kmを1時間43分で結んでおり、運賃1,650円。電化・複線の鹿児島本線でもこの程度はかかるのだ。

同じ非電化区間→電化区間の乗り継ぎとなる例では、久大本線の日田(大分県)から博多の場合、日田5:25発普通久留米行き→久留米7分接続・快速小倉行き→博多着7:15、83.3kmを1時間50分、やはり運賃1,650円。こちらも筑肥線よりやや条件が良い。筑肥線のスピードの遅さには、筑肥線快速が福岡市内の手前、糸島市内の筑前前原から各駅停車となる点も影響していると思われる。

久大本線などの他線とさしたる時間差はないにも関わらず、同じ福岡80km圏内の各線のなかで、筑肥線は異様に存在感が薄いという状況にある。その理由の一つには、高速バス「いまり号」の存在が挙げられるだろう。

伊万里と同じ佐賀県内の唐津を地盤とする昭和バスの高速バス「いまり号」は、伊万里駅前〜西鉄天神高速バスターミナル(地下鉄天神駅直結)を1時間40分と、筑肥線よりも30分早い。運賃も筑肥線の1,770円に対して1,850円と、やや筑肥線のが安いが大差ない。本数も9往復/日しかない筑肥線に対し、伊万里発最終18:31発まで1〜2本/hがコンスタントに出発するというフリークエントサービスを提供。車内設備も旧来のボックスシートにロングシートでしかない筑肥線に対し、バスはリクライニングシートを備える。

つまり、運賃が80円安い点と、福岡方面行きの最終が2時間遅い(逆に伊万里方面行きの最終はバスの方が2時間半遅い)以外、筑肥線が勝っている要素がない。

さらに、2018年3月ダイヤ改正まではあった伊万里21:59発最終唐津行き、唐津21:38発最終伊万里行きがJR九州全体の減量ダイヤ化のなかで削減されてしまった。伊万里→唐津方面への最終の遅さが縮まり(元々伊万里21:59発最終唐津行きは福岡方面への接続はなかった)、また伊万里方面への最終が天神20:26→18:57と早くなった。西鉄天神高速バスターミナル21:12発が最終のバスに対し、さらに競争力が削がれてしまっているのも事実。都市間輸送の舞台からは、JRはもう白旗を上げつつある。

ただ、伊万里─唐津間に絞ってみれば、筑肥線が9往復・所要50分・運賃650円で結んでいるのに対し、さしものバスも10往復・所要50分・運賃1,030円とこちらは振るわない。筑肥線に限らず地方都市一般で見られる現象ではあるが、だいたいJRに並行するバスは運賃が高い。高速バスと違い、街々を縫って走る路線バスは一般道を経由せざるを得ず、スピードが出にくい。

よって、このような地域では、JRが都市間直行の輸送を担い、バスが各集落と中心地を連絡する輸送を担うという、補完関係になることが多い。並行すれども競合せず、といったところだ。北松浦半島における横串の松浦鉄道西九州線と縦串の西肥バスの関係と違い、筑肥線も昭和バスも縦串ながら、その機能が違うのだ。

それにしても、JRに残った筑肥線が1日9往復にまで列車が減ったのに対し、赤字ゆえに切り離された西九州線の方が1時間1~2本を維持しているというのは、まったくもって皮肉というほかない。

・暗闇をゆく最終列車

さて、そんな状況を頭に置きつつ、その伊万里20:30発筑肥線最終普通唐津行きの発車10分前にホームへ向かった。終端駅ながらこの時間では駅員配置はなく、当然みどりの窓口も閉まっている。ただ券売機は稼働しており、唐津まで650円の乗車券を購入。当然、改札口は素通りである。

伊万里駅の分断を象徴する車止め

明治期に開業した歴史ある駅ながら、2003年の改築を経たまだ新しく、そして簡素なホームには、その歴史の厚みは感じにくい。ただ、駅名標が伊万里焼の陶板で作られており、ここだけは焼物の町・伊万里らしさを強く感じられた。

1面1線の寂しいホームに、1両のキハ125形がちょこんと停まっていた。中央部はボックスシート、扉付近はロングシートというセミクロスシート構造で、まだボックスシートを一人で占領できる程度ではあったものの、程よく座席が埋まっていた。唐津まで行く乗客はボックスシート、短距離の乗客は扉付近で乗り降りしやすいロングシートと明確に分かれる傾向にある様子。発車前には、乗客は20名ほどとなった。日曜夜の最終列車とあっては、まあこんなものだろう。

焼物の街を強く印象付ける陶板の駅名標

 

起点から86kmのキロポストが建つ伊万里駅。博多〜姪浜間・虹ノ松原〜(旧)東唐津〜山本間の廃止・虹ノ松原〜唐津間開通後も博多起点で変わっていないようだ
発車を待つ最終唐津行き

20:30、伊万里発。筑肥線普通唐津行き。

伊万里を出るとほどなく市街地は終わり、郊外の住宅地となってゆく。伊万里から1.6kmの上伊万里駅はその住宅地が尽きかけたところにあるが、乗降共に無し。9往復/日の過疎ダイヤでは伊万里→上伊万里のみの利用はなく、市内交通としてはもはや機能していない。上伊万里を出ると暗闇となり、農地からやがて山間へ。東松浦半島の付け根を横切っていく。農地のただなかにある金石原も乗降無し。伊万里から12分、8.3kmの桃川(もものかわ)で初めて下車があった。

伊万里から19分、12.8kmの大川野で下り最終普通伊万里行きと交換。伊万里〜山本(唐津線との合流点)間25.7kmの中間地点であり、この区間唯一の交換駅である。驚くことに?あちらはキハ47形の2両編成で、座席もそこそこ埋まっていた。唐津で地下鉄空港線からの快速を受けての発車ということもあるだろうか、やはり福岡が控える唐津→伊万里の流れの方が強いようだ。

下り最終伊万里行きと交換。どちらからも下車があった

暗闇の中を走っては時折無人駅に停まるという淡々とした走りが続く。伊万里から下車があったのは先程の桃川と大川野、佐里くらいで、乗降無しの駅が半分ほど。やはりバスに比べ安くてそこそこ速いJRの乗客は、伊万里─唐津の乗り通しが半分以上に及ぶようだ。

肥前久保を過ぎたところで唐津線と合流するはずだが、いかんせん暗闇の中なので全くわからない。筑肥線と唐津線の並行区間にありながら唐津線にしかホームがなく、あたかも複線区間の片方にだけホームがあるように見えることで有名な本牟田部駅が一瞬で飛び去ってゆくと、まもなく山本。

かつて山本は筑肥線と唐津線がX字にクロスした要衝であったが、現在は佐賀への唐津線から、伊万里への筑肥線が分岐してゆくのみ。大きな木造駅舎が残っていたが、その広い構内を含め持て余し気味の様子。とはいえ唐津市街地の南の入り口にあたり、伊万里以来のまとまった市街地を形成する。山本では数人が降りたが数人が乗り込む。伊万里を出て初めての乗車だった。

最後の停車駅、鬼塚でも数人を乗せる。終点唐津を目前にした唐津線区間に入ってから、にわかに乗客が増えてきた。鬼塚を出ると高架に上がり、福岡方面からの筑肥線にしかホームがない和多田を掠めると、まもなく終点唐津に到着する。

唐津到着の時点で、乗客は伊万里発車時点よりもやや多い30人ほど。伊万里以外での乗車は唐津線に属する山本・鬼塚を除いて無かった。伊万里からの20人のうち15人が唐津まで乗り通し、山本・鬼塚でさらに15人を加えたというところか。筑肥線非電化区間の途中駅が、何とも寂しい様子であることが際立つようだ。

21:21、唐津着。

唐津は国鉄らしい堅牢な高架の2面4線。同時期開業の京葉線や埼京線あたりに似ている

 

次が終点となる西唐津行き含め4方面への列車が発着する

 

唐津くんちの曳山を模した展示。福岡至近の観光地・唐津はPRにも余念がない

 

自動改札は3通路と意外に小規模。十字のサインが時代を物語る

 

広々とした観光案内所。減ったとはいえ鉄道で唐津を訪れる観光客も多いのだろう
ゆとりある駅前広場を持つ唐津駅前。大手口バスターミナルとは少々離れる

西九州の旅もいよいよ大詰め。明日の朝はまたバスに揺られ、港町・呼子を訪れることにしよう。

(つづく)

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