「たいらな島」ならではの事情
なぜ宮古島のバスが振るわないのかと言えば、島自体が沖縄本島(海岸線長476km)や石垣島(162km)よりも大きくない(117km)上、珊瑚礁の隆起によってできた島であり、地形が平坦であるため、人の流れが地形に制約されないという、宮古島特有の事情もあるものと思われる。(沖縄本島最高地点:与那覇岳・503m、石垣島最高地点:於茂登岳・525m、宮古島最高地点:ンキャフス嶺/ナカオ嶺・115m)
琉球王朝による支配が確立する前、かつて宮古島は「ミヤク島」であったと同時に、「ヒサラ島/ピサラ島」とも呼ばれていたという。ヒサラ/ピサラとは、言うまでもなく平良の古語であり、「なだらかなところ」という意味であったようだ。その後、ヒサラ・ピサラ→平良が中心部を指し示す語となり、ミ(自分)・ヤ(住んでいる)・ク(場所)→ミヤコ→宮古が、島全体を示す語として定着していったのだという。要は、なだらかなところ→平らな良いところ→平良の字が充てられ、それが地名となるくらい、文字通り「平らな島」であったということ。NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」の主役・平良とみさんのように「平良」姓も沖縄には多いが、「ひらら」も「たいら」も、本質的に差はないのだ。
このため、宮古島はその平らな地形ゆえ、人の流れが山や川によって集約されずに散在しており、バスの経路上に集約しにくい。宮古島のバスは末端がラケット状の経路となっているものが多く、さらにそのラケット状の区間から支線が分岐していることも珍しくない。また、ラケットの周り順が時間帯によって逆になることも多く、どちらが先回りとなるかは時刻表を見るしかない。これは、中心街の平良を出発したバスを、終点に着いてから単純な折り返し運転とせず、なるべく色々なところを回りながら平良へと戻るために設計されたルートであるため。平良以外に大した核を持たないからこそ、広く薄くカバーする方が得策というわけ。
平良から放射状に出たそれぞれの路線は、周辺部(2005年の宮古島市成立以前の旧下地町・上野村・城辺町に大別される)で全く他の路線と結びつくことなく、それぞれが一周して平良にまた戻っていく。路線図は見事なまでの放射線を島に描いており、しかもそれぞれの路線が平良以外では全く干渉しない。その形は芸術的ですらある。
このため、残念ながら海岸線に沿ってバスで島を一周することはできない。沖縄本島や石垣島では途切れ途切れとはいえ、なんとかバスで島を一周することはできるなかで、宮古島はバス不毛の地と言えるかもしれない。ともかく、このことからも、観光客の利用がほぼ考慮されていないことがわかるだろう。
そのため、宿泊地であった宮古島東急ホテル&リゾーツ(以下『東急ホテル』)までは、空港からホテルまでの送迎バスを利用せざるを得なかった。いったんホテルに荷物を置き、改めて平良市街へと出直すことにした。
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「宮古島のバスを変える?下地島空港エアポートバス」