流山本町を歩く
流山市立博物館から流山駅前に戻り、今度は旧市街である流山本町を歩いてみる。現在でも往時と変わらず操業を続ける流山キッコーマンの工場を中心に、流山街道沿いに旧市街が連なる一帯を「流山本町」と俗称する。ちなみに『流山本町』という住所はなく、流山一丁目〜八丁目まである『流山』のうち、流山駅付近の一丁目から、平和台駅あたりの五丁目あたりを指す。
地図を見ると、流山駅前から流山キッコーマンに至る、緩くカーブした道が目立つ。これは実際の廃線跡で、醤油・味醂を積み出した貨物線、その名も「万上線」。言うまでもなくマンジョウ本みりんに由来する名で、立派な案内板にも「万上線跡」として紹介されていた。味醂に由来する名が、こうして今でも生きているのだ。
流山キッコーマンの工場に沿って進むと、流山街道に面して建つ、古民家風の建物が目についた。現在は万華鏡ギャラリー「見世蔵」として利用され、市内在住の万華鏡作家の作品を主に展示・販売しているが、元は茶・乾物屋「寺田園」だったという。明治期の建物が今に残るもので、その佇まいは往時の賑わいを想起させるに十分であった。
そのまま南下してゆくと、江戸川の土手にぶつかった。土手に上がると、赤々とした夕陽が川面に煌めく。この街を育てた江戸川の流れを暫し眺め、足を休めた。流山の街は、この川の流れとともに、今に続いている。
なおも進むと「一茶双樹記念館」があった。一茶とは言うまでもなく俳人・小林一茶のこと。双樹とはかつてはマンジョウ本みりんに並ぶブランドであった「天晴みりん」の主人・秋元三左衛門(双樹)のことで、この二人の親交を記念し、かつての秋元家の邸宅を改修し、現在は市が茶会、句会のための施設として運営しているものだ。一般客でも300円を支払えば館内の茶坊に立ち寄れる。ただ、閉店が17:00とやや早く、訪問当時は時間がなかったので、やむなくパス。
向かいにはやはり秋元家ゆかりの「杜のアトリエ黎明」が建っている。かつての流山がその財力を背景に、芸術の振興に尽力していた様子が窺える。
現在でも変わらず流山で操業を続けるマンジョウ本みりんと違い、天晴みりんはこの地にはなく、ブランドとしても一旦途絶している。天晴味醂は戦時中に東邦酒類へ合併され、1961年には味の素系の三楽酒造(現・メルシャン)へさらに合併、暫く存続したが2007年には創業の地・流山工場を閉鎖、栃木県日光市へ移転。会社自体もメルシャンから分離され、現在では三菱商事系の「MCフードスペシャリティーズ」として今に至っており、キッコーマンと違い流転が激しい。
ただ、2015年には旧味の素系の名であった「三楽本みりん」を、ルーツの一つである天晴味醂に因んだ「天晴本みりん」へと改称しており、伝統ある「天晴本みりん」の名が復活している。やはり「味醂は流山」といったところか。流山みりんの名は、飲食業界ではまだまだ通用するブランド力を持っているようだ。
一茶双樹記念館を回り込むように後にし、江戸川から離れて流山街道へと向かうと、大きなケーズデンキが建っている。そして交通量の多い流山街道を挟んだ向かいには、これまた大きなイトーヨーカドー流山店が鎮座していた。一茶双樹記念館からたった200mしか離れていないが、あっという間に旧市街の空気は消え失せ、典型的なロードサイド店が連なる郊外の景色になってしまった。
イトーヨーカドーを通り抜けた先には、スクランブル交差点を挟んで流山線平和台駅がある。一茶双樹記念館からは徒歩8分といったところ。流山本町に隣接していながら、こうして大規模な店舗が立ち並ぶのは、ここがかつて陸軍糧秣本廠流山出張所に端を発する工場用地で、その工場が撤退したことで大規模な土地が一度に生み出されたことによるもの。イトーヨーカドー流山店の開店も1993年と、平和台住宅に比べて比較的新しい。
100年以上の歴史を持つ流山線は、基本的に古くからの市街地を通るために、駅前はどこも狭いのであるが、この平和台駅だけは別。1970年代から開発が進んだ平和台住宅の玄関口だけあって、駅前にはイトーヨーカドーばかりでなく小さなロータリーや自転車置場も備えており、クルマ社会にも対応した郊外型の駅前。流山線は昼間20分間隔と、なんとか普段使いにも耐えうる運転間隔を保っているので、電車到着の度に平和台駅からイトーヨーカドーへの流れができる。
昨今はイトーヨーカドーの業績不振で、この流山店にも閉店の噂があるようだが、今のところそういった話は噂の域を出ない。流山線沿線で唯一の大型商業施設といえ、平和台駅と一体に機能していることから、仮に閉店となれば流山線へも影響が出よう。
流山線は初乗り運賃が120円と安く、買い物のために電車を利用する人も多く見られ、コミュニティバス的な役割も果たしている。平和台─流山間の僅か0.6kmを電車に乗る高齢者もいるほどで、やり方によっては、「イトーヨーカドーへ行く電車」として、もっと便利にできるだろう。そうした淡い期待をも抱かせるほど、電車との距離が近いイトーヨーカドーだった。
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「成熟する平和台」