JR北海道の経営危機が表面化して、早や5年ほどが経った。この間、江差線末端区間や、石勝線夕張支線、そして留萌本線留萌─増毛間など、バスで代替可能な短距離支線を中心に廃線となる路線が増えていった。しかし、「本線」を名乗る路線が、その名ごと消え去るなどという、ある種のエポックメーキングな出来事が控えている。
目次
石炭とニシンの街 留萌の鉄路
JR留萌本線。北海道の背骨、函館本線の旭川に程近い深川から分岐し、日本海に向かって一直線に伸びてゆく。現在は海に達した留萌で終点であるが、かつては日本海に沿って南下した先の増毛まで伸びていたが、2016年にそれ以外の区間に先駆けて廃止となった。
留萌─増毛間は16.7kmと距離が短く、以前から留萌管内に本拠を置く沿岸バスの路線が並行していたこともあり、特段廃止しても問題がなかったのだ。留萌─増毛間の平均駅間距離は約2kmと北海道にしては短く、ある種の市内線的な役割も担っていたものの、バスはそれ以上に停留所が多く、機動力ではバスの身軽さに及ばなかった。留萌本線はこの間に交換設備を持たず、留萌を出発した列車が増毛で折り返し、留萌へ帰ってくるまで、他の列車は一切走行できず、1時間1本がやっとだったのだ。
今でこそ留萌本線は単なる支線のひとつのようであるが、「本線」というからには、複数の支線を従えていた。その中でも代表的だったのが羽幌線だ。
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羽幌線は留萌本線留萌から分岐して日本海沿いに進み、宗谷本線が日本海側にせり出してくる幌延までを結ぶ、141.1kmもの長距離を結んだ支線であった。留萌本線が深川─増毛間全線でも66.8kmにしかならなかったので、本線の2倍以上長い支線であったのだ。また、深川─幌延間は、函館本線・宗谷本線旭川経由が約200kmに対し、留萌本線・羽幌線留萌経由が約160kmと、札幌から稚内方面へはむしろ羽幌線経由の方が近かった。
しかし、道北の中心地である旭川や名寄を通らず、稚内単体では札幌方面への需要が少なすぎて短絡線としての機能を果たせなかった。また、沿線の主たる需要源であった羽幌炭鉱の閉山や、ニシン漁の衰退といったことが重なり、1958年に全通したばかりであったものの、30年足らずの1987年に廃線となった。羽幌線の廃線によって、留萌本線は「支線を持たない本線」となってしまったのだ。
そもそも、留萌本線は最初から増毛などという中途半端な終点で終わる計画ではなかった。増毛から南下し24km先の雄冬集落までは沿岸バスの一般便が通じているが、雄冬から浜益、濃昼を経て、46km先の石狩市厚田までは、都市間バスが1日1便しか経由せず、あとは石狩市営の住民向けワゴン車しかない過疎区間になる。しかし、この厚田まで来てしまえばもはや札幌圏であり、札幌駅まで45km、学園都市線(札沼線)篠路駅まで35km、石狩川手前の石狩太美駅まで30kmである。
そう、留萌本線はもともと札幌を目指していたのだ。1922年公布・鉄道敷設法別表第135号の「石狩国札幌ヨリ石狩ヲ経テ天塩国増毛ニ至ル鉄道」がこれで、この前年、1921年に留萌─増毛間が開通しており、増毛からの延長と捉えられていたと思われる。この計画がもし実現していれば、鉄道がない街・石狩市にも、住宅が集積する花川や、市役所に近い花畔など、複数の鉄道駅が設けられていた。留萌本線は、札幌から稚内までを最短経路で結ぶ幹線になっていたかもしれなかった。
しかし、雄冬から厚田にかけてはかなり地形が険しく、特に国道231号「日本海オロロンライン」のうち、最後まで残った雄冬から浜益までが開通したのは1981年と近年のことであり、それまでは国道すら不通だった。この区間は延長3,000〜4,000m級のトンネルが連続する難所である。国道でさえこうなのだから、ここに昭和初期の技術を以て鉄道を敷設することは、不可能であったというわけだ。
そのため、遠回りではあったものの、留萌・増毛から札幌・旭川方面へは、日本海オロロンラインが開通する1981年までは、留萌本線が貴重な足であった。1961年から札幌─増毛を結ぶ急行「かむい」が走り始め、1962年には札幌─羽幌線直通─幌延の「はぼろ」、1963年には旭川─増毛の「るもい」も加わった。しかし留萌本線の急行列車は羽幌線直通を含め1986年に全廃、翌1987年には羽幌線自体が廃止されている。このあたりでオロロンラインや道央道を経由する都市間バス・高速バスに完全に広域輸送の役割を奪われ、その機能をほぼ喪失したと言えよう。
結果として、留萌本線は函館本線から分岐する一支線としての立場から抜け出せず、羽幌線はさらにそこから分岐する支線の支線にしかなれなかった。留萌─増毛にしても札幌方面へ繋がらない盲腸線でしかなく、わずかなローカル輸送を担うばかりであった。
JR北海道の経営危機が表面化し、各線区の営業係数が開示された2016年において、留萌本線留萌─増毛間の営業係数はなんと4,554。100円の利益計上に4,554円もの経費がかかるという大赤字路線になっていた。深川─留萌でも1,508と、増毛方面よりはマシとはいえ、赤字であることに変わりはない。
営業係数4,554とは、留萌本線と同じく廃線になった石勝線夕張支線(1,421)、2020年5月の廃線が決まった札沼線北海道医療大学─新十津川(2,162)を差し置き、全道でぶっちぎりのワースト。バス代行が続き、一部区間の廃止が正式に決まった日高本線が1,179、同じく一部区間のバス代行が続く根室本線富良野─新得でも1,591に過ぎず、留萌─増毛の赤字がいかに大きいものであったかがわかる。
全道最悪の赤字である上、沿岸バスの路線が全線にわたり並行していて代替交通も問題がなかった留萌─増毛間は、2016年12月をもって廃止となった。営業最終年度となった2016年の営業係数は715であり、お名残乗車が相当数に及んだのがわかる。廃線が決まったことで、営業係数4,554から715へと大幅な改善が成ったのは、皮肉というほかない。
ちなみに、最新の2019年度で最も悪いのは根室本線富良野─新得(2,289)で、日高本線鵡川─様似(1,836)、札沼線北海道医療大学─新十津川(1,803)、留萌本線深川─留萌(1,801)と続く。上位3つは廃線が確定もしくはバス代行が続いているため、実質的には留萌本線深川─留萌が最も悪いと言える状況である。
もはや深川─留萌間ですら存続は極めて厳しく、いつ廃線が決まってもおかしくない。「本線」を名乗る鉄路がその路線ごと姿を消すとすれば、1989年の名寄本線以来。奇しくも、同じ北海道の鉄路である。
夜の函館本線普通列車で深川へ
2020/1/5〜6にかけ、留萌本線を訪れた。
新千歳空港15:15発快速エアポート札幌行き、札幌11分接続・16:03発普通岩見沢行き、岩見沢23分接続・17:03発普通旭川行きと乗り継ぎ、深川8分接続・18:09発普通留萌行きに間に合った。新千歳空港から深川まで、結果として普通列車だけを乗り継ぐこと3時間。札幌からでも2時間はかかっている。
この間、札幌と岩見沢で先発する特急を見送り、さらに深川で3本目の特急カムイに追いつかれているのだが、新千歳空港に到着したタイミングからして、この深川18:09発普通留萌行きが最も早い列車だった。仮に札幌16:00発特急ライラック27号に乗ったとしても、深川到着は17:05と、1時間の短縮にはなるものの、接続する留萌本線がない。18:09発の前は2時間前、16:08に出てしまっていたのだ。
「ご案内致します。この列車は、函館線、普通列車、岩見沢行きです。列車は6両編成、すべて自由席、車内は禁煙です。…」
16:03、札幌発。16:00発の函館本線特急ライラックと、16:02発の千歳線・室蘭本線特急すずらんを見送り、快速エアポート仕様の721系6両編成は、JR北海道名物・大橋俊夫氏のイケボな自動放送とともに、札幌を後にする。4号車は指定席・Uシート仕様だが、指定席扱いになるのは快速エアポート運用時のみのため、普通または区間快速いしかりライナーであれば、Uシート料金はかからない。そのことは地元民ならば先刻ご承知であり、4号車は他の車両よりも座席の埋まり具合が高かった。
岩見沢まで行く足の長い普通だが、苗穂や白石で早くも下車が続き、立客はいなくなる。白石で千歳線と分かれ、函館本線単独駅となる森林公園、続いて江別市内のベッドタウンである大麻、野幌を経ると空席多数。普通列車の半数以上が折り返す江別を出ると、もうガラガラと言っていいくらいになる。岩見沢行きか江別行きかで乗車率が違うということは、あまりなさそう。もっとも、この岩見沢行きは6両だったが、すれ違う函館本線は3両もまま見られた。岩見沢行きを6両、江別止まりを3両にして、輸送力を調整しているのかもしれない。
北海道の夕暮れは早く、1月初頭だと17時前にはほぼ真っ暗になってしまう。岩見沢には16:45に着いたが完全に日が暮れ、吹き付ける寒風が身に染みる。外にずっといれば、文字通り「しばれる」羽目になるだろう。
岩見沢を跨ぐ普通列車は朝夕に数本ある滝川行き(始発1本のみ旭川行き)を除いて設定がないため、原則として岩見沢で乗り換えとなるものの、普通同士の接続はあまり良くない。基本的には特急から普通への接続を優先しているようだが、10〜13時台は特急が1時間1本、普通が1〜2時間に1本に減るため、普通同士の接続になる場合もある。特急か普通と概ね8〜15分程度で接続といったところか。普通を特急連絡列車と位置付けるのであれば、きっちり2時間おきにしても良さそうだが。
札幌を25分後に出た特急カムイ29号を見送る。札幌から僅か25分ながら、特急からは30〜40名くらい下車し、多くはそのまま改札口へ向かっていったが、特急から普通への乗り継ぎもパラパラと見られた。普通・特急とも30分間隔で、区間快速・普通が38〜42分のところ特急は25分、自由席特急券は630円とあらば、特急を選ぶ人も少なくないだろう。
岩見沢発普通旭川行きはまたも721系ながら、短い3両編成。かつては北海道発の電車・711系の領分だったローカル列車だが、今や転換クロスシートの721系が担っている。東北本線だったらまず間違いなく701系2両ワンマンになっているだろうが、JR北海道は初代711系以来、電車の基本編成を3両に統一しており、かつ電車でのワンマン運転は行っていないため、必然的に3両ツーマン運行になる。
このため弾力性を欠いている側面があり、札幌駅へ混雑した3両が突っ込んでいく場面もあれば、ローカル区間で3両を持て余している場面もある。仙台や新潟あたりのように、2・4両を基本とし、6両、場合によっては8両(ホームが対応していない駅が多いが)とした方が良いのではないか、と思う。
函館本線であっても、日中の普通列車はキハ40形やキハ54形の2両ワンマンが充てられることもあるが、これは根室本線滝川口や、留萌本線の車両の出し入れという側面もあるものの、ワンマン運行のためにわざわざ気動車を充てている側面もあるだろう。室蘭本線苫小牧─東室蘭などは電化区間にもかかわらず、ワンマン対応のキハ143形の専任である。こうしたローカル区間向け且つ札幌圏の増結用に、2両編成・ワンマン対応の電車が必要なのではないだろうか。
16:08、岩見沢発。またも大橋氏のイケボが流れるが、これはJR北海道電車の標準なのだろう。こんなイケボ放送を毎日聞けるのは、正直羨ましい。車内は特急からの乗継客が少しいるほかは高校生・大学生あたりが多く、そこそこの埋まり具合。2両ならきっちり座席が埋まるだろうが、3両なのでゆとりがある。
峰延、光珠内といった普通のみの停車駅は殆ど動きがなく、やはり下車が見られるのは美唄、砂川、滝川といった特急停車駅ばかり。唯一、普通のみの停車駅でやや動きがあったのは奈井江だが、ここもかつての急行停車駅であり、空知郡奈井江町の中心である。石狩川の対岸は樺戸郡浦臼町で、札沼線浦臼駅へ向かう浦臼町営バスも平日のみながら運行されているという、ちょっとしたターミナル。特急が1本も停車しないのが不憫なくらいだ。奈井江で上り普通とすれ違ったが、上り普通に乗り込む人もそこそこいた。この区間の普通は、特急料金を節約したい若者と、奈井江への需要で成り立っている状況と言えよう。
岩見沢を特急の8分後と直後に出たため、ここまで特急街道の函館本線を特急待避なしで来たものの、いよいよ深川で30分後の特急カムイ31号に追いつかれ、待避のため4番線へゆらゆらと入線し、9分停車。ただ、こちらも深川で下車するため、待避はあまり関係ないが。18:01、深川着。
接続の留萌本線留萌行きは18:09発。特急カムイ31号旭川行きを受けての発車となるが、ちょうど普通旭川行きが深川で待避しているため、2本の列車から効率よく接続できている点は好ましい。ただ、そもそも函館本線ですら普通の運転本数は多くなく、岩見沢発の多くは滝川止まりとなるため、深川18:01着の次は22:00着まで開いてしまう。限られた本数の中でやりくりせざるを得ない様子が、浮かび上がってくる。
函館本線普通旭川行きが4番線に入るため、函館本線と同一ホーム接続とはならず、跨線橋を渡って留萌本線専用の6番線へ向かう。1〜4番線と違って上屋が1両分くらいしかなく、駅名標の隣駅も留萌本線の「きたいちやん」しか書いておらず、架線もないので、函館本線の電車が入線することはない。
今となっては6番線を使う留萌本線は8:04・18:09・19:22発の3本しかなく、過大な設備のようにも思うが、おそらく深名線(深川─幌加内─名寄間121.8km、1995年廃止)も、この6番線から出ていたのだろう。かつての深川は函館本線から留萌本線、深名線が分岐する、3路線が集まるターミナルだったのだが、深名線が1995年に消え、そして留萌本線も消えようとしており、残るのは函館本線だけということになってしまう。鉄道の衰退を、これほど感じ入る駅もそうそうないように思う。
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次回は、夜の留萌本線で、港町・留萌へ。
(つづく)