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【高知】室戸岬めぐりのバスはどこへ走る――高知東部交通バス #88

徳島から続く線路の果て、高知県安芸郡東洋町・甲浦駅。ここから室戸岬までは38km離れているが、線路と道路をシームレスにつなぐ夢の乗り物・DMVによる直通運行が、まもなくここ甲浦を舞台に、始まろうとしている。

直通運行が分断安芸-甲浦線

さて、「阿佐線」の未成区間である阿佐海岸鉄道阿佐東線甲浦駅─土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線奈半利駅の間72kmは、高知東部交通バスが結んでいる。

かつては土佐電気鉄道安芸営業所による運行であり、高知市内(はりまや橋)─安芸営業所─甲浦岸壁間の通し運行であったところ、安芸営業所が1998年に土佐電気鉄道から分社されたことから、高知東部交通によって以下の3系統に分割され、現在に至っている。

  1. 高知市内(桟橋車庫前・県庁前)─後免町─安芸営業所
  2. 安芸営業所─奈半利駅─室戸営業所─室戸岬─室戸世界ジオパークセンター
  3. 室戸営業所─室戸高校─室戸世界ジオパークセンター─甲浦駅─甲浦岸壁

1998年の高知東部交通設立後も、2004年まで高知駅前─甲浦岸壁の全線直通が続けられたが、この時に室戸岬にほど近い高岡第一までに短縮された。さらに2007年にこれも分割され、高知市内からは完全に安芸営業所で乗り換えとなった。

この体制で暫く存続したものの、2017年からは高知市内〜安芸営業所は土佐電気鉄道(土佐電ドリームサービス)、安芸営業所〜甲浦岸壁は高知東部交通と分担していたところ、高知市内〜安芸営業所も高知東部交通の担当となっている。しかしながら、全区間が高知東部交通となってからも安芸営業所を境にした直通運転は再開されることはなく、現在でも安芸営業所を跨ぐ便は存在しない。

全区間が高知東部交通となってからは変遷が激しくなる。2.と3.は2019年9月まで「安芸─奈半利─室戸岬─甲浦線」の直通運行であったところ、室戸世界ジオパークセンターを境に分割され、それぞれ「安芸─ジオパーク線」「室戸─甲浦線」となったのだ。

従来は全便が大きく南に突き出した室戸岬を経由し、一部が室戸市役所前─室戸高校前を往復して立ち寄るというルートであった。これを、室戸─甲浦線は岬の付け根をショートカットする三津坂トンネルを抜けて室戸高校前を経由し、室戸市役所前で合流して室戸営業所に至る経路へ変更され、都合3.のルートとなった。

これにより、長い1路線に室戸高校前への支線がぶら下がる形態であったのを、中距離の2路線へ分割し、かつ甲浦─室戸市街を直通する場合には室戸岬を迂回しない短絡ルートとなったことから、室戸岬への観光客にとっては途中で乗り換えが増える形となったものの、地元にとってはプラスの改善と言えるだろう。室戸世界ジオパークセンターで乗り継ぐ場合は運賃も通算されるため、値上げも回避されている(室戸営業所・室戸市役所前での乗り継ぎは通算不可)。

従来、安芸営業所─甲浦岸壁の通し運行が7往復(土休日6往復)あり、その間に安芸営業所─室戸世界ジオパークセンターまでの区間運行が入ることで、安芸営業所─室戸世界ジオパークセンター間は概ね1時間1本となるダイヤが組まれていた。経路分割後もこれは変わらず、安芸─ジオパーク線は甲浦岸壁行きがそのまま短縮される形で1時間1本が維持され、室戸─甲浦線もそれまでの通し運行分に相当する7往復(土休日6往復)が設定されている。

安芸─甲浦線が系統分割された理由としては、ひとつに国庫補助の獲得要件を満たすためというのがあるようだ。従来の直通運行の場合、1時間1本(18往復)を維持する安芸側と、1日7往復に減る甲浦側とで、著しい利用の段差がついていたのだろう。こうなると、ドル箱区間の安芸側と、赤字区間の甲浦側とで路線としての収支が均衡してしまい、赤字区間を抱えていても「黒字系統」となってしまう。黒字系統の場合、国土交通省の定める「地域間幹線系統補助」が受けられないため、赤字の甲浦側を分離することとしたものと思われる。

そして、ただ分離しただけではサービスダウンとなるため、三津坂トンネル経由の短絡ルートを付け加え、従来の室戸岬経由では大回りとなる、甲浦↔︎室戸市街の短縮という性格を与えた、という落とし所だったのだろう。

さらにいうならば、DMVとの連携をも見据えた改変であるのだろう。いまだ正式なアナウンスはないが、DMVはその導入目的に「未成に終わった室戸岬方面への直通運行」が挙げられている。そうであるからには、DMV運行開始と同時になるかどうかはさておき、甲浦─室戸岬間でDMVと重複するバス路線を運行し続けるとも思えない。いずれは甲浦〜ジオパーク間は朝の室戸高校前行き、夕の甲浦岸壁行き等の通学対応を除き、原則としてDMVのみの運行となるのだろう。それに備え、安芸側と甲浦側で予め系統を分割しておき、DMVの室戸岬方面への運行開始に合わせ、甲浦側をそっくり入れ替える…といったシナリオが描かれているのではないだろうか。

現状、阿佐海岸鉄道と高知東部交通の資本関係は無いに等しく、旧・土佐電気鉄道グループも阿佐海岸鉄道の発起人とはなっていない。しかし、これからは室戸岬を境として、乗客をリレーし合う間柄になる。DMVの奈半利方面への直通運行もあるかもしれないが、そこまで乗り入れてしまうと、今度は阿佐海岸鉄道のDMVが高知東部交通のドル箱区間を侵食してしまうことにもなり、実現は容易ではないだろう。

ただ、「阿佐線」の夢を再び!ということになると奈半利駅どころか、ごめん・なはり線を経て高知方面への直通運行ということも、視野に入ってくる。安芸─甲浦線の分割は、国庫補助の獲得という必要に迫られた対応であるのも事実なのだろうが、「夢のDMV」に備えた体制づくりの一環でもあるだろう。阿佐東線とごめん・なはり線の直通運行ということになれば、時を越えた阿佐線の実現にほかならない。実用に耐えるかどうかは別として、なんともロマンのある話だ。

▲高知県側の終着、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線奈半利駅。室戸岬へは、奈半利駅から33km、甲浦駅から38kmと、どちらに行ってもあまり変わらない。

※訪問当日はまだ経路分割前であったため、甲浦岸壁─安芸営業所間の通し運行であった。そのため、以下の記事は現在とは運行形態が異なることをご了承いただきたい。

高知県最東端の町 甲浦

甲浦駅前は安芸営業所行きの始発停留所ではなく、甲浦駅から徒歩15分ほど離れた「甲浦岸壁」を始発とする。「甲浦港」とか「甲浦桟橋」ではなく「甲浦岸壁」とは、なかなか硬派なネーミングで、いかにも港町らしさを感じさせるものの、現在は甲浦を発着する定期航路は存在しない。

▲甲浦駅に到着した阿佐東線。DMV乗り入れに備えた工事が進む

しかし、かつての甲浦は大阪行きのフェリーが多数発着する港湾都市であり、その時代にはバスで甲浦までやってきて、甲浦でフェリーに乗り換えて大阪方面へ向かう…というのが、高知県東部や徳島県南部から都会へ出る一般的なルートであった。ただ、1997年の明石海峡大橋開通によって環境が激変したことを契機にこれら定期航路は衰退。2005年に甲浦港を発着するフェリーは全廃されてしまった。これと同時に高知港からも全ての定期航路がなくなり、高知県は四国4県で唯一定期航路のない県となってしまったのだ。

他の3県は対岸に他の県を有し、本四架橋では遠回りとなるルートである…などの理由から航路が維持されている(松山─広島はその典型)のに対し、高知県は太平洋に面するのみで、他の三方を山に囲まれている。このため、高知航路ではいったん太平洋に出てから瀬戸内海や大阪湾へぐるっと回る迂回ルートを採らざるを得ず、山を高速道路で突っ切る最短ルートを採った自動車交通に対し、あまりに分が悪かったという事情もあるだろう。

そして、甲浦市街地は当然甲浦港の周辺に広がっており、やや内陸部に差し掛かったところの甲浦駅を終点にしてしまうと、甲浦市街地へのアクセスが不便になってしまう。甲浦港に発着していたフェリーへの接続の名残ということもあるが、バスが「甲浦岸壁」発着となっているのは、こうした事情によるものだろう。

余談ながら、徳島バス南部(南部バス)は牟岐駅を中心に路線を展開しているが、多くが県境を越えて甲浦駅までやってくる(駅止まりで甲浦岸壁までは行かない)。フェリーが発着していた時代はなおさらだが、こういった点からも徳島県南と甲浦地区の繋がりの強さが感じられる。

▲かなり年季の入った南部バスの時刻表。よく見ると「甲ノ浦駅前」と、他では見られない表記をしている

地図アプリで検索すると、甲浦駅から甲浦岸壁停留所までは徒歩15分と出た。阿佐東線から高知東部交通バスへは30分待ちであったため、甲浦岸壁停留所まで歩いて始発からバスに乗るという手もあったが、DMV対応工事が進められている甲浦駅をちゃんと見ておきたかったというのもあるし、見知らぬ町を迷わずスタスタ歩けるか自信もなかったので、大人しく甲浦駅で待つことにした。

▲甲浦駅の仮設駅舎兼仮設バスターミナル。本駅舎完成の折にはもっと快適な設備へ生まれ変わる

甲浦駅でバスを待っていたのは自分を含め6名。いずれも旅行客といった感じで、地元利用はなさそう。

仮設待合所でバスを待つこと暫し、定刻通りに水色の高知東部交通バスが姿を現した。駅前らしく暫く止まるかと思ったが、本当にイチ途中停留所の扱いでしかなく、発車時刻ぴったりにやってきた。甲浦駅ができたのは1992年と比較的近年のことであり、甲浦岸壁停留所をターミナルとする運行形態が変わっていないだけのことなのだ。

「はい、お待たせしました、室戸岬方面、安芸営業所行きです」

甲浦岸壁〜甲浦駅までの間に乗っていた乗客は2名。甲浦駅からの乗客6名と合わせ、計8名になって出発。9:55、甲浦駅発。

暫くは甲浦市街地を走る。かつて阪神方面へのフェリーがターミナルとし、遅ればせながら鉄道が伸びてきただけあって、甲浦市街地はそこそこの集積があり、歩行者の姿も見られた。しかし、甲浦駅以降の停留所での乗車はぷっつりと途絶え、停留所を通過する毎に無味乾燥な機械音声が流れるだけだ。

小さなトンネルを越えると、甲浦から生見集落へと移り変わる。東洋町役場もこの生見にあるが、これは東洋町合併前の旧・安芸郡甲浦町と旧・安芸郡野根町が役場の立地を巡って紛糾し、折衷として中間の生見に立地することになったという経緯によるものであり、東洋町で最も栄えている場所というわけではない。生見海岸はサーフィンの聖地として知られ、京阪神からもサーファーがやって来るというが、人影はまばらだった。

生見から更にトンネルを越えると野根市街地に入る。野根を冠する停留所が続き、市街地の広がりを感じさせてくれるものの、乗降ともにゼロだった。地元民が、朝の9時台に室戸岬方面へ下る需要など全く無いのだろう。9時台では学校には完全に間に合わないが、かといって観光客を無視するわけにもいかないので、甲浦9時台に下り方向が設定されているものと思う。

野根を過ぎると、役場があるレベルの市街地はぷっつりと途絶え、山が直接海へと転げ落ちてゆくかのような急斜面と、波打ち際に挟まれた狭い場所を辿ってゆく。山の中腹を削って無理矢理道路を通したような場所も少なくなく、海面からの高さが相当に及ぶところもある。

明らかに甲浦あたりよりも地形は険しく、こんな場所にどうやって阿佐線の線路を通そうとしたのかは見当もつかない。駅ができても海岸から遥か離れた山の上になるであろうことは容易に想像がつく。険しい海岸から離れた場所のモグラ駅として名高い、筒石駅(旧・北陸本線、現・えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン)のような、日常生活には極めて使いづらい駅が連続する事態になっていたかもしれない。

むろと廃校水族館、室戸世界ジオパークセンターといった観光地を経由してゆくものの、車内は甲浦駅を出てからまったく入れ替わりはない。ジオパークセンターは広い構内へ乗り入れるが、立派な停留所にバスを待つ人影はなかった。ただ、現在はここが安芸─室戸線と室戸─甲浦線の乗り継ぎ指定停留所になっているので、複数のバスが接続する光景が見られることだろう。

▲直進すれば室戸岬を経て高知、右折すれば室戸市街を経て高知。三津坂トンネル手前の分岐案内だが、これはあまりにわかりにくい

三津坂トンネルを右へ分けると、室戸岬の観光エリアになってくる。幾分広がった平地にホテルや旅館が建ち並ぶようになり、景色へ人工物が増えてくると、いよいよ室戸岬。

「次は、室戸岬でございます。お降りの方は、ボタンでお知らせください」

この系統最大の観光地だが、アナウンスはあくまで淡々とした調子。「ここで、室戸岬の簡単なご紹介をいたします」みたいな、観光案内などはまったくなかった。徳島駅からここまで公共交通機関によるリレーがなされているものの、公共交通機関を利用する観光客などは少数派なのだろう。

10:49、室戸岬着。自分を含めて8名の乗客のうち、4名が下車。入れ替わりに2名が乗り、安芸方面へと向かっていった。甲浦駅を出てはじめての入れ替わりだった。さすがは高知を代表する観光地である。

次の安芸行きまで、約1時間。それまで、岬周辺をぶらりと歩いてみることにしよう。

▲停留所前には中岡慎太郎の大きな像が建っている
▲著名な観光地にしては観光案内所はかなり質素
▲室戸岬周辺は一円が観光地になっている

DMVは”未成線”の星になるか

DMVが走ることになる区間を、再編前のバスに乗って辿ってみた。そこで感じたこととしては、「DMVは”未成線”の星になり得る」という感触だった。

阿佐海岸鉄道阿佐東線甲浦─(室戸)─土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線奈半利間をはじめ、JR越美北線九頭竜湖(福井県)─長良川鉄道越美南線北濃(岐阜県)間、あるいは津軽鉄道線津軽中里─(竜飛崎)─JR津軽線三厩(青森県)など、鉄道同士が中途半端に切れていて、ネットワークに成り切っていない場所はいくつもある。

▲津軽鉄道線の終点・津軽中里駅(左)と、北海道新幹線奥津軽いまべつ駅(中央右)、JR津軽線三厩駅(上)。津軽中里駅から奥津軽いまべつ駅までは弘南バス、三厩駅から竜飛崎までは今別町営バスがあるが、津軽中里駅と竜飛崎、三厩駅を直接結ぶバスはない。ここをDMVが周遊したらとても魅力的だと思うのだが…

ただ単に鉄道が切れている場所同士をバスで結ぶのではなく、専用の走行空間を有する鉄道区間に乗り入れることで、市街地から市街地までをシームレスに、かつ道路の事情に左右されずに結べるようになる効果は、大きなものがあるだろう。

▲JR越美北線の終点、九頭竜湖駅。ここから長良川鉄道美濃白鳥駅までは約30kmだが、直通する交通手段がない。

例えば、九頭竜湖─北濃のケースであれば、勝山─越前大野─郡上八幡とか、或いは福井─美濃太田(─鵜沼)とか、今までの鉄道・バスの常識に囚われない、観光ルートの構築に寄与すると思うのだ。

バスだけでそれらを結ぶのと、DMVによって鉄道区間とバス区間を結ぶことは、かなり違った意味合いを持つ。機能としては同じであっても、鉄道は専用の走行空間を持ち、ハンドリングが必要ないことから、ローカル線であっても60〜80km/hをキープして走ることは、比較的容易い。このため、一般車や道路信号、渋滞といった撹乱要因が多い一般道経由のバスに対し、はるかに安定した運行が可能になるからだ。乗客の目線からしても、線路という目に見えるルートがあり、「どこへ連れて行かれるかが体感としてわからない」といったことがなく、構造物としての線路が地図にも記載される鉄道は、遠来の観光客にもより優しい存在であると言える。

また、都市内にも活躍の場は案外とあるのではないかと思う。東京の新金貨物線や小名木川貨物線、神奈川臨海鉄道本牧線といった、都市内にありながら有効利用されていない貨物線を用いた旅客輸送にもうってつけではないだろうか。線路を伸ばす必要がないので、渋滞に左右されない貨物線を走りつつ、近くの駅まで直通運転を行うといったことが可能になるからだ。もっとも、現行のDMVはせいぜいマイクロバスのサイズであり、都市型の輸送を行うには輸送力が心許ないが。

▲亀戸駅付近に横たわる、小名木川貨物線の堅川鉄橋。複線電化に対応した重厚な設備を持つが、ここを通る列車は1日最大3往復。活用されているとは言い難い

そして、現行法ではDMVと普通鉄道の相乗りは認められていない。このため、混雑する朝夕は普通鉄道を用い、閑散時や道路区間直通便のみDMVを使うといった使い分けができない。阿佐東線のDMVにしても、阿波海南駅での牟岐線との連絡線は設けられず、阿波海南─海部─甲浦間の線路にDMV以外の車両が走ることはないのだ。

阿佐東線の場合、その輸送量からしてDMV以上の輸送力が必要な場面はなく、DMVだけでも輸送しきれるからこそ、トラブルを避ける観点からも、普通鉄道との混用が認められなかったという側面がある。開発者たるJR北海道による試験の際も、DMVの規格が普通鉄道とあまりに異なり、DMVが踏切のセンサーに反応しなかったり、信号機に正しく検知されないなどのトラブルはあったそうだ。

しかし、これらのトラブルはいずれ克服されるべきものだし、「閉じた線路」の阿佐東線で実績を積むことで、いずれは各所の「開かれた線路」へと羽ばたいてゆくだろう。確実なステップを踏めるという意味においては、阿佐東線がDMV実用化の第一号になる必然性があったのかもしれない。

閉じた線路しか走らない今のままでは、かつての線路をバス専用道路に仕立てた東北のBRTに対し、何らの優位性を持たない。バスに比べてDMVははるかに機構が複雑だし、定員も少ないし、乗務員の免許も二つ要る。DMVがその真価を発揮するのは、やはり途切れた線路同士を繋いでこそ。線と線を繋ぎ、少しでも交通ネットワークを面へと広げてゆくことが、DMVに期待される役割ではないだろうか。

「北海道発、四国みぎした経由、未来ゆき」のDMVは、まもなく夢をのせて走り出す。

(徳島編 おわり)