中国・四国

【徳島】室戸岬へ!DMVに夢を託す未完の「阿佐線」──JR牟岐線・阿佐海岸鉄道阿佐東線(2) #85

南を目指す、エメラルドグリーンの気動車。南国らしい色使いの1200形2両編成は、高校生の通学ラッシュを阿南で終え、まるで一息つくかのように13分停車。13分停車という長さは、どことなくこの地の時間の流れが、緩やかであることを感じさせてくれる。

シーサイドラインは山また山

徳島6:47発牟岐線普通海部かいふ行きは、土曜の朝ということもあって、特に南小松島・立江たつえ羽ノ浦はのうらから多くの高校生を乗せ、1200形2両編成は肩が触れ合うほどの満員となったが、徳島から24.5km、7:35着の阿南で高校生は全員下車。

高校生たちがいなくなった1200形2両編成の中には、10名ほどの乗客が残るだけとなった。徳島からずっと寝ているおばあちゃんもいるが、鉄道旅行と思しき旅行者が4名ほどいるほかは、いかにも普段着の地元客が5名くらい。この先、徳島から67.7kmの牟岐むぎまではツーマン運行が続くため、ワンマンの場合に降車しやすい1両目に乗客が固まっているようなことはなく、均等に散らばっている。

阿南では7:35〜7:46の11分停車。その間に、7:33着/7:36発普通徳島行き、7:45着/7:50発特急むろと2号徳島行きの2本と交換する。阿南で14分先発する普通は南小松島で特急むろとの待ち合わせをするため、阿波富田・徳島へは特急が15分先着するのが興味深い。

阿南7:36発の普通徳島行きは、南小松島で特急待避のため11分停車となり、阿南→徳島に57分を要する。日中の普通は46分で走ることから、待避の分だけ遅い。特急誘導と言えばそれまでだが、追い抜きでなく南小松島で緩急接続となっているあたり、配慮もされている。それにしても単線・2番線までしかない駅で緩急接続ダイヤを組むとは、さすがは単線に多数の特急を捻じ込むJR四国のお家芸といったところか。

阿南から先は交換可能駅も減り、阿南─海部間54.8kmに、桑野・由岐ゆき日和佐ひわさ・牟岐の4駅のみ、平均10kmごととなる。終点・海部は2番線まであるものの、牟岐線が1番線、阿佐海岸鉄道が2番線という使い分けになっているため、牟岐線としては1面1線も同然。

特急むろとの停車駅も概ね交換駅ごととなり、阿南からは阿波橘あわたちばな・桑野・新野あらたの・由岐・日和佐・終点牟岐に停車。阿波橘と新野は1面1線の小駅ながら特急が停車するということになり、ホームライナーとしての役割を担っていることを強く感じる。

阿南からの乗客は僅か2名ほど。高校生でいっぱいだった、さっきまでの喧騒が嘘のよう。7:46、阿南発。

阿南市街地続きの見能林みのばやし、続いて徳島駅前からの路線バスが折り返す阿波橘までは家並みが続いており、その次の桑野までは朝夕1往復ずつの区間列車もあるなど、何とか都市圏らしい姿も見える。

▲桑野で上り徳島行きと交換。ここから牟岐まで交換はない

しかし桑野から由岐までは中間12.3kmに新野、阿波福井の2駅しかない山越え区間となり、トンネルが連続する。

牟岐線には、阿佐東線と共通で「阿波室戸シーサイドライン」という愛称が付いている。その名からはいかにも海辺を走る風光明媚なローカル線…という印象を受けるが、実際に海が見えるのは由岐〜木岐の臨時駅・田井ノ浜駅近辺と、末端部の牟岐〜海部あたりくらいしかなく、海岸線に沿って走っているのは事実なのだが、意外と山がちな所が多い。

四国内の各地にも言えることだが、四国には大きな川が少ない。その四国にあって数少ない大河が、徳島県を東西に流れる吉野川というわけだが、吉野川から外れた徳島県南部は海ギリギリまで山地が迫る険しい地形であり、海岸線と山に挟まれたわずかな平地ですら、室戸岬へ向かってどんどん狭まってゆく。このため人口の集積に乏しく、しかも先へ向かうにつれてどんどん細くなってゆくので、鉄道の経営にとっては厳しい環境といえる。

▲伊座利方面への接続駅となる由岐。公共施設と駅舎の合築になっている

8:13着の由岐では蒲生田岬方面へ突き出た阿部・伊座利方面へのバスに接続する。しかしながら、その本数は1日4往復と少ない。また、時刻設定も伊座利→由岐駅→徳島方面を基準としたものであり、徳島方面からの観光利用には向かない。伊座利は近年移住者が増えている漁業の集落として注目を集めているものの、バスを利用しての観光は難しく、公共交通機関の出番はない。

▲ビーチが線路と隣り合わせの田井ノ浜駅。オフシーズンは通過

由岐から0.8kmで田井ノ浜駅となるが、同駅は夏季の海水浴シーズンに1ヶ月ほど営業するだけの臨時駅であり、通常は通過する。線路が道路よりも海側にあることから、駅を出ると即砂浜という環境にあり、列車での海水浴が下火になりつつある中でも、臨時駅として存続し続けている。

▲田井ノ浜駅は臨時駅ではあるが毎年開設されるため、設備は常設駅とほぼ同等

かつて、こうした海水浴のための臨時駅は函館本線・張碓駅、磐越西線・猪苗代湖畔駅、参宮線・池の浦シーサイド駅など各地に存在したが、いずれも廃止または長期休止駅となっており、毎年きちんと営業する田井ノ浜駅は、いまや貴重な存在。

▲道の駅(線路右側)と隣接し、駐車場を共用する日和佐駅。道の駅と特急停車駅クラスの鉄道駅が同居するのは珍しいと言えるだろう

木岐、北河内を経て日和佐へ至る。天皇家からの厚い信仰もあった薬王寺の門前町であり、美波町役場もある地域の中心である。初詣シーズンには、高松─日和佐間直通の特急「やくおうじ」が運転されるほどだ。

▲道の駅と日和佐駅舎は改札外の歩道橋でも結ばれるが、鉄道利用者は構内踏切から直接道の駅へ入ることもできる人にやさしい構造

由岐に続いて日和佐でも数名ずつ乗降があり、「牟岐まで」というおばちゃん3人グループも乗り込んできた。日和佐駅は道の駅との合築で、国道と駅が隣り合う環境を活かしたもの。

▲S字カーブで山を越えていく

日和佐ではいったん海に近寄るが再び山越えとなり、山河内、辺川といかにも山越えを思わせる名前の2駅を経て、徳島起点67.7kmの牟岐に至る。

▲牟岐に到着。留置線を複数持ち、牟岐線南部の運転の拠点となっている

阿南─牟岐間は日中2時間1本の運転となるが、15〜18時台は1時間1本に増発される。しかし牟岐─海部の末端区間はその夕方増発もなく、1日わずか10往復の運転となる。

▲牟岐に到着した下り海部行き(右)と、出発を待つ上り徳島行き(左)

牟岐─海部の高規格ローカル線

牟岐までは1942年に開通しているものの、ここから先の海部延伸は1973年を待つ。牟岐までと牟岐からで30年の差があるため、牟岐までは木枕木のいかにもローカル線な線路なのに対し、牟岐から先は高架橋とトンネルを多用した、直線的な線路になる。牟岐─海部間は牟岐線内で最も高規格な線路でありながら、行き交う列車は牟岐線内で最も少ないのは、なんという皮肉だろう。

牟岐で8:42〜8:55の13分停車。その間、海部8:12発→牟岐8:27着/8:44発→徳島10:41着の普通徳島行きが、1200形のワンマン単行で出て行った。こちらの普通海部行きにとっては7:59の桑野以来、1時間ぶりの列車交換である。こちらも13分停車のうちにツーマン運行からワンマン運行に切り替わり、2両編成のうち後部車両が締め切りとなり、車掌さんが降りていった。

▲JR四国のワンマン列車は、2両編成以上の場合1両目以外が締め切りとなる。そのため、2両目以降の車両にはこのような札が掛けられ、利用できなくなる。

日和佐からのおばちゃん3人組が降り、残ったのはいよいよ鉄道旅行風の4名と、わずか2名ほどの地元客だけ。

「この列車は、海部行き、ワンマン列車です。きっぷ、定期券をお持ちでないお客様は、整理券をお取りください。…後側の車両は、回送です。ご乗車できません。前側の車両からお乗りください」

無機質なテープ音声が車内に響く。空白だった前面貫通扉の小窓にも、赤字で「ワンマン」の字が入った。

8:55、牟岐発。牟岐線普通海部行き。

「本日も、JR四国をご利用くださいまして、ありがとうございます。この列車は、海部行き、ワンマン列車です。安全のため、走行中は、運転士に話しかけないようお願い致します。車内は禁煙です。走行中は、安全のため、窓から手や顔を出さないようにお願い致します。次は、鯖瀬さばせ、鯖瀬です」

牟岐駅直後の2ヶ所を除いて踏切はなく、トンネルと高架橋を多用した、コンクリート枕木の堅牢な線路が続く。非電化ながらまっすぐに伸びる線路だけを見ていると、まるで石勝線か智頭急行線あたりの大幹線を思わせるが、ここを走る列車はわずか1日10往復、1〜2両のワンマン列車ばかりというのが、いかにも不自然だ。阿佐線がもし全通していれば、室戸岬を目指す特急列車が高速運転をしていたのだろうか。

鯖瀬から海部郡海陽かいよう町に入る。海陽町は2006年に海部郡海南かいなん町、海部町、宍喰ししくい町が合併して成立した新しい自治体であり、中でも海南町役場と海部町役場は海部川を隔てて向き合うという関係にあり、合併以前から結びつきは強かっただろう。現在では小学校が旧3町に1校ずつ、中学校は近接する海南・海部を統合した1校と宍喰の1校に集約され、人口減少に応じたスリム化が進んでいる。

旧海南町に鯖瀬、浅川、阿波海南の3駅があるほか、旧海部町に海部駅、そして旧宍喰町に阿佐東線宍喰駅が位置する。阿波海南─海部間は1.5kmとローカル線にしては短く、海部川の両岸に1駅ずつ設けられたのがわかるが、海部─宍喰間は海に迫り出す山をトンネルで越えるため、6.1kmと離れている。このトンネルを掘る都合で1973年の延伸は海部までとなり、宍喰への到達が19年遅れとなったわけだが、宍喰の人々にとっては忸怩たるものがあっただろう。阿佐東線は、山を隔てて分かれている旧3町を、新・海陽町へと1つにまとめる役割も果たしているというわけだ。

その海陽町に入った鯖瀬は簡素な1面1線。鯖瀬では高校生1名が降りた。拡張を見越した用地もない。2両がやっと止まれるかくらいのホームは徳島方半分が波打っており、実質的に1両分しか使われていない様子がわかる。

谷筋を高架橋で越えてトンネルに入り、平地に入ると小さな駅があるという景色が続く。

山の中の浅川を経ると、市街地内の阿波海南に出る。阿波海南は交換駅となることを見越してか、現状は地上に1面1線のホームがあるだけだが、2・3番線くらいなら建設できそうな用地が広がっている。DMV化の折には、この用地を活かしてDMVと牟岐線の接続駅となることが予定されており、現在は海部までやってくる牟岐線列車は、1.5km手前の阿波海南で折り返すこととなる。「海部行き」の列車が見られるのは、DMVが走り出す前の今しかないというわけだ。

▲右手・山側に鉄道用地が広がる阿波海南。ここを利用してDMV用の設備が設けられる

DMVはマイクロバスを基本としているため、そのままでは折り返すことができず、折り返し運転には一度線路を外れて道路上で向きを変え、また線路に戻るという手順が要る。阿波海南の駅用地は、地上駅であることもあり、DMV用の転回場を設けるにはちょうど良い。これに対し、現状の接続駅である海部は高架駅であり、転回場の建設は大掛かりなものとなってしまう。海部から牟岐線列車に乗れなくなるのは不便な面もあるが、阿波海南─海部間は1.5kmと近い。現状でも牟岐線と阿佐東線は緊密な接続ダイヤを組んでいることから、DMV化以後もこれは維持されるだろう。現状変更にはなるが、接続駅を海部から阿波海南へ移すのは、合理的な選択と思う。

「ご乗車、ありがとうございました。次は、終点の海部、海部です。宍喰・甲浦方面へのお乗り換え駅です。どなた様も、お忘れ物のないようにご注意ください」

「阿佐海岸鉄道」とか「阿佐東線」といった言い回しでなく、「宍喰・甲浦方面」という漠然とした言い方は、まるでJR四国の一部かのよう。会社が違うとはいえ、ひとつの路線として認識されていることの証だろう。

阿波海南を出ると、旧海南町と海部町を隔てる海部川を渡る。海部川を渡っている最中から「ジリリリ…キンコンキンコンキンコン…」とATS警報音が鳴り、終点が近いことを思わせる。

海部川を渡ると、「純粋トンネル」「トマソン」として名高い町内トンネルを潜る。かつては山だったところが、市街地造成のために切り崩された結果、トンネルの筐体だけが残されたというものだ。なるほど、町の中にトンネルの形だけがある様は、何のためのトンネルなのか全くわからない。

その町内トンネルを抜けると、徳島から79.3km・2時間22分を経て、いよいよ終点・海部。線路はまだ続いているが、牟岐線としては終点である。牟岐から途中駅の乗車は全くなく、海部に降り立ったのは僅か5名。

国鉄の置き土産…阿佐海岸鉄道

先細り、行き止まりのローカル線であった牟岐線にとっての頼みの綱は、「阿佐線」による高知への延伸であった。しかし、徳島と高知を結ぶ役割は、阿波池田で徳島線と土讃線を乗り継げば事足り、実際に徳島─高知を結ぶ急行列車が運転されていたこともある。現在、徳島線と土讃線を直通する列車はないものの、徳島線特急「剣山つるぎさん」は土讃線特急「南風なんぷう」との接続が考慮されており、2時間半程度で結ばれる。以前に直通列車があったこともあり、徳島線徳島方面↔︎土讃線高知方面の乗り継ぎは特急料金も通算されるため、乗り継ぎの抵抗は少ない。

▲Mapion「キョリ測」より。徳島→高知は、徳島線・土讃線経由で147km

こうした中、阿佐線経由では三角形に大きく突き出た室戸むろと岬を迂回せざるを得ず、阿佐線経由は徳島線経由と比べて約40kmもの遠回りになってしまうことから、阿佐線はそもそも徳島─高知を結ぶメインルートにはなり得なかった。それでも、阿佐線沿線で鉄道がなかった唯一の市であった高知県室戸市にとっては阿佐線建設は悲願であったことから、建設計画は進められ続けた。

▲Mapion「キョリ測」より。牟岐線・阿佐線経由では185kmと、徳島線・土讃線の147kmに比べて大幅な遠回りとなることがよくわかる

1973年には阿佐線の一部として、牟岐線牟岐─海部間11.6kmが開通した。牟岐線の延伸は1927年の牟岐延伸以来46年ぶりのことであった。同じ頃、1974年には愛媛県内の行き止まり路線でしかなかった「宇和島線」が江川崎えかわさき─若井間の延伸をもって全線開通し「予土線」に改称、四国沿岸部を巡る「四国循環鉄道」が形成されつつあり、阿佐線は「四国循環鉄道構想」の中で、最後に残ったミッシングリンクとなっていた。

▲予土線・江川崎駅。何もない山の中の駅だが、ここと土讃線・窪川駅が結ばれたことで全線開通を果たした。1970~80年代は鉄道建設が活発な時代であり、こうした山の中へも積極的に線路の延伸が図られた。

また、高知県側(阿佐西線)では土讃線と接続する後免ごめんから、土佐電気鉄道後免線と接続する後免町ごめんまちを経て、安芸までを結ぶ土佐電気鉄道安芸あき線が走っており、阿佐線のルートと重複していたものの、安芸線は1970年代以降赤字が問題になっていた。このため後免─安芸間の建設は後回しとなり、1965年に安芸線の終点である安芸─田野たの間から建設が始まった。1974年には土佐電気鉄道と国鉄の間で補償交渉がまとまったため、国鉄阿佐線へその線路敷地等を譲り渡す形で安芸線の赤字を解消することとなり、土佐電気鉄道安芸線が廃止。これをもって後免─安芸間でも阿佐西線建設が始まり、徳島県側・高知県側双方から建設が進められることとなった。

▲とさでん交通(旧・土佐電気鉄道)後免線の終点・後免町駅。土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線後免町駅と隣接しており、乗り換えが可能。かつての安芸線の役割をごめん・なはり線が引き継いでいる

1974年には徳島県側(阿佐東線)海部─宍喰─甲浦かんのうら野根のね間の建設が始まり、1980年にはそのうち海部─宍喰間6.1kmでレール敷設が完了し、開通を待つばかりとなった。宍喰駅が立地する海部郡宍喰町は、徳島県内の牟岐線・阿佐線沿線で最後に残った鉄道のない町であり、宍喰駅の開業は文字通り町の悲願であった。また、高知県に入った安芸郡甲浦町・安芸郡野根町(1959年より合併し安芸郡東洋町)にしても、県都・高知市から130kmも離れた遠隔地であり、隣県ではあるが徳島市の方が87kmと近く、徳島と結ばれる鉄道の開通が待ち望まれていた。

ところが、1980年に「国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建特別措置法)」が施行され、阿佐線の建設は一切がストップ。開業を待つばかりだった阿佐東線海部─宍喰間に加え、宍喰─甲浦間もトンネル・高架橋が既に完成し、レール・信号の敷設を待つばかりとなっていた。

▲阿佐東線の終点・甲浦。目の前の山を貫き、これ以上線路が伸びることはなかった

高知県側・阿佐西線でも虫食い状に44%が完成していたものの、同様に一切の建設がストップ。こちらは6年前まで土佐電気鉄道安芸線が実際に走っており、阿佐西線と引き換えに廃止されたにもかかわらず、その阿佐線の開通が見通せなくなってしまった。

このうち、徳島県側・阿佐東線の海部─甲浦間は牟岐線末端のわずかな区間でしかなく、その先に大きな需要が見込まれたわけでもなかったため、国鉄線としての開通は絶望的になった。この状況で建設が進められたのは、特急列車が多数走る幹線となることが確実であった「内山線」(現・予讃線向井原むかいばら内子うちこ伊予大洲いよおおず間)と、鹿島臨海工業地帯の建設により多くの需要が見込まれた「鹿島線(現・鹿島臨海鉄道大洗おおあらい鹿島線)」の2線のみであり、完成しても徳島─高知間のメインルートにはなり得ない阿佐東線・阿佐西線の建設は、望むべくもなかった。

▲反対側、ごめん・なはり線の終点・奈半利。これ以上の延伸は想定されておらず、延伸を前提とした構造にはなっていない。

このため、高知県側・阿佐西線は1986年に「土佐くろしお鉄道株式会社」、徳島県側・阿佐東線は1988年に「阿佐海岸鉄道株式会社」にそれぞれ引き継がれ、着工済み区間の建設がようやく再開されることとなった。しかしながら、高知県側・阿佐西線は当初の後免─安芸─田野間であったところ、田野から1.2km延伸されて奈半利まで建設が始められたのに対し、徳島県側・阿佐東線は逆に甲浦─生見─野根間(約)5.5kmが着工済みであったものの引き継がれずに短縮され、トンネル・高架橋等の構造物が既に完成していた、海部─宍喰─甲浦間8.5kmのみが建設区間となった。

高知県側・阿佐西線は建設区間が後免─奈半利間42.7kmと長かったこともあり、開業は2002年と会社設立から16年を要したこれに対し、徳島県側・阿佐東線は構造物が既に完成していたことから、会社設立から僅か4年、1992年に「阿佐海岸鉄道阿佐東線」が開通。開通と同時に岡山─高松─徳島─甲浦を直通で結ぶ特急「うずしお」が2往復設定され、はるか徳島・高松を越えて瀬戸大橋を渡り、山陽新幹線と接続する岡山への列車が、甲浦駅から走り始めたのであった。普通列車も基本的に海部を越えて牟岐線牟岐まで直通し、うち1本は徳島─甲浦間の直通運転とされ、徳島県内の奥地であった宍喰、高知県内の最奥地であった甲浦が一躍、広域の鉄道ネットワークに組み込まれたのである。

▲高松駅で出発を待つ特急うずしお。本州連絡の役目こそ廃れたが、高松―徳島間には今でも終日1時間1本が走る大動脈である

しかしながら、阿佐東線の輝きは長続きしなかった。阿佐東線の開通から僅か6年後、1998年には明石海峡大橋が開通し、神戸淡路鳴門自動車道が全線開通した。これによって徳島─神戸間は高速道路で結ばれ、徳島駅前─三宮駅前は高速バスで僅か1時間50分の距離になった。明石海峡大橋開通まで、徳島から京阪神へは唯一の陸路であり、時間が読める岡山乗り換えの鉄道ルートを選択する人も多かったのだが、最速でも2時間40分を要する鉄道ルートを選択する人はめっきり少なくなってしまった。

これを受け、1999年には岡山直通の高徳線特急「うずしお」は牟岐線への乗り入れを中止し、全列車が岡山・高松─徳島間の運転となった。牟岐線・阿佐東線へは「うずしお」に代わり、徳島線直通の「剣山」か、徳島発着の「むろと」が乗り入れることとなったが、2008年にはこれも海部止まりになってしまい、甲浦直通の特急列車は僅か16年で運行を終えることとなった。その後、2009年には地元の要望を受け一時的に特急乗り入れが復活するも、2011年には再び廃止され、以後阿佐東線への特急列車の乗り入れはないままだ。

▲キハ185系2連が1往復するだけになってしまった特急むろと。室戸方面への延伸を期待されての命名だったが、その夢は叶いそうにない

また、開業以来牟岐線直通を基本としていた普通列車も縮小が続き、2001年には通学輸送を考慮した朝の牟岐─甲浦間2往復を除き、海部─甲浦間の線内運転となった。

牟岐線特急「むろと」「剣山」が牟岐・海部止まりとなって以降は、甲浦発着の阿佐東線直通普通列車が接続していたため、なんとか広域輸送の役割を果たしていた。しかしその特急にしても、2019年には朝の上り1本・夕の下り1本を除いて廃止され、残った1往復も徳島─牟岐間の運転となり、海部にすら来なくなった。

▲海部駅で出発を待つ阿佐東線・甲浦行き。

このため、阿佐東線から朝の特急「むろと2号」に乗るには、甲浦6:23発─(阿佐東線普通海部行き)─海部6:34着/6:38発─(牟岐線普通牟岐行き)─牟岐6:55着/7:00発─(牟岐線特急むろと2号徳島行き)─徳島8:18着と、海部・牟岐で2回乗り換えとなってしまった。夜の特急むろと1号牟岐行き(徳島19:33発→牟岐20:50着)に至っては、牟岐以遠の牟岐線が牟岐19:33発→海部19:49着の普通海部行きが最終列車となっているため、海部にすら辿り着けない。なお、この海部行き最終列車は徳島を17:30に出るため、宍喰・甲浦への最終列車も、徳島17:30発ということになる。

最終列車がこんなに早くては、岡山への広域輸送はおろか、徳島県内の輸送も覚束なくなり、鉄道は見向きもされなくなる。牟岐線がこの状態では、さらにその先の阿佐東線がどうなるかと言えば、鉄道の維持が困難になってくるレベルになってしまう。言い換えれば、明石海峡大橋開通を機に牟岐線特急の縮退傾向が始まり、山陽新幹線に接続した岡山行きが徳島県内の阿波池田行き、さらに徳島止まりとなっていき、更には1往復を除いて廃止となってしまったことで、牟岐線の延長の性格が極めて強い阿佐東線は、窮地に陥ってしまったとも言えるだろう。

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次回は、DMV化という大転換を控えた阿佐海岸鉄道阿佐東線に乗り、終点・甲浦へ。

(つづく)