中国・四国

【徳島】【高知】海部-宍喰-甲浦…DMVを迎える3駅を見る──阿佐海岸鉄道阿佐東線(3) #87

目次

日本一の閑散路線…阿佐東線

徳島6:47発の牟岐むぎ線普通に揺られること2時間22分、徳島から79.3kmの終点・徳島県海部郡海陽町の海部かいふ駅へ、9:09着。全線僅か3駅・8.5kmの「日本一の閑散路線」阿佐海岸鉄道阿佐東あさとう線は、ここ海部駅から出発する。

海部までは1973年に到達していたところ、1980年の国鉄再建法施行によって一切の新線建設がストップ。地元設立の第三セクター鉄道に引き継ぐことにより、やっとこさ阿佐海岸鉄道阿佐東線として開業に漕ぎ着けたのが1992年。旧・海部郡海南町および同郡海部町に遅れること19年。はるか瀬戸大橋を渡り山陽新幹線に接続する岡山行きの特急「うずしお」が走りはじめ、徳島県最南端の海部郡宍喰ししくい町および高知県最東端の安芸あき郡東洋町甲浦かんのうら地区は、一躍全国を結ぶ鉄道ネットワークに組み込まれたのだった。

しかし、阿佐東線が全国規模の鉄道ネットワークとして機能した時期は、長くなかった。明石海峡大橋の開通による四国特急の縮退により、阿佐東線に乗り入れる甲浦発着の特急はおろか、牟岐線の特急「むろと」ですら、朝上り1本・夕下り1本の通勤特急を残して全廃されてしまったからだ。

かくして、阿佐東線はローカルの普通ばかりとなった牟岐線末端区間の、さらに奥地を往復するだけとなった。一日の利用者数が平均106名(2015年度)という数字は、全国でも最低レベル。これ以上の延伸はまず無理で、年々過疎化が進む中で沿線自治体の補助も限界を迎えつつあり、1992年に開通したばかりの鉄道は、たった30年足らずで廃止の瀬戸際に追い込まれてしまったのだ。

その追い込まれた阿佐東線の起死回生の一手が、DMV(Dual Mode Viecle)の導入である。JR北海道がローカル線の維持コスト削減策として、高価な鉄道車両に代わり、安価なマイクロバスを線路も走れるよう改造したものだ。2004年に試作車が完成し、2005年以降は道内各地や、岳南がくなん鉄道線(静岡県富士市)、南阿蘇鉄道線(熊本県阿蘇郡高森町ほか)、天竜浜名湖鉄道線(静岡県浜松市ほか)、明知鉄道線(岐阜県恵那市)など、各地でデモンストレーションを兼ねた試験運行が続けられてきた。2011年には阿佐海岸鉄道・牟岐線でも試験が行われ、牟岐─宍喰間でDMVが乗客を乗せて走った。

ただ、2013年以降、函館本線大沼駅貨物列車脱線事故、石勝せきしょう線特急列車火災事故など、JR北海道で事故が続発したことを契機に、JR北海道の経営危機が表面化。これを受けて2015年には「これ以上技術開発に継続投資できなくなった」ことを理由に、当のJR北海道がDMVの実用化を断念。DMVにとって、最大の危機が訪れたといってもよい。

しかし、阿佐東線を活用した室戸岬への観光ルート構築を模索していた徳島県・高知県をはじめとした沿線自治体は、2017年に「阿佐東線DMV導入協議会」でDMV導入を正式に決定、2020年の運行開始を目標とし、遠く北海道で開発されたDMVが、四国で走り始めることとなったのだ。

計画では、現行の牟岐線・阿佐東線接続駅の海部から1つ徳島方になる牟岐線・阿波海南駅をDMVの起点駅とし、阿波海南─海部─宍喰─甲浦間は鉄道線路を走行し、線路の終点・甲浦駅からは道路を走行して室戸岬方面を目指すとしている。このため、阿波海南─甲浦間はDMV専用の鉄道となり、一般の牟岐線列車はすべて阿波海南で折り返し、また阿佐東線の線内運転もすべてDMVで置き換えられる予定である。これを受け、現在阿佐東線を走っている2両の車両は阿佐東線での運用を終えることとなり、再活用先を探すこととなった。

本来であれば、阿佐東線区間はともかく、阿波海南─海部間くらいはDMVと普通鉄道の共用区間とすべきだったと思うが、万一の事態を避けるためか、国土交通省はDMVの営業認可に際し、「DMVが走る線路はDMV専用とすること」という条件をつけた。DMVと普通鉄道はあまりに規格が違うため、現在の信号システムがDMVに対応できないという事情があるにせよ、将来的には共存も視野に入れるべきだろう。

現在のところアナウンスされているのは、2020年の運行開始が目標ということだけで、具体的なスケジュールまではわからない。それでも、2019年10月には道の駅東洋町などで落成したDMVのお披露目が行われ、DMV運行開始に向けた機運が高まりつつあるところ。現在阿佐東線を走っている2両の運用も、阿波海南─海部間を走るJR四国の車両も、DMVが運行開始すれば見納めということになる。

起点感のない起点駅…海部

高架上の海部駅は相対式2面2線で、海側の1番線が牟岐線、反対側の2番線が阿佐東線と使い分けられている。

1番線↔︎2番線への連絡は徳島方の構内踏切を使う形となる。列車本数が1日10往復しかないから、これで十分なのだ。地上への階段は1番線の牟岐線ホームのみ通じているため、海部駅から阿佐東線に乗るには、やはり構内踏切を渡る必要がある。

2番線に待っていたのは、2009年に高千穂たかちほ鉄道(宮崎県延岡のべおか市〜高千穂町)からやってきたASA-301号。2005年の水害による高千穂鉄道の廃線以後、ずっと車庫に留置されていたものを、予備車が無かった阿佐海岸鉄道が引き取ったものだ。当初は高千穂鉄道に敬意を表して「たかちほ号」の名が付き、塗装も高千穂鉄道時代そのままだったが、2010年に徳島県の「すだちくん」と、高知県東洋町の「ぽんかんくん」をあしらった塗装へ変更されている。当初は牟岐線乗り入れ運用にも就いていたが、2019年のダイヤ改正で阿佐東線が線内運転の普通のみとなったため、現在は線内のみで運用されている。

ただ、この車両もDMV導入によって御役御免となることが既に決まっており、高千穂線の廃線を乗り越えて遠く阿佐東線で再び走り出したのだが、その阿佐東線からも追われる身となってしまった。流転が激しい人生だ。

乗客は自分を含めて6名。ずらりと並んだボックスシートへ思い思いに座った。車内につり革の類は一切ないが、着席定員以上に乗客が乗ることはないのだろう。普通列車では使われていないがブラウン管テレビも備え付けられており、実際に高千穂線時代は団体用としてテレビも使われていたそうだ。どことなく一昔前の観光バスを思わせる。

「この列車は、甲浦行きワンマン列車です。降り口は前側です。まもなく発車します」

写真を撮ったり、車両を観察しているうちに、接続時間の6分はあっという間に過ぎていった。ベテラン運転士が運転席に座り、折戸の扉が閉まった。

9:15、海部発。阿佐海岸鉄道阿佐東線普通甲浦行き。

小さな鉄道の小さな基地…宍喰

阿佐東線は海部─甲浦間に14往復が走るほか、車庫への入出庫の関係で、海部─宍喰の1駅のみの列車(海部12:24・14:24・18:29発、宍喰8:57・11:09発)、また宍喰─甲浦の1駅のみの列車(宍喰13:28・15:28・19:33発、甲浦8:29・10:08発)も存在する。都合、朝夕は1時間1本、昼間および夜は1時間半に1本が運行されている計算となり、牟岐線牟岐─海部の10往復/日よりも本数は多い。これは、並行する徳島バス南部(南部バス)の牟岐─甲浦線の13.5往復/日よりもわずかに多く、阿佐東線はこうしたローカル線にしては本数が多い。

ただ、阿佐東線が岬の尾根をトンネルで貫き、谷間を高架線で越えていくという短絡ルートを採るため、海部─甲浦間を11分で結ぶのに対し、南部バスはその谷間の集落を丁寧になぞってゆくため、新道経由でも海部─甲浦間が18分かかり、旧道経由だと30分近くを要する便もある。また、3駅とも高架上に位置する阿佐東線に対し、バスは路面からの乗降が可能であり、途中で海南病院・海部病院の2つを経由することから、高齢者の通院にも向いている。

このため、スピードに勝る阿佐東線と、小回りが効く南部バスで輸送を分担しているものと思う。普通ならば、輸送力がある鉄道は高校生、小回りがきくバスは高齢者の通院と相場が決まっているものだが、阿佐東線の定期利用はわずか2名(下記記事参照)に過ぎず、そもそも分担するほどの人がいないのも事実ではある。

‪徳島)阿佐海岸鉄道 8年ぶり利用者減、27年連続赤字:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASM6C4QYQM6CPUTB00P.html

また、この地域唯一の高校である徳島県立海部高校は阿波海南駅が最寄りであり、阿佐東線からでは海部でJR牟岐線へ1駅乗り換えなければならず、定期券も2社合算となって割高になる。これに対し、南部バスは牟岐までの直通運行であるため乗り換えは不要で、さらに「海部高校前」バス停まである。これでは、通学利用までもバスに流れてしまうのは道理である。

そのため、阿佐東線に残された役割は徳島方面への広域連絡くらいしかないのであるが、それすらも牟岐線特急の縮小と、牟岐線・阿佐東線の直通取りやめで霞んできてしまっている。広域連絡の機能までも衰退しているなかでは、もはや鉄道を維持する理由が見当たらなくなりつつある。

そんな中、残された鉄道に意義を見出す方策として、DMVの導入が決まったというわけだ。

海部駅を出ると、すぐに長いトンネルに入る。トンネル内で右カーブし、1分半ほどで外に出ると、海がぱっと広がった。それも束の間、短いトンネルと短い明かり区間を繰り返していく。

眼下に広がる海からはけっこう高さがあり、海部駅の高架から続く高い地点を走っている様子がわかる。典型的な地方新線といった感じで、富山に縁を持つ僕としては、ほくほく線あたりの線路を思い出す。

もっとも、ほくほく線は国内最速・160km/h運転で知られた特急はくたか亡きあとも、HK100形が最高110km/hでぶっ飛ばす「超快速スノーラビット」を運行する韋駄天ぶりは変わらないのに対し、阿佐東線は非電化・最高85km/hに留まる。

ただ、阿佐東線の走りは1992年開通の線路だけあって極めて滑らか。土讃線や予讃線宇和島口の普通列車が、山間の隘路に続くカーブに、ゴリゴリと車輪を軋ませながらワイルドに峠を越えていくのとは対照的な、とても穏やかな走り。

海部から15本ものトンネルを抜けると、6.1km、7分で宍喰に着く。最後のトンネルを通っている最中からATS警報音が鳴っているが、これが何とも間抜けな感じの独特な音。おそらくベルでなくスピーカーから電子音を流しているために独特の音になるのだろうが、ともかく聞いたことがない音だった。

宍喰は阿佐東線の中枢となる駅で、阿佐海岸鉄道本社や車庫も宍喰に位置する。宍喰では地元客1名が降りた。

ただ、宍喰駅自体は海側のみにホームを持つシンプルな1面1線。山側には短い線路こそ敷かれているが本線と接続しておらず、使われていない。ホームの基礎らしきものはあるがホームもない。高架上であり、運用開始後の増設が難しいことから拡張余地を設けたのだろうが、この2番線予定地が活用されることはないだろう。

高架で宍喰の町を越えると、宍喰と甲浦とを隔てるトンネルのすぐ手前、山側に車庫がある。阿佐海岸鉄道唯一の車両基地であり、このASA-301号がねぐらとするほか、開業当初からの車両であるASA-101号が休んでいる姿が見えた。阿佐海岸鉄道には2両しか車両が在籍していないので、建屋つきの留置線も2両分、引き上げ線を入れても収容できる車両は3両分。車両基地と名乗るには相当小さい。

宍喰駅から車両基地へは、いったん甲浦方の引き上げ線に入り、折り返して入庫するという配線になっている。しかし輸送量が知れているので、2両編成になることはないという割り切りからか、引き上げ線は1両分がせいぜいの長さしかない。牟岐線特急は最低でも2両編成だったが、特急が乗り入れていた時代であっても、宍喰の車両基地に特急車が入ることはなかったのだろう。牟岐止まりとなった現在の特急むろとも、国鉄らしく敷地に余裕がある牟岐駅の留置線で滞泊することから、当時も特急車は甲浦から牟岐まで回送していたのだと思う。

DMVを迎える準備が進む…甲浦

そのミニ車両基地を過ぎると、またも長いトンネルに入る。直線の長いトンネルで先が見えない。そしてまたもトンネル内からATS警報音が鳴り、駅が近いことを知らせてくれる。その長いトンネルを1分40秒かけて抜けると、もう終点・甲浦駅は目の前。9:26、甲浦着。

宍喰─甲浦は2.4kmと、海部─宍喰の6.1kmよりだいぶ短い。この2.4kmの間で県境を越え、徳島県海部郡海陽町から高知県安芸郡東洋町へ入っているわけだが、景色は大して代わり映えせず、県境を越えた感覚は薄い。むしろ、海部─宍喰の6.1kmのほうが15ものトンネルを抜けており、1駅に7分かけているだけに、そちらの方がよほど県境らしい。それだけ、宍喰が徳島県沿岸部の中でも隔絶された環境にあったということになるだろう。

徳島駅から87.8kmを経て、鉄路の終端たる甲浦駅に辿り着いたわけだが、甲浦駅は宍喰以上に素っ気ない1面1線の簡素なホームで、留置線や引き上げ線といった終端駅らしい設備は何もない。

ホームは高い高架の上にあるが海は見えず、辺りを見渡しても線路の延伸を阻んだ山々が見えるだけで、「阿波室戸シーサイドライン」の終端駅がこれか、という雰囲気である。

終端部は道路の手前でプツリと切れており、建設途上で不本意ながら終端となってしまった感がありありと出ている。低速入線が原則なので車止めもあっさりとしたもので、レールが若干のバラストに埋もれ、その奥にコンクリートの薄い車止めがあるだけだ。

しかし、阿佐海岸鉄道の中でDMV乗り入れによる変化が最も大きいのは、この甲浦駅だろう。従来、道路の手前で途切れていた線路・ホームと、道路を挟んだところの駅舎が歩道橋で結ばれていたところ、車止めから延長する形でDMVが高架から地上へ降りる螺旋状のスロープが駅舎を取り囲む形で建設されることとなった。

建設会社による工事を知らせるボードには躍動するDMVが描かれており、地元の期待の大きさが窺える。

なお、高知県内の工事でありながら施工会社は「宍喰建設工業」とあり、徳島県内の建設会社が請け負っているのが面白い。発注者たる阿佐海岸鉄道が、徳島県に本社を置いていることも影響しているだろうか。

このため、2019年9月時点ではこのスロープ建設の真っ最中であり、螺旋スロープの真ん中に位置する甲浦駅舎は立ち入り禁止になっていた。

その代わり、南側に仮設駅舎と仮駐車場が設置されており、バス停もこちらに移設されていた。

DMV化以後も、現行の駅舎はスロープに半ば埋もれる形になりながらも、継続使用されるようだ。

このため、駅舎前がDMVの乗降場所となることから、現行の高架上のホームはお役御免となる。乗客にとっては、階段で高架上のホームに上がるよりも使い勝手はよくなり、DMVの面目躍如といったところ。

それと同時に、鉄道時代の甲浦駅ホームが見られるのは、今のうちだけだ。

定時性に優れ、ハンドル操作が要らない鉄道のメリットはそのままに、線路を延伸することなく鉄道とバス路線の直通運転が可能なDMVは、まさに地域にとって望まれていた交通モードなのかもしれない。基本的に60km/hに制限されるバス専用道路に対し、ハンドル操作が要らないDMVであれば、限界いっぱいの85km/hまで出せるのもメリットである。

阿佐東線の開通から30年を前に、甲浦駅は最大の変化を遂げようとしている。阿佐東線の野根・室戸方面への延伸は叶わなかったが、それをDMVという形で実現させるとは思わなかった。甲浦駅前に鎮座する山を目にすると、とても現状でこの山にトンネルを穿ち、甲浦以上に人口が希薄になってゆくこの先へと鉄路を延伸できたとは思えない。

高知東部交通バスとの調整は必要になるが、やがて阿佐東線のDMVがごめん・なはり線へ乗り入れ、夢の「阿佐線」を実現する日も来るのであろうか。甲浦駅は、駅前広場にスロープを設けるというドラスティックな変化を伴い、DMVの受け入れ態勢を着々と整えている。

そう考えると、阿佐東線に生きる意味を与えたDMVは、この沿革の地に夢を運んできてくれると言っても過言ではないだろう。今の世の中、「夢の乗り物」と形容される乗り物が、どれだけあるだろう。DMVの他には、リニアくらいしかないように思う。導入費用はリニアと比べ物にならないほど安く、それでいてリニアと並び立つDMVは、まさにコストパフォーマンスの高い「夢の乗り物」だ。

***

9:26に甲浦駅に着いたものの、次の高知東部交通バス・室戸岬経由安芸営業所行きは9:59発。谷を遡る潮風に吹かれながら、のんびりとバスを待った。

次回は、室戸岬を巡るバスに揺られて。

(つづく)