九州・沖縄

【沖縄】”聖地”久高島と斎場御嶽を巡るバス- 東陽バス【38】志喜屋線 #33

2018年10月1日、那覇バスターミナルは二代目に生まれ変わった。旧・沖縄県営鉄道那覇駅を端緒とし、戦後は那覇バスターミナルとして再始動。沖縄本島の交通の要衝であり続けたこの地が、時代に合わせた三度目のスタートを切ったことは、沖縄本島の交通史に残るエポックだ。翌2019年夏に控えたゆいレールてだこ浦西延伸も間近であり、沖縄本島のは目まぐるしく変革を遂げつつある。

しかし、新しく生まれるものがあれば、古くなり姿を消してゆくものもあるのは、何も交通に限ったことではない。バスターミナル一時閉鎖・建替にあたっては、近隣の路上バス停に機能を少しずつ割り振るという策を採った。バスターミナル周辺のバス停は、一時的に多くの系統の始発・終着となる大役を担った。しかし、元は単なる路上のバス停に過ぎないため、案内や運用は複雑を極めた。新バスターミナルの開業によってその混乱が収束するのは喜ばしいが、いきなり始発バス停にさせられた「普通のバス停」たちの姿は、見納めとなった。

那覇バスターミナルが生まれ変わる少し前。工事中の姿を目に留めようと、バスターミナル至近の上泉バス停に立った。

※記事は2018/7/27~29乗車当時のものであり、2018/10/1の那覇バスターミナル開業後の状況とは異なる点があります。

目次

●独特の存在感を持つ…東陽バス

沖縄本島には大手バス事業者が4社ある。主に那覇市街地を走る那覇バス、主に本島西海岸へ向かう琉球バス交通(この2社は第一交通産業が親会社であり、グループを形成する)、主に本島東海岸へ向かう沖縄バス、そして本島南部へ向かうのが今回乗車する東陽バスである。

この中で東陽バスは最も規模が小さく、共同運行の111番高速バス(那覇空港~名護バスターミナル)を含めても8路線しかない。その中でも幹線と言えるのは【30】泡瀬あわせ東線(那覇BT~久茂地・与儀よぎ与那原よなばる中城なかぐすく・コザ~泡瀬営)が日中1時間2本、【31】泡瀬西線(那覇BT~開南・与儀・天久あめく・伊佐・普天間・コザ~泡瀬営)が日中1時間1~2本、そして今回乗車した【38】志喜屋しきや線(那覇BT~開南・与儀・与那原・佐敷さしき斎場御嶽せーふぁうたき入口~志喜屋)が日中1時間1本の3路線くらい。

【30】【38】は那覇から東海岸の与那原まで経路をほぼ同じくするため、与那原までは実質1時間3本体制となり、東陽バスのドル箱区。この那覇~与那原間は旧・沖縄県営鉄道の本線であった与那原線にほぼ並行しており、古くから人の流れがあった区間といえる。
「大手4社のうちの一角」といえば聞こえは良いが、8路線(共同運行路線含む)・2営業所を持つのみと、実態としてはローカルバス会社のそれである。ただ、ICカード・OKICAの導入(2014年)、大手4社のバスを共通利用できる「沖縄路線バス周遊パス」の発売(2017年)など、近年は他の大手3社との連携が進みつつある。規模は最も小さいが、設備や環境は他の大手並みに整えられており、東海岸では確固たる存在感を持つ。

そして、複数のバス会社の路線が絡み合いながら走る区間が多い沖縄本島にあって、今回乗車した【38】志喜屋線を含め、東陽バスは単独運行区間が多いのも特徴のひとつだ。【38】志喜屋線は与那原から知念半島をぐるりと回り、終点・志喜屋に至るまでほぼ単独区間。沿線には1町3村が合併して成立した南城なんじょう市のうち、唯一の町であった旧・島尻郡佐敷町役場(現・南城市佐敷出張所)と、旧・島尻郡知念村ちねんそん役場(現・南城市知念出張所)が立地する。

また、神の島として名高い久高島くだかじまへ向かうフェリーが発着する安座真あざま港、そして琉球王朝最高の聖地・斎場御嶽も【38】志喜屋線の単独区間にあり、これら施設へ向かうには【38】志喜屋線が唯一の公共交通機関となる。終点・志喜屋は旧・島尻郡知念村に位置する古くからの集落で、今なお漆喰に赤瓦といった昔ながらの琉球建築が数多く残る、素朴な場所だ。

なお、【38】志喜屋線は東へ突き出た知念半島をぐるりと迂回するため、那覇から志喜屋へ直行するには、短絡ルートを辿る琉球バス交通【53】志喜屋線(那覇BT~開南・津嘉山つかざん玉城たまぐすく・志喜屋~百名ひゃくなBT)の方が早い。こちらも志喜屋線を名乗るが、途中経由地は全く異なるため、単に「志喜屋線」と呼ぶには注意を要する。志喜屋で両者は接するものの、特に接続するダイヤが組まれているわけではなく、停留所の場所もやや異なる。ただ、歩けばすぐの場所にあるので、上手く組み合わせれば、往復することなく知念半島を一周する周遊ルートを組むこともできる。

●開南経由が集まる上泉バス停

7/28(土)、9:30。僕とO君は、ゆいレール旭橋駅近くのホテルを出た。まずは那覇バスターミナルの仮案内所で沖縄路線バス周遊パス(1日券2,500円・ゆいレール24時間券追加で3,000円)を購入し、それから上泉バス停へ向かうことにした。

仮案内所はゆいレール旭橋駅のデッキを降りてすぐ下にあった。工事中のバスターミナルの傍らにプレハブの小さな建物があり、この中に窓口が入っていた。フリーパスや定期券の購入のほか、OKICA関係の取り扱いもしているよう。窓口が別個に別れているのではなく、大手4社共通となっているのは、特に観光客には好ましい配慮だ。仮案内所から当時の【38】志喜屋線の始発、上泉バス停までは450mほど離れており、工事中のバスターミナルのバリケードを横目に5分ほど歩く。

「上泉」は各社の開南経由のバスが始発終着としているが、「那覇バスターミナル」「バスターミナル前」の三箇所に分散したなかで、最も小規模な存在である。しかし、下り方向では市内線・市外線含めて計26系統が出発するため、目の前のバスに乗らず、目的のバスが来るまで待つ人の姿も多い。そして、始発終着が存在する三箇所のほか、主に市内線が経由する「旭橋」「旭橋駅前」「旭町」のもう三箇所も別個の位置にするため、その案内は複雑を極める。ちなみに、那覇バスターミナルの所在地は「那覇市泉崎」。「上泉」とはおそらく「上泉崎」の略称が定着したものだろう。

那覇を走る路線バスはたいてい国際通りを貫く「牧志経由」か、国道58号をショートカットしていく「久茂地経由」のどちらかに分類されるなかで、上泉発着の「開南経由」はマイナーな存在。開南とは、その名の通り国際通りの300mほど南側のあたりを指す。開南経由のバスは上泉を出発して国際通りの南側を並行して進み、第一牧志公設市場の南450mほどの場所にある「開南」バス停で南へ折れ、与儀で国道330号に合流する経路を辿る。

これを国際通りを貫く牧志経由としてしまうと、乗り降りは便利だが与那原方面へ向かうには三角形の二辺を辿るが如き大回りになり、時間がかかり過ぎる。一方、与那原方面から那覇バスターミナルまで最も短絡ルートとなる「壺川経由」では、国際通りと離れ過ぎるために不便になってしまう。このため、牧志経由と壺川経由の真ん中あたりになる開南経由とすることで、街の中心となる牧志方面へのアクセスを図りつつ、過度な大回りになるのを防いでいる。

開南経由の途中には、牧志・久茂地経由の「県庁北口」に相当する「県庁南口」、牧志経由の「松尾」に相当する「那覇高校前」があり、それぞれ徒歩5分程度の距離を置いて並行している。与那原方面から国際通り牧志のあたりへ直行するには「開南」か「那覇高校前」で降りて5~10分程度歩くのが一番早く、開南経由のバスはこうした需要に支えられているのだろう。

待つこと数分、9:50の定刻に【38】志喜屋線が到着。僕とO君のほか、斎場御嶽へ向かうらしき外国人観光客2名と、地元客3名が乗り込む。上泉からの乗客は都合7名で、土曜の朝にしては思ったほど観光客が少ない。観光客は1時間に1本のバスをあてにするよりも、やはりレンタカーを選んでしまうのだろう。

9:50、上泉発。東陽バス【38】志喜屋線志喜屋行き。終点・志喜屋到着は10:54と、1時間余りのバス旅である。

●風光明媚な知念半島へ

上泉を出発した【38】志喜屋線は、まずは開南へ向けて走り、与那原へのメインルートとなる国道329号からいったん離れていく。リウボウ百貨店や沖縄県庁・那覇市役所の前にある「県庁北口」に対し、開南経由は裏手の「県庁南口」に停車し、ここで1人を乗せた。続く「那覇高校前」でもう1人、牧志の町の裏手にあたる「開南」でも1人を乗せ、開南経由のエリアで3人を乗せた。始発の上泉からの乗車に比べて開南周辺からの乗車が少ないようにも思うが、土曜の午前中ではまだ国際通りは眠っているに等しい。乗車が少ないのも道理だ。

開南交差点を右へ折れ、続く与儀交差点でもう一度右折し、かつての沖縄県営鉄道嘉手納線の跡である国道330号を一旦南下する。与儀交差点すぐにある「与儀十字路」バス停では、上泉から乗っていたお年寄りが早くも下車。上泉(那覇BT)→与儀といった乗車であれば、嘉手納線の跡を辿って南へ迂回する古波蔵こはぐら経由よりも、開南経由の方が短絡ルート。開南経由はこうした短距離利用にも支えられている。

古波蔵交差点を左折してすぐの「古波蔵」で1人を乗せた。今度は嘉手納線でなく与那原線の跡を辿る国道329号を進んでいく。津嘉山・東風平こちんだ方面への路線が分岐していく国場こくばあたりまでが那覇市域。国場では下車だけでなく乗車もあった。ここを過ぎると、下車はたまにあるが乗車は途絶え、乗り降りとも活発な市街地区間を抜けたことが体感できる。ここまで上泉から15分ほど。

国場を過ぎると島尻しまじり南風原町はえばるちょうに入る。本島内陸部に位置し、沖縄県では唯一海に面していない自治体。そのため、国道329号もこのあたりは起伏が多い。道路も片側3車線だったのが2車線へと狭くなり、だんだんとローカル感が出てくる。

ほどなく東海岸の島尻郡与那原町よなばるちょうに入り、上泉から約30分、10:17に与那原へ到着。ここで国道329号が北へ逸れていき、この先も国道329号を辿る【30】泡瀬東線とはここでお別れ。与那原からは終点・志喜屋まで、新たに国道331号を辿る。

次の「与那原町役場入口」バス停近くには沖縄県営鉄道与那原線与那原駅舎が復元されている。当時の県鉄はここが終点であり、那覇と知念方面や東海岸各地を結ぶ中継点となった与那原は、大きく栄えたという。しかし今では住宅街の一角に復元駅舎がぽつんと佇むのみで、賑わいの中心は完全に国道沿いへ移っている。

国道331号は与那原から先も暫く片側2車線を保つが、南城市の旧・島尻郡佐敷町に入った「馬天ばてん入口」から片側1車線に減る。海が近いため路面も砂を含んで埃っぽくなり、急に田舎臭い国道になってくる。窓の外にはサトウキビが揺れ、沖縄の農村部らしい景色が広がってくる。

10:29の「新里しんざと入口」で【39】新原みーばるビーチ線などと分岐し、ここからは【38】志喜屋線の単独区間。この単独区間に旧・佐敷町役場、安座真港、旧・知念村役場、斎場御嶽など、主要施設が集中しているのが興味深いところ。

普通、こうした重要施設までは複数の系統が束になってフリークエントサービスを確保するものだが、ここだけは別。知念半島は山が海の近くまでせり出す険しい地形で、海からいきなり深い谷が切れ込んでいるようなところも多く、海岸を辿る国道331号以外に道がないところも多い。そのため、一度知念半島へ踏み出したら半島を半周する以外のコース取りができず、一本道を進むしかなくなる。そうして一本道を進むのが【38】志喜屋線で、それ以外に知念半島を走る系統がないというわけ。国道331号はまさに知念半島の動脈なのだ。

佐敷を過ぎると、だんだんと沖縄らしい難読のバス停が増えてくる。手登根(てどこん)、屋比久(やびく)、板馬(いたんま)、久手堅(くでけん)といった具合だ。訛っていたり、濁音のつき方が本土とは違ったり、とにかく読み方の法則性を見出すまでに時間がかかる。しかし、そこまで種類が多いわけではないので、一度覚えてしまえば、そのインパクトの強さも相まって、なかなか忘れることはないだろう。

●安座真港から”神の島”久高島へ

上泉から52分、10:42到着の「安座真サンサンビーチ入口」はその名の通りビーチの入口であるが、”神の島”久高島行きのフェリーが出る安座真港の最寄りという機能も持つ。

安座真港から久高島の徳仁とくじん港まで1日6往復、片道15~25分、運賃670~760円の小さな船旅である。沖縄本島の離島の中では珍しく、架橋がないにもかかわらず、本島と同じ南城市に含まれる。これは合併前から同じで、2008年の南城市成立以前は島尻郡知念村に含まれていた。これはおそらく斎場御嶽との縁によるものだ。

久高島が神の島たる所以はここにある。沖縄本島から見て東側に位置する久高島は、琉球王朝の創世神話において、アマミキヨと呼ばれる創造神がはじめに地上に降り立った島とされ、人口180人の島ながら、人々は今でも年間およそ30もの祭祀とともに生活している。かつては琉球国王が直接久高島に渡って祭祀を行っていたそうだが、渡航に危険が伴った時代ゆえ、本島の斎場御嶽から遥拝するように変更されたのだという。

つまり、久高島と斎場御嶽は下社と上社のようなもので、不可分の関係にある。そのため、斎場御嶽が位置する知念村、現・南城市に久高島が含まれるというのは、斎場御嶽と久高島の一体性を保つためには、ごく自然のことというわけだ。

そして、久高島と那覇との往来を考えれば、少しでも那覇に近く、バスも充実している与那原港あたりにフェリーを発着させるのが良いように思うが、これも斎場御嶽から近い安座真港以外に発着させるわけにはいかない…ということが、自ずとわかる。

また、なにも久高島ばかりでなく、「安座真サンサンビーチ」自体も沖縄本島屈指のビーチとして知られ、夏の時期は観光客が多く訪れるところ。したがって【38】志喜屋線でも主要停留所のひとつとされ、観光客や地元客が3名ほど降りていった。荷物を抱えて降りていったあのオジイも、久高島へ渡るのだろうか。

目の前に海が見えているのに「安座真サンサンビーチ前」でなく「入口」なのは、バス停とビーチの間に結構な高低差があるためだ。ビーチが尽きるといきなり険しい山で、とても国道を通せる余裕はない。そのため、山の中腹を切り開いて段をつけ、そうして捻出したわずかな平地にやっと国道を通している。おかげでバスからの眺めは最高なのだが、「前」とすっきり名乗れない微妙な距離感があるのも確か。

その次の「知念海洋レジャーセンター」も観光の要所であり、やはり【38】志喜屋線の主要停留所のひとつ。今回はこの知念海洋レジャーセンターから無人島へと向かうのであるが、せっかくここまで来たので、一旦終点・志喜屋まで向かい、折り返すことにした。

●観光振興と環境保持の両立に悩む斎場御嶽

その次が、いまや【38】志喜屋線で最も観光客を惹きつける存在となった、10:43到着の斎場御嶽入口。整理券と運賃830円きっかりを運賃箱に入れ、待ちかねたように外国人観光客2名が降りていった。日本独特?のワンマンバスにも馴染んでいる様子で、どうやら事前に830円をぴったり用意していたようだ。

外国語のガイドブックにも、ワンマンバスの乗り方が解説されているのだろうか。整理券式のバスに慣れていないヘタな日本人(都市部の均一運賃のバスしか知らない人は少なくない)よりも余程スムーズで、日本人だから大丈夫、外国人だから不慣れ、というものではないということがよくわかる。ネットがこれだけ普及した世の中であれば、日本のバスの乗り方くらい外国でも容易く調べられるだろう。

斎場御嶽入口バス停の周囲は観光客目当ての土産物屋と駐車場が広がり、ある意味よくある観光地の景色。原色の悪目立ちする看板が乱立し、だだっ広い平面駐車場が広がる様子からは、お世辞にも琉球王朝最高の聖地、世界遺産としての荘厳さのような雰囲気は感じにくく、少々がっかりする景色。

ただ、バス停はただの路上ではなく、木製ベンチに木造の上屋が備えられ、雨も凌げる立派なものであった。景観を害している派手な看板を撤去し、駐車場の周囲にガジュマルでも植えて一面の駐車場を覆い隠せば、霊場ならではの雰囲気は取り戻せるであろう。

このような斎場御嶽入口バス停周辺の景観問題、というか観光客の殺到による自然環境や景観の破壊は問題になっているようで、せっかく整備した駐車場が周辺の渋滞を引き起こし、生活道路としての機能を破綻させてしまったために使用停止になるなど、深刻な問題になりつつある。

そして、観光客の殺到は霊場としての斎場御嶽の価値すらも毀損してしまっているらしい。本来であれば琉球国王が久高島を遥拝するために造られた聖地であり、その辺りの事情をよく解さない観光客がドヤドヤと来てよい場所ではないのだ。

「最も問題にすべきは、斎場御嶽を俗化させたのは誰かということである…(中略)…いま斎場御嶽で起こっている問題は、入域を禁止している場所への立ち入り、飲酒・喫煙・湧水池への賽銭、大声での会話、巡拝順序の無視、祈祷者に対する撮影、神域でのフラッシュ撮影などである」(仲村清司著『消えゆく沖縄』より)

だからといって、斎場御嶽の文化的価値は世界遺産に認定するに値するほど高いものであり、観光立県・沖縄にとって、斎場御嶽の価値を守り育てることに意義はないはず。

急激な観光客の増加によって聖地としての御嶽の価値が毀損されているのであれば、一般公開を一時中止して祭祀のみ受け入れる日をもっと設けるべき(現状は年2回、各3日程度)だし、伊勢神宮のように早朝は一般の参拝を禁止するなど、時間帯で区切っても良いだろう。レンタカーの増加によって駐車場が不足しているのであれば、路線バスで来た観光客は運賃相当分の入場券の割引を行って(逆にレンタカーは値上げ)路線バスでの来場を促すなど、もっと戦略的な取り組みが必要だ。

今のままでは、琉球王朝最高の聖地としての荘厳さは保てないし、俗化された斎場御嶽はそのこと自体で自らの価値を落としてしまうだろう。

●風が通り抜けるだけ…終点・志喜屋

斎場御嶽入口を過ぎると、僕らの他には地元客が1名残るだけとなった。ここで乗務員さんにそれぞれ行き先を尋ねられたので、「終点まで」と答える。終点・志喜屋まではあと10分程度であり、ここから先の乗車はまずない。途中乗車を気にしなくて良くなったからか、幾分スピードが上がる。沖縄のバスにしては優秀な部類ではあるが、それでも数分の遅れを出していたので、折り返し遅れを防ぐためにスピードを上げたのか。最後の地元客が「県営知念団地前」で降りると、とうとう残り6停留所間は貸切になってしまった。

いよいよ地形はさらに激しくなり、志喜屋集落のひとつ手前、その名も「山里」集落では、海から深く切れ込んだ谷を迂回していく。橋を架けたらスパンは短くとも、橋脚の高さは相当なものになるため、高い建設費に交通量が見合わないのだろう。

いまや観光スポットとなったニライカナイ橋もこのあたりにあるが、残念ながらニライカナイ橋を通るバスはない。「海へと飛び込んでいくかのような道路」で知られているが、そのような錯覚を起こしそうになるのも無理はない。いきなり山が海岸へと落ち込む地形ゆえに、ニライカナイ橋のような勾配緩和のためのヘアピンカーブが必要になってしまうのだ。なにも観光スポットを作ろうとして作ったわけではない。

志喜屋集落を目前に国道331号を外れ、志喜屋集落の中の細い道へと入っていく。集落のとば口にある最後の停留所・志喜屋入口を過ぎると、ほどなく集落の真ん中にある終点・志喜屋へ、ほぼ定刻の10:59に到着。「え、ここで終点?」と思うほど唐突な終点であり、バスターミナルはおろかポールすら1本しか建っていない。屋根もなかった。ここまで1時間以上かかった長距離路線にしては呆気ない最後であり、僕ら2人を降ろしたバスはさっさとこの先の転回場へと行ってしまった。

* * *

バスが去った志喜屋集落は、遠くでかすかに聞こえる波音と、風が通り抜けるだけ。

(つづく)