「と、都会の電車だ…」
和歌山まであと1時間に迫った、御坊駅の2番線ホーム。そこに滑り込んできた電車は、眩いばかりのステンレス車体に転換クロスシート。車内のLCDでは、芸能人が笑顔を振りまくCM広告が踊っていた。
目次
・長距離向けの113系で短距離運用?
14:16、紀伊田辺着。新宮から2時間51分を共に過ごした105系2両のワンマン電車ともお別れ。紀伊田辺では7分接続で113系2両の普通御坊行きが待ち受ける。紀伊田辺からは複線区間となり、普通・特急とも1時間に1本の地方幹線らしい体裁が漸く整う。14:23、紀伊田辺発。座席はほぼ埋まっており、ボックスシートの入りにくい部分が空いているくらい。意外にも(?)座り込みや座席を占領するようなマナーの悪い学生はおらず、皆行儀よくしているのは気持ちがいい。
接続を取る新宮発紀伊田辺行き(右)・紀伊田辺発御坊行き(左)
103系そっくりの顔が珍しい113系改造車
紀伊田辺までの単線区間とは線路の様子も大きく異なり、113系は複線の線路を流れるように走ってゆく。駅ごとにポイントの振動を受けるでもなく、ガツンゴツンというコイルばね台車の衝撃を受けるでもない。もともと105系は福塩線や可部線、宇部線、小野田線といった地方都市の小路線の運用を想定し、2両・3扉・ロングシート・便所なしを基本としており、長時間の乗車には向いていない。そのような短距離向けの105系を長距離運用となる新宮〜紀伊田辺間に充て、本来中距離向けの113系を紀伊田辺〜御坊間の片道45分の短距離往復運用に充てるのは逆ではないのか、という気もするが、113系の2両編成が2本しか配置がないため、仕方なくこうなっているのかもしれない。ただ、さっきまで乗ってきた新宮発紀伊田辺行きは途中駅で特急に抜かれることなく先着するので、かなりの長距離利用も多かった。長距離利用も多い区間に短距離向けの105系を充てるのは不適切と思うが、もはや普通列車の長距離利用といった利用者そのものがほとんどいないのだろうか。東北地方の普通列車を軒並み置き換えた2両・3扉・オールロングシートの701系に向けられる批判と同じ構図が、紀勢本線の105系にも当てはまるだろう。
紀伊田辺以北の複線区間にも波打ち際を走る区間が(南部〜岩代)
普通御坊行きの113系は、113系らしからぬ103系の顔を持つ改造車という点を除けば、扉横に2席のロングシートを配し、扉間に4席ボックスシートを2組配置してあるといった、オーソドックスな113系近郊型電車のそれであった。複線のために対向列車との待ち合わせ停車もなく、途中駅で少しずつの乗り降りを繰り返し、淡々と走ってゆく。普通御坊行きは御坊まで先着するため、御坊までの乗り通しが多いかと思いきや、紀伊田辺からの乗り通しは半分もいなかった。終始同じくらいの乗車率をキープし、15:08、御坊着。紀伊田辺から45分のショートランナーであった。
折返し御坊発紀伊田辺行きとなり、和歌山発御坊行き到着を待つ
・御坊駅での巧みな待避・折り返し接続
御坊からは25分接続で御坊始発の普通和歌山行きに乗り換え。やや接続時間が開くが、この間に特急くろしお24号が新大阪行きが先発していく。紀伊田辺方から3番線、和歌山方から2番線に折り返し列車が到着し、それぞれ対面で接続する間に、1番線を上り特急が発着し、先発していく。JRだけを見ても上下普通の接続と上り特急の待避を同時に行っており、これだけでも2面3線の限られた接続を最大限に活用する好ましい運用方法に思うが、御坊駅の場合はこれに加えて紀州鉄道線の接続まで加わるから驚く。
御坊駅は御坊市街の町外れに位置し、中心市街地は紀州鉄道線に乗り換えて2駅先の紀伊御坊駅、御坊市役所最寄りは3駅先の市役所前駅となる。4駅先の西御坊駅はもう終点であり、全線乗っても2.7kmの小さな鉄道。御坊駅と御坊市街の連絡に徹しており、こういった環境にあるミニ路線にしては珍しく、1時間に1本の運転間隔を保っている。
紀州鉄道用0番線には駅名標すらなく、あるのはこの看板一枚
上りホームの片隅にある紀州鉄道用0番線。ホーム高さが違う
御坊駅における紀勢本線と紀州鉄道の接続をまとめると、以下のようになる。
- 15:08 紀勢本線 紀伊田辺発普通御坊行きが3番線に到着
- 15:13 紀勢本線 新宮発特急新大阪行きが1番線に到着・出発
- 15:18 紀州鉄道 西御坊発御坊行きが0番線に到着
- 15:22 紀勢本線 和歌山発普通御坊行きが2番線に到着
- 15:24 紀勢本線 御坊発普通紀伊田辺行きが3番線から折り返し出発
- 15:27 紀州鉄道 御坊発西御坊行きが0番線から折り返し出発
- 15:33 紀勢本線 御坊発普通和歌山行きが2番線から折り返し出発
たった25分の間に、これだけの接続がすべてなされているから驚く。T字に乗り入れる各路線のうち、紀州鉄道→紀勢本線上り特急以外はすべて接続しているのだ。どの方面から来てもいずれの2方面へ必ず接続しているというのは、綿密なダイヤ調整の賜物だろう。紀州鉄道は概ね紀勢本線の上下普通に接続しており、その分特急との接続は犠牲になっているようす。特急の利用者は御坊駅までクルマで乗り付けるのだろうが、普通列車の利用者は通学客が中心であり、クルマを持たない彼らが頼りにする普通列車を優先しているのだろう。列車本数が限られる路線同士であるからこその、きめ細やかな接続体系が維持されているのは、公共交通機関のネットワークを考える上でも非常に好ましい。しかしながら、こうしたミニ路線が今日まで維持されているのは、御坊とは縁もゆかりもない不動産会社による地域貢献の賜物なのだと思うと、それはそれで複雑な思いもしてくる。
1番線に特急くろしおが到着。普通列車を待たせ新大阪へと急ぐ
・人口3万足らずの”市内電車”紀州鉄道
紀勢本線のスター、オーシャンアロー283系の特急が先発していくのを見届けると、紀州鉄道が発着する0番線のか細い線路に、1両きりの気動車がやってきた。
信楽高原鉄道SKR301号改め、紀州鉄道KR301号である。1995年に信楽高原鉄道でデビューした際はShigaraki Kogen Railwayの頭文字をとってSKR301号を名乗っていた。しかし新型車両の導入でお役御免となって2015年に紀州鉄道が譲り受けた際、偶然同社がKishu RailwayだったためにSだけ外してKR301号になったもの。なんと合理的な付番方法だろう。他に1992年製のKR205号がいるが、この2両が紀州鉄道の全車両である。全線2.7km、所要8分とあっては途中に交換駅もなく、2両運転となることもないので、どちらかが運用されている時はもう一方は紀伊御坊駅の車庫で予備として待機している。
宮子姫とは御坊に伝わる伝説の美女
信楽の「S」が外された車番。不思議な縁である
接近放送もなく、ガラガラと音を立てて行き止まりの0番線に到着したKR301号からは、数人の乗客が降りてきた。当然和歌山方面が多いが、紀伊田辺方面へ乗り換える人もいる。そして、折り返し西御坊行きとなるKR301号に乗り込む人もちらほら。数人の乗客を乗せ、わずか9分の折り返しでKR301号は西御坊へと出発。極めてゆっくりとしたスピードで急カーブを曲がり、御坊市街地へと向かってゆく。
全線2.7kmのミニ路線ながら、市街地からやや離れた駅と市街地を結ぶ役割を立派に果たす紀州鉄道。こういった幹線の駅から離れた市街地を結ぶ小さな支線は、旧国鉄だけでも篠山線(福知山線篠山口〜篠山間5.0km)、鍛冶屋線(加古川線西脇市[旧・野村]〜西脇間1.6km)、小松島線(牟岐線中田〜小松島間1.9km)など、かつては全国に存在した。ところが、国鉄改革と前後するタイミングで「非効率な短距離支線」と看做され、これら小さな支線はその多くが廃止されていった。また、大都市では新設された幹線に飲み込まれるケースもあり、かつての東海道本線支線(横浜〜桜木町間2.0km)はその代表的な例だ。横浜〜桜木町間は、東海道本線からやや離れた横浜駅と、神奈川県庁・横浜市役所をはじめとする横浜港付近の中心市街地を結ぶ役割を果たす行き止まりの支線であったが、これを延長する形で根岸線が開通したことで、横浜〜桜木町間もろとも根岸線に飲み込まれたというわけ。
地方ではバス転換が進み、都市内では発展解消されるなどして、こうした「市街地連絡線」はその多くが姿を消した。今なお地方で健在の「市街地連絡線」といえば、伊賀鉄道伊賀線(関西本線伊賀上野〜上野市間3.9km)、岳南鉄道岳南線(東海道本線吉原〜吉原本町間2.7km)など、もはや数える程しかない。こうした路線は、その性格から幹線との接続が至上命題であり、接続列車を確保するために運転本数が地方にしては多めであることも特筆される。今時、地方にありながら1時間1本の運転本数を確保することも難しくなってきているなかで、紀州鉄道も含め、1時間1本を切ることはない。
※本項の路線・区間は市街地連絡の性格が強い区間を抜粋しており、実際の区間とは一部異なります。
ただ、紀州鉄道が伊賀線や岳南線と異なる点があるとすれば、紀州鉄道が走る御坊市の人口(27,000人)が、伊賀線が走る伊賀市(88,000人)、富士市(245,000人)に比べても非常に少ない点であろう。これは、全国の例に漏れず経営難に陥っていた旧・御坊臨港鉄道を、東京の不動産会社が「鉄道会社のネームバリュー」欲しさに買収したもの。紀州鉄道の本社は御坊や和歌山ではなく東京都中央区日本橋で、那須や軽井沢などの別荘地における不動産事業が本業である。そのため、紀州鉄道における鉄道事業は会社による地元への貢献といった意味合いが非常に強く、仮に御坊臨港鉄道のままであったら早晩廃止されていたことであろう。御坊に小さな鉄道が残った背景には、こうした数奇な歴史に翻弄された過去があった。
かつては名実ともに日本一のミニ鉄道であった紀州鉄道であるが、2002年の芝山鉄道線(千葉県・東成田駅〜芝山千代田駅間2.2km)の開通によって、その座を明け渡すことになった。とはいえ、芝山鉄道線は全ての列車が京成線と直通運転を行なっており、朝夕には京成線を通り越して都営浅草線、更には京急線に乗り入れる列車まであり、実質的には京成線の延長である。そのため、短区間をひたすら往復し続けるという意味においては、紀州鉄道は今でも日本一のミニ鉄道ではないかと思う。
ともあれ、紀州鉄道はそんな歴史や経緯などお構いなく、今日も御坊の駅と市街地を結び、小さな気動車がトコトコと走っている。今回は時間の関係で乗車は叶わなかったが、今後和歌山を訪れる機会があれば、ぜひ紀州鉄道の小さな気動車に揺られてみたいものだ。
・”都会の電車”に揺られて和歌山へ
紀州鉄道の小さな気動車を観察しているうち、和歌山方から折り返し和歌山行きがやってきた。てっきりこれまでと同じような無骨な国鉄型電車がやってくるかと思っていたが、和歌山行きは白く眩しく光るヘッドランプを光らせている。驚くことに、阪和線・関西空港線と共通の、JR西日本最新の電車、転換クロスシートを載せた227系4両編成がやってきたのだ。
227系の和歌山発御坊行きが到着。隣の紀伊田辺行きへは2分接続
折り返し和歌山行きとなる227系。フルカラーLEDが眩しい
これまでの105系や113系と異なり、227系に乗り込んで驚くのは、その内装の上質さと居住性の高さ。厚手のクッションに覆われた転換クロスシートは座り心地が非常によく、適度に身体が沈み込む。走り出してもガクガクとした前後動やビビリ振動もなく、本当に滑るように走ってゆく。紀伊田辺からの113系ですら線路規格が高いために乗り心地が良いと感じていたが、御坊からはそれまでとは段違いの快適性。車内には”都会の電車の象徴”LCD画面も当然設置されており、広告の動画も流れている。車両の良さも相まって、鉄道技術の進歩を感じずにはおれなかった。
都会の電車ならではのLCD画面。大都市は近い
御坊までに比べあまりに快適な車内であった上、6時台から列車に乗り続けていることの疲労が重なり、御坊出発から程なくして眠りに落ちてしまった。御坊から和歌山まで約1時間、途中駅での特急待避もなく、和歌山の近郊電車としてそれなりに乗降も多かったことは覚えている。御坊までは2両編成が1時間1本だったが、御坊からは4両編成が1時間2本の運転になる。輸送力にして4倍の差があり、それに恥じぬ利用がある。ただ、和歌山まであと5駅に迫った海南までは特急停車駅を除きICカード非対応。4両編成が30分間隔で走る路線にしては設備投資が遅れている印象も否めない。御坊〜海南間よりも運転本数が少ない草津線貴生川〜柘植間や、桜井線高田〜桜井間ですらICカードには対応しているのだが…。和歌山県内へのJR線は、大阪からの阪和線か、奈良からの和歌山線に限られることもあり、他のICOCAエリアに跨っての利用が相対的に少ないことも影響しているのだろうか。定期券近畿圏の大都市区間とはまた違った事情があるようだ。
高架駅の海南を出ると、だんだんとビルやマンションが取り囲む中へと入っていく。最後の停車駅、宮前を出る頃には通路まで立客が大勢といった状況になり、16:36の定刻に和歌山へ到着。片側3扉のドアが一斉に開き、ドヤドヤと乗客が降りていく。半数は足早に改札を抜けていくが、もう半数は大阪方面への紀州路快速へと乗り換えていく。和歌山を素通りして大阪方面への流れも強いようで、今の和歌山が置かれた状況も浮かび上がってくる。
特急くろしおが発着するホームでは歓迎の大看板が出迎える
多くの列車が表示された電光掲示。流石は県下最大のターミナル
県下唯一の近鉄百貨店とホテルが隣接。行き交う人々も多い
・我こそ「紀勢線」”きのくに線“に非ず!市街地を囲む紀勢本線和歌山市支線
紀勢本線は和歌山に着いてもあと2駅先がある。和歌山市街地北端にある紀和(きわ)駅を経て、南海電鉄南海線のターミナル駅である和歌山市駅に至る支線がそれ。JR西日本管内の新宮〜和歌山間は「きのくに線」との愛称がつき、基本的にきのくに線と案内されているが、この区間はきのくに線ではない。従って、和歌山駅において「紀勢線」とは御坊・紀伊田辺・新宮方面ではなく、和歌山市行きの短距離列車の名称として扱われているのは、なんとも興味深い。紀=紀伊はともかく、勢=伊勢にはかすりもしていないではないか。和歌山駅における「きのくに線」と「紀勢線」の関係は、関東でいえば黒磯駅の「宇都宮線」と「東北本線」の関係に近い。
かつての「紀勢線」は南海線と白浜や新宮を結ぶ観光列車が多数行き来し、幹線的な性格を持った区間であった。しかし現在は御坊方面との直通列車はなく、もっぱら和歌山〜和歌山市間のピストン列車が1時間1〜2本往復するのみ。車両も和歌山線と共通の105系ワンマン車の2両であり、和歌山駅のホームも和歌山線と共通なので、和歌山線の一部区間のような状況にある。この区間は和歌山市役所などの中心部を経由して和歌山駅〜和歌山市駅を結ぶバスが10分間隔で頻発しており、1時間1〜2本の電車を選ぶ乗客は多くない。
県内で「紀勢線」を名乗るのはここだけだが、ナンバリングからも漏れた地味な存在
「きわ」は紀勢線の紀和、「たいのせ」は和歌山線の田井ノ瀬を指す
左は20:28発和歌山線王寺行き、右は20:16発紀勢線和歌山市行き
和歌山駅で最も改札から遠い8番ホームにやってきた和歌山市行きは、やはり105系の4扉・2両編成。和歌山市行きを待つ乗客は通学客が多い。JRであるために阪和線や紀勢本線、和歌山線とは運賃の通算が効くことから、運賃の安さにシビアな通学客は敢えて電車を選ぶのだろう。発車前には座席が埋まり、少々の立客も出る。全線乗っても7分なので、座ることに拘らない乗客もいるだろう。唯一の途中駅・紀和駅での乗降は殆どなく、ほぼ全員が和歌山駅←→和歌山市駅間の利用であった。
常磐線・千代田線直通用として生まれながらも遠く和歌山に落ち着いた。数奇な歴史を持つ105系
103系そのものの側面。初期車のため方向幕すらない。歴史を今に伝えるが置換が発表された
東京で10両編成を組み、地下鉄へ乗り入れていた頃の面影が残る
和歌山市駅でも南海線の片隅のような場所に到着し、迷路のような細い通路を辿って南海の改札口から外へ。かつて和歌山高島屋が入居していた大きな駅ビルは持て余し気味で、暗闇に浮かぶ大きな駅舎はどこか薄気味悪さを感じた。
1時間1〜2本の消極的ダイヤであっても思いのほか利用は多かった和歌山市支線。運賃が安いばかりでなく、時間が合いさえすればバスよりも速く(電車7分・バス11分)、メリットを感じる乗客も少なくないのだろう。和歌山市では、和歌山駅で接続する貴志川線をこの線に乗り入れさせるプランを温めており、市街を取り囲む半環状線ならではの秘めたるポテンシャルも感じないではなかった。
終点和歌山市。JR専用のホームだが様式は完全に南海流だ
JR和歌山行きは”JR線”接続先もきのくに線でなく”紀勢本線“
南海線ホームからはなんば行きが頻発する
伊勢市を6:29に出てから約12時間。ようやく、いや本当にようやく、本日のお宿・和歌山市に到着。
紀伊半島は大きく、大きく、本当に大きかった。
(つづく)