関西

【和歌山】日本一心豊かなローカル線の素顔――和歌山電鐵貴志川線 #21

「キャー、この電車カワイイ!!」…さまざまな電車に乗ってきた自分ではあるが、見た瞬間に「カワイイ!!」なんて女性に声を掛けられる電車なんて初めてだ。白い車体に赤いイチゴをあしらったイチゴミルクそのものの電車が、和歌山駅9番線で愛想を振りまいている。

f:id:stationoffice:20180720165033j:image和歌山駅で発車を待つ”いちご電車伊太祈曽行き

・”ローカル線のトップランナー貴志川線

前回、紀勢本線和歌山駅に到着し、そのまま和歌山市行きに乗り換えたような展開をしたが、実はその前に貴志川線に寄り道をしていた。”ローカル線のトップランナー“として名高い貴志川線だけに思うところが多くあり、とても前回の記事内には収まらず、貴志川線は別記事に分割することにしたというわけ。さて、さっそく和歌山駅から貴志川線の旅を始めよう。

f:id:stationoffice:20180720165226j:image南海スタイルの駅名標が残る和歌山駅

貴志川線和歌山駅の改札口から最も離れた9番線に発着する。改札口はJRと共用…というかJRに委託しており、貴志川線ホーム端に中間改札と窓口を設けることで対応している。貴志川線の玄関となる場所であり、ここで一日乗車券やグッズの販売、ICカードの精算(貴志川線はIC非対応のため)などを一手に引き受けるが、あまり広くはないホーム幅のさらに半分程度に押し込められた窓口は、いかにも狭い。しかし、入場・出場各1通路で足りる程度しか乗客の波がないという実態も示していよう。

窓口で一日乗車券(780円)を買い求め、有人改札で入鋏を受ける。終点・貴志まで14.3kmの運賃は400円なので、貴志まで往復するなら一日乗車券の方が安い始末。裏を返せば、貴志から和歌山まで”普通運賃を払って出る人”がそれだけいないということか。或いは、普通運賃を払って出る人はいるが、その普通運賃が割高であるということか。まあ、その両方なんだろう。

ちなみに、紀の川の対岸を貴志川線と並行して走るJR和歌山線であるが、和歌山から13.3kmの岩出駅までは普通21分(快速14分)、240円で着く。一つ先、15.5kmの下井阪駅までは320円・25分で着き、どちらも貴志川線より速く、運賃も安い。JR西日本の中ではローカル線に分類される和歌山線であるが、和歌山県内で最も拓けた紀の川筋に沿い、岩出市紀の川市(旧打田町・粉河町)、橋本市といった諸都市を結び、朝夕には快速も運転されるなど、県内においては重要な位置を占める。和歌山から21.5kmの粉河まではきのくに線(紀勢本線)普通と同等の2本/hの普通が走り、和歌山の近郊路線として立派に機能している。5〜6kmの距離をおいて並行する貴志川線和歌山線は、一種のライバル関係にあると言えよう。

貴志川線は、和歌山線きのくに線と違って都市間輸送や行楽輸送の役割は少ないものの、JR各線と同等の普通2本/hを確保し、ラッシュ時には伊太祈曽折り返しが1〜2本/h加わるという都市近郊鉄道としてはまずまずのダイヤであり、終電車も和歌山23:40発貴志行きと遅くまで走ることから、うらぶれたローカル線のイメージは薄い。終日にわたり様々な客層の利用が見られ、生き生きとした地方私鉄の有り様を今に見せてくれる。

そして、観光地らしい観光地を沿線に持たないはずの貴志川線に、「この電車カワイイ!!」と言わしめるほどの観光客をもたらし、ひいては貴志川線和歌山県全土にその効果を波及させつつあるのが、貴志川線を運営する和歌山電鐵が打ち出す施策の数々である。それら取り組みについての詳述は別項に譲るが、ここでは鉄道趣味者から見た貴志川線の印象を綴って行きたいと思う。

・”いちご電車“に揺られて

貴志川線のホームに立つと、「いちご電車」が扉を開けて乗客を待っていた。元南海車らしいヘッドライトはそのままだが、車体の随所にいちごがあしらわれ、なんとクーラーのキセまでいちご色。白い車体に点々と赤いいちごが浮かぶ様は、なるほどいちごミルクそのものだ。

f:id:stationoffice:20180720165405j:image入り口からしていちごの香りが漂ってきそう
f:id:stationoffice:20180720165401j:imageクーラーのキセがいいアクセントになっている

車内に入ると、ごく普通のロングシートが並んでいるばかりであるが、驚くべきはその内装。床にはフローリング板が敷き詰められ、座席のモケットはポップないちご柄、つり革は木製。連結面寄りには小さなテーブルも据え付けられ、これならイベント対応も容易だろう。

f:id:stationoffice:20180720165620j:image見た目は派手だが構造はごく普通のロングシート
f:id:stationoffice:20180720165611j:image車端部にはカウンター風のテーブルもある
f:id:stationoffice:20180720165615j:image改装費を拠出したサポーターの名が連なる。関心は高い

いちご電車」が走り始めたのは2006年。それまで貴志川線を運営していた南海電鉄が赤字のため撤退することになり、その引き受け先として名乗りを上げたのが、遠く岡山で路面電車を走らせる岡山電気軌道。社長の小嶋氏はかねてより地方鉄道の衰退に危機感を募らせており、人口35万の和歌山市に直結する路線であれば、やり方次第で存続は十分可能と踏んだそう。そして岡山電気軌道側の動きに合わせ、沿線自治体が線路や駅などの鉄道用地を南海から買い上げて上下分離方式に移行し、新会社の負担を軽減させている。こうして岡山電気軌道の100%子会社として和歌山電鐵が設立され、2006年4月1日に南海から貴志川線の運営を引き継いだ。

4月1日の時点では「南海」「NANKAI」の字を消しただけで、特にこれといった変化もないスタートであったが、新会社発足から4ヶ月後、8月から走り始めたデザイナーズ電車第一号こそが「いちご電車」というわけ。デザイナーはJR九州ばかりでなく岡山電気軌道とも関わりが深い水戸岡鋭治氏。いちご電車は、新会社のスタートを沿線住民に強烈にアピールする、貴志川線のイメージリーダーの役目を果たすことになった。これといった観光地もなかった沿線の「いちご農園」にスポットライトを当て、「いちご電車でいちご狩りへ」と、まずは沿線住民を誘う。「沿線住民に乗ってもらえる電車」になることで、観光客に頼らない日常利用を増やし、まずは足腰を鍛える。新会社の狙いはここにあっただろう。

それまで南海本線高野線の中古車両が回ってくるばかりで、設備投資もままならない、古くて汚い田舎電車に過ぎなかった貴志川線に、既存車両のリニューアルとはいえ、センスあふれるデザイナーズ電車が走り始めたのだから、その宣伝効果は絶大だった。今となっては貴志川線のデザイナーズ電車たちの中ではやや大人しめの存在になってしまったが、貴志川線のイメージを変えたパイオニアとして、いちご電車は今日も地元客に観光客を乗せて走っている。

16:49、和歌山発。和歌山電鐵貴志川線普通伊太祈曽(いだきそ)行き。まずは夕方の増発列車である伊太祈曽止まりに乗り、沿線の様子を見てみよう。

・増発/等間隔化への課題:交換駅移設を

和歌山の次、田中口駅は市街地続きの密集した住宅街の中。二つ目の日前宮(にちぜんぐう)駅は最初の交換駅で、上り和歌山行きと交換する。貴志川線和歌山駅ホームは1面1線のみなので、上り和歌山行きが日前宮を出て、折り返し下り電車となって日前宮に戻ってくるまでが貴志川線の最短運転間隔になる。和歌山〜日前宮間は4〜5分といったところで、折り返し時間5分を入れても15分間隔運転は可能だろう。しかし、日前宮の次の交換駅は神前(こうざき)、竈山(かまやま)、交通センター前を経た4駅先の岡崎前駅まで無く、この間8分を要する。このため、この8分×2に交換余裕の1分を加えた17分が貴志川線の最短運転間隔であり、朝7・8時台は16〜18分間隔での運転となっている。

f:id:stationoffice:20180720170000j:image日前宮で上下列車が交換。対向は南海色を残す一般車
f:id:stationoffice:20180720165956j:image旧スタイルの駅名標が残る

データイム10〜12・14〜15時こそ和歌山発貴志行きの発車が25・55発に揃えられているものの(13時台のみ伊太祈曽折り返しが1本割り込むため若干崩れる)、それ以外の時間帯は運転間隔が60の約数でないため、「和歌山発毎時X分」という覚え方ができない。さりとて時刻表要らずの頻発運転とも言えない本数なのが、今の貴志川線の苦しいところだ。

このように、日前宮〜岡崎前間に交換駅が無いことが列車増発・等間隔運転化の障害になっているため、岡崎前の交換設備を1つ和歌山寄りの交通センター前へ移設してはどうだろうか。交通センター前駅は南側に隣接する和歌山県運転試験場や和歌山交通公園の最寄駅として、南海時代末期の1999年に開業した新駅であり、敷地には余裕がある。交通センター前駅に交換設備が移動すれば、和歌山←(5分)→日前宮←(6分)→交通センター前←(6分)→伊太祈曽←(12分)→貴志と、和歌山〜伊太祈曽間の交換駅の間隔がほぼ一定になる。交換余裕を加味しても和歌山〜伊太祈曽間の15分間隔運転、伊太祈曽〜貴志間の30分間隔運転(これは現行通り)が可能になり、増発・等間隔化が叶う。和歌山発を00・15・30・45発に揃え、00・30発は貴志行き、15・45発は伊太祈曽折り返しとすれば、覚えやすく便利なダイヤになる。また、和歌山で接続する阪和線が15分間隔、きのくに線(紀勢本線)・和歌山線が30分間隔での運転なので、和歌山駅での接続改善にも繋がるだろう。

現状、日中ダイヤは和歌山〜貴志間の全線運転が30分間隔だが、伊太祈曽折り返しの区間列車が加わる朝夕ラッシュ時は、和歌山〜伊太祈曽間が16〜18分間隔運転のため、伊太祈曽〜貴志間が最低34分間隔(17×2)となり、却って日中よりも運転間隔が長くなってしまっている。末端区間のサービス改善のためにも、ぜひ取り組んでもらいたいところだ。

貴志川線の中枢:伊太祈曽駅

岡崎前で2本目の上り和歌山行きと交換。和歌山16:49発の伊太祈曽行きはここまであまり大きな下車は無く、各駅で2〜3人ずつ降りていくといった小幅な動きしかなかったが、次の吉礼(きれ)で20人程度が一気に降りた。地図を見ると商店街や団地に囲まれており、駅前に止めてある自転車の数も多い。自転車で駅まで来て電車に乗り継ぐという都市型のスタイルが定着しているようで、言い換えればそれが成立するレベルの需要はあるということになるだろう。吉礼で多くの乗客を降ろした伊太祈曽行きは回送列車同然になってしまい、自分の他にもう1人だけの乗客を乗せ、17:09に終点・伊太祈曽に到着。和歌山から20分の短距離列車だった。いちご電車は折り返し和歌山行きとなり、僅か6分後の17:15に出発。

f:id:stationoffice:20180720170231j:image伊太祈曽到着。折り返し上り和歌山行きになる
f:id:stationoffice:20180720170227j:image2両編成がギリギリ収まる小さなホーム
f:id:stationoffice:20180720170223j:image旧字体が残る駅名標

いちご電車のポップな見た目は観光列車だが、その使われ方は日常の通勤通学列車そのもの。混雑に備えて収容力のあるロングシートの構造を維持しつつ、普段電車に乗らない地元住民や観光客へのアピールのために内外装のデザインを一新するという、実用と美観の両立をうまく図っている様子が窺えた。

伊太祈曽駅はその名の通り「伊太祁曽神社」の最寄駅。貴志川線はこの伊太祁曽神社と、竈山神社(竈山駅)、日前宮(日前宮駅)の3つの著名な神社を結んでおり、貴志川線開通の目的も和歌山近郊で「三社参り」を可能にするというものだった。駅名は伊太「祈」曽、神社名は伊太「祁」曽と表記が異なるのは、2006年の南海からの経営移管時、常用漢字外だった「祁」を、常用漢字の「祈」に変更したことによる。

f:id:stationoffice:20180720170719j:image伊太祈曽の住宅街を走る貴志川線

貴志川線の前身である山東軽便鉄道(さんどう─)が開通したのは1916年と、寺社参詣のための鉄道という意味では伊勢神宮を目指した近鉄山田線(1930年)や、成田山新勝寺を目指した京成本線(1925年)よりも開業が早く、当時の寺社参詣がいかに鉄道の需要源として重要視されていたかがわかるし、参詣鉄道の開業の早さという意味では、当時の和歌山市の先進性も窺い知ることができる。紀州徳川家のお膝元であった江戸期の和歌山市は、現在の和歌山市のプレゼンスよりもずっと高かった。山東軽便鉄道が開通した明治期はまだその文化が色濃く残っていたし、南海線はあったが阪和線が開通する前であり、大阪の経済力の影響を強く受ける前段階だったからだ。

f:id:stationoffice:20180720170851j:image立派な石鳥居が立つ伊太祁曽神社
f:id:stationoffice:20180720170839j:image
f:id:stationoffice:20180720170845j:imageこの神社を目指して貴志川線は開通した

・外も中もネコだらけな”たま電車”

一旦伊太祈曽17:32発の貴志発上り和歌山行きで和歌山まで戻る。目的は本日2本目のデザイナーズ電車、「たま電車」に乗るためだ。

f:id:stationoffice:20180720171237j:image伊太祈曽に到着するたま電車

貴志川線の「たま駅長」は、貴志川線を観光路線に仕立て上げた立役者として知られる。貴志駅は2006年の経営移管時に無人駅となり、駅舎取り壊しが検討されていた。駅舎に住み着いていた三毛猫「たま」の行き場がなくなることを案じた駅売店の店主らが、和歌山電鐵の社長に直談判したところ「たまを駅長にすれば退去しなくてよくなる」というアイデアをもって、2007年にたまが貴志駅長に就任。それ以降「電車の乗客を出迎えるネコ駅長『たま』」が評判となり、たま駅長目当ての観光客が増加。ついには貴志川線の客招きネコとしての業績を評価され、県から表彰されたり、果ては貴志駅舎が観光の中心となるべく「たまミュージアム」として2010年に建て替えられるに至っている。2015年にたま駅長は亡くなったが、それ以降も二代目三代目四代目のネコ駅長たちが後任にあたり、貴志川線の客招きネコとして日々奮闘している。

「たま電車」は、たま駅長ブームに沸く2009年に登場した。車体の内外装ともイラスト化されたたま駅長で埋め尽くされており、ネコの顔に見立てた電車の正面にはネコ耳とネコひげがあしらわれている。車内もたま駅長が乗車する時のためのケージがあったり、和歌山電鐵関連の書籍を公開している書棚があったり。たま駅長をはじめ貴志川線を強力にPRする電車となっているが、そこは観光列車でありながらも通勤通学列車が第一なので、ロングシートで収容力に富む構造は変わっていない。

f:id:stationoffice:20180720171412j:imageネコ耳とネコひげが生えたたま電車。愛嬌ある顔だ
f:id:stationoffice:20180720171417j:image足跡につられて車内へ
f:id:stationoffice:20180720171421j:imageどこもかしこもたま駅長だらけ
f:id:stationoffice:20180720171433j:image
f:id:stationoffice:20180720171429j:imageでも車内はロングシート
f:id:stationoffice:20180720171426j:image書棚もあるロングシート電車なんてここくらいだろう
f:id:stationoffice:20180720171437j:image車端部にはたま駅長ののれんがかかる

観光列車に寄り過ぎると日常のラッシュ時に使いにくくなってしまうし、通勤通学に寄り過ぎても今度はPR力が弱くなってしまう。相反する両者の性格をうまく両立させる力加減が、デザイナーの力量に依るところなのだろう。水戸岡デザインの電車には批判もあるが、自分としてはこれらの要求をうまく満たす力量に富む、素晴らしいデザイナーズ電車たちだと思う。

伊太祈曽を17:32に出た上り和歌山行きは、下りと同じく吉礼でやや多くの乗客を乗せ、その後も各駅でポツポツと乗客を集め、17:52に和歌山に到着。たま電車は折り返し18:00発の下り伊太祈曽行きとなり、家路を急ぐ学生や通勤客を乗せる。この時間とあっては、乗客たちはたま電車に目もくれない。これだけ強烈なインパクトを持つ電車なのに全く注目を集めないというのも、日常的に利用する定期客ばかりということを示していよう。電車の見た目と乗客の無関心ぶりのギャップが凄まじい。

・キスアンドライドが集中する貴志駅

和歌山18:00発の下り伊太祈曽行きとなったたま電車は、終点伊太祈曽に18:20に到着。折り返し上り和歌山行きとはならず、たま電車はそのまま車庫に引き上げていき、その様子を観察。18分後に続行してくる貴志行きを待つ。

f:id:stationoffice:20180720171738j:image下りホームに到着した伊太祈曽止まり
f:id:stationoffice:20180720171753j:image一旦下り貴志方の本線に引き上げて方向転換、上りホームへ転線
f:id:stationoffice:20180720171729j:image上りホームを行き過ぎた点で再度方向転換
f:id:stationoffice:20180720171735j:image誘導に従って車庫へ
f:id:stationoffice:20180720171743j:image留置線へ進む
f:id:stationoffice:20180720171749j:image車庫に収まったたま電車。明日の出番を待つ

和歌山18:18発→伊太祈曽18:41発の下り貴志行きは本日のデザイナーズ電車3本目、「うめ星電車」だった。和歌山すなわち紀州といえば紀州南高梅、という和歌山を代表する産物の名を冠した電車の中には、梅干しだけでなく漆器、日本酒、備長炭など、広く和歌山県全土の産物をPRするショーケースが設置されていた。うめ星電車のデビューは2016年と、デザイナーズ電車シリーズの中では一番新しいということもあり、車内のフローリング(水戸岡デザインといえばやはりフローリングなのか)もピカピカだ。途中駅での下車は少なく、座席を埋めた顔ぶれは貴志まであまり変わらなかった。和歌山から35分、伊太祈曽から12分を経て、18:53に終点・貴志に到着。

f:id:stationoffice:20180720172219j:image貴志に到着したうめ星電車
f:id:stationoffice:20180720172212j:imageリニューアルしたばかりの車内
f:id:stationoffice:20180720172223j:imageのれんでも梅干しをPR
f:id:stationoffice:20180720172215j:image電車内とは思えないショーケース

たまミュージアムとなった貴志駅だが、さすがにこの時間では観光客やそれに対応する駅係員の姿はなく、無人駅と同様に前扉から降車。待合室の機能も兼ねる「たまカフェ」は9:15〜17:45の営業(LO17:15)であり、この時間では真っ暗だ。たま駅長関連の展示に目を止めるのは自分くらいなもので、皆足早に駅舎を抜けていく。自分もその流れに乗って駅舎を出ると、狭い駅前を送迎の車が埋め尽くしているのに驚く。

f:id:stationoffice:20180720172509j:image貴志駅前に並ぶキスアンドライドのクルマ
f:id:stationoffice:20180720172518j:imageステンドグラスにもたま駅長
f:id:stationoffice:20180720172514j:image時刻表にもたま駅長
f:id:stationoffice:20180720172506j:image観光客へ電車での来駅を促す案内

貴志駅は旧貴志川町役場(現・紀の川市貴志川支所)と1kmほど離れており、オークワも位置する町の中心にあるとは言えない立地にある。そのため、人口の張り付きも駅付近では弱く、かといって電車・バスの結節輸送が成立するほどのボリュームもない(全ての電車に接続できるほどの本数が確保できない)ため、こうしたキスアンドライドが飛び抜けて目立つのだろう。暗い駅前をクルマのヘッドライトが明々と照らす様は、クルマ社会の真っ只中に生きる鉄道のいまを象徴しているかのようだった。

貴志川線に学ぶ地方鉄道の在り方

貴志川線は、その第一義である和歌山市ベッドタウンを結ぶ通勤通学輸送を安定的に成立させるため、地元住民と観光客へのPRを兼ねるデザイナーズ電車たちを走らせることで、通勤・通学と行楽・観光という、二つの収益源を確保しつつある。事実、たま駅長の奮闘もあって、貴志川線は南海時代とは比べものにならない知名度を得、貴志川線自体が和歌山県全土における観光名所の一つとなるまでに成長した。夕刻の和歌山駅から1時間に3〜4本の電車が立て続けに出発する様子からは、とても「貴志川線の廃止やむなし」という意見は見えないだろう。

f:id:stationoffice:20180720172802j:image終点貴志まで結構な人数が残る。全線利用は少なくない

しかし、その知名度の向上をよそに、貴志川線の地位が安泰になったわけではない。和歌山駅のホームには「沿線住民が1年であと4回(2往復)乗って貴志川線を存続させよう」というスローガンがあり、実績値と目標値の対比を公開している。言い換えれば、単年度ではなんとか収支均衡を果たしているものの、新車導入などの大規模な設備投資が覚束無い状況には変わりないということを示している。貴志川線を走る2270系の元になった南海22000系の製造は1970年と、まもなく製造から50年を迎えようとしているが、置き換えの話は具体化していない。さらに地方都市でも導入が進みつつあるICカード貴志川線では使えず、こうした設備投資の不足は否めない状況にある。言い換えれば、車両のリニューアルや貴志駅舎の建て替えなどの美装化に投資余力を振り向けてしまい、ICカード導入などの機能向上に結びついていないということも言えるかもしれない。

f:id:stationoffice:20180720172945j:imageここまで詳細な利用状況を公開しているのは珍しい

だが、こうして貴志川線の地位が向上した今こそ、貴志川線に対する近代化投資に、行政のバックアップがあって然るべきだろう。懸案となっている紀勢線直通による南海和歌山市駅乗り入れについても、貴志川線架線電圧の600V→1500Vへの昇圧、紀勢線紀和駅の高架化、紀勢線へのICOCA導入と、両者とも地道な投資が続けられており、南海和歌山市駅ビルの建て替えも控える。和歌山駅からではバスに乗らなくてはならない中心商店街のぶらくり丁へも、南海和歌山市駅からなら徒歩10〜15分となんとか徒歩圏。紀勢線と本町通りの交点に駅ができれば、この距離はさらに短くなる。市街地を取り囲むように走る紀勢線(JR和歌山〜南海和歌山市)と、和歌山駅と近郊のベッドタウンを結ぶ貴志川線が直接結ばれれば、和歌山市街地の半環状線として有効に機能することだろう。それに際しては、交換設備の増設・移設による15分間隔運転化や、ICカード導入による運賃支払いの簡略化など、ストレスなく電車に乗れる環境を整えることが肝要になる。

生まれ変わった貴志川線が観光客だけでなく地元住民へのPRを重ねてきたことで、市民の鉄道に対する評価は間違いなく変わってきている。和歌山電鐵の狙いは、こうして市民の意識を変えることにあったはずだ。その機が熟しつつある今、貴志川線は更なる発展の時を迎えつつあるのではないか───。

帰りは和歌山駅まで行かず、一つ手前の田中口駅で下車。駅近くにある和歌山ラーメンの有名店「井出商店」でラーメンを啜りつつ、そんなことを考えた。

f:id:stationoffice:20180720173058j:imageとろりとした和歌山ラーメン
f:id:stationoffice:20180720173103j:image「すし」=鯖の押し寿司と一緒に食すのが和歌山流

(つづく)