東武鉄道の手で大観光地へ
1929年の東武日光線開通・東武下今市駅の開設に合わせ、起点駅を国鉄日光線今市駅から東武下今市駅へと変更した。下今市駅から直角に近い急カーブを描いているのは、この起点の変更が原因だ。これに先立つこと2年の1927年には、下野電気鉄道の本社を東京の東武鉄道本社内へと移しており、日光線開通前から東武鉄道との関係を深めていた。
そして、長らく無名だった滝温泉・藤原温泉に東武鉄道が着目しないわけがなかった。下野電気鉄道の本社移転とほぼ同時となる、1927年に両者を合わせ「鬼怒川温泉」に改称。1929年の東武日光線開通により、東京・浅草からの直通電車が下野電気鉄道線を経由し、鬼怒川温泉へと走り始めた。これ以降、鬼怒川温泉は日光に並ぶ観光地として、東武鉄道の強い影響下で発展してゆくこととなる。なお、1943年には戦時体制の深化と下野電気鉄道の経営悪化に伴い、下野電気鉄道は東武鉄道に買収され、鬼怒川線となっている。
このため、東海道箱根宿の宿場町として出発した箱根や、江戸時代から湯治場として発展していた草津と異なり、鬼怒川温泉は鉄道開通前はほぼ無名であったところ、東武鉄道の手によって発展したという側面が極めて強く、関東近郊の温泉地としては異色の存在と言えるだろう。このため、鬼怒川温泉に「温泉街」が形成されることはなく、初めから内湯主体であったため、地元住民のための公衆浴場が設けられることもなかった。
温泉地としての歴史が浅かったため、観光旅行の大衆化・大型化への対応も早く、鬼怒川温泉には高層ホテルが林立することになった。社員旅行に代表される団体旅行へ特化したホテルの在り方が、平成不況以来の旅行の個人化・小単位化への対応の遅れを招き、「廃墟ホテル」が軒を連ねる事態となってしまったと言えるだろう。この点、箱根や草津は江戸時代からの歴史を持つため、小規模な旅館も数多く、平成不況以来の旅行の個人化・小単位化への対応も容易であり、明暗を分けたと言える。
なお、平成不況から30年を経て現在は温泉地の再生もだいぶ進み、あるものは大規模な設備を活かして高級化を成し遂げ、あるものは居抜き物件の強みを活かして低価格を実現し、団体旅行依存からの脱却が進んでいるという。
東武鉄道としても、新型特急100系スペーシアの運行開始(1990年)、温泉宿だけでない魅力づけとして東武ワールドスクウェアをさオープン(1991年)、浅草発着だけでなくJR線直通の新宿発着の特急列車を新設(2006年)、バス連絡に頼っていた東武ワールドスクウェアの目の前に駅を新設・SL大樹の運行開始(2017年)と、鬼怒川エリアに重点投資を繰り返し行なっている。
そして、鬼怒川エリアからさらにその先へと観光ルートを広げるべく、特急リバティ会津が2017年に走り始めた。リバティ会津は、鬼怒川温泉にとってもいち通過点でなく、鬼怒川温泉の再生を担う役目をも負っているのだ。
(次ページ)
「野岩鉄道の車掌さんの激務に思う」