山を越えて会津鉄道へ
川治湯元では観光客が5名ほど降りていった。温泉街まで徒歩10分ほどと川治温泉駅よりも温泉街に近く、こちらが川治温泉の玄関口とされているが駅前が狭いため、旅館の送迎車は南隣の川治温泉駅のロータリーを利用する場合もある。場合に応じた使い分けがなされていると言えるだろう。鬼怒川温泉と違って昔から地元に解放されていた温泉であったため、鬼怒川に沿った公衆浴場「薬師の湯」が営業している。鬼怒川は山間へと入ってゆくため、野岩線はここから支流の男鹿川へ沿ってゆく。
川治湯元の次は湯西川温泉。駅から温泉まではバス30分を要するが、湯西川温泉は現在でも鯉のぼりを上げない、焚き火をしない、鶏を飼わないなどの風習が残る平家落人の隠れ里として名高く、観光客も多いため、リバティ会津101号からも15名ほどが降りていった。地形が険しいためトンネル内にホームがあり、温泉駅としては物々しい雰囲気に包まれている。湯西川温泉直通の特急が走り始めたというのも、温泉にとっては福音だったことだろう。ここまでに鬼怒川温泉発車時点の半分くらいが降り、残る乗客は30名ほどとなった。
湯西川温泉を出ると野岩線随一のハイライト、五十里湖を渡る湯西川橋梁を渡ってゆく。
中三依温泉で6050系の普通下今市行きと交換。
続く上三依塩原温泉口はその名の通り塩原温泉の玄関口であり、那須塩原市営バス「ゆ〜バス」が塩原温泉バスターミナルまで20分・1日6往復が走る。東北新幹線那須塩原駅からだとバス40分を要するため、こちらの方が塩原温泉には近いのだが、知名度は今ひとつである。やはり新幹線停車駅のブランド力は強く、所要時間でも有利である。
上三依塩原温泉口からは会津高原尾瀬口、終点・会津田島のみ停車となり、通過運転が復活する。ただ、リバティ会津全列車が通過運転となるわけではなく、通過運転となるのは1日4往復のうち、下り1本目101号・4本目129号、上り2本目132号・3本目140号の2往復ずつだけ。それ以外は各駅に停車し、本数が少ない普通列車を補完している。野岩鉄道にとっても会津鉄道にとっても上三依塩原温泉口〜会津田島は最奥部となるため、本来は通過運転とすべきところ、便宜的にこのような取り扱いになっているものと思う。
利用者が1日1名を切る(=定期利用者が1名平日に利用するだけ)の秘境駅、男鹿高原は通過。東武〜野岩〜会津線ルートのサミットで、標高759m。男鹿高原の次はいよいよ会津高原尾瀬口で、県境の峠を山王トンネル(全長3,441m)で越えてゆく。これまでは新鹿沼からずっと上り勾配であったが、トンネルに入ると平坦になり、トンネルを出ると下り勾配になるため、途端にスピードが上がるため、峠を越えて会津へ入ったことがよくわかる。
上三依塩原温泉口から10分でかつての国鉄会津線の終点、会津高原尾瀬口に着く。福島県の最奥地・南会津郡檜枝岐村や、その先の尾瀬ヶ原・沼山峠方面へ向かう会津バス檜枝岐線はここで乗り換え。会津バス檜枝岐線沿線には秘湯で知られる木賊温泉などの名所も多く、今なお山村の生活を色濃く残す檜枝岐村へ一度訪ねてみたいと思ってはいるが、なかなか機会がない。
9:22の特急リバティ会津101号の到着に合わせ、会津バス檜枝岐線・尾瀬沼山峠行きは9:40に出てゆく。しかし奥地も奥地の尾瀬ヶ原まではさらに遠く、会津高原尾瀬口駅からでも2時間を要する。ただ、尾瀬ヶ原への道路開通は5月中旬〜下旬あたりで、GWではまだ冬季閉鎖中であることもあり、乗降客は殆どなかった。上り快速AIZUマウントエクスプレス4号・東武日光行きと交換するため5分停車。9:27、会津高原尾瀬口発。
会津高原尾瀬口で野岩鉄道会津鬼怒川線は終わり、ここから先は1953年開通の会津鉄道会津線となる。新藤原から会津高原尾瀬口までは1986年開通の新しい路線で、山々をトンネルで貫くまっすぐな線路であり、特急リバティ会津も滑るように走っていた。しかし、会津高原尾瀬口を出るといきなり「ガタン、ガタン…ギリギリギリ…」とジョイント音に加え、カーブを曲がる時のフランジ音まで聞こえてきて、おまけに上下にバウンドするようになった。
この区間が開通した1953年とは、まだまだ戦後の混乱期から脱していない頃。そんな時に開通した線路故に規格は低いものの、バブルの波に乗っかって東京直通のためにいきなり電化されたものだから、そのギャップが凄まじい。15km先の会津田島へ達したところでバブルの波とともに電化は途切れ、会津若松まで達することはなかったが、もし会津若松まで電化区間が伸びていれば、リバティ会津が会津若松へのメインルートになっていただろうか。
途中駅の七ヶ岳登山口、会津山村道場、会津荒海、中荒井は全て通過。会津高原尾瀬口を過ぎると、進むごとに谷が広くなってゆき、県境を越えて下り勾配になったことがわかる。福島県内では大川とか阿賀川とかと呼ばれる川に沿って会津若松まで進んでゆくが、この川は新潟県に入ると阿賀野川と名を変え、はるか190km先の日本海へ注ぐ。
そして9:43、特急リバティ会津101号は20名ほどの乗客とともに、浅草から190.7kmの終点、会津田島へ到着。浅草から3時間13分、下今市からでも1時間27分かかった。ここはもはや関東ではなく、東北である。列車を降りて胸いっぱいに深呼吸をすると、涼しげな東北の空気が染み渡るような気がした。
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(つづく)