宝塚の街中でタカラジェンヌが愛する「ルマン」のサンドウィッチを求め、JR宝塚駅から福知山線(JR宝塚線[※1])普通新三田行きに乗り、1つ隣の生瀬駅に着いたのは14:22。福知山線廃線跡巡りは、ここ生瀬駅からスタートする。
[※1]JR福知山線(尼崎─福知山)の大阪都市圏区間(尼崎─篠山口)には「JR宝塚線」の愛称が付けられていますが、本稿では必要がない限り「福知山線」の表記で統一します。
元祖「有馬口駅」…JR生瀬駅
生瀬駅の一日乗降人員は約4,000人と、大阪まで30〜40分、それも電車が15分間隔で発着する駅とは思えないほど少ない。これは、生瀬駅自体が武庫川の谷が狭まりはじめる地点にあるために平地が乏しく、宅地開発の余地があまりないことが一つ。もう一つは、この駅がもともと1898年に「有馬口駅」として開業したため、駅周辺にそもそも大した需要がないことが挙げられる。
「有馬」とはもちろん”関西の奥座敷”有馬温泉のことで、生瀬駅から西へ10kmほど有馬街道を遡ったところ。大阪から有馬温泉へ向かうにはたしかにこの道を遡るのが最短距離なのだが、大阪平野から六甲山をいきなり駆け上がるような形になるため、蒸気機関車当時の福知山線は勾配を上がれなかったのはもちろん、20年ほど時代が下ったのちの箕面有馬電気軌道(箕有電軌。現・阪急宝塚線)も、電車の登坂能力をもってしてもその険しい勾配を克服できず、仮の終点であった宝塚が結局恒久的な終点となってしまった。そして、有馬温泉の麓にできた「有馬口駅」も、肝心の有馬温泉へのアクセスには殆ど利用されなかったのか、開業翌年の1899年には所在地名をとり「生瀬駅」へと改称されている。有馬温泉への鉄道は、1915年に三田からの国鉄有馬線(現在廃止。神戸電鉄有馬線・三田線で代替)の開通を待たなければならなかった。現在「有馬口」を名乗る駅は有馬温泉を挟んで反対側の神戸電鉄有馬線・三田線に存在するが、生瀬駅とは全く離れた場所である。
現在の生瀬駅は、改札口は1つのみ、自動改札も3通路と、街の規模に合わせた小さな駅。それでも廃線跡探索のハイカーに備え、武田尾駅までの道のりを示した地図が、駅舎の一角で無料配布されていた。これから出発するハイカーもそこそこいるが、14時過ぎとあっては、武田尾駅スタート→生瀬駅ゴールのハイカーの到着の方が多い。ハイカーの行動としても12時頃にスタートして15時頃ゴールというのが、自宅へ帰る上でも都合が良く、実際そのパターンに合わせて歩いている人は多かった。
生瀬駅の乗降客は、ハイカーを除けば、駅周辺の谷に開発された狭い住宅地の住民か、箕面有馬電気軌道の未成線の後を継いだ阪急バス【75】【95】有馬線からの乗り継ぎ需要しかない。その阪急バス【75】【95】有馬線も合わせて1時間に1本程度であり、JR西宮名塩駅(生瀬駅の1つ次の駅)・神戸電鉄三田線岡場駅方面への系統を合わせても漸く15〜30分間隔程度で、バス乗り継ぎの需要にも乏しい。
駅を出て線路をくぐると、国道176号上のバス停が目の前にある。しかし、バス停名には「駅」や「JR」が入らず「生瀬」のみで、ここでの乗り継ぎは少なそう。それでも下り方面のバス停にはポールだけでなく上屋が備えられており、少なくともここから下りバスに乗る人がいないわけではないことを示している。逆に上りバス停はポールのみだった。
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