「道志村の路線は、ぜんぶ私と、もう一人でやってますからね。明日、お帰りの時も、たぶん私でしょう。はっはっは、そん時は、また宜しくお願いしますよ」
ベテラン乗務員さんが、山道を走るバスを軽快に操りながら笑う。この村の公共交通機関は、すべてを彼が担っているのだ。
山中湖畔をゆく
定刻9:38から遅れること10分、富士急山梨バス河口湖駅発御殿場駅行きは「森の駅 山中湖旭日丘バスターミナル」に到着。
▲山中湖旭日丘で待機する道志小学校行き
9:50発の道志小学校行きとは接続を取ってもらっており、ギリギリながら置いていかれる心配はない。山中湖旭日丘を経由するだけの河口湖駅─御殿場駅線はバスターミナルには入らず、脇の国道上の停留所に停車するのみ。
バスターミナル内で待機する道志小学校行きへは道路を渡って乗り換えとなるが、御殿場駅行きの乗務員さんは「お客様のお乗り換えが終わるまで発車しませんから、走らなくても大丈夫ですよ」と案内を添えてくれた。走って乗り換えられて対向車に轢かれたり、転倒されたりしては大変だ。その案内を添えてくれる気遣いが嬉しく、こちらも安心して、御殿場駅行きを降りることができた。
バスターミナルとはいっても、バスが2台も入れば満杯になってしまうような、小さなものだ。「森の駅」と案内が添えられているあたり、ログハウス調の可愛らしいターミナルビルが隣接しており、ここから新宿行きなどの高速バスが頻発している。
「トイレに行ってる人がいますから、戻ってきてから発車します。もう少し待ってくださいね」
「じゃあ、バスの写真を撮ってもいいですか」
「大丈夫です。どうぞどうぞ、いくらでも撮ってください。それにしてもあの人、なかなかトイレから戻ってこないな。迷ってるのかなあ」
乗務員さんの軽妙なトークが弾む。僕が乗り込んだ時、車内には既に中高年のハイキングの団体がいた。結果的に接続連絡をお願いしなくとも、トイレに行っている人がいたので待っていてくれたということになる。出発前から彼らは和気あいあいとしているが、富士山駅からの一般路線バスではなかった以上、果たしてどのような乗り継ぎをしてきたのだろうか。
おそらくは新宿駅(バスタ新宿)7:15→山中湖旭日丘9:29着の高速バスだろう。このバスなら道志小学校行きまで21分の乗り継ぎ時間があり、電車よりも安くて速い。新宿から道志小学校まで、山中湖旭日丘の乗り継ぎ1回で、所要3時間25分。こちらは新宿駅4:55の京王線各停で出ており、相模湖駅~三ケ木間の余計な往復を挟んでいるとはいえ、ここまで既に4時間を要している。もし三ケ木~月夜野間が通じていたとしても、新宿~(三ケ木・月夜野経由)~道志小学校間は3時間15分程度を要する。山中湖経由は、逆「つ」の字のような大回りルートなのであるが、ほぼ直線の三ケ木・月夜野経由と遜色ない所要時間であることに、高速道路経由の速さを感じずにはいられない。
「お客さんはどちらまで?」
「中山で降りて、道志の森キャンプ場まで行きます」
「ああ、あそこね。わかりました」
そうこうしているうちに、トイレからハイカーが戻ってきた。
「どうもすみません」「はいはい、大丈夫ですよ。それでは、出発しまーす」
9:50、山中湖旭日丘発。富士急山梨バス道志線、道志小学校行き。
▲バス停の路線図。道志線は山中湖村内のみ全停留所記載で、道志村内は終点・道志小学校以外すべて省略されている
バスターミナルを出てさっそく右折。右折レーンには「津久井→」と書かれており、「相模原」でこそないが、この国道413号が遠く神奈川まで繋がっていることがわかる。横浜方面へ抜けるならば、東富士五湖道路・中央道経由よりも明らかに近道だし、山道ではあるが最短距離で結ぶ道路として、しっかり認識されているようだ。バスの繋がりはか細くとも、日常的な交流はあることの証左でもある。
山中湖南岸の山中湖旭日丘バスターミナルでA-line御殿場行きを分け、ここから東岸の山中湖平野バスターミナルまでは、この道志線と山中湖巡回バス「ふじっ湖号」(1時間1本)のほかには、1時間1本程度の高速バスが走るだけとなり、ローカル度が増してくる。ただ、高速バスは乗降自由ではなく、平野行きは降車、新宿行きは乗車のみの扱いとなるため、ローカル利用には対応していない。
それに伴ってホテル・ペンションが集積する一帯となってきて、「京王リップル山中湖前」「小田急フォレストコテージ前」といった、ホテルの名前を冠したバス停が現れる。なかには「クリスマスの森入口」とか「慶應山荘前」とか、何やら色々と想像を掻き立てるものも。「○○町」とか「××一丁目」とか、そういう平凡な名がついたものが一切この区間にはなく、この区間の特異性が際立つ。
何しろ、この山中湖旭日丘から平野にかけての一帯は、1927年に堀内良平率いる富士山麓電気鉄道(富士急行の母体)が別荘地開発を始めて以来の保養地である。大月─富士吉田間の鉄道線開通が1929年のことで、それまでは街道に沿う軌道線しかなく、東京からのアクセスは良いとは言えなかった。山中湖へは富士吉田からもバスへの乗り換えを要し、それは今でも変わっていない。しかし、その時期から富士山麓の豊かな自然に着目し、東京の保養地としての将来性を見出した堀内の先見性には、ただただ感服するばかりだ。箱根、軽井沢、日光など、東京近郊のリゾート地が産声を上げたのもこの時期であり、それだけ保養地としての歴史を重ね、魅力を磨いてきたのが、この山中湖の一帯なのである。
山中湖旭日丘から7分で山中湖平野。新宿からの高速バスはここまでの運行で、旭日丘へやってくる高速バスのうち、平野まで直通してくるのは半数程度に減る。また、巡回バス「ふじっ湖号」も道志線と並行するのは平野までで、平野から先は道志線のみの単独区間となる。従って、ここからが非常に限られた運行になる区間である。
平野までは新宿直通のバスがやってくるため、旭日丘よりは小さいながらも、窓口などを備えたバスターミナル機能も持つ。大型リゾートホテルが多い旭日丘に対し、平野は小規模なペンション等が主体であり、棲み分けがなされている。しかしながら、平野でも道志小学校行きを待つ乗客はいなかった。一旦は国道413号から外れてバスターミナル内を周回するも、素通りしてまた国道へ戻っていく。
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山伏峠を越えて