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【三重】伊勢神宮を目指した3つの鉄道──JR参宮線 #13

一生に一度はお伊勢参り・・・というフレーズは、一度は耳にしたことがあるだろう。今では大げさに聞こえるが、鉄道発達以前の伊勢詣は、間違いなく一生ものの出来事であった。

伊勢神宮といえば、天皇家のご先祖様たる天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る、わが国で最も高位の神社であるが、民衆の参拝が盛んになったのは江戸時代以降と、その長い歴史に比して比較的新しい。神宮は天皇家の御先祖をお祀りする、いわば皇室の氏神であったため、古代は御所の中にあり、当然、民衆の参拝はできなかった。その後、民衆の信仰心に神宮が応える形で、役人、武士などの階級層に、そして民衆へと徐々に解放されていったという歴史があるため、日本の神社の最高位でありながら、長く民衆と神宮の距離は離れていた。それだけに、伊勢神宮への参拝は庶民にとって憧れであり続け、太平の世を迎えた江戸時代になり、伊勢詣を名目とした旅がようやく民衆にも広まったのだ。ただ、交通手段がほぼ徒歩に限られる江戸時代の伊勢詣の中心は、距離的に近い近畿からが中心であったと言われる。

明治に入り鉄道の時代を迎えると、遠隔地からも参拝が容易になった。参宮鉄道伊勢神宮外宮(げくう)最寄りの山田駅(現・伊勢市駅)に達したのは1897年であり、これは参宮鉄道の親会社的存在であった関西鉄道(現・JR関西本線等を敷設した私鉄)が名古屋―網島(大阪)間を全通させたよりも1年早い。東海道本線の全通(1889年)からわずか8年後の出来事であり、いかに当時の伊勢が重要拠点として意識されていたかがわかろうかというもの。1907年の国有化以降、それまでの関西鉄道沿線のみならず、参宮線には、大阪・京都はもちろん、東京や宇野(岡山県。四国航路の本州側ターミナル)からも直通列車が運行され、特に国家神道の華やかりし時代は国内の最重要路線に匹敵する幹線であった。当時の近代文明の象徴といえる鉄道の発達によって、列車に乗りさえすれば「一生に一度のお伊勢参り」ができる時代がやってきた。このことは同時に、欧米列強=キリスト教勢力の脅威に晒されたなかで、神道国家神道として権威を高め、国内の隅々まで広める効果をもたらした。

f:id:stationoffice:20180523175803j:image開業以来外宮の玄関口の役割を果たす山田駅は「伊勢市駅」に改称されたが、隣駅には山田の名が残る(伊勢市)

1930年には参宮急行電鉄(現・近鉄山田線等)開業によって大阪まで2時間で結ばれ、元々信仰が根強かった近畿が更に近くなった。追って1938年には関西急行電鉄(現・近鉄名古屋線等)が開業し、街道としての東海道に沿った名古屋へも短縮された。これら電気鉄道の相次ぐ開通は伊勢詣をさらに身近なものとし、中部・関西では修学旅行の行先の定番となるまでになった。

このように、明治の蒸気鉄道(参宮鉄道)、昭和の電気鉄道(参宮急行電鉄・関西急行電鉄)といった鉄道の発展が、伊勢神宮の発展とリンクしているということは、あまり知られていない。言い換えれば、鉄道の発展なくして、今日の伊勢神宮は無かったと言っても過言ではないのだ。

f:id:stationoffice:20180523181135j:image乗降客数が多い近鉄が神宮から離れた奥に追いやられているのは、JRの方が先に開業したという歴史的経緯による(伊勢市)

式年遷宮に代表される伊勢神宮の動静は今日に至るまで国民の関心事であり、文字通り日本人の心のふるさとであり続けている。数多の鉄道が競うように目指し、戦前は国家神道の浸透と共に隆盛を極めた伊勢神宮とは、そして「神都」と呼ばれた鳥居前町・宇治山田とは、いったいどんなところなのか。その伊勢へ一番乗りを果たしたJR参宮線で、はじめてのお伊勢参りに出かけることにした。

目次

・現代伊勢路の起点、名古屋

品川5:10発の普通小田原行きでスタートし、小田原、熱海、浜松、豊橋と4度の乗り継ぎを経て、名古屋駅に着いたのは10:58。ここまでの東海道本線は今回の本筋と関係ないので割愛するが、早朝か夕方の時間帯は熱海発浜松行き(所要2時間半)のような足の長い普通列車が結構多いので、複数回の乗り継ぎでもさほど苦にならない。

f:id:stationoffice:20180523223219j:image相模灘に昇る朝日(根府川)
f:id:stationoffice:20180523223225j:image熱海発浜松行き普通。走行距離は152.5kmに及ぶ(熱海)

さっそく今回の主役である参宮線直通「快速みえ」が発車する関西本線ホーム13番線へ移動し、新幹線のみならず在来線ホームにもしっかりと存在するきしめんスタンドできしめんを掻き込む。色が濃い目のつゆはいかにも関東風だが、もちもちとした太く平たい麺に花かつおをまぶした様は、うどん文化の関西風。文化の潮目であることが、このきしめん一杯からもわかる。この一杯を掻き込まないと、やはり名古屋に来た気がしない。

f:id:stationoffice:20180523223434j:imageうどんでもなくそばでもない、名古屋はやはりきしめん(名古屋)

今でこそ名古屋は東海道新幹線東海道線から関西本線参宮線、そして近鉄名古屋線が分岐する、関東と伊勢を結ぶ中継地点だ。しかし江戸時代の東海道(街道)は名古屋南郊の宿場であった熱田(天皇家を象徴する三種の神器の一つ:草薙神剣を祀る熱田神宮で名高い)から、三重県の玄関口にして最初の宿場:桑名まで船でショートカットするのが一般的で、現在の名古屋駅近辺は素通りされるばかりであった。伊勢神宮の一の鳥居が今日でも桑名にあるのは、やはり桑名が「伊勢国(いせのくに)の入り口」として認識されていたからに他ならない。熱田に代わり名古屋駅付近が発展し始めるのはやはり東海道本線の開通、そして関西鉄道関西本線の分岐点となったことが契機であり、名古屋もまた鉄道の発展なくして今日の地位を確立し得なかった地なのだ。

鉄道の発達と共に、桑名や四日市(京へ向かう旧東海道から伊勢路が分岐したのは四日市南郊の『日永の追分』である)に代わって名古屋が東海道伊勢路の分岐点の地位を担うようになり、あまつさえ伊勢銘菓として名高い「赤福」が名古屋駅の定番土産として売られるようになった、というわけ。繰り返すが、名古屋が伊勢路の起点になったのは、せいぜいここ100年の話でしかないのである。

f:id:stationoffice:20180524010756j:imageいまや名古屋駅の定番土産となった伊勢名物「赤福」。赤福本店は伊勢神宮内宮の鳥居前町、おかげ横丁に構える

・「汽車」と「電車」

名古屋駅での約40分の乗り継ぎの間にきしめんを食べ終え、いよいよ快速みえ7号、鳥羽行きに乗り込む。快速みえで名古屋〜伊勢市は約1時間30分・運賃2,000円と、並行する近鉄(特急約1時間20分・運賃2,770円、急行約1時間40分・運賃1,450円)に引けを取らない。

しかし、快速みえが1本/hなのに対し、近鉄特急・急行はそれぞれ2〜3本/h(大阪方面行きも利用できる桑名・四日市・津などへは更に1〜2本/h増える)という高頻度運転であり、このこともあって三重県内でのJRは陰が薄い。特に三重県最大の都市・四日市(津ではない)の駅はJRと近鉄で約1km離れているが、市街地は完全に近鉄側に形成されており、近鉄四日市駅は百貨店も併設するターミナル駅として機能しているが、JR四日市駅はうらぶれている。皇室が伊勢を訪れる際も、名古屋駅東海道新幹線近鉄特急を乗り継ぐのが慣例である始末。

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f:id:stationoffice:20180524011815j:image近鉄名古屋駅で発車を待つ、鳥羽行き近鉄特急。常時23/hが運行され、編成も68両と長い

これは、古く明治期に鈍重な蒸気機関車の走行を前提として敷設された参宮線と、新しく昭和期に電車ならではの高速運転を前提として敷設された近鉄線の差が際立ってしまったことが原因だ。参宮線が伊勢詣の輸送を独占できたのは、近鉄が開通するまでのたった30年余りの間でしかなく、その間の鉄道の技術の進歩は甚だしいものであった。国鉄にとって参宮線はいち地方路線に過ぎなくても、近鉄にとっては屋台骨であったわけで、高速・高頻度運転で乗客を惹きつけていく近鉄に対し、蒸気機関車時代の遅い車両と古い設備を引きずる参宮線は無力であった。それでも、近鉄では不可能な東京などの広域な直通運転が可能である点に支えられ、参宮線近鉄はある程度棲み分けができていた。

しかし、参宮線をローカル線に転落させたのは、皮肉にも同じ国鉄東海道新幹線の開通(1964年)であった。新幹線の開通により、東京からは遅い直通列車で伊勢を目指すよりも、圧倒的に速い新幹線で名古屋まで来て近鉄特急に乗り継ぐのが一般的となり、参宮線の持つ「直通運転が可能」というメリットが失われてしまったのだ。新幹線開通以降の参宮線近鉄への対抗をほぼ放棄しており、度々廃止の噂が立つほどであった。

しかし国鉄分割民営化以降、新生JR東海名古屋駅で新幹線と一番近いホームから出発させるなど、同じJR東海ならばこその新幹線との連携を主軸に、「近鉄特急よりも安く、近鉄急行よりも速い」快速みえを走らせ、参宮線の看板列車として完全に定着させた。全国一律サービスであった国鉄よりも、地域ごとに分社したJRではより地域に密着した運営が可能になったことで、参宮線は蘇ったわけだ。

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f:id:stationoffice:20180524011002j:image新幹線に一番近い名古屋駅13番線で発車を待つ「快速みえ」。 気動車ながら電車に劣らない俊足だが、昼間の列車は僅か2

ただ、前回の式年遷宮(2013年)を前にした2007年、伊勢土産の定番として名高い赤福の会長、浜田益嗣氏が「参宮線を廃止し、跡地に駐車場を整備せよ」といった旨の提案をぶち上げたこともある。

asahi.com:「参宮線廃止、駐車場に」 赤福会長、式年遷宮控え提案暮らし

もちろんそんな話は現実的な提案としては受け取られなかったが、いくらJRになってテコ入れがなされたといっても、地元にとっての参宮線の存在感の無さが浮き彫りになった出来事でもあった。

近鉄への対抗馬、参宮線「快速みえ」

11:37、名古屋発。関西本線快速みえ7号鳥羽行き。

名古屋―桑名はJR快速でも近鉄急行でも20分だが、運賃はJR350円、近鉄440円とJRに軍配。ただ、JRは快速・普通(所要30分)併せて4本/hなのに対し、近鉄は急行・準急(所要26分)併せて5本/hと、フリークエンシーの面では近鉄に分がある。JRでは普通2本/hしか停車しない蟹江・弥富・富田などでは、5本/h使える近鉄急行・準急に更に有利な状況となる。JRは単線区間が残る上に貨物列車も走ることからダイヤの成約が厳しいが、持てる設備を最大限に利用し、近鉄に何とか一矢報いているという状況だ。

発車10分前に扉が開くと、2両編成の座席は瞬く間に埋まり、扉付近には立ち客も出た。4両編成でもおかしくない混雑ぶりだ。ドア付近には立客が多数となって、名古屋を発車。終点鳥羽までの停車駅は桑名、四日市鈴鹿、津、松阪、多気伊勢市、二見浦のみであり、紀勢本線が分岐する多気までの停車駅は特急南紀と同じ。手強い競合相手がいるが故の、破格のサービスっぷりが清々しい。

愛知県最後の駅、弥富を通過すると木曽川、長島を通過して長良川揖斐川と、大河を立て続けに渡る。江戸時代の木曽三川分流工事によって洪水は減ったが、それでもこれだけの大河が続くため、江戸時代の渡渉は困難を極めただろう。陸路を辿っても渡船の利用が避けられなかったことから、旧東海道は熱田~桑名を船で渡るようになったのだろうと、連続する鉄橋を見ながら感じた。

f:id:stationoffice:20180524163305j:image木曽川を渡れば、そこは三重県(弥富〜長島)

予想通り、立ち客の多くは名古屋から20分、次の桑名で降りてしまい、その次の四日市で立客はいなくなった。桑名・四日市までの短距離客だけでもこれだけかき集めているとあらば、JRの近鉄対抗策は一定の効果を上げていると言っていいだろう。

四日市を過ぎると列車本数が減るため、運転停車もほぼなくなった。近鉄と違って地形に従順な線路を、地形に沿って右へ左へうねりながらスピードを上げて走るのは、快速みえの醍醐味だろう。近鉄の駅が近くにない多気での乗降がやや目立ったあたりは、いかにもな実態である。多気紀勢本線が右に分かれ、参宮線に入るとラストスパート。名古屋からちょうど90分、東京から約8時間を経て、13:07に伊勢市到着。2両編成の座席がほぼ埋めていたが、半分以上の乗客が下車。改札へ向かう人の流れができる。残った乗客は、やはり近鉄が通らない二見浦への乗客であろう。伊勢市で大半の乗客を降ろした快速みえは、ガラガラの状態で鳥羽へ向かっていった。

f:id:stationoffice:20180524163423j:imageどっしりとした木造の上家が歴史を感じさせる(伊勢市)

f:id:stationoffice:20180524163547j:image駅に併設された車両区。今も昔も参宮線の拠点である(伊勢市)

改札を抜けると、和風の装いの駅が迎えてくれた。お伊勢参りの始まりである。

f:id:stationoffice:20180524163722j:image2011年に美装化された駅舎。意外と神社造りではない(伊勢市)

(つづく)