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【三重】いにしえを今に…神宮徴古館/電気鉄道の時代…宇治山田駅――近鉄山田線 #16

目次

・「神宮徴古館」で伝統に触れる

おかげ横丁赤福を楽しみ、ミキモトで真珠の歴史に触れているうち、お昼過ぎになっていた。今度は内宮前終点でなく、二つ目の「猿田彦神社前」から伊勢市駅行きに乗り、「神宮徴古館」を目指す。

f:id:stationoffice:20180614184929j:imageおかげ横丁内のミキモト。真珠養殖の歴史を学ぶことができる
f:id:stationoffice:20180614184934j:image花盛りの五十鈴川。花見客相手の露店も多く出ていた
f:id:stationoffice:20180614184925j:image猿田彦神社前にも赤福の店舗がある。店先で頂く赤福はまた格別

おかげ横丁、おはらい町通りを通り抜けると、三重交通バス【51】【55】では二つ目の「猿田彦神社前」バス停の前に出る。猿田彦神社とはその名の通り猿田彦大神を祀る神社で、天孫降臨の際に天照大神日向国(ひむかのくに、現在の宮崎県)高千穂へ導いたことから、進路や道の神とされる。また、天照大神が伊勢へ遷座する際、二見浦に降り立った天照大神を内宮の場所へと導いたのも猿田彦大神とされる。その天照大神が降り立った場所に鎮座するのが二見興玉神社であり、その二見興玉神社から遥拝するのがかの有名な夫婦岩というわけだ。

このように、猿田彦神社伊勢神宮猿田彦大神天照大神は直接の関係はないものの、縁の深い神々と言える。そして現代に至っても、昭和に新しく開通した外宮と内宮を直接結ぶ御木本道路と、宇治山田駅へ向かう古くからのルートである御幸道路の分岐点が猿田彦神社前交差点であるということも、道の神たる猿田彦大神らしさが現れているようで、なかなか興味深い。

その猿田彦神社前から徴古館前へ向かうバスは【51】宇治山田駅伊勢市駅行きで、10-20分間隔で毎時4本の運転で、所要7分。【51】は近鉄五十鈴川駅前を経由するため、内宮の参拝を終えて大阪・京都・津・名古屋方面へ近鉄で帰る参拝客もよく利用する。

ただ、五十鈴川駅前はお土産屋や飲食店などに乏しく、ほぼ電車とバスの乗り換えに特化しているため、こういった向きはエキナカや駅前が充実している宇治山田駅伊勢市駅へ向かう。まっすぐ帰りたい向きは五十鈴川駅、寄り道したい向きは宇治山田駅伊勢市駅と、多くの参拝客が一つの駅に殺到しないよう、うまく三駅で役割を分散している。

f:id:stationoffice:20180614185328j:image御幸道路を跨ぐ大鳥居。奥は近鉄五十鈴川駅

内宮の立派な鳥居が見下ろす徴古館前バス停。降りたのは自分だけだった。バス停から小高い丘を上ると、そこに立派な神宮徴古館が構えている。ここでもやはりマイカーが多いのか、バスで訪れた場合、車道のみで路側帯しかない坂か、長い石段のどちらかを延々と上らなくてはならない。上り切ると広い駐車場が広がっているので、ここでもやはりマイカーやレンタカーでの観光が主流なのだろう。

f:id:stationoffice:20180614185508j:image明治らしい重厚感のある構えの徴古館。現代にも通じる名建築だ
f:id:stationoffice:20180614185517j:image立派なエントランスから中へ。撮影禁止の為収蔵品の写真はない
f:id:stationoffice:20180614185512j:image徴古館の隣に建つ農業館。こちらは和洋折衷の佇まい

説明が遅くなったが、「神宮徴古館」とは、式年遷宮の度に奉納される「御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)」の展示・紹介を通し、我が国の伝統や技術の粋に触れる、神宮司庁直営の博物館である。御装束神宝とは、神々が纏う衣服などの生活用品から、神々をもてなす美術・芸術品といった嗜好品に至るまで、神々の生活を彩る奉納品の総称。式年遷宮の場合、大工は全国から、木材は木曽や紀伊からといったように、全国各地から建築技術の粋を集めて執り行われ、これに関わることは最高の名誉にして最高の技術が求められるのであるが、これの工芸品版が御装束神宝というわけ。20年ごとの式年遷宮の度に新品が用意され、それまで奉納されていたものと交換される。かつては畏れ多いとして処分されていたそうであるが、明治以降は技術の伝承と発展という意味合いを込め、それまで奉納されていたものを撤下(てっか、神様からお下げすること)し、神宮徴古館で展示することとなったものだ。

徴古館の歴史は長く、前身となる「農業館」が外宮前に開設されたのは1891年、現在位置する倉田山に移転したのは1904年、そして徴古館が完成したのは1909年。農業館は徴古館の付帯施設として、徴古館の開設以来、共に歴史を重ねている。この時期は倉田山の開削による御幸道路の開通(1910年)、皇学館大学の開設(1919年)、神宮文庫の移転開設(1925年)など、外宮と内宮の中間に位置する倉田山の開発が進んだ時期であり、前々回紹介した三重交通神都線の電車が走っていた時期と重なる。

ちなみに、「農業館」が技術の「徴古館」に先んじて開設されたのは、近代農業の技術を世に広める目的があったのはもちろん、伊勢神宮が自ら田を持ち、日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい。1500年間にわたり1日2回、外宮にて執り行われる、神々の食事(=御饌)を奉納する儀式)で用いられる稲・米を自給しており、神宮自ら率先して稲作の技術を高めていく必要があり、そのこと自体が崇敬の対象にもなっていたためだ。

徴古館の中は、外宮や内宮、おはらい町通りと比べると静かなものであった。厳かな雰囲気の中で、全国から神宮に奉納するために集められた工芸品、美術品、そして刀剣、手芸、書道に至るまで、その造形美を心行くまで堪能することができる。隣接の農業館もぜひ見学したかったが、入館したのが遅かったために、あえなく17時で閉館となってしまった。これほど内容が濃いものであるとは、思いもよらなかった。

伊勢神宮の理解につながるのはもちろん、我が国の誇る匠の技術にもたっぷりと触れられる神宮徴古館伊勢神宮へ参拝される際には、ぜひとも「せんぐう館」と併せて見学されることをおすすめしたい。

・「電気鉄道」の威容を誇る・・・近鉄宇治山田駅

徴古館の見学を終え、外に出た。さすがに17時過ぎともなると参拝客も少なくなることから、昼間は10-20分間隔、毎時4本ある【51】宇治山田駅伊勢市駅行きのバスも、30分間隔に開いてくる。徴古館前から近鉄宇治山田駅へはバスで7分だが、歩いても20分程度。待っている間に歩けばバス賃も浮くので、歩くことにした。倉田山のなだらかな坂を下りていけば、程なく宇治山田駅付近の中心街に至る。「御幸道路」の名に恥じず、桜並木が目を楽しませてくれる歩道が整備されていたが、交通量の多い一般的な県道でもあった。中心街に入ったところで近鉄線の高架が姿を見せ、右へ折れると宇治山田駅のバスターミナルへ至る。

f:id:stationoffice:20180614204403j:image雄大かつ壮麗な宇治山田駅伊勢市内最大のターミナル駅

f:id:stationoffice:20180614204330j:imageかつての火の見櫓に「近鉄」の文字が輝く。駅前にはバスが並ぶ
f:id:stationoffice:20180614204317j:imageシャンデリアとステンドグラスが彩る駅舎。和の要素は殆どない

伊勢市駅宇治山田駅五十鈴川駅と3駅ある伊勢市ターミナル駅のうち、最も規模が大きく、乗降客数も最も多いのが中央に位置する近鉄宇治山田駅。このうちJR参宮線が乗り入れるのは最も西に位置する外宮前の伊勢市駅のみで、参宮線は海側の二見浦方面へ逸れていくが、近鉄線は山側へもう一歩踏み込み、バス交通の中心となる宇治山田駅、内宮最寄りの五十鈴川駅へと進んでいく形になる。

一つ手前、外宮最寄りの山田駅(→伊勢市駅)では国鉄(→JR)参宮線の裏手に駅を設けるしかなかった近鉄線は、伊勢市駅のすぐ東で参宮線を乗り越し、高架に上がったまま、高架駅の宇治山田ターミナルに到着する。地平駅の伊勢市駅に対し、高架駅かつ壮麗な西洋風の立派な駅舎が構える宇治山田駅は、今なおその威容を感じさせてくれる。いにしえの日本文化を伝える伊勢神宮に対し、時代の象徴であった電気鉄道のターミナル駅が西洋風というのはユニークな組み合わせであるが、純日本風の伊勢神宮へ向かうべく、先進技術を取り入れた電気鉄道で西洋風のターミナル駅に到着するというのは、その当時の最先端のトレンドであったわけだ。その西洋風の大きな宇治山田駅舎は、純和風の街並みが広がる宇治山田の街並みの中にあって、不思議と溶け込んでいるのは、伊勢の街の伝統と先進の融合を体現しているかのようだ。

駅舎内の天井は高く、余裕を感じる。天井にはシャンデリアがあしらわれ、優雅な雰囲気を醸し出している。繰り返すが、この西洋風の駅は、伊勢神宮の玄関口。和風の要素はほとんどないのが、却って電気鉄道の先進性を際立たせているように思う。

f:id:stationoffice:20180614204715j:image特急券を買い求める乗客の列が伸びる。新幹線連絡の需要も高い
f:id:stationoffice:20180614204711j:image構内にある鉄道模型ジオラマ宇治山田駅もバッチリ

f:id:stationoffice:20180614204944j:image近鉄特急の新たなスター、しまかぜも運転できる
f:id:stationoffice:20180614204706j:image名古屋・大阪への距離を感じさせる停車駅。急行でも辿り着ける

特急券の窓口には行列が伸びており、JRとは段違いの需要の高さを感じさせる。18時前ではあったが、近鉄特急で名古屋へ向かい、新幹線に乗り換えても東京到着は21時過ぎ。十分に東京へ日着出来る時間帯だ。名古屋行き・大阪行きとも毎時1~2本がコンスタントに運転されており、新幹線連絡をも含んだ広域輸送は完全に近鉄がシェアを握っている状況である。

宇治山田駅は、1931年の参宮急行電鉄線(現・近鉄山田線等)の全通と同時に開業し、1969年の鳥羽線開通・志摩線賢島への直通運転開始までの間、大阪・名古屋からの終着駅であった。山田駅(→伊勢市駅)で国鉄(→JR)参宮線に乗り換えれば、志摩半島の付け根にあたる鳥羽駅までは鉄道で行くことができたが、当時の参宮線は本数が少ないローカル線に過ぎなかったため、近鉄から志摩方面へ向かう乗客は専ら宇治山田駅三重交通バスに乗り換えるのが一般的であった。その当時の名残として、行き止まりの1番線に隣接するバス乗り場跡と、バス用のターンテーブルが今でも残っている。

f:id:stationoffice:20180614205243j:image1番線に隣接する旧特急バス乗り場。バスの部分まで上屋が覆う
f:id:stationoffice:20180614205252j:image現在ここを発着するバスはない。短編成のローカル電車が佇む
f:id:stationoffice:20180614205307j:image今でも動くターンテーブルブラタモリタモリのバスも回転
f:id:stationoffice:20180614205238j:image駅舎の壮麗さに比してホームは質実剛健

これは、鳥羽・志摩方面へのバスと近鉄線の電車をホーム対面で接続させるため、高架駅であるにも関わらず公道とスロープでつなぎ、バス乗り場を高架上に設け、かつ転回のためのターンテーブルを高架上に設置したことによるもの。これによって、電車→バスの乗り継ぎはもちろん、バス→電車の乗り継ぎも、乗客を乗せたままターンテーブルで転回することで、同一平面で乗り継げるようになっている。普通、電車とバスの乗り継ぎというと、電車を降り、改札口を抜け、バス乗り場へ移動し・・・といった流れになるが、ここ、宇治山田駅1番線においては、まるで急行と各駅停車を乗り換えるがごとく、数メートルの移動で乗り継げるようになっていた。「乗換が面倒やったら、バスを電車の隣に横付けしてしまえばええやないか」とでも言いたげな、大阪からどんどん線路を伸ばしてきた参急らしい、関西流の合理性がここにあった。

f:id:stationoffice:20180614202314j:plain宇治山田駅配線図。頭端式ホームの面影が残る

・鳥羽名物、大エビフライを味わう

18時前とあって空腹になってきたので、早夕飯をとることにした。宇治山田駅の観光案内所で聞いてみた所、「宇治山田駅の近くには飲食店が少ないため、海産物なら鳥羽、肉類なら松阪へ行く方が良い」との回答。まさにその通りであった。昨日に松阪牛回転焼肉へ行っていたため、今日は鳥羽へ・・・と思ったが、鳥羽名物・大エビフライの店は18時閉店。そしてなんと、宇治山田駅構内にも支店があるとのことだったので、支店へ行ってみることにした。「シュリンプキッチン 漣(さざなみ)」の暖簾をくぐると、出てきたのは目を見張るサイズのエビフライ。トンカツほどもありそう。一口齧ればエビの触感を口いっぱいに堪能でき、まさに海が口の中に広がるよう。

f:id:stationoffice:20180615195025j:imageこれぞ漁師町・鳥羽が生んだ大エビフライ定食!

f:id:stationoffice:20180615195021j:imageエビを切り開き、開き身にしたものを揚げている

しかしまあ、宇治山田も夜が早い町だが、この分だと鳥羽も遅くなさそう。 伊勢の人々は早寝早起きなんだろうか。鳥羽一郎が高らかに歌い上げるがごとく、このあたりの産業といえばやはり漁業。特に鳥羽は漁師町なだけに、夜も明けやらぬうちから活動が始まる漁師に合わせたスケジュールで町が動かざるを得ない。ミキモト真珠島にしても、鳥羽水族館にしても、観光客の夜が遅くないのは同じ。その町がどのように動くのかは、東京に住まう自分が思っているほど全国一律では全くないし、夜が遅い・早い、朝が遅い・早いには、どこも地域特有の事情があるのだろう。

(つづく)