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【三重】東紀州・熊野古道をめぐる羊腸の道――「JR紀勢本線(多気-新宮) #18

紀伊半島は大きい。本当に大きい。伊達に日本一大きい半島じゃない。それこそ、その辺の島よりなんぼも大きい。行くのもしんどい、引き返すのはさらにしんどい。目指す和歌山は遥か先。あと5時間、この揺れに耐えられるのか…。

そんなことを、2両のワンマン列車のなかでぼんやりと、しかし腰の痛みはだんだん強くなりつつ、そこだけはしっかりと考えていた。

目次

紀伊半島の大きさを知る

朝6時の伊勢市駅は、さすがに人影は少ないものの、通学客を中心にぽつぽつと人が集まり始めていた。ここから和歌山まで350km、10時間あまりに及ぶ怒涛の乗り継ぎの始まりである。伊勢市出発は6:29、和歌山到着は16:36。途中の新宮から特急に乗れば13:49には着くが、それでも7時間強の旅路になる。

f:id:stationoffice:20180629184043j:image朝もやの伊勢市駅。天気はあいにくの雨模様
f:id:stationoffice:20180629184053j:image改札を共有する近鉄はIC対応なので改札機にリーダーはあるが、JRは非対応。そのことを電光掲示板でも強調している
f:id:stationoffice:20180629184047j:image乗客を待つ伊勢市6:29発普通亀山行き

ただ、伊勢市から和歌山を目指すのであれば、一旦近鉄で大阪へ向かい、大阪から南海線JR阪和線に乗り換える方が、紀勢本線を新宮経由でひたすら乗り通すよりもよほど速い。参宮線と似たような時間に伊勢市を出るとすれば、伊勢市6:45発急行近鉄名古屋行き〜松阪6:59着・松阪7:05発特急大阪上本町行き(松阪始発)〜鶴橋8:36着・8:38発〜大阪難波8:44着・南海難波9:10発〜和歌山市着10:09…と、たったの3時間10分で到達してしまう。海沿いの単線の隘路をうねうねと辿っていくよりも、俊足で鳴らす電気鉄道で紀伊半島の付け根をトンネルでぶち抜き、あとは大阪から海沿いに少々南下した方が、同じ紀伊半島に位置する和歌山ですらよっぽど早く着くというわけだ。

ちなみに大阪経由と新宮経由が拮抗するのは、時間の上では周参見(すさみ)あたりで、どちらに乗っても4時間50分程度。大阪からだと和歌山を通り越し、熊野古道の中辺路(なかへち、紀伊半島を横断する短絡路)と大辺路(おおへち、海岸線に沿っていく経路)が分岐する紀伊田辺を通り越し、京阪神のリゾート地として名高い白浜をも通り越した先、紀伊半島の南端部に近いあたりでようやく大阪経由と新宮経由が拮抗する。それほどまでに紀伊半島を貫く近鉄、すなわち電気鉄道が速いと見るべきか、海岸沿いの隘路を辿る非電化単線が遅いと見るべきか。同じ紀伊半島内の移動なのに、まさか大阪経由の方が圧倒的に速いとは、思ってもみなかった。しかしまあ、半島内の移動の話であるのに3時間5時間7時間という単位になるあたり、いかにこの半島のスケールが大きいかがわかる。

そしてその紀伊半島南部は有史以来の良質な木材の供給地であり、膨大な量の木が密集して生育しており、文字通り「木の国」→「紀伊国」であったわけだ。「紀伊国屋書店」をはじめ、「紀伊国」を「きいのくに」ではなく「きのくに」と読むのは、「木の国」を語源にもつため。紀勢本線を旅していると、ついつい海側の車窓に目がいくが、反対側の山側にも目を向けたい。そこには、京都・大阪といった古くからの大消費地に隣接し、我が国の建築を長い間支え続けた木材の供給地たる紀伊国の姿がある。多湿にして地震が多い我が国は、いまだに一戸建ては木造が多い。石造は地震に弱い上に密閉性が強く、多湿の風土には向かないため、これだけ西洋文明の影響に強く晒されながらなお一般化しない。熊野古道世界遺産登録の影響で、紀伊山地の山々にはにわかに注目が集まっているが、なにも霊場ばかりでなく、こうした普段着のまま、それも千年以上続く生活のあり方を色濃く残す、紀伊の山々の姿も目に留めておきたい。

・朝が早い三重県南部の鉄道

その大きな紀伊半島に、三重県側から踏み入れることにした。まずは伊勢市から参宮線普通亀山行きに揺られること22分、紀勢本線の入り口にして参宮線との分岐駅・多気へ6:51に到着。ここで多気7:05発、紀勢本線普通新宮行きの2番列車へ乗り換え。この接続は伊勢市駅の電光掲示でも案内されており、伊勢市をはじめとした三重県中勢と、尾鷲市・熊野市あたりの三重県紀州との繋がりはそこそこあるらしい。さしもの近鉄三重県紀州までは到達しておらず、荷坂峠を越えるにはJRが頼りなのだ。

ちなみに参宮線の始発は伊勢市4:45発と極め付けに早く、山手線や中央線といった東京の国電に引けを取らない。紀勢本線普通新宮行き始発も松阪5:20発と早く、6時台になってゆっくりと動き始めるローカル線が多いなか、三重県中勢の始発の早さは際立っている。近鉄の鮮魚列車しかり、今でも列車で三重県中勢から津・名古屋・大阪などへ魚の行商に出向いたり、或いは大都市側から買い付けのために中勢や三重県紀州へ出向く需要がけっこうあるのだろう。朝早い漁師の生活に合わせたダイヤが根付いているようだ。

・通学に特化した不思議なダイヤ

多気に到着すると、乗ってきた普通亀山行きは紀勢本線新宮方面からの接続を待つわけでもなく、16分停車。不思議に思っていると、鳥羽方から空車のキハ25の2両編成がやってきて、そのまま連結。伊勢市からずっとガラガラだったが、多気から更に2両増結の4両になり、更にガラガラになってしまった。しかもこの列車、津の2駅手前の高茶屋で9分停車し、伊勢市を31分も前に出た快速みえ2号名古屋行き(上り始発)に抜かれてしまう。つまり、伊勢市を出て津に着くまでの間、多気で16分、高茶屋で9分、計25分も停車時間があるという、朝に県庁所在地へ向かう列車とは思えないほどのんびりした普通列車というわけ。

f:id:stationoffice:20180629184352j:image多気で空車を2両増結
f:id:stationoffice:20180629184357j:image主要駅らしく古レール利用の屋根が架かる

一見不可思議なこの妙なダイヤは、津の1駅先、一身田(いしんでん)駅徒歩7分に所在する三重県下屈指の進学校高田学苑への通学需要に合わせたものであろう。まず、津を目前にした高茶屋で追い抜いていく快速みえは津から伊勢鉄道へ入っていき、一身田を通らないため、4両編成ではあるものの高田学苑への通学列車にはなり得ない。加えて近鉄線の中では高田学苑に一番近い、その名も高田本山(たかだほんざん)駅も、高田学苑からは徒歩25分ほどと遠い。高田学苑の生徒数は4,000名弱におよび、このうち25%が津方面からのJR利用だとしても、この伊勢市6:29発→津7:50発→一身田7:54着と、熊野市5:03発→津8:26発→一身田8:30着の2本に、三重県下全域から約1,000名の通学客が殺到する。4両編成の空車は詰めに詰めれば800名程度乗せられるので、だいたい計算が合うだろう。

なお、この伊勢市6:29発→津7:50発→一身田7:54着の次の、熊野市5:03発→津8:26発→一身田8:30着普通亀山行きに乗っても、高田学苑の8:50の始業には間に合う。いるかいないかは別として、高田学苑から145km、3時間27分も離れた紀南の中心都市、熊野市からの通学も可能ではある。このことからも、JRが通学に最大限配慮しているダイヤを組んでいることがわかるだろう。

ちなみに近鉄高田本山駅は、高田学苑の母体である浄土真宗高田派総本山専修寺(せんじゅじ)に因むもの。専修寺高田学苑は隣接しており、専修寺の僧侶が高田学苑の教師を務めていたり、高田学苑のカリキュラムにも仏教的要素が取り入れられているなど、両者は不可分の関係にある。高田学苑専修寺寺子屋が発展して成立したものであり、明治以降に成立した公教育よりも古い歴史を持つため、「三重県下で最も歴史ある学校」と言われる。奈良の東大寺学園(その名の通り東大寺が経営)、京都の洛南高校(東寺の境内に位置し真言宗の連合が経営)など、寺社を経営母体に持つ進学校は関西に多いが、高田学苑もその系譜の一つにあると言えよう。

話を戻すと、このような状況だからこそ、多気や高茶屋で何分停車しようが、JRにとってはこの1駅のために空車を用意しさえすればいい。むしろ津を前にした高茶屋で敢えて快速みえが追い抜くことで、津で降りる乗客を快速みえに誘導し、普通列車に乗せないようにして、極力空車のまま津に到着させ、大量の通学客を迎えているのではないかと思う。JRにとってはたった1駅のためだけに津から30kmも離れた多気から空車を送り込まざるを得ず、効率が悪いとしか言いようがないが、このような実態とあっては致し方ない。

朝の上り列車とは思えないほど遅い普通列車のダイヤ。その裏には、限られた設備で局所的なピークに備えなければならないJRの苦心が見え隠れする、「スジ屋」の知恵と工夫が込められていた。

・荷坂峠を越えて

6:51に多気に到着し、下りホームへ階段で渡る。件の普通亀山行きの増結劇を観察しているうち、6:57に亀山からやってきた紀勢本線普通新宮行きは昨日と同じ、ピカピカの新車・キハ25の2両編成。綺麗な車体に整然とロングシートが並ぶが、こうも乗客が少なくてはその収容力を持て余してしまう。先程の津→一身田のような局所的な混雑は別として、近鉄がない三重県南部唯一の鉄道ゆえ、長距離乗車も多い紀勢本線普通列車なのだから、扉間くらいはボックスシートか転換クロスシートにしても良いのではないかと思う。

この普通新宮行き、亀山を6:08に出てさしたる長時間停車もなく多気に着くが、ここで8分停車。伊勢市からの参宮線普通亀山行きと十分に接続時間をとり、参宮線からの乗り換え客を乗せて7:05に出発。津方面からの通し乗車と合わせ、乗客は計20名ほど。

多気を出ると、支線の参宮線が直進していき、本線であるはずの紀勢本線が右へ大きくカーブしていくが、これは伊勢編初回で紹介した通り、参宮線の方が国家的要請のため、1893年という鉄道黎明期に開通した歴史によるもの。紀勢本線多気から分岐して最初の区間が開通したのは1923年と、参宮線が開通してから30年もあと。紀勢本線が全線開通し、開通以来参宮線に属していた亀山〜津〜多気間が紀勢本線所属に変更されたのは1959年と戦後になってからの話であり、人の流れとしては今なお参宮線の方が太い。多気駅の時刻表を見比べると、参宮線伊勢市方面は快速みえと普通列車が各1本/h程度、計2本/h程度が確保されているのに対し、紀勢本線新宮方面は亀山からの普通列車と名古屋からの特急ワイドビュー南紀を合わせてようやく1本/h程度。それでも1時間以上運転がない時間帯もあり、参宮線の半分しかない。伊勢と紀伊を分かつ荷坂峠の険しさ、言い換えれば人の流れの細さが、列車のダイヤにも現れていると言えよう。「荷坂峠」という名前に、峠のあり方がありありと現れている。

f:id:stationoffice:20180629184611j:image参宮線に比べ空白が目立つ紀勢本線の時刻表
f:id:stationoffice:20180629184607j:image普通新宮行きはやはりオールロングシートのキハ25系2両

基本的には海岸線に沿っていく紀勢本線だが、紀伊長島までは荷坂峠越えを含む山間区間が続く。三重県南部および和歌山県南部で広く流通する「大内山牛乳」のふるさと、大内山の駅前には大きなサイロをはじめ牛乳工場が広がっており、牛乳の生産が地場産業となっている様子が窺える。2005年の合併により度会郡大紀町(たいきちょう)となるまで大内山村の中心であったが、特急は停車しない。さらに大紀町内に特急停車駅はなく、役場最寄りの滝原駅(隣の大台町に所在するが駅前の川を渡れば大紀町)も特急は停車しない。特急に乗るためには大台町の中心、三瀬谷駅まで出向く必要がある。そのため、大紀町には普通列車を頼りにするほかなく、滝原や大内山では少ないながらも乗り降りが見られた。その大内山で上り3番列車の普通多気行きと交換し、7分停車。この日は休日であったが、下り新宮行きは2両編成でもガラガラだが、上り多気行きは4両編成に大勢の高校生が立っていた。多気の1つ新宮寄り、相可(おうか)の相可高校か、松阪・伊勢市・津方面へ向かうのだろう。8:30の始業にはこの列車では間に合わないためみんな部活なのだろうが、部活だけでも結構なボリュームだ。こちらの下り新宮行きは山間の小駅では乗降ゼロといったことも珍しくないなかで、淡々とした走りが続く。

f:id:stationoffice:20180629184756j:image駅前に牛乳工場が構える大内山。酪農が地場産業なのだ

梅ヶ谷駅を出ると山間区間をいよいよ脱し、次は紀伊長島。地図を見ると、古くから伊勢と紀伊の境をなした荷坂峠を越えるべく、紀伊長島の手前で線路がΩカーブを描いている。海岸線ギリギリまで山が続き、一気に地形が落ち込んで港町の紀伊長島に至っている様子がよくわかる。最短距離で結ばず、距離を伸ばして緩勾配にするのは、登坂性能に劣る蒸気機関車の走行を前提としたもの。このあたりは1930年代の開通であり、既に近鉄の電車特急が大阪や名古屋から伊勢を目指して駆け抜けている時代ではあったものの、いささか時代離れした設計かもしれない。しかし、国鉄の幹線は貨物列車が多いこと、また旅客列車においても気動車もまだそこまで普及しておらず、特に幹線は貨物列車と機関車を共有できる客車列車も多かったことで、蒸気機関車前提の設計にせざるを得なかったのだろう。いまこの区間を走るのは軽量な気動車ばかりで、いたずらに距離が伸びるだけになってしまっているのは皮肉なことだ。最新のキハ25をもってしても、この1駅の通過に9分を要する。

f:id:stationoffice:20180629184926j:image紀伊長島で海を見る。ここは三重県だが文字通り紀伊国

・東紀州を貫く紀勢本線

紀伊長島北牟婁郡紀北町(きたむろぐん・きほくちょう)の中心地。牟婁とは三重県南部〜和歌山県南部、東は紀伊長島から西は白浜までを広く指す広域地名で、名実ともに東紀州地域に入った。江戸期は和歌山藩領であり、山を越えた先の伊勢・津よりも、熊野古道や海を介した先の和歌山の方が往来がしやすかったのであろう。ここまで来ると和歌山県とのつながりもだんだんと深くなり、紀伊長島〜新宮(和歌山県)間の海岸線沿いのみを走る区間列車も3往復(臨時列車1往復含む)設定されている。三重県の県庁所在地たる津方面行きよりも、和歌山県の新宮行きの方が本数が多い。それだけ、沿岸部の交流の方が太いことを物語っている。その紀伊長島から高校生が乗り込み、車内はにわかに活気付いた。

紀伊長島を出て、三野瀬、船津と進む。船津駅は文字通り港のすぐ横にあり、手を伸ばせば届きそうな位置に港がある。海の近くの駅は数あれど、漁港のすぐそばという駅はあまりないかもしれない。

f:id:stationoffice:20180629185047j:image

紀伊長島から4駅、29分経った尾鷲(おわせ)で高校生はどっと降りていった。多気からここまでで一番の都会であり、現に伊勢市を出て以来の「市」、尾鷲市である。尾鷲到着は9:01で高校の始業には間に合わないが、これもやはり部活の練習だろうか。賑やかな高校生が降りていき、車内は再び落ち着きを取り戻した。

f:id:stationoffice:20180629185154j:image建物が建て込んでくるとまもなく尾鷲
f:id:stationoffice:20180629185159j:image有人改札を高校生が抜けていく。自動改札は当然無い

尾鷲から3つ目、三木里(みきさと)から新鹿(あたしか)までの12.3kmは、1959年に紀勢本線で最後に開通した区間にあたる。このあたりは入り組んだ岬と湾の繰り返しで、岬の付け根をトンネルで直線的に穿ち、湾の最奥部のわずかな平地に駅を設け、またトンネル…という繰り返しになる。紀伊長島までのうねるような山間区間と異なり、キハ25は直線のトンネルでスピードを上げる。

f:id:stationoffice:20180629185456j:image海水浴場で有名な新鹿だが近年は臨時列車の運転や特急の臨時停車はない

f:id:stationoffice:20180629185352j:image美しい海が続くが天気が残念

・津松菱百貨店の袋を提げた老紳士

熊野本宮大社の玄関口、熊野市を9:50に出るといよいよ終点・新宮までは約30分。多気から3時間15分乗り通したキハ25とももうすぐお別れ、さあもう少しで終点だ…と思っていたら、熊野市の次、9:53に着いた有井でひとりの老紳士が降りていった。多気到着の時点で既に乗っていて、自分と同じように長距離乗車だった。尾鷲でも降りず、熊野市でも降りなかったので、新宮まで行くんだろうと思っていただけに、まさかこんな小さな駅で降りていくとは、予想外だった。

そして驚くことに、有井で降りていった老紳士は津松菱百貨店の袋を提げていた。おそらくは贈答品なのだろうが、たしかに熊野市から一番近い百貨店は、松阪や伊勢市の三交百貨店が姿を消した今では、普通列車ではるか3時間半も離れた津松菱になる。この普通新宮行きの津出発は6:26で、まさか熊野市から泊まりがけで津まで出かけたのかもしれない…と思うと、これだけ離れてなお県都の百貨店の求心力が高いことを示している。また熊野市到着9時台では特急の運転も始まっておらず、この時間に着こうと思ったらこの普通列車を乗り通す他ないのも、長距離乗車が多い要因の1つだろう。熊野市では和歌山近鉄百貨店の袋より、同じ三重県内の津松菱の方がブランド力を持つのかもしれない。百貨店ブランドは、いまだ熊野市のような遠隔地でも健在なのだ。

・「次は終点、新宮」

f:id:stationoffice:20180629185631j:image終点新宮。構内は大阪から特急電車が来るため電化されている
f:id:stationoffice:20180629185627j:image隣では新大阪行き特急くろしおが乗継客を待っている

自分らを乗せたキハ25は、多気から3時間15分、津から3時間55分、始発の亀山からは実に4時間13分を経て終点・新宮に到着。オールロングシート車ではあるが、乗り心地が良いためにこれだけの長距離乗車でもあまり苦にならなかった。隣のホームには特急くろしお号新大阪行きが乗り継ぎ客を待つが、自分は一旦改札を出て、まちなかへ。

(つづく)