九州・沖縄

【沖縄】池間島へ渡る小さなノンステップバス──八千代バス【6】池間一周線 #58

宮古島の隠れ里

上り平良行きは、次の学校裏で観光客の女性2名と、地元客の少年1名を乗せた。これで乗客は自分を含めて5名となり、下りよりもだいぶ多い。

池間大橋を渡り、「島尻入口」停留所で県道230号の本線を外れる。ここから3kmは行きの野田経由と違い、「大浦経由」は各集落や目的地を縫っていく。そのため、県道を直進する野田経由よりも、大浦経由は所要時間が6分ほど長い。

県道から外れた途端にさとうきび畑が一面に広がる。「緑の波がうねる」という、森山良子の歌のフレーズが脳裏をよぎる。

1日4往復の大浦経由のうち、下り2本・上り4本は大神島へのフェリーに接続する「島尻港」停留所を経由する。島尻集落がやや高いところにあるため、集落から分岐する細い坂道をそろそろと下る。坂道は藪に覆われ、また「大神島行きフェリー乗り場」と書いてある看板はかなり小さく、知らないと見落としてしまいそう。隠されたかのような看板に、藪に覆われた細い坂道を下るとは、やはり大神島は今なお残る「秘境」なのかもしれない。

大神島へのフェリーは、大神島発17:00、島尻港発17:20が最終となるため、島尻港停留所を経由するバスは16時台で終了となる。ただ、フェリーの運航は夏季(4~9月)でも1日5便、冬季(10~3月)は更に減って1日4便のみと、本数は多くない。このバスは大神島発16:20→島尻港着16:35の最終フェリーを受け、島尻港16:39発の設定になっているものの、せっかく立ち寄ったのだが乗継客はいなかった。簡素なフェリー乗り場に対し、いやに立派な停留所の上屋が浮いている。

島尻港停留所のほか、島尻集落には「購買店前」という、これまた沖縄らしい名前の停留所もあるものの(コンビニ発達以前、生活必需品を住民共同で仕入れた『共同売店』のひとつと思われる)、通過に気づけなかった。また景色が一面のサトウキビ畑に変わり、緑の波の中をバスは走った。

大浦集落へ入る手前で、バスは再度寄り道。ゲートをくぐり、崖の上から浜辺へと取り付くような急坂をそろそろと下ると、そこは国立ハンセン病療養所:宮古南静園が一面に広がっていた。

かつてハンセン病患者はこういった隔離施設に囲われ、施設内で完結する生活を送っていたというから、その敷地は広大だ。中央に病棟があり、周辺を戸建の住居が囲むといった形で、敷地内にはカトリック教会まである。現在、南静園に暮らすのは元患者の数十名であるが、病棟では皮膚科・内科・眼科の外来患者も受け入れているようで、医療拠点としても機能している。

それにしても、崖下に広がる平地という立地は、かつて隔離施設であったことを如実に表していると言える。本土から遠く離れた宮古島の、さらに平良市街から7.7km離れた僻地とあっては、ここを訪れる人はかなり限られるだろう。南静園の入り口も林の中にあり、この先に広大な南静園が広がっているとはとても思えないような見た目。

その南静園を通り抜け、中央の病棟前に「南静園」停留所があった。この日の乗客はなし。広場で子どもがボール遊びに興じているのが、隔離施設ではなくなった今を象徴しているようだった。

大浦停留所を経て、県道83号の本線に戻る。やはり車内に動きはなく、結局池間島の漁協前・学校裏で乗った5人のまま、漁協前から約40分。17:01、(八千代)平良停留所へと戻ってきた。

ここで漁協前乗車の観光客1名と、学校裏乗車の少年が下車。そのまま市街地を走り、2つ目の公設市場前で学校裏乗車の観光客2名が下車。自分はその次の平良港バスターミナルで降りたが、またしても最後の乗客となってしまった。

* * *

下り池間島行きに平良市街中心部から乗れないという欠点を抱えてはいるが、八千代バスは宮古島の3社の路線バスの中で一番サービス・接遇・ダイヤともに優れているように感じた。

今後は平良港バスターミナルを起終点とした運行に切り替えてほしいし、宮古空港への乗り入れを検討してもよいだろう。共栄バスとのすみわけが必要かもしれないが、これからも池間島と平良市街を結ぶ「便利なバス」であって欲しいものだ。

(つづく)

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