東北・北海道

【北海道】1日1本の終着駅・新十津川へ──JR札沼線(学園都市線)(2) #51

か細い鉄路を行くキハ40

「次は、石狩金沢です。運賃は、運賃表示器でお確かめの上、つり銭の要らないよう、ご用意ください。また、この先はKitacaエリア外となります。KitacaなどのICカード乗車券でご乗車のお客様は、お降りの際に運転士にお申し出ください」

▲北海道医療大学駅の先にある架線終端標識。ここから非電化となる

ここから非電化区間となり、すなわち2020年5月での廃線が決まった線路になる。それと同時に最高速度が65km/hに制限されるようになり、キハ40は50~60km/h程度の、殊更のんびりした走りになる。景色がのびやかなだけに30km/hくらいの徐行で走っているんじゃないかと錯覚するくらい、実際のスピードよりもかなり遅く感じる。隣を並行する国道275号を走る車が、どんどん列車を追い越していく。石狩金沢の先まで4車線のよく整備された国道であり、こちらの線路はいかにもか細くて頼りない。どちらがこの地域の交通の主役かは、言うまでもない。ゆらゆらとした横揺れも加わり、列車本数が少ない区間に入ったことを体感する。

北海道医療大学から2.2kmの石狩金沢では当然、乗降無し。北海道にしては駅間が短いのは、もともと石狩当別―石狩金沢間5.2kmに駅が無かったためだ。石狩金沢も北海道医療大学駅と同じ「当別町金沢」に位置するが、1981年開設の「大学前仮乗降場」を出自とする北海道医療大学駅が恒久的な終点駅として整備される一方、1935年の路線開業時からの一般駅である石狩金沢が仮乗降場レベルに落ちぶれた挙句に線路もろとも廃止されるという、同じ町内にありながら対照的な顛末を迎えることとなった。

仮乗降場レベルの簡素なホームに、雪で滑走しないようギリギリと音を立て、強めのブレーキをかけて停まり、また発車。「次は、本中小屋もとなかごやです」と言われたところで、景色は農地が広がるばかりで、変わり映えはしない。ともすれば単調な景色が広がるばかりなのだが、窓枠に頬杖をついて雄大な景色を眺めている、この時間がなんとも至福に思えてならない。

▲貨車駅と呼ばれる車掌車を転用した待合室を持つ駅も現れる(中小屋)

本中小屋、中小屋、月ヶ岡、知来乙ちらいおつと、変わり映えのしない景色が続いたのち、次は石狩月形。石狩当別―新十津川間唯一の交換駅(北海道医療大学駅は2番線が行き止まりのため札沼線気動車同士の交換はできない)にして、この区間唯一の有人駅。下り新十津川行きは8:17に到着したが、発車は8:40と、じつに23分も停車する。このため、軽い運動がてら一旦下車する観光客が多かった。この間、上り石狩当別行きが8:34に到着し、16分停車ののち8:50に出発するのだが、なんともまあのんびりした列車交換が組まれているものだ。

また、この上下列車に接続して北海道中央バス月形線・岩見沢ターミナル行きが8:40に出発していく。中央バス月形線は札沼線と同じ1日8往復が走り、岩見沢駅まで45分。札沼線に次ぐ月形町第二の幹線交通となっている。

石狩月形駅は、出札窓口はあるがみどりの窓口の機能は持っておらず、「石狩月形→(札幌)白石/手稲ていね」「石狩月形→石狩当別」の乗車券(ピンクの常備券)か、ご当地入場券しか発売しない旨の掲示がしてあった。この時は新千歳空港→新十津川の乗車券しか持っていなかったため、帰りの分の一部として「石狩月形→(札幌)白石/手稲」までの乗車券を購入。これをもって記念とすることにした。23分停車の間に、記念に入場券を購入したり、味わい深い木造駅舎の写真を撮ったりと、観光客は思い思いに過ごす。

4月~11月であれば、月形町随一の観光スポット・「月形樺戸博物館」が開館しており、1881年~1919年にかけてこの地に存在した樺戸集治監かばとしゅうじかんを紹介しているが、この日は惜しくも冬季休館。シーズンであれば博物館に寄る観光客もいるだろうが、少しだけ駅前に出た観光客は、そそくさと駅へ戻っていく。

ちなみに、現在でも月形町内には月形刑務所と月形学園(少年院)の2つの矯正施設が立地するほか(樺戸集治監と月形刑務所は50年ほど間をおいており直接の連続性はない)、月形町の名の由来も、樺戸集治監の初代典獄(所長)となり、集治監の立地をきっかけとして当地の開拓に尽力した月形きよしの名から取られたものであるなど、月形町は今も昔も「囚人の町」でもある。

▲北海道特有の列車別改札を示す札

列車交換を終え、6分だけ上下の札沼線気動車が顔を合わせる光景は、観光客のカメラの注目を一身に集めていた。23分の停車が終わり、8:40にいよいよ発車。これまでの車窓は農地ばかりであったが、これより先は新十津川に向かって左手側に山が迫り、林間を抜ける場面も散見されるようになる。また、北海道医療大学以遠へ行く8本の列車のうち、2本が石狩月形止まりであるため、この先へ向かう列車は6本に減る。

石狩月形の次は豊ヶ岡。札沼線各駅の中でも、林間にポツンと佇む姿がファンを魅了してやまない無人駅として名が知られており、この日も豊ヶ岡駅を望む陸橋にカメラを構えている人がいた。誰もいない林間の無人駅の近くで、赤いコートを着込んで寒さ対策&埋没対策をしての撮影であり、一歩間違ったら遭難しかねない。北海道の撮影は危険と隣り合わせなのかもしれない。

豊ヶ岡駅を出てもしばらく林間を線路が抜けていき、雪を被った木々が連なる、どこか幻想的な景色が続く。

札比内さっぴない晩生内おそきない札的さってきといった、知らなければ読めないアイヌ語由来の北海道らしい駅名を持つ駅を経ると、9:05に浦臼へ着く。浦臼町の中心部に位置するが、駅は1面1線のみ。2番線らしき跡地はあるが線路、ホームとも雪に埋まっていて確認できず。かつて札沼線が石狩沼田まで通じていた時代は、札幌方の列車と石狩沼田方の列車が浦臼で分けられることも多かったらしいので、それなりの規模を持っていたのだろう。

▲線路の取り回しに2番線の跡が残る浦臼駅

ここに来る6本の列車のうち、自分が乗る9:06発新十津川行き1本以外の5本が浦臼で折り返すため、ここから先が「1日1往復・札幌方面日帰り不可」の末端区間となる。その希少性ゆえか、浦臼乗車の観光客も7~8人乗り込んできた。詳細に確認したわけではないが、北海道医療大学で降りた大学生を除いて、ここまでの降車は0に等しく、石狩月形でいたかどうか。つまり、乗客の殆どが全線乗車を目的とした観光客であり、浦臼でさらにその観光客が増えたということは、混雑のピークを浦臼→新十津川で迎えたということになる。新十津川駅自体が一種の観光地になりつつあることもあり、利用が少ないからこそ成り果ててしまった「1日1往復の列車」自体が、皮肉にも大きな観光資源となっているらしい。9:06、浦臼発。

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「観光客を乗せて新十津川へ」

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