東北・北海道

【北海道】新千歳空港が北海道のローカル線を救う日――JR札沼線(学園都市線)(4) #53

隙間に生きた札沼線

札沼線の普通列車は、北海道のローカル線の普通列車にしてはイレギュラーな通過もなく、全列車が全駅に停車する。途中駅の動きが殆どないこの状況では、日中の列車は一部の駅を通過しても全く問題ないように思うが、並行するバス路線(石狩線)すら廃止された現在においては、広域交通と地域交通のすべてを札沼線の普通列車が担うわけで、一部の駅だけを選り好みするわけにいかないのかもしれない。もっとも、繰り返すが札沼線は広域交通の機能はとっくに喪失しているに等しく、函館本線が担いきれないニッチな需要を拾い上げている「外環状線」に過ぎないのだけれども。

例えば、浦臼から月形への移動で札沼線が無かったならば、いったん浦臼から町営バスで函館本線奈井江駅へ出て、奈井江から函館本線普通で5つ目の岩見沢で北海道中央バス月形線へ乗り換えなければならない。隣町への移動なのに、たっぷり2時間はかかる。これを30分足らずで結ぶのが札沼線なのだ。ただし、そんな需要がどれほどあるか…といえば、ほとんどないとしか言いようがない。現に浦臼からの石狩当別行きの始発は8:08と、とても通学に対応したダイヤとは言えないからだ。

札沼線は、その主たる需要源たる札幌への速達性を獲得できなかったことで対札幌の需要を函館本線に奪われたこと、地域輸送においても沿線に有力な町を持たなかったために低調に推移せざるを得なかったこと、広域輸送においても新十津川─石狩沼田が早期に廃止されて起点の桑園以外の接続駅を失い、盲腸線と化したためにネットワーク性を持たなかったこと、頼みの綱だった滝川駅乗り入れも叶わなかったために函館本線・根室本線(富良野口)のバイパスとしても機能しなかったことなど、鉄道路線を取り巻く環境としてはあまりに厳しいものであった。

何せ、建設の動機であった「月形炭鉱と留萌港を結ぶ」という使命は、1931年の中徳富(現・新十津川)─石狩沼田間の部分開通から、1935年の全線開通を挟み、1943-44年の石狩当別─石狩沼田間の戦時休止までの12年間と、13年間の休止を挟み、1956年の全線運転再開から1972年の新十津川─石狩沼田間廃止までの16年間、合計28年間しか果たせなかった。しかも、1963年には肝心の月形炭鉱が閉山しており、北海道の鉄道の骨子とも言える運炭鉄道として機能したのは、わずかに19年間。あまりに儚いものであった。

それでも、函館本線という大幹線を至近距離に持ち、旅客も貨物も大した需要を得られなかったにも関わらず、札沼線が今日まで生きながらえてきたのは、190万都市・札幌を起点とし、それも運良く宅地開発のしやすい平地を通っていたため。札幌口が札幌のニュータウン鉄道「学園都市線」として発展したことで、「札沼線」も、しばらくはそのおこぼれに預かることができたからだ。

新十津川―石狩沼田間の廃線から8年後、1980年12月の時刻表を見てみると、新十津川発着6.5往復が設定されており、浦臼からは7.5往復と、今よりも札沼線区間を走る列車は少し多い。ただ、それも「少し」だ。

現在の学園都市線電車に相当する石狩当別折り返しを含めても、札幌駅に発着する列車はわずか13.5往復。石狩当別―新十津川間はさすがに今よりも若干本数が多いが、札幌市内ですら1時間1本に満たない状況では、とても都市交通として機能しているとは言えなかった。駅数も少なく、札幌、桑園、新琴似、篠路、東篠路(→拓北)、釜谷臼(→あいの里公園)、石狩太美、石狩当別の8駅のみで、今よりも5駅少なかった。団地造成を理由に東篠路駅が1967年に開業したばかりで、それまではさらに少なかったわけだ。札幌市内でも桑園―新琴似間が5km開くなどでは、利用したくともできなかった住民も多かっただろう。現在、札幌―あいの里公園は20分間隔の運行となり、札沼線区間の本数は微減なのに対し、学園都市線区間の本数は激増しているのが対照的だ。

路線としての収支を見ると、「学園都市線」が乗客を稼いでくれるために、「札沼線」があの体たらくであっても、桑園─新十津川間1路線として扱われる。このカラクリのおかげで、「札沼線」の赤字がクローズアップされにくかった。

ところが、JR北海道の経営危機が表面化してくると、路線の性格が全く異なる「学園都市線」と「札沼線」を1路線として扱うなどというドンブリ勘定は許されなくなり、年間3億円以上もの赤字を出しているという事実が明るみになり、ついにその赤字が許されなくなった。そうして札沼線は、80年間の歴史に幕を降ろすこととなったわけだ。

残る桑園─北海道医療大学間28.9kmは、これからも変わらず「学園都市線」としての役割を果たしていくことと思う。この「学園都市線」区間がもう少し長くならなかったものか、せめて函館本線から遠い石狩月形まででも残らなかったかとも思うが、札幌都市圏は桑園─北海道医療大学間と同じくらいの、だいたい30kmで収まってしまうのだ。

札幌から30kmというと、函館本線は小樽・幌向ほろむい(江別と岩見沢の中間)、千歳線で恵庭えにわといったところ。札幌から46.6kmも先に新千歳空港を持つ千歳線だけは都市圏区間が長いが、他の各線もだいたい20〜30kmくらいで都市圏輸送を終え、そこから先は特急を除けば、函館本線といえど、ローカル線そのものの実態になってしまう。石狩月形は札幌から47.9kmも離れており、新千歳空港よりも遠い。宅地開発の波が石狩当別より先へ及ぶことはなかった。

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「ローカル線はどこへ行く」

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