「釈日本紀」の「摂津国風土記」に、こんな一節がある。「有馬の郡。又、鹽之原山あり。此の山の近くに鹽の湯あり。」…有馬郡の塩の湯とは、まさしく有馬温泉のこと。釈日本紀は平安時代に記されたもので、少なくとも平安時代以前には存在を認められていたことになる。それ以来1300年以上の歴史を持つ「塩の湯」に、ぜひこの身を任せてみようではないか──。
山の中に湧く”塩の湯”有馬温泉
17:39、有馬温泉着。有馬温泉駅舎は意外にも?近代的だった。駅前は送迎バスと阪急バスが1台ずつ、ほかにタクシーが数台止まれるだけと、最低限の広さしかない。有馬温泉自体が山の中腹に開けた谷にへばりつくように広がっているため、このように多少無理がある駅前になってしまうのは致し方無い。駅前から温泉街へ向かうとすぐに急な坂で、駅が温泉街に近づけるぎりぎりに設置されたことがわかる。その証拠に、駅の反対側はなだらかだ。
駅前にある、有馬川を渡る橋はその名も「太閤橋」。もちろん太閤秀吉に因む名だが、この名になったのは2001年と、比較的近年のことだ。それ以前は「太古橋」といい、橋の形状からして「太鼓橋」が転訛したものだろう。有馬川は急峻な山々を流れるだけあって水害が多く、何度か掛け直されているのだという。この太閤橋が温泉街の入り口とされ、ここから先が温泉街となる。太閤橋から眺める温泉街は、実に情緒豊かだ。
太閤橋の脇を進み、阪急バスの大阪・梅田行き「有馬急行線」や、神戸・三宮行き「有馬エクスプレス」が発着する阪急バス有馬案内所の角を曲がると、有馬温泉に3つある公衆浴場のひとつ「金の湯」に至る。神鉄有馬温泉駅から徒歩6分ほど。
金の湯とはいかにも金好きな太閤秀吉らしい名だが、それに因むものではなく、有馬温泉の源泉自体が「金泉」「銀泉」の2つに分けられ、このうち「金泉」を引いた公衆浴場が「金の湯」、同じく「銀泉」が「銀の湯」となっているものだ。金泉は多量の塩分・鉄分を含んでいるため、湯の色が赤茶色に濁っており、これが金に見えるというもの。それに対し、銀泉は無色透明ながらもミネラル分を含んだもので、金泉と対になるべく名付けられたものと思う。金の湯の入浴料は650円と、一般的な銭湯や公衆浴場よりはやや高いが、観光地とあってはこんなものだろう。
肝心の湯は、まるで海水温泉に浸かっているのではないかと思うほどに、塩分の存在感が強かった。このユニークな湯が、平安時代以来の「塩の湯」か…と、古くから人々を魅了してやまない理由を感じる。それだけに、一日中歩き回って汗をかいた身体には、染み渡る湯であった。広い湯船で脚を揉み、一日頑張った脚をほぐす。この開放感は、また格別だ。
風呂上がりは、やはり地元の牛乳に限る!ということで、地元・神戸の「共進牛乳」の「フルーツ牛乳」をチョイス。有馬温泉には炭酸泉の源泉もあり、実は日本初の炭酸水ブランドとして知られる「ウィルキンソン」のふるさとが有馬温泉だったりするのだが、有馬温泉名物のサイダーはいまいち食指が伸びず。おそらく長いこと変わっていないであろうデザインのなかにも、レトロモダンな雰囲気を纏う共進牛乳の瓶は、有馬温泉のレトロモダンを体現しているかのようだ。塩の湯の後に味わう、爽やかな甘さを加えた共進牛乳の味は、これまた格別。
いにしえの都びとたちも、同じ塩の湯に浸かり、きっと同じような開放感に浸っていたのだろう…と思うと、歴史のロマンを感じずにはおれなかった。
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