“未完のTDR”二人の夢は続く…
あまり知られていないが、現在でもTDLの中に髙橋政知の名が刻まれている場所が2箇所ある。ひとつはシンデレラ城を正面に、ウォルト・ディズニー本人とミッキーマウスが手を繋ぐ銅像の前にある、髙橋本人による開園の挨拶の言葉が刻まれたレリーフ。
そしてもう一つは、メインエントランスを入ってすぐ、ウォルト本人が少年時代を過ごした古き良きアメリカの街並みを再現した一角「ワールドバザール」エリアにある「FOUNDER MASATOMO TAKAHASHI」と記された装飾。髙橋なくしてTDLはあり得なかったという、ディズニーのイマジニア達による敬意の表れである。
「私たちは 絶えることのない 人間賛歌の聞こえる広場を目指して 東京ディズニーランドをつくりました。 夢と勇気と希望にかがやく 世界中の人びとの顔が この広場に いつも満ちあふれていることを 心から願って…。 昭和58年4月15日 株式会社オリエンタルランド 代表取締役社長 髙橋政知」という、シンデレラ城前広場に刻まれた髙橋の言葉からは、戦争を知る世代ならではの、平和に対する思いが透けて見える。
平和とか戦争とか、そういう言葉は一切ないものの、人間が人間らしく活き活きとした時間を、なんの心配もなく過ごすことができる…ということの尊さを、このレリーフは訪れるゲスト達に向けて、静かに語っているかのようだ。
その隣には、当時の米国ディズニー社・ウォーカー社長によるメッセージが並べられている。
「この楽園へ来た 全ての方々へ “ようこそ” …夢と冒険、そして過去、未来といった魅惑の国々に、皆さんは出会うだろう。東京ディズニーランドは、楽しさ、笑顔、閃き、そして創造性を、世界中の人びとへ永遠に供給してゆくことだろう。そして、この夢と魔法の王国は、日本とアメリカの素晴らしい連帯、友好関係の、永遠の象徴となるに違いない… 1983年4月15日 ウォルト・ディズニープロダクション会長 E.カードン ウォーカー」
ウォーカー会長の言葉は、1983年という時代が直面した世相を象徴しているように思う。対ソ関係ではブレジネフからアンドロポフ(1983〜1985)、そしてゴルバチョフ(1985〜1991)に至る冷戦末期であり、核戦争の脅威からは後退したがそれでも緊張関係にあったこと。そして1973年のスミソニアン体制崩壊によって1ドル360円→(1971年より308円)→200〜250円前後の円高となって海外旅行が一般化しつつあったことなどが、この時代の出来事である。「日本とアメリカの同盟関係の象徴」、ひいては「資本主義体制のシンボル」としての役割が、アメリカ国外で初のディズニーランドの誕生というエポックに期待されていたのではないだろうか。
この頃のTDLにおけるミッキーマウスは、ミッキーマウスの基本的なイメージでもある、タキシードを常に着用していた。祖国アメリカを代表し、日本のゲストの皆さんにアメリカ文化を広める役割を持っていたかのよう。
しかしながら、現代においてミッキーマウスを「アメリカ資本主義体制のシンボル」として扱う者など、捻くれた政治学徒くらいのものだろう。「アメリカ出身のキャラクター」としての認識すら、もはやあまりないように思う。
実際、ゲストの目の前で常に日本語を話し、夏には法被を着てハチマキを締め、和太鼓を叩いて神輿を担ぐ彼の姿に「日本大好き外国人」のようなアンバランスさはなく、まるで元から日本にいるキャラクターかのように振舞っている。ドラえもん、ハローキティ、ピカチュウの横に置いたところで、まったく違和感はない。
これは、TDL開園35周年を越えて、世代間にわたるディズニーファンを獲得することに成功しているというのももちろんあるが、OLCの経営が米国ディズニー社から完全に独立していて、米国ディズニー社の戦略に関わりなくキャラクター展開をできるという点も見逃せない。
あまり知られていないが、各地に存在する「ディズニーストア」の運営に、OLCは関知していない。ディズニーストアの運営は「ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社(WDJ)」によって担われており、ディズニー映画の配給なども同社が行う。運営元が違う以上、商品展開も米国ディズニー社とラインナップを同じくするディズニーストアに対し、TDRではパークのキャンペーンと連動した独自開発のグッズが並ぶ…というように、全く異なる。
TDL開園に遅れること9年、1992年からWDJ社による運営が始まったが、2002〜2010年にかけてはOLC傘下となったこともある。この時期にディズニーストア各店舗にTDRのチケットカウンターを設けるなど、舞浜のパークとの連携が図られたものの、業績の伸び悩みにより再びWDJ社による運営に戻ったという経緯を持つ。
OLCによる商品の独自開発は、はじめの頃米国ディズニー社との軋轢も生んだという。例えば、ミッキー・ミニーの顔の形をしたアイスキャンデーは、夏のパークでは定番のおやつとなっているが、これは当初「キャラクターの顔を食べるとは何と野蛮な」という批判を米国ディズニー社から受けたという。アメリカにはそうした文化がなかったのだ。
そうした中で、OLC側は「日本にはたい焼きや造りかまぼこのように、キャラクターを象った食べ物を親しみを込めて口にする文化がある。決して野蛮な風習などではなく、寧ろリスペクトを込めた文化だ」と主張した結果、米国ディズニー社の理解を得られたのだという。このように、米国ディズニー社の言いなりになるのではなく、主張するところは主張してきたというのも、OLCと米国ディズニー社がよきパートナーシップを築いてきた理由のひとつであろう。
パーク内や、舞浜駅近くにある「ボン・ヴォヤージュ」で発売されているOLCメイドの商品の方が、ディズニーストアに並ぶWDJ社の商品よりも、どことなく魅力的なものが多いように思う。基本的に米国ディズニー社のものをそのまま発売しているため、アメリカ流のグッズが並ぶディズニーストアに対し、OLCのものはその時々の季節や流行を取り入れ、日本人ウケする商品開発を心がけているからだろう。
2005年に登場した東京ディズニーシー(TDS)オリジナルキャラクター・ダッフィーの成功は、OLCの商品開発力が花開いたものと言える。豊富な着せ替えコスチュームがあったり、パーク内の各所に「ダッフィーと一緒に写るためのフォトスポット」が用意されていたりと、コレクター心をくすぐる展開は、まさに日本人ウケするものだ。OLCオリジナルなだけあってディズニー映画には全く登場しておらず、「ディズニーが産んだキャラクターではないキャラクターが成功するのだろうか」という懸念もあっただろうが、今では関連キャラクターも続々と増え、完全にTDSの名物キャラクターとして定着している。
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東京ディズニーリゾートを造った、二人の男のまっすぐな夢。開園から36年を経て、今では二人とも故人となってしまっているが、二人が亡き後になってなお、TDRは発展し続けている。2020年にはTDLに「美女と野獣」をモチーフにした新エリアがオープンし、TDSには近年の大ヒット作「アナと雪の女王」のエリアがオープンする。
また、2019年には米国ディズニーワールドで好評を博す新アトラクション「ソアリン」がオープンしており、連日大盛況となっている。米国ディズニー社との関係がこじれた訳ではなく、オリジナリティを発揮しながら、よき関係を築いている証拠だろう。TDL10周年の記念式典において、当時の米国ディズニー社の社長が「TDLを直営でなくOLCのフランチャイズとしたことは、TDLの最大の失敗である」と、冗談めかして発言したということからも、両社の良きパートナーシップが窺える。
そしてOLCは、米国ディズニー社だけでなく、地元・浦安市とも良きパートナーシップを築いてきた。次回は、OLCと浦安市の関係を紐解きつつ、「ディズニーの街」浦安の「理想の街づくり」を考えてみることとしよう。
(つづく)