九州・沖縄

【沖縄】日本最南端・豊原バス停から始まるバスの旅――西表島交通バス #70

西表東部をめぐる

やはり大原診療所前での乗降はなく、豊原→大原港間は貸切であった。大原港でやはり15名程度を乗せ、5分程度停車。行先はやはり由布水牛車乗場が多かったが、野生生物保護センターまでとか、ホテルパイヌマヤまでとかの人もいた。さすがに15名も乗ると、中型ノンステップバスの座席が程よく埋まる。石垣港13:00発→大原港13:35着の高速船からの乗り継ぎもあっただろう。13:50、大原港発。

大原港を出ると、離島とは思えないほど広い川を渡る。川幅300mにも及ぶこの川が、西表島二番目の大河である仲間なかま川。マングローブ群落が河口域に発達しているため、遊覧船も多く出ているほか、上流へのトレッキング等のアクティビティも盛んである。大原港の正式名称・仲間港は、この仲間川の河口に位置していることによるものだ。

仲間川を渡りきると大富おおとみ地区で、町営大富団地なども立地する住宅街を形成している。反対に公共施設(竹富町西表離島振興総合センター、西表大原郵便局、大原神社など)は大原港周辺に集積しており、川の両岸でひとつながりの市街地を形成している。竹富町役場の移転が予定されるのも大原地区で、行政の中心地としての機能をますます高めることとなる。

大富バス停は、直角カーブする県道に対し、カーブの起終点から直進する道路同士がぶつかる地点にあるという特異な構造。このため、上り下りともいったん県道から逸れ、交差点の手前に設置されているバス停に停車してから、交差点を曲がって再び県道に戻る・・・というコースを辿る。実質的なバスベイとなっていて、停車している間に何台かクルマが追い抜いていった。バス停は豊原と同じような立派なものだが、さすがに上下兼用。バスの到着に合わせ、1名がバスへと寄ってきた。大富では1名降車・1名乗車。

大富を出るとしばらく集落はなく、次の古見こみは5.9km先。古見は突き出た半島の湾の奥にあって外洋の影響を受けにくいこと、小浜島に近く石垣島との往来が便利な場所であることから、西表東部で最も古くから拓けた集落。「くから(石垣島などを遥か先に)た地」といった意味合いだろうか。色々な思いを胸に未開の西表島へやってきた、古見への入植者の思いが伝わってくるかのよう。現在の古見集落は、数件のカフェ等があるものの、いたって静かな集落である。乗降はなかった。

古見から次の「野生生物保護センター」までは0.8kmと近い。しかしながら、バス停からセンターまでは徒歩10分程度を要する。集落内の停留所ではないからか、ここは路傍にバスポールが立っているだけだ。

次の美原みはらまでは2.9km離れている。西表東部の集落は3~5kmほど距離を置いて点々と存在している感じ。あまりにも険しい地形とジャングルのために島内交通までも船に頼っていた時代が長かったため、集落と集落の間が離れているのだ。道路が開通しても、集落同士の繋がりの弱さは、たいして変わらなかったということだろう。

美原集落の対岸には、マラリアのない小さな離島であった由布ゆぶ島が立地しており、美原地区とは観光用の水牛車で結ばれているほか、干潮時であれば徒歩か自動車でも往来できる。このため、マラリア根絶前の由布島は、夜間は由布島に寝泊まりし、昼間は西表島へ渡って耕作を行う、いわゆる通耕を行う農民が多く住んでいた。しかし、1961年にマラリアが根絶された後は、マラリア避けという由布島に住むメリットを失ったため、耕作のためにわざわざ海を渡らなければならない由布島の人口が急激に減少。1969年の台風で島全体が台風の被害を受けたことも追い打ちとなった。残っていた由布島民が1970年に対岸の美原集落へ集団移転し、由布小中学校は廃校となった。現在でも美原集落には、集団移転後に熱帯植物園となった由布島への水牛車観光などに従事する元島民が多く住んでいる。ただ、美原集落自体が観光地というわけではないため、美原バス停での乗降はなかった。

そして次がいよいよ由布水牛車乗場。由布島の対岸となる海岸に水牛たちが屯しており、その近くに砂利敷の駐車場とバス停留所が設けられている。県道からバス停留所までは200mほど離れており、路線バスはいったん県道を外れて波打ち際へ向かう。

由布島は西表島エリアで屈指の観光地であり、一般路線バスからも6名程度が降りていった。反対に、午後の便かつ5時間ぶりの上原港方面行き(ここまでは大原港からの折り返し臨時便を含めると1時間に1本程度ある)とあって乗車がかなり多く、中型路線車の車内はあっという間に立客が出る混雑となった。このバスで引き揚げればホテル・旅館等への到着は15時前後となり、チェックインにも都合がいいからだろう。14:14、由布水牛車乗場発。

次のホテルパイヌマヤ前は、由布水牛車乗場から7.5km先となる。この間に西表島北東部の岬を回り、豊原からずっと北東へ向かっていたところ、方向転換してほぼ西へ直進していく。岬の先にはわずかな海を隔てて無人島のウ離島うばなりじまが望め、風力発電の大風車が立ち並ぶ。

「ホテルパイヌマヤ前」は集落名で言うと高那たかな集落に相当するが、現在の高那集落はほぼ人家がなく、もっぱら「西表島ジャングルホテル パイヌマヤ」の玄関口としてのみ機能している。ちなみに、「パイヌマヤ」とは「パイマヤ」、つまりこの島の象徴であるイリオモテヤマネコの名を冠したものだ。ホテルの車寄せまではやや距離があるが、バスはそこまでは入らず、路上の停留所でのみ乗降を扱う。

「西表島ジャングルホテル パイヌマヤ」は、西表島では「ホテルニラカナイ西表島(※2019年度中に『星野リゾート西表島』へリブランド予定)」と双璧をなすホテルで、宿泊客も多い。由布島にも近いことからセットで巡る観光客も多いようで、由布水牛車乗場→ホテルパイヌマヤ前の1停留所のみの乗客もいた。パイヌマヤ前で8名程度を降ろし、立ち客は少なくなった。14:25、ホテルパイヌマヤ前発。

* * *

高那集落から次の船浦ふなうら集落までは15km離れており、県道沿いで最も集落の距離が離れる。この15kmを境に西表東部・西表西部地域が分かれ、観光資源を多く持つ西表島東部へと入ってゆく。

(つづく)

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