秘境-船浮集落の名もなき浜で
10:55、白浜港発。高速船から景色を見やると、ところどころに天然のビーチが形成されている場所があった。紛うことなき手つかずの美しいビーチだが、残念ながら到達する術がない。もし「マイ・ボート」があったなら、ああいうビーチを独り占めできたことだろう。
吹き渡る潮風に身を任せていると、僅か5分の航海はあっという間に終わった。さっきと同じく少年が浮桟橋へ飛び移り、ロープで船体を手繰り寄せ、フェンダーに船体を噛ませていく。それに合わせて、親父は逆噴射をかけ、船体を浮桟橋へと近づけていく。その流れるような連係プレーに、惚れ惚れとしてしまうほどだ。
船から眺める船浮の集落は、当たり前だがこぢんまりとしたものだった。旅客ターミナルのようなものは見当たらず、トイレ等を兼ねた赤瓦のあずまやがやや目立っているくらいで、沖縄の集落にしては正直、彩りに乏しい。言い換えれば、僻地の中の僻地である船浮は、竹富島のような「村」としての営みがあったとまでは言えず、飾らない海人の生活があるのみであったからこそ、彩りに乏しい集落が形成されたと言えるのかもしれない。
船浮の集落に上陸すると、集落は港から右手に向かって広がっているが、左手には無機質なコンクリートの建造物があった。「琉球真珠 西表養殖場」と掲げられており、どうやらここが生産拠点であるらしい。真珠といえば伊勢志摩のイメージがあるが、沖縄にはサンゴをはじめとした装飾品の文化があり、真珠もそのうちの一つなのかもしれない。
港から竹富町立船浮小中学校を結ぶ200mほどの通りが、船浮のメインストリートと言えるものの、軽自動車1台分くらいの幅しかない。この途中に民宿や御嶽など、集落を構成する全ての建物が詰まっており、さすが海人の暮らしに特化した集落といったところ。
メインストリートと並行する通りがもう1本あるがこちらには店はなく、静かな住宅が並んでいる。
港に面した通り(?)は家々が隙間なく並んでおり、なかには店らしく看板を掲げた建物もある。しかし覗いてみても犬がくたーっと横になっているだけで、商売しているんだかどうなんだか。このあたりのユルさは、何とも沖縄の離島らしいと言えよう。
「ぼくのなつやすみ」の世界そのものだった、竹富町立船浮小中学校を校門から見物。
メインストリートをもう少しだけ進んでみた。小中学校前から急に道幅が狭くなり、さほど高くもない防波堤を越えるべく坂道になる。
その坂を越えると、船浮港からいくばくも離れていないところに、名もなきビーチが一面に広がっていた。
看板一つ立っていないが、サンゴや貝殻の破片でできた白いビーチが、約200mにわたり、弓状に連なっていた。ゴールデンウィーク真っただ中だというのに、こんな美しいビーチに、誰もいない。その美しさと静けさに、しばし言葉を失い、その雰囲気に飲まれるしかなかった。
船浮のビーチといえば「イダの浜」が有名だが、集落からイダの浜までは尾根を横切る山道を15~20分ほど歩かなければならない。その点、この「名もなき浜」は、船浮港から徒歩3分程度という近さにして、誰もいない。なんと贅沢なビーチであろうか。
無数に打ち上げられている貝殻を手に取り、水切りの要領で海面に投げてみる。放った貝殻は波しぶきをあげ、数度水面を跳ねた。その素朴な景色、飾らない海、そのままの浜に、しばし時間を忘れ、佇んでみる。都会で鬱積した悪いものが、目の前の美しい海に、ゆるりと溶け出していくかのよう。
この海と、この空が、ウチナンチュを育てているというわけか―――。
(つづく)