九州・沖縄

【沖縄】”バスの楽園”沖縄の「うちなータイム」 – 琉球バス交通【120】名護西空港線 #1

沖縄といえば、僕にとってはバスの楽園。

普通、青い海に白い砂浜であるとか、常夏の南の島の景色を思い浮かべるところであろう。

しかし、那覇市街地を走るモノレール以外に鉄道が存在しない沖縄では、バスがほぼ唯一の公共交通機関である。中には那覇から名護まで2時間半から3時間をかけ、一般道経由で街々を縫って走る長距離路線が健在で、しかもこれが30分間隔で走っていたりする。

東京で長距離路線というと、東京駅から多摩川べりの等々力までを結ぶ【東98】がそれなりに有名だが、それでもせいぜい1時間。鉄道が殆ど無い沖縄とはスケールが違う。

 

大学時代、47都道府県を全て回るべく躍起になっていた中でも、小学生当時に一度家族旅行で訪れていたということもあり、鉄道が殆ど無い沖縄にはなかなか足が向かなかった。

「駅事務室」というタイトルの第一稿としては甚だ不向きではあるが、現代に生き生きと走る長距離バスたちの姿を追うべく、会社の後輩・O君と共に、16年ぶりに沖縄を訪れることにした。

 

* * *

 

「ウチナータイム」という言葉をご存知だろうか。

ウチナーとは沖縄人のことを指す。つまり、「時間におおらかな沖縄人ならではのゆったりとした時間感覚」のことを言う。沖縄人は時間にルーズだ、ということは度々話題になるが、一方でこれが沖縄人ならではのおおらかさ、優しさを形成しているのだということも言え、一概に批判はできない。しかし、のっけからウチナータイムの洗礼を浴びることになろうとは。

 

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2018/2/9羽田空港の保安検査場を抜け、ゲート前に辿り着いたのは出発20分程前。

休前日の午前中ではあったが、那覇ゆきを待つ人々で、13番ゲート前は人だかりができていた。

しかし、搭乗が始まったのは出発のわずか4分前。保安検査場では「出発時刻は飛行機が動き出す時間です」という念入りな案内があったにも関わらず。本当に4分で出れるの?と思っていたが…

 

実際、JAL905便が動き始めたのは定刻15分後、8:40だった。

 

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那覇空港での乗り換え時間は35分を取っていたので、まあ間に合うだろうとは思っていたものの、これ以上遅れられると、昼食の調達や「沖縄路線バス周遊パス(高速バスを除くバス3日間乗り放題+ゆいレール24時間券1枚付きで5,500円)」の調達に支障が出る。12:00のバスに間に合わないと、その次に乗り継ぐバスが14便しかない過疎路線のため、たちまち行程が破綻してしまう。快適なフライトではあったものの、とにかく間に合ってくれと祈るしかなかった。

 

那覇空港到着はさらに5分遅れ、20分遅れの11:45であった。出発が遅れた上に上空で更に遅れるとは…。飛行機からしてウチナータイムで動いているとは思わなかった。沖縄人が操縦桿を握っていたんじゃないか?と言いたくなるが、フリーパスと昼食を調達すべく、16年ぶりに沖縄に着いた感慨もそこそこに、走るしかなかった。何しろ、ここを逃したら、宿に着いてなお補給ができる地点は皆無であったからだ。

沖縄に通いなれたO君の案内だけが頼りだった。

 

JTBで売っているはずの「沖縄路線バス周遊パス」は観光案内カウンターで買うよう案内される更なるハプニングに見舞われたものの、パスと昼食のポークおにぎり=スパムおにぎりこと「おにポー」を何とか仕入れた。

リラックスするために訪れた沖縄でいったい何でこんな目に遭うのか。

名護ゆきが出発するバスポールに辿り着いたのは出発3分前。そして出発予定時刻の1分前に、120系統 牧志経由 名護バスターミナルゆき」はやってきた。いきなり予定が狂うかと肝を冷やしたが、これで一安心。ドアが開き、いよいよ車内へ。乗務員さんにパスの日付欄を見せた。

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「はいはい、こんにちは。どうぞー」

 

何とも沖縄らしい挨拶であった。普通「お待たせしました、●●ゆきです」のような、事務的なアナウンスがあるところ、「こんにちは」である。思わずO君と頬が緩む。乗客は自分を含めわずか3名。2月にして車内は少々暑い。窓を開け、風が入るようにしておく。

 

さあ、いよいよ長躯2時間半におよぶ旅の始まりである。

 

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…と思ったが、定刻をいささか過ぎても出発する気配がない。乗務員さんは軽く伸びをしている。はて、バスを間違えたか…と怪しみだしたくらいで、ようやくドアが閉まり、出発。始発の那覇空港を出る段階で、特に理由もなく3分ほど遅れてしまった。

飛行機からしてウチナータイムなんだから、バスも多かれ少なかれそうなんだろう…と思うくらいで、この時点では気にも留めなかった。

が、この「理由なきウチナータイム」に度々悩まされることになるとは、知る由もなかった。

 

12:03、国内線旅客ターミナル発。

琉球バス交通120】名護西空港線 名護バスターミナルゆき。

 

16年ぶりの那覇は想像以上の都会的な活力にあふれていた。

福岡とまではいかないが、長崎や広島のようにバスがくっついたり離れたり、何車線もある立派な国道沿いにオフィスが立ち並ぶ。

エメラルドグリーンの国場川を渡り、那覇の中心部に入っていく。

「国場」を「こくば」と読むあたりも、いかにも沖縄らしい。

 

フロントガラスに「牧志経由」と青の掲示があるバスは、現代の那覇の目抜き通りたる、国際通りを貫いていく。道の左右に極彩色に彩られた土産物屋や沖縄料理屋、居酒屋が立ち並び、ヤシの木が青い空へ向かって伸びている。広い歩道には観光客がそぞろ歩き、呼び込みの声がこだまする。

とても30万都市のそれとは思えない、エネルギッシュな空気に満ちていた。

 

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そんな中を、いかにも地元の空気を載せた、路線バスが堂々と真ん中を走っていく。

国際通り上にある県庁北口、松尾、牧志(まきし)の3つのバス停を経るうち、いつしか乗客は15人ほどに増えていた。観光客風の顔は、僕らくらいしか見えない。

 

市街地を抜け、沖縄の背骨・国道58号に出た120番は、流れに乗ってスピードを上げる。

このあたりが那覇市浦添市の境目で、都会の景色から郊外のそれへと移り変わってゆく。

幾分空気が間延びしたところで、空港で買った「おにポー」を開いた。

こんがりと焼かれたスパムスライスと、甘い卵焼きが挟んであるという単純なおにぎりなのだが、塩気があってジューシーなスパムと、甘い卵焼きが見事にマッチする。一口頬張ると色々な味が飛び込んできて、実に愉快だ。ハワイ発祥というが、やっぱり南国の味なのだろう。

 

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バス停が、単に道路端に立つポールから、屋根・ベンチ・大型の案内掲示板を備えた、まるで小さな駅のように大きなものになってくると同時に、左手車窓に広大な米軍基地が広がる。

牧港(まきみなと)補給地区、通称「キャンプ・キンザー」である。

時折設けられている高速道路の料金所のようなゲートの屋根は赤瓦に漆喰といかにも沖縄らしいが、青々とした芝生の奥にスクエアな建物が立ち並ぶ光景は、いかにもアメリカらしい。

市街地のど真ん中にある嘉手納基地や普天間基地と異なり、国道58号から浜の手がすべて基地であり市街地から隔絶されているが故、表立った返還運動は起こらなかったそうだ。

しかしながら、密集市街地たる那覇の目と鼻の先にこんな広大な景色が広がっているのは、異様な光景と言わざるを得ない。事実、国道58号を挟んだ反対側は、浦添市を過ぎて宜野湾市内に入っても、マンションが脈々と連なる市街地なのである。

 

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延々と続いた牧港補給地区が尽きると、海側へ宜野湾バイパスが分かれてゆく。つまり、牧港補給地区があるが故に、一番交通量が多い那覇浦添にかけてバイパス道路を建設できなかったのであるが、驚くことに海上に高架橋を設けることで解決されようとしている。浦添北道路」と呼ばれるそれは20183月開通予定で、訪問時点では開通を記念する道路ウォーキングイベントの宣伝が、浦添市宜野湾市に留まらず広く各所でなされていた。

開通すると、那覇空港から宜野湾市沖縄コンベンションセンターまでの所要時間が現在の30分から21分になるというから(国土交通省資料による)、現状の国道58号がいかに猛烈に混雑するかがわかろうかというもの。

このように、米軍基地を回避するために海上に延々と高架橋を造らねばバイパスを建設できないというように、市街地の健全な発展を米軍基地が妨げている側面もあるのは、事実として認めざるを得ないであろう。

 

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浦添市から宜野湾市へ入ると、巨大なロードサイド店が連なるようになる。

中には、沖縄ならではの「ブルーシールアイスクリーム」や、ハンバーガーショップの「A&W」といった顔ぶれも見える。ここまで来ると、当然ながら「わ」ナンバーのクルマは駐車場には見えない。店内に覗く顔はウチナンチューばかりだろう。

那覇市内で乗せた乗客もぽつぽつと降りはじめ、車内には気怠い空気が漂ってくる。

気づけば、片側4~5車線もあった国道58号は、いつしか片側2車線の平凡な国道になっていた。

 

* * *

(つづく)