東北・北海道

【栃木】快速を継いで会津へリレー:北関東を駆ける東武日光線急行──東武日光線 #64

南栗橋ダッシュ!日光線急行

6:56に幸手を出ると、次は終点・南栗橋。南栗橋では隣のホームへ待機する、南栗橋始発・急行33列車:東武日光行きへ乗り継ぎとなるのだが、幸手を出た段階でドア前のベスポジを巡り、静かな小競り合いが始まっていた。

そして南栗橋へ7:01に到着すると、ドアから弾かれたように乗り換え客がダッシュし、急行東武日光行きへ殺到する。何しろ、4扉6両の区間急行南栗橋行きから、以前の快速と変わらない6050系・2扉4両の急行東武日光行きへと殺到してゆくものだから、ドア付近はまさに激流であった。瞬く間にボックスシートが埋まってゆくなかで贅沢は言っておれず、進行方向逆向きながら、何とか座席に収まった。

▲南栗橋で接続を取る半蔵門線からの急行南栗橋行きと、南栗橋始発の普通新藤原行き。南栗橋では4扉10両の半蔵門線直通急行・準急と、2・4扉4両のローカル区間への列車との接続が終日行われている

…と思ったら、「ここにもう一人来るので、退いてくださいな」というようなことを、隣のご婦人が言うではないか。確かに後から座ったのは僕だが、何で更に後から来る客にせっかく獲った座席を譲らねばならんのだ。嫌な顔をしていると、悠々と来たもう一人のご婦人が、憮然とした顔でこちらを立って見下ろしている。このまま居座っても全く悪いことはないし譲る義理もなかったが、何よりそんなことを言う輩と下今市まで同じボックスシートに収まるのは腹の虫が悪かった。黙って席を立ち、高校生が収まっていたボックスシートの前に立った。高校生なら、そんな長距離の移動はしないだろうから、程なく座れるだろう。

▲扉間にずらりと並ぶボックスシートが印象的な6050系の車内。行楽客が多い日光線急行運用ではこのボックスシートが瞬く間に埋まっていった

浅草始発だったら、この「南栗橋ダッシュ」はなかったことだ。ダッシュ乗り換えは危険だし、高齢者が突き飛ばされるようなこともあるのではないかと心配になるが…。

この急行33列車:東武日光行きは、快速33列車と同じ列車番号が象徴しているように、まさしく快速33列車の代替となる列車だ。南栗橋始発に立て替えられた以外は、快速停車駅に加えてJR宇都宮線接続の栗橋駅にも停車するようになったこと、下今市の分割・併合が無くなって2両減車、4両とも東武日光行きになった(=鬼怒川線へは下今市で乗り換え)ことが相違点である。停車駅が同じ板倉東洋大前─下今市間の所要時間で比較すると、当時の快速33列車が板倉東洋大前7:23発→下今市8:15着の52分であるのに対し、現在の急行33列車は板倉東洋大前7:16発→下今市8:07着の51分と同等。

快速時代の末期、午後の下りと上り全列車は「区間快速」としての運転で、下今市から先ではなく新大平下から先が各駅停車となっていた。この急行は全区間快速運転だった下り4本の快速の流れを汲み、下り4本が午前中に固まって設定されている。午後は、以前の区間快速に代わり、南栗橋発の普通東武日光行きや新藤原行きが1時間に1本運転されるようになった。新栃木までの区間列車も1時間に1本あり、南栗橋─新栃木間は両者合わせて1時間2本というのも、今までと変わらない。

▲かつての快速・区間快速は、上り列車はすべて区間快速としての運転だった。現在の急行・区間急行もそれを踏襲する

言うなれば、以前は南栗橋までの都市圏区間、南栗橋から新栃木までの近郊区間、新栃木から先のローカル区間と3段階であったところ、現在は南栗橋までの都市圏区間、南栗橋から先の近郊・ローカル区間というように、ローカル区間が南栗橋へと南進したような形になった。区切りを少なくし、合理化を図ったと言える。

▲新栃木に停車中の6050系普通南栗橋行き(左)。かつて6050系普通は新栃木以北の閑散区間のみの運用だったが、快速・区間快速廃止後は近郊区間の南栗橋まで乗り入れるようになった

なお、上りは区間快速と同等の「区間急行」としての運転で、やはり新大平下まで各駅停車であるほか、栗橋・南栗橋停車となり、午前に2本、午後に3本が運転される。

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「北関東を駆ける日光線急行」

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