東北・北海道

【栃木】快速を継いで会津へリレー:北関東を駆ける東武日光線急行──東武日光線 #64

北関東を駆ける日光線急行

さて、その日光線急行は、南栗橋を立ち客もある状況で7:02に出発。ただ、扉の前には高校生が多く立っており、乗車時間がさほどでもないことを示している。1駅でJR宇都宮線乗り換えの栗橋となり、高校生を中心に乗り降りがある。狙い通り、僕の前のボックスシートに収まっていた高校生が席を立ち、1駅立っただけで座席にありつけた。

栗橋を出ると利根川を渡る。ここまで来ると陽が高くなっており、水面に煌めく朝陽が眩しい。それと同時に、一段と農地が広くなってきて、都市近郊を脱しつつあることが感じられるようになる。やはりこの辺りからは「北関東」だと、個人的にも思う。

利根川が埼玉・栃木の県境のように錯覚しやすいが、利根川以北の新古河・柳生の2駅は旧北埼玉郡北川辺町(現・加須市)に属しており、次の板倉東洋大前のみ群馬県邑楽郡板倉町、さらに次の藤岡から栃木県・旧下都賀郡藤岡町(現・栃木市)と、あまり明確な境もないままに県境が連続し、よそ者には意識しにくい。

板倉東洋大前では、その名の通り大学生が20名程度降りていった。日光線では一番新しい1997年の開業で、群馬県主導で開発が進む板倉ニュータウンの中心駅として開設された。ニュータウンの売りとして日光線快速が停車するというものがあったが、2006年の快速→区間快速への格下げ、2017年の快速廃止という段階的な削減は地元でも問題となっているようで、町議会でも「約束が違う」と取り上げられたようだ。この最中の2009年に、東洋大学の一部の学部が白山キャンパス(本キャンパス)へ移転し、乗降客数がそれまでの3分の2に減るという逆境にも遭っている。ただ、ニュータウンの人口増加で持ち直し、現在では2009年以前の水準に近い4,100名/日ほどに復した。それでも、快速廃止で大きな打撃を受けた駅であることに変わりはない。7:16、板倉東洋大前発。

新大平下を経て、次はJR両毛線に接続する栃木。また、その次の新栃木から分岐する東武宇都宮線も、ほとんどの電車が1駅乗り入れて栃木を始発・終着とするため、東武宇都宮線乗り換えの機能も実質的に担う。急行は新大平下、栃木、新栃木と3連続で停車するが、特急が停車するのは複数の接続路線を持つ栃木だけだ。

▲栃木で接続を取る特急スペーシアと、栃木始発普通東武宇都宮行き。

栃木県名を冠する市でありながら県庁所在地ではないが、これは1871年の栃木県設置当時は県庁が栃木市に置かれていたところ、1873年に「宇都宮県」を合併したのち、1884年に県庁が宇都宮市へ移転したという経緯による。

その栃木では高校生がごっそり降りたが、多くは栃木駅からスクールバスとなる國學院大學栃木中学校・高等学校の生徒だろう。急行は栃木までの栃木県内の停車駅が新大平下しかなく、県立高校生の利用は限られるのに対し、私立高校生は県境関係なしに動くからだ。高校生が降りた急行の車内はゆとりができ、南栗橋から約30分でようやく立ち客がいなくなった。7:32、栃木発。

▲日光線から宇都宮線が分岐する新栃木。駅名標でも分岐駅であることを強調している

次の新栃木で東武宇都宮線が分岐してゆくと、その先は関東平野も終わりに近く、だんだんと上り勾配が感じられるようになってくる。新栃木までは1時間2本の普通が走るが、それより先は1時間に1本に減り、これは遥か先の会津若松まで変わらない水準である。

新栃木から14分で新鹿沼。JR日光線の鹿沼駅へは北東へ2.5kmと離れており、鹿沼市役所などの中心部はこちらの方がやや近い。だんだんと傾斜地になってくるために周辺にはゴルフ場が多く、新鹿沼駅前には主に特急の到着に合わせ、ゴルフ場への送迎車が多数集まってくる。この急行からも、何人かゴルフバッグを抱えたゴルファーが降りていった。7:50、新鹿沼発。

次はいよいよ日光線から鬼怒川線が分岐する下今市。新鹿沼を出ると、スピードは乗っているものの、平地が狭まるに連れて上り勾配が明らかにきつくなってくるのがわかる。谷筋を抜けるような箇所もあり、関東平野の果てであることを実感できる。下今市の1駅手前、明神─下今市間には東武鉄道唯一となる山岳トンネルもあり、トンネルを抜けた急行は、上り勾配の先にやや開けた平地にある、下今市駅へと滑り込んでゆく。

▲下今市で発車を待つ6050系

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「分岐駅・下今市」

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