関東

【茨城】農村、工業、ニュータウン、そしてコロッケの町へ──関東鉄道竜ヶ崎線(3) #45

コンビニひとつない駅前。果たして、本当にここはコロッケの街なのか…?

市民が育てた名物コロッケ

さて、加盟店の中で一番人気の「髙橋肉店」までは徒歩1.7km。歩くにはちと遠いが、初見では竜ヶ崎駅の難解なバスを理解できず、あまり考えずに歩くことにした。

▲「竜ヶ崎駅前」なのはいいとして「竜ケ崎市」になっている。もはや市としてもどうでもいいのかもしれない

竜ヶ崎駅は龍ケ崎市街地の西端のような場所にあり、市役所には徒歩8分と近いが、市街中心部へは徒歩10分ほど。竜ヶ崎駅からはほぼ一直線に商店街が連なっている。かつてはこの道が県道5号(竜ヶ崎潮来いたこ線)だったのだろうが、現在では北側にパイパスができ、そちらが本線となっている。

…しかしまあ、御多分に洩れず、かつての中心市街地は活気がない。駅近くではマンションになっている所もあるが、多くの店はシャッターを閉ざしている。たまにシャッターを上げている店があっても、爺さん婆さんの溜まり場になっているばかりで、一見には近寄りがたい雰囲気だったり。「この先に本当にコロッケ屋がいくつもあるんだろうか」という気さえしてくる。

商店街を歩いていると、堂々とした旧家が目に入った。両脇には防火水槽まであり、水道が当たり前でなかった時代のものであることが察せられる。母屋の奥には中庭が覗け、カエデが色づいていた。四季の彩りを感じられる、落ち着いた佇まいが美しい。「登録有形文化財」のプレートまで設置されており、文化的・学術的にも価値を認められた建築物であることはわかるが、それ以上の説明は何もない。中庭には今風の軽自動車が停まっているあたり、現役の人家であって、観光地ではなさそうだ…と思い、この時はその場を後にした。

後で調べるに、この旧家は「旧小野瀬邸」といい、干鰯ほしかなどの問屋業で財を成した商家であったようだ。その後、競売を経て所有者が変わり、今に至るという。競売にかけられた時期に取り壊しを防ぐべく、登録有形文化財に認定されたものと思う。今は個人宅となっており、静かな時間が流れているが、こうした文化財の保存には困難が付きもの。京都でも町家が年々減っているというが、地域の歴史の証人でもあるだけに、取り壊しを免れて本当に良かったと思う。

その旧小野瀬邸の脇には「上町辻かみまちつじ」のバス停が建っていた。駅前で見たものと同じ種類のものが、ここでは二本。ちょうど竜ヶ崎駅から1km弱の地点にあたり、このあたりが龍ケ崎市街地の中心部にあたる。「上町辻」というバス停名も、古くからの四つ角であったことを今に伝える名で、堂々たる旧家に恥じないものだ。

さて、駅から10分以上歩いてきたが、ここに至るまでコロッケ店がひとつもない。本当にここはコロッケの街なのか…?と思い始めてきたあたり、目に映ったのは「まいん」という名の公共施設。実は、この「まいん」こそが龍ケ崎コロッケの原点と言える施設なのだ。

「まいん」の並びに構えている「チャレンジ工房どらすて 龍ケ崎コロッケ会館」。竜ヶ崎駅から歩くこと1km、ようやくコロッケ店に辿り着いた。興味深いのは、「まいんコロッケ」という看板を掲げていること。「まいん」からはやや離れているが、なぜ「まいんコロッケ」?…小腹が空いていたこともあり、おやつ代わりにコロッケをいただこうと、中に入ってみた。

「もともとは、あそこの『まいん』にやって来る子供たちのおやつに、婦人会が作って出してやってたのがはじまりなんですよ。それが評判になって、イベントを開いて、ついには商工会を巻き込んで、お店を出して、って。今はここでやってますけど、『まいん』から始まったコロッケですから、『まいんコロッケ』」

まいんコロッケをゆっくりと、しかし手慣れた手つきで揚げるおばあちゃんが語ってくれた。「まいん」とは「まんが」「インターネット」の頭文字を取ったものだそうで、漫画・インターネットが利用できる児童館という。なるほど、なかなかセンスあるネーミング。

「これは米粉クリームコロッケって言ってね、最近人気なんですよ。舞茸がミソだね」

「じゃあ、それをひとつ」

「ありがとうね。ねえ、●●さん、クリームひとつ取って。あれ、クリームは幾らだったかなあ」

なんとものんびりしたやり取りが続く。コロッケがこんがりと揚がり、アツアツの状態で紙の小袋に入れてくれた。180円也。

「この、コロッケ割引券を使いたいんですけども」

「ああ、これね。お兄さん、竜鉄りゅうてつ…関東鉄道でいらしたんですか」

おばあちゃんの口から、”竜鉄”という単語がポロッと出た。竜鉄とは、言わずもがな竜ヶ崎線開業当時の「竜崎鉄道」によるもので、1944年に鹿島参宮鉄道へ合併されるまでの呼称であった。1965年にはさらに常総筑波鉄道と合併して関東鉄道となるのだが、二度の合併・社名変更を経てなお「りゅうてつ」の名前が、こうして地元に根付いているのは、実に興味深い。

「りゅうてつ」の言葉は「りゅうがさきせん」より短く、語呂もよく、「龍ケ崎へ至る鉄道」という言葉として明確になる。このフリーきっぷの名前も「竜鉄コロッケ☆フリーきっぷ」であり、「竜鉄」が今なお地域に溶け込んだ名称であることがよくわかる。

「このきっぷで来る人、多いですか?」

「あんまり見ないね…たまに来るけど。クルマの人のが多いんじゃないかなあ。そうそう、お兄さん、竜鉄で来たなら、つり革のコロッケは見ました?面白いでしょう、あれ」

竜ヶ崎駅から最も近い部類(950m、徒歩12分)のまいんコロッケですら、フリーきっぷのコロッケ割引券を使う人はそう多くないらしい。シリアルナンバーを見ても345番だったし、そもそもの数があまり出るものではないのかもしれない。ただ、竜ヶ崎線車内の装飾にまで話が及んでいるあたり、おばあちゃん世代にとっての竜ヶ崎線は、貴重な交通手段であることも窺い知れた。

「竜鉄はねえ、私鉄だから。運賃が高いんですよね。でも、私たちは佐貫駅まで車で行かないで、竜ヶ崎の駅から竜鉄に乗るんです。その方が、竜鉄にとっても、みんなにとっても良いでしょう。竜鉄があるから、お兄さんみたいな人も来てくれるわけだからね」

まいんコロッケのおばあちゃんは、運賃に対してはちょっぴり苦情を出しながらも、なんとも力強い言葉をくれた。僕が「竜鉄」を自然に理解しているからか、もはや訂正することをしなくなったのはご愛敬か。

こうして地元の利用客に支えられているからこそ、竜ヶ崎線のようなミニ鉄道は走り続けることができている。こうした意識がもっと龍ケ崎市民に根付いていけば…。こうしたコロッケのまちづくりは、これからも竜鉄が走り続けていくための、一助となることだろう。

まいんコロッケの目の前にある「竜ヶ崎二高入口」バス停を過ぎ、なおも東へ。牛乳ケースに年代物の「たばこ」看板が残る古めかしい商店も残る。歴史の長い商店街であることがわかる。ちょうどこのあたりで、一直線だった商店街が緩いS字カーブを描いており、古い時代の区割りならではのものと思う。

そのシケインを過ぎたところに、本日二軒目の「服部精肉店」がある。竜ヶ崎駅から1,4km、徒歩18分ほど。その佇まいはいかにも年季の入ったもので、古き良き時代の肉屋の雰囲気を今に伝えている。

「うちのコロッケはね、ヤマイモなのが特徴でね。普通はジャガイモだけど、ヤマイモはサクサクした軽い食感になるんですよ」

年季の入ったカウンターから、店主のおばちゃんが答えてくれた。もちろん、精肉店なのでコロッケだけということはなく、メンチカツもあればトンカツもあれば鳥の唐揚げもあれば、精肉も色々。その中で、「豚の味噌漬け」なるメニューが気になった。

「ああ、それはうちの看板メニューのひとつですよ。薄切りと厚切りがありますけど、どうしましょう。薄切りは生姜焼きくらい、厚切りはトンカツくらいですね。焼けばすぐ食べられますから、お土産にもいいですよ」

こうした「町のお肉屋さん」が残っている街は、とても良い街だと思う。冷凍食品でもなく、スーパーのお惣菜でもない、手仕事のお惣菜を手軽に味わえる環境は、もはや珍しくなってきている。「町のお肉屋さん」が存立する基盤には、「家で作る手間は惜しいが、さっと調理できるおかずが欲しい」という需要があること、つまり「働くお母さん」が多いところ、という要素がある。街の皆がよく働き、よく食べるからこそ、こうしたお店が成り立つというわけだ。

「龍ケ崎のコロッケは『地域団体商標』って言ってね、特許庁のお墨付きも貰ったものなんです。最初、商工会の連中は馬鹿にしてたんだけど、コロッケフェスティバルとか、コロッケ会議とかで、多くの人が龍ケ崎に来るのを目の当たりにすると、さすがに認めざるを得なくなったみたいでね。それを見ているのが、面白くて」

町おこしの先駆者ってのは、やっぱり最初は風当たりが強いらしい。それに耐えて、実績を出して、慢心せずにアイデアを出し続けること。基本のコロッケだけではなく、「米粉クリームコロッケ」「ヤマイモコロッケ」といった変わり種のメニューも考え、それを町全体でアイデアを競い合う。コロッケという、言わばどこにでもあるものを街の名物にまで仕立て上げた裏には、こうした皆の努力があってこそなのだ。

「最近は、結構遠方から来てくれる人も増えてきてね。そのことが、頑張る理由にもなるんですよね。ありがたいことです」

笑顔でコロッケの思いを語ってくれる奥さん。その笑顔は、しっかりと前を向いていた。

さて、3軒目にして、当初の目的地に設定した髙橋肉店に辿り着いた。竜ヶ崎駅から1.7km、徒歩21分と聞くと結構長いが、こうして寄り道しながら歩いていると、割と短く感じた。ただ、この距離はバス停7つ分。髙橋肉店へは、関鉄バス江戸崎線・コミュニティバス環状ルートの「城南中学校入口」バス停が最寄りとなる。時間さえ合えば帰路はバスを利用しても良かったが、やはり30分以上待ち時間があり、今回もやはり乗れなかった。

店内に入ると、有名人のサインがずらり。その中でもやはり目を引くのは、茨城県が誇る横綱・稀勢の里関の手形だ。隣には、龍ケ崎市出身の鈴木奈々さんのサインもある。

「稀勢の里関は牛久うしく出身ってことになっていますけど、本当は龍ケ崎なんですよ。だって、小中学校は龍ケ崎だったんですから。現在のご実家が牛久だから、牛久ってことになっているだけでね。”稀勢の里発祥の地”はウチなんですよ。もっとPRしていかなきゃ(笑)」

稀勢の里関にあやかった「横綱コロッケ」を紹介しながら、店のお姉さんが笑う。稀勢の里関の体重178kgにあやかって、178gのビッグサイズ。普通のコロッケの二倍以上だ。

先程の服部精肉店にもあった豚の味噌漬けが、髙橋肉店では「龍ケ崎漬け」という商品名がついていた。贈答品にも好適とのこと。確かに、ありそうでない味だし、自分で作っても、味噌ダレのサラサラでありながらしっかりした味がつくあの感じは、うまく出せないだろう。他にも、「常陸牛コロッケ」「豚トロコロッケ」など、目を引く品々が並ぶ。

「うちは佐貫駅前の『りゅうころ』にも出店しますし、通信販売にも力を入れています。宇都宮餃子みたいな感じで、ゆくゆくは日本中のコロッケファンが集まる街になればいいな、と思って。コロッケが食べたくなったら、ぜひまた龍ケ崎に来てくださいね」

お姉さんがコロッケの先に見つめる未来は、きっと明るいことだろう。

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