産業鉄道として出発した鬼怒川線
鬼怒川温泉を出ると、鬼怒川沿いの崖にへばりつくかのような細い線路を、そろそろと辿る。鬼怒川沿いには、かつては眺望を売りにしたであろう廃ホテルが建ち並ぶ。一部はガラスが散乱するなど、荒廃したさまが電車からありありと見え、いかにも心象が悪い。
多くは川に張り出す明確な既存不適格物件であり、たとえ取り壊して建て替えたとしても同じ規模のものは建てられず、さりとて税金で取り壊すにも、川に張り出すという特殊な条件ゆえに費用がかかりすぎ、行政としても手が出せないのだろう。放置しすぎて人的・物的被害が出なければいいのだが、電車からこのような荒涼とした景色が見えてしまうのは、鬼怒川温泉のイメージにも直結してしまうだけに、なんとかしてほしいところ。
鬼怒川温泉駅から1.2kmの線路沿いに、日光市役所藤原総合支所がある。もと塩谷郡藤原町役場だったところで、かつてはここに鬼怒川温泉駅があったのだが、観光開発の進展に伴い、1964年に現在地へ駅が移転し、後に役場だけが取り残された格好である。切り立った山々から転げ落ちるように急斜面が鬼怒川へ落ち込んでいる場所であり、なぜこんな狭い場所に主要駅があったのかと勘ぐりたくなるが、それには鬼怒川温泉の歴史が関係している。
この地に湧く温泉は、江戸時代には発見されていたというが、当時は「滝温泉」とか「藤原温泉」と呼ばれ、日光東照宮へ参拝する大名や僧侶のみが利用できる温泉であったというから、一般への知名度はなかった。
現在は東武日光線と一体に機能している東武鬼怒川線であるが、日光線の1929年よりも早い1917年に「下野軌道」として開通したのがはじまりである。現在でも発電を続ける鬼怒川(水力)発電所への資材輸送のため、また沿線に点在した金属鉱山から産出する鉱石輸送のために、(当時)国鉄日光線今市駅─藤原駅間が開通。現在は観光路線として機能する鬼怒川線であるが、当初は水力発電所と鉱山への貨物輸送のために機能する産業鉄道だったのだ。
ちなみに、下野軌道線を利用して鬼怒川発電所を完成させたのは、利光鶴松率いる鬼怒川水力電気株式会社(鬼怒電)。そう、小田急電鉄の母体である。1910年に設立された同社は、豊富な水量と急峻な山々が連なる地形を持つ鬼怒川を水力発電所の適地として見出し、1913年に発電所を完成させた。鬼怒川で発電された電気は東京へと送られたほか、鬼怒電自身も電気鉄道を設立して自社利用することとなり、1927年には鬼怒電の子会社として小田原急行鉄道(現在の小田急線)が開通した。鬼怒川の電気が、小田急の電車を走らせていたのだ。なお、鬼怒電自身は戦中の電力事業者の強制統合によって鬼怒川発電所を手放さざるを得なくなったため、子会社であった小田急を統合し、会社存続を図っている。
鬼怒川発電所の完成は1913年と下野軌道線の開通よりも早いが、これは発電所建設のための専用鉄道であった路線を、鉱石輸送および旅客輸送にも対応できるよう改修した上で、改めて下野軌道線として開業させたという経緯による。1921年には隣に発電所がある立地を活かして自らも電化し「下野電気鉄道」と改称、開通から僅か4年で電化された。
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「東武鉄道の手で大観光地へ」