守谷から下館へ
守谷駅の有人窓口で「常総線一日フリーきっぷ(1,500円)」を買い求めた。土日祝日しか発売しないが、守谷→下館の片道運賃ですら1,280円もするため、かなりの割引率だ。守谷からだと、8駅先の主要駅のひとつ・石下(740円)では足りないが、9駅先の玉村(820円)からは往復するだけで元が取れる。取手から下館の全線利用なら、片道運賃(1,510円)よりもフリーきっぷの方が安い始末。これだけの出血大サービスをして大丈夫なんだろうか…と逆に心配になるが、それだけサービスしてでも鉄道に乗ってほしい…という、クルマ社会のさなかならではの関鉄の思いがあるのだろう。フリーきっぷが売れようが売れまいが列車の運行はしなくてはならないし、通勤通学客がいない土休日であれば、出血大サービスしてでも空気を運ぶよりマシだ。
▲最新のキハ5010形
エスカレーターを降りて、ホームへ向かう。往時の5両編成にも対応するホームに発着する列車が1両きりではうら寂しいものがあるが、合理化のためとあっては致し方ない。下りホームで12:49発の普通下館行きを待っていると、上りホームに水海道発の普通取手行きがやってきた。
▲筑波山のワンポイントがアクセントだ
やってきたのは最新型のキハ5010形。2017年に2両が導入され、旧国鉄キハ30形の譲受車を置き換えた。さっきから利用不振でどうのこうの…という話が続いてしまっているが、関東鉄道の気動車はここ20年ほど自社オリジナル車両ばかりで、他社からの中古車はキハ5010形が置き換えた旧国鉄キハ30形が最後。つまり、新車が導入できるだけの体力はまだまだあるというわけだ。それも汎用車でなく、常総線の事情に適したオリジナル車両。当然汎用車を導入するよりも高額になるが、そこはオリジナル車両の導入を貫いている。新車を導入して低性能の旧型車を一掃したことで、快速運転が可能になったとも言える。クルマ社会の中にあっても変わらない、その一貫した姿勢は、実に頼もしい。
やってきた普通下館行きはキハ2200形。常総線新世代オリジナル車両の第一陣にあたり、登場は1997年。まだまだ新しい印象を受けるが、登場して20年以上が経った。取手方面からは守谷駅に15人ほどが降り立ち、入れ替わりに同じくらい乗った。守谷を通り越す乗客は10人足らずで、守谷が境目になっている様子が窺える。
12:49、守谷発。関東鉄道常総線普通下館行き。
守谷から3駅先の水海道までは複線区間。次の新守谷で早くも3名ほどを降ろした。守谷→新守谷の1駅のみの乗客もいて、気動車が都市内の気軽な足として機能している様子は、実に珍しいものと思う。
小絹は古くからの住宅地といった風情。小絹→水海道は4.5kmにわたり駅がなく、農地が広がる。水海道の手前には南水海道車両基地があり、ラッシュ時のみの運用となった2両固定編成たちが屯していた。かつては南水海道にも駅を設け、周囲を開発する計画もあったようだが、TX開通で開発の主体がTX沿線へ移ってしまったのか、そのような話はぱったりと聞こえなくなった。
複線区間の終点で、半数の列車が折り返しとなる水海道では、10人ほどが降りて5人ほどが乗り込んできた。現在は常総市の中心駅であるが、2005年に結城郡石下町を編入合併するまでは水海道市であり、駅名と市名が合致していた。海から遠いのに「水海道」とは不思議に思うが、平安時代の蝦夷平定で知られる坂上田村麻呂がこの地の井戸で馬に水を飲ませたという故事があり、水飼戸→水海道へと転訛したものらしい。ただ、字面からして水運の中心地であったことから付いた地名のように思うし、現に江戸時代以降は利根川の水運で栄えた地だ。坂上田村麻呂がどうこうはともかく、水飼戸を水海道に改めたものかもしれない。常総線が開通するまで、水海道はその名に恥じない、水運の中心地であったのだ。
水海道から単線。水海道の市街地続きのなかにある北水海道は単式1面1線で、景色は市街地ながら設備がローカル化してくる。中妻を経て、三妻で上り取手行きと交換。上り取手行きはやはり1両ながら座席が埋まっていて、なかなかの乗車率。
ここまで来ると、どこまでも続く平地に、どこまでも直線が続く。キハ2400形が持てる性能をフルに活かし、95km/hのほぼ最高速で駆け抜けていく。右手には筑波山が姿を見せ、その美しい山並みがきれいに見渡せる。
南石下を経て、次は石下。快速が停車し、常総市となる前の結城郡石下町の中心駅だが、なんと昼間は無人。かつての町の中心駅ですら無人という現状に、省力化が進んだことを感じる。
ワンマン運転のため、無人駅では乗務員直後の扉しか開かない。ただ、ICカードは車内の運賃箱でなく駅備え付けのICカードリーダーでしか取り扱えないので、乗務員さんがタッチするまでを見届けていた。なるほど、これなら不正乗車はしにくい。石下で5分停車するも交換列車はなく、おそらく臨時列車などに使う「影スジ」だったのだろうと思う。
玉村を経て、次は宗道。なにやら仏門の香りがする駅名だが、現在では駅周辺に寺はない。かつての結城郡千代川村の中心駅であったが、2006年に下妻市へ合併された。現在でも駅から1kmの場所に下妻市役所千代川庁舎(旧・結城郡千代川村役場)が立地する。ここでも上り取手行きと交換し、単線ながら30分間隔でコンスタントに列車が走る様子が見て取れる。
次は下妻。快速停車駅はさすがに乗降とも多く、10人ほどが入れ替わった。ここから下館までは小さな経済圏を形成しているようで、下妻─下館間のみの区間列車も走る。なかには下妻5:54発快速下館行きといった変わり種もあり、下館でJR水戸線の上下線に接続している。ここから乗り継ぐと水戸に7:23に到着するため、8:00の用務に間に合う設定になっているのだろう。
筑波山の山並みに見とれているうち、ラストコースの各駅が過ぎてゆく。雄大な筑波山の眺めと、延々と続く田んぼを眺めていると、時が経つのを忘れてしまう。広い広い空に青々とした田んぼが広がり…ああ、これが「関東の北海道」か…と、心に染み入る。
大宝、騰波ノ江を経て、黒子で上り普通取手行きと最後の交換。単線区間での交換が3回あり、ほぼ10kmおきに交換があったため、あまり閑散路線としている雰囲気はなかった。最後の停車駅、大田郷を経ると、終点下館。守谷から1時間5分の乗車であった。
せっかく下館に降り立ったからには、そのまま折り返すのも勿体無い。全く予備知識はないが、下館市街地をぶらりと散歩してみよう。
(つづく)