東北・北海道

【北海道】1日1本の終着駅・新十津川へ──JR札沼線(学園都市線)(2) #51

観光客を乗せて新十津川へ

浦臼を出て、鶴沼、於札内おさつない南下徳富みなみしもとっぷ下徳富しもとっぷと経ても、浦臼までの景色とは変わり映えしない。浦臼を過ぎると山間に入っていくとか、そういったわけでもない。6往復→1往復に減るほど極端な需要の段落ちがあるような景色には見えないのだが、そうなってしまう背景としては、並行して国道275号を走る北海道中央バス「滝川浦臼線」の存在がある。

▲国鉄式の駅名標が残る於札内

中央バス滝川浦臼線は1日5往復(土休日4往復)が走り、浦臼駅前から新十津川駅に近い「新十津川役場」を経て石狩川を渡り、対岸の函館本線・根室本線滝川駅に至る路線である。札沼線は新十津川でどのみち行き止まりで、大した目的地も持たないのに対し、中央バスは新十津川まで札沼線と並行してから、空知地方の中心・滝川へ向かう。滝川駅からは札幌・旭川への函館本線の特急が頻発しており、札幌まで2時間以上かかる各駅停車しかない札沼線と比べ、利便性は段違いに高い。このため、空知地方の中心都市・滝川へ向かうにしても、函館本線へ乗り換えて札幌や旭川へ向かうにしても、どちらにしても札沼線の出る幕はない。沿線の高校生にしたって、月形の小さな高校よりは、滝川や函館本線沿線の高校へ向かうだろう。石狩月形―浦臼間に6往復の列車が今なお走っているのは、「並行して走るバスが無いから」以上の理由はないだろう。

新十津川―石狩沼田間が廃止された後の札沼線を、石狩川を挟む新十津川―滝川間の3kmを繋ぐことで、函館本線のバイパス線として活用しようという動きもあったにも関わらず、それは実現しなかった。滝川へ辿り着けず、石狩川を渡れないどん詰まりの新十津川が終点であり続けた札沼線は人々から見放された結果、浦臼―新十津川間は中央バスに取って代わられることとなった。たった3km、されど3kmがミッシングリンクとして残ってしまった結果、札沼線は全線開業時(111.4km)の74%にわたる、82.5kmもの長距離を失うこととなってしまった。残り28.9kmは今後も札幌都市圏を支える都市近郊鉄道として機能してゆくことと思うが、1972年の新十津川―石狩沼田間廃止時に期待された「函館本線のバイパス」としての機能が果たされることがなかったのは、残念というほかない。それを望んだのは、資金に余裕がなかった国鉄なのか、鉄道を見限っていた地元住民なのか、産業構造の変化に対応できなかった地元自治体なのか。部分廃止時、札幌側の札沼線がこうも発展するとは、まるで見通せなかったということもあるかもしれない。

▲最後の駅・下徳富。立派な木造駅舎を持つ

最後の駅、下徳富を過ぎると、次は終点・新十津川。「お客様にお願い致します。次は終着の新十津川となります。新十津川では皆様一旦降車して頂きます。降車の際、手荷物等は必ず持ってお降りください。手荷物による座席の確保はご遠慮ください。次は終着、新十津川です」と、ベテランの運転士さんが肉声放送を入れた。新十津川からの列車は1日1本、滝川行きの中央バスにしても乗り場が少々離れており、駅前から出るわけではない…とあらば、そのまま石狩当別へ引き返す人も多いのだろう。また、札幌や旭川から滝川経由で新十津川入りする人もいるだろうし、新十津川から乗車する人にとっては、折り返し客で座席が占められてしまっては堪らない。まるで大都市のラッシュ時のような「一旦ドア閉め」が、ここ新十津川でも行われているとは意外だった。

下徳富でも2名の乗車があり、1駅だけでも体験乗車してみたいという観光客がいることに驚く。下徳富―新十津川間には「中徳富なかとっぷ」なる駅もあったが、利用者僅少との理由で2006年に廃止されている。JR北海道にはこれに限らず、利用者がいなくなった駅を廃止していく例が増えているが、中徳富駅はその中でも先駆けて廃止された部類に当たる。ただ、同様に利用者が殆どいない駅は札沼線内でも他にもあるものと思われるが、中徳富だけが先んじて廃止された理由はよくわからない。路線ごと廃止になるのが、先に見えていたからだろうか。

終点といえど無人駅扱いであることに変わりはない(出札窓口に人はいるが、新十津川町観光協会による入場券の委託販売のみ)ため、途中駅と変わらず前ドアのみが開き、ぞろぞろと降りてゆく。50〜60人は降りただろう。

9:28、新十津川着。

(つづく)

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