札沼線に送る言葉
一度剥がしてしまった鉄路に再び鉄道が走ったことは、我が国においては極めて例が少ない。かつて北海道開拓の使命を担い、石炭や木材、農産物を日々運搬した北海道の鉄道も、北海道の中心が小樽・函館から札幌へ移動したこと、そして石炭産業の衰退によって産業構造が大転換したことで、役目を終える鉄道が出てきている。
しかし、現状のままでは役に立たなくとも、2022年とされる新千歳空港駅の機能向上や、2030年とされる北海道新幹線札幌延伸といった外部環境の変化を加味すれば、息を吹き返すといったこともあるはず。今は沿線をトコトコと走るローカル線でしかなくとも、やがてはその鉄路がネットワーク性を持ち、外部から旅客を呼び込んできてくれる存在になるかもしれない。その可能性が本当にないのかどうか、地域にとって本当に必要なのかどうか。北海道の鉄道は、外部環境の劇的な2つの変化を控え、未来を考える正念場を迎えている。
札沼線のキハ40から、窓に肘をついて眺める冬の北海道は、寒々しい景色なのにも関わらず、どこか温かい景色だった。でっかいどうのただ中でありながら、人跡未踏の山地が続くわけでもない、人の営みを感じられるでっかいどうを走る鉄道が、札沼線だった。
バスで石狩川を渡ると、新十津川と滝川の近さを思い知る。こんなに近いのに、ここが結ばれなかったおかげで、札沼線は函館本線のバイパスになれなかった。そう思うと切ない気持ちになるが、「たった数キロ」が結ばれなかったために、その機能を満足に果たせなかった鉄道もまた多い。その「ミッシングリンクを埋める」ことを続けてきた歴史があってこそ、今日の鉄道ネットワークが形成されてきたのだということを、川向こうの新十津川駅は、静かに語ってくれる。
札沼線の旅は、日帰りで完結してしまうものではあったが、今日のローカル線問題を考えるに際しては、これ以上ないきっかけを与えてくれた。
札沼線に残された時間は、さほど長くない。札沼線の廃止を乗り越えて、北海道の鉄道は再び輝きを取り戻せるだろうか。新千歳空港駅の拡充と北海道新幹線の開通は、その原動力になるに違いないと思っている。
(北海道編 おわり)