関東

【茨城】”関東の大阪”下館を歩く──関東鉄道常総線(2) #41

下館サティ改め「筑西市役所」

長く茨城県西部で最大の人口を持ち、県西の中心都市として繁栄を極めた下館。しかし、下館市→筑西市は人口が10〜11万人でほぼ横ばいか微減傾向にあるのに対し、1960→1990年代にかけ8万人→14万人と猛烈な人口増を経験した古河こが市に、県西の中心都市の座を奪われてしまった。県の出先機関等も古河へ移り、下館の地位が低下しつつある。JR宇都宮線で東京へ直接結ばれる古河に対し、下館はJR水戸線に乗って小山でJR宇都宮線へ乗り換えるか、常総線に乗って守谷でTXへ乗り換えるしかない。

▲下館を出る水戸線小山行き。日曜昼間だが常総線よりも長い5両編成に立客が出た。しかし本数は1時間1本と常総線の半分

また、東北自動車道・北関東自動車道のインターチェンジも筑西市内には無く、隣の桜川さくらがわ市内に「桜川筑西IC」があるだけだ。東京方面へ車で行こうと思っても、東北自動車道の最寄りICは45kmも離れた佐野藤岡さのふじおかICとかなり遠いため、常総線と並行する国道294号を飛ばし、40km先の常磐自動車道の谷和原やわらIC(守谷市)へ向かった方がまだ近い。40kmも離れたインターへ向かうくらいなら、首都圏屈指の高規格国道として知られる新4号国道を同じだけ走れば埼玉県内へ突入しているし、高速料金をケチりたい向きなら、延々国道を走っていくだろう。インターへのアクセスが重要になってくる工場の立地にも、あまり適しているとは言えない。

このように、下館は鉄道も道路も東京方面へのアクセスが便利であるとは言いにくい立地にある。東京へのアクセスの差が、古河・筑西の両市の差に繋がっているのかもしれない。

常総線を降り、ホーム上にある常総線の中間改札口を抜ける。下館駅は北口駅舎をJR、南口駅舎を関鉄が管理しており、南から順に常総線の6・5番線、JR水戸線の4・3・2番線、一番北が真岡鐵道もおかてつどう線の1番線で、唯一の行き止まりホーム。関鉄から北口へ出るにはまずホーム上の中間改札を抜け、各ホームと北口・南口を結ぶ跨線橋を渡って、北口のJR改札を抜ける必要がある。従って中間改札口では常総線の切符は回収されず、持ったままJR改札へ向かい、そこで手渡して出場という流れになる。真岡鐵道線(旧国鉄真岡線)の1番線はかつて水戸線と同じ会社の運営だっただけあって、中間改札すらない。簡易な案内所があるだけで、土休日のSLもおか運転時はここでSL整理券などの確認を行うのだろう。

▲駅舎に隣接して行き止まりの1番線に構える真岡線。SLの運転に備えて留置線を1線持つ ▲出発を待つ真岡線茂木行き。臨時列車を除き、他線への直通運転はない ▲常総線(5・6番線)ホームから構内を見る。各線とも1時間1〜2本が基本なので、3路線とも概ね接続はよい

▲ステンドグラスが印象的な下館駅北口。モダンな雰囲気が好印象

レトロモダンな雰囲気を残す下館駅北口駅舎を出ると、目の前に筑西市役所が鎮座していた。しかし「SPICAスピカ」という市役所らしからぬ建物名が塔屋に書かれており、館内の案内板もSPICAの表記が目立つ。

▲駅前の交差点にドンと構えるSPICAビル、またの名を筑西市役所
▲わずかに残ったテナントが往時の雰囲気を伝える

市役所らしからぬ丸っこい建物に「SPICA」という名前がついているのがいかにもだが、この建物はかつての「下館サティ」である。

1991年に下館サティとしてオープンしたが、2001年のマイカル破綻を受け、2003年に一旦閉鎖。サティを引き継いだイオンリテールへの転換は叶わなかった。その後、サティ跡へテナントを入れ替えて再オープンにこぎ着けるも、テナントが二転三転。ついに食品スーパーまでもが撤退してテナントが根付かず、2007年・2017年と段階を分けて市役所がSPICAへ移転。老朽化していた市役所の移転先として活用されることになったものだ。

基本的には市役所庁舎として使用されているが、1階にはヤマザキYショップが入り、物産コーナーも併設されているほか、5階にはスポーツクラブやパソコンスクール、保険代理店などがテナントとして入っており、ショッピングビルだったころの面影を残している。

1階のヤマザキYショップ前にはイスとテーブルが複数並べられ、高校生の自習スペースとして機能していた。訪問当日は日曜日だったがテナントが入るために閉まることはなく、ヤマザキYショップも普通に営業していた。下館駅前という立地ゆえ、電車を待つ間に自習ができるこのスペースは高校生にとって便利だろう。ヤマザキYショップで買った飲み物を片手に勉強している高校生も多く、良い関係を築けていそう。

▲高校生が集うヤマザキYショップ前のスペース

こうした駅前のショッピングセンター跡を役所として再利用する例は最近増えてきており、有名なところでは2008年に閉店した旧さくら野百貨店石巻店を再利用した石巻市役所がある。2010年に市役所としてオープンし、かつ1階には食品スーパーをテナントとして入居させ、商業機能を残しつつ業務機能のスリム化を図った例として注目された。JR石巻駅前に立地することから公共交通機関利用での来庁も便利であり、百貨店時代に十分に駐車場を整備していたため、車での来庁も便利という、理想的な立地であると言えよう。ただし2017年に食品スーパーが売り上げ不振で撤退しており、1年経っても後継テナントが決まっていないため、地方都市の中心市街地における商業の不振は深刻である様子が見て取れる。石巻市は東日本大震災を契機に都市機能をJR石巻駅前へ集約させる方針を固めており、2016年には石巻市立病院が市役所の隣へ移転。買い物需要も高まることが予想され、市長も後継テナント誘致には目処がついたと報告している。

<石巻市役所>1階の核テナント 市長、スーパー誘致に自信https://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/201811/20181109_11008.html

市役所のSPICA移転によって、駅前のビルが無人になっているという最悪の状況は脱したものの、それでも駅前の一等地を役所が占めてしまっているというのは、やはりどこかうら寂しいものがある。市街地が古い故に時代の変化に対応しにくく、マイカー時代についていけなかったという表現に尽きるのだろう。江戸時代は石川氏9代にわたる太平の世を築き、繁栄を謳歌した「関東の大阪」の今の姿がこの駅前であるとは、正直なところ信じ難い。

▲いまや駅前の店は構内のニューデイズとSPICAのYショップくらいしかない

その下館サティ亡き後、駅前のスーパーとして機能しているのは、下館駅北口から徒歩5分ほどの「かましん 下館店」ということになろう。2002年に下館サティが閉店し、2009年には後継テナントも完全撤退というなかで、2007年に開店したかましん。かましんの1号店は、下館から真岡鐵道線に乗って1時間ほどにある終点・茂木駅が所在する栃木県芳賀郡茂木町で、下館とは深い関係にある。栃木県外の店舗はこの下館店1店のみ。

▲市街中心にありながら広い平面駐車場を構えるかましん下館店

そして、茨城に地場を持つスーパー・カスミですらも、下館駅付近には市街中心部をやや外れた南側と西側にしか構えられていない。市街中心部の買い物需要は、県外資本のかましんに抑えられてしまっている状況である。このことからも、下館と栃木の結びつきの強さが窺えよう。
要は、下館は茨城県にありながら栃木県との結びつきが強いものの、茨城県にあるがために栃木県との交流がなかなか便利にならず(県外への流出を促す公共投資は必要であってもなかなか為されない)、さりとて茨城県の県土軸を成す常磐線・国道6号線からも外れてしまっているために県都・水戸への交流も便利にならないという、挟まれた地域故のジレンマに置かれているわけだ。


スピカを後にしてそのかましんへ向かうと、スピカ移転前の市役所の隣という好立地にして、広大な平面駐車場を完備しているという、クルマ社会ならではの平べったいスーパーが広がっていた。面しているのは大して広くもない片側一車線の普通の道路で、隣近所は小さな建物が密集する市街地なのだが、まるでここだけは国道沿いのロードサイドのような雰囲気だ。訪問日が日曜日だったということもあり、広くて清潔な店内は、買い物客で賑わっていた。鮮魚コーナーには那珂湊をはじめ茨城の港で上がった魚が並んでおり、とても栃木は茂木資本のスーパーには思えない…というよりも、内陸県の栃木で鮮魚を売るには茨城からの仕入れが欠かせず、茨城から栃木への仕入れルート上にこの下館が合致したのだろう。栃木から魚を仕入れようと思ったら、東京へ向かうよりも茨城の方がよっぽど近い。

(次ページ)
最期の時を待つ「下館市役所」

1 2 3 4