関西

【兵庫】関西の奥座敷・有馬温泉を目指した鉄道たち──神戸電鉄有馬・三田線 #37

ニュータウンを結ぶ…神戸電鉄三田線

三田駅を出て、右急カーブで福知山線と別れたところで、武庫川を渡る。このあたりの武庫川は護岸工事がなされ、都市河川といった風貌。とてもこの下流に、武田尾あたりの渓谷があるとは思えない景色だ。

三田〜有馬温泉付近の拡大図。神戸電鉄三田線と国鉄有馬線は起終点こそ同じだが、経路はやや異なる。

武庫川を渡ると三田から1.0km、三田本町さんだほんまち。「次は、三田本町、本町です」というアナウンスが独特だ。神戸電鉄で「〜本町」とっくのは三田本町だけだし、ヘタに三田を付けるよりも、単に「本町」と言った方が通りが良いのだろう。三田駅は武庫川対岸に位置し、駅が開設されてから発展した市街地であるのに対し、こちらは名前の通り、三田の旧市街にあたる。しかし辺りは閑静な住宅地といった風情で、数人が乗り込んだだけ。三田駅からこうも近くては、当然降車はなかった。

三田本町を出ると、ほどなく横山。この駅で有馬・三田線と公園都市線が分岐する。「三田学園前」の副駅名がつき、学生が何人か乗り込んできた。単線故に15分間隔のパターンダイヤを崩すことが難しく、福知山線に合わせたダイヤにしにくいのであるが、その代わりに神戸電鉄線内の接続はほぼ完璧に整えられている。公園都市線は神戸電鉄の路線で唯一神戸方面への直通列車が走らないが、その代わりにこの横山での接続は、公園都市線→神戸方面、神戸方面→公園都市線ともに3分接続。横山駅は島式1面なので、ともに電車を降りれば反対側に乗り換え先の電車がやってくる。こうした乗客本位の構造は、この先の有馬・三田線と北神ほくしん急行線の接続駅・谷上たにがみでも見られ、神戸電鉄の特徴の一つと言えるだろう。

横山を出ると単線となる。三田からの複線区間もここまでで、有馬・三田線はこの先有馬口まで単線・複線が入り混じる区間となり、公園都市線もウッディタウン中央まで単線。三田―横山間の複線区間は、有馬・三田線と公園都市線の電車が両方乗り入れてくるための設備であり、双方だけなら単線で足りるという、需要量も透けて見える。

神鉄道場しんてつどうじょうはかつて道場川原どうじょうがわらと名乗った。周囲の開発に応じて「鹿の子台」の副駅名がつき、「川原」のマイナスイメージが忌避されたものだろう。福知山線にも道場駅があるが4kmほど離れており、全く別の駅。ちなみに、道場の名はかつてこの地にあった大谷本願寺(現在は東西本願寺へ分裂)の末寺が道場(=仏道の修行をするところ)を開いたことに因むものであり、現在は特に有名寺院があるわけではない。1面2線に拡張できる余地を持つが現在は1面1線のみの使用。だが、この拡張余地が陽の目を見る機会はもはやないだろう。乗車時は暗くてよくわからなかったが、かつての国鉄有馬線の線路跡が今でも駅付近に残っている。があり、すぐ近くにあった国鉄有馬線の新道場駅は児童館に姿を変えたようだ。

道場南口はかつて新開地からの電車が折り返す駅だった。道場南口で新開地発着の4〜5両編成と、三田発着の3両編成が接続をとるダイヤが長いこと続いていたが、1991年の公園都市線開通に合わせて全線4両対応となった。これで三田まで新開地からの4両編成が直通するようになり、道場南口での乗り換えは解消された。1986年の福知山線ルート変更・複線電化までは三田に出る動きも少なかったであろうし、このあたりが神戸からの需要の限界だったということだろう。福知山線の発展に伴って三田からの需要が増え、このあたりは新開地発の末端区間としての機能に加え、三田発の支線としての機能も担うようになった。つまり、乗客の流れが神戸をピークとする右肩下がりであったところが、神戸と三田の双方向へ向かうようになり、流動が複雑化した。これによって、三田口は大いに活性化することとなったのだ。

「次は、二郎、二郎です」…次は二郎にろう。どう見ても人名にしか見えず、少々調べた程度でははっきりわからないが、やはり人名由来の地名であるようだ。少なくとも1871年の廃藩置県から1889年の町村制施行までは有馬郡二郎にろ村として存立しており、古くからの地名であることが窺える。なお、二郎駅も1979年までは「にろ」読みであり、より一般的な読み方に近い「にろう」読みになったのは、やはりこのあたりの開発に伴うものだろう。「にろう」のアクセントは「二浪」ではなく、人名の「じろう」と同じであり、これも関東式とは異なるものだ。1面1線のみの小さな駅で、三田線の他駅が大きく開発が進んだなか、二郎駅だけは昔の佇まいを残している。

田尾寺たおじを経て、次は岡場おかば。2面4線の高架駅であり、三田線内では最も大きな駅だ。「藤原台」の副駅名がつき、駅前にはショッピングセンターも構えるなど、地域の中心として機能している様子が窺える。三田から続いてきたニュータウンは岡場で一区切りがつき、ここからしばらくは神戸と三田を隔てる山越えの区間となる。

岡場は運転上の要衝でもあり、三田からの三田線最終(三田0:39発)は岡場までの運転(岡場0:54着)であるほか、朝は神戸・新開地行きの始発がこの駅から出る。上り2本のみ運転の特快速とっかいそく(『特別快速』でなく『特快速』は全国でも神戸電鉄だけ)はここから北神急行線接続の谷上までノンストップとなり、昼間の普通と北神急行線の乗り継ぎで三宮まで28分のところ、24分で結んでいる。こうしたことから三田から乗ってきた乗客はニュータウンが尽きる岡場で殆ど降りてしまい、残っている乗客はここまでのニュータウン区間で乗ってきた乗客ばかり。三田と神戸を短絡する需要は、もはやあまりないようだ。

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谷間の小さな接続駅・有馬口

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