道路が通じておらず、船でしか行けない西表島の秘境・船浮集落。その船浮へ行く唯一の手段・船浮航路に乗った先に、GWなのに誰もいない”名もなき浜”が眠っていた。
【2日目】
浦内10:06発─(西表島交通バス白浜行き)─白浜10:23着…白浜港10:55発─(船浮海運フェリー船浮港行き)─船浮港11:00着…船浮港12:30発─(チャーター船)─白浜港12:35着…白浜12:40発─(西表島交通バス豊原行き)─大原港14:18着/14:25発─(西表島交通バス由布水牛車乗場行き)─野生生物保護センター14:39着…(環境省西表野生生物保護センター見学)…野生生物保護センター16:09発─(西表島交通バス白浜行き)─浦内17:12着
バスも人も西表島で第2の人生
翌、4/28(日)。この日は、西表西部・浦内のペンションから改めて白浜港に向かい、船でしか行けない集落・船浮を見学したのち、いったんバスで西表東部・大原港まで向かい、大原港から臨時バスで引き返して「野生生物保護センター」を見学、そしてまたバスで浦内のペンションに戻るというコースを組んだ。昨日はずっとぐずついた天気だったが、今日は雨は止んでいた。少なくとも、これならフェリーが出ないとかいうことは無いだろう。
下り白浜行きの始発は10:06。ずいぶん遅い設定だが、白浜方向への通学の流動が全く無いためと思う。逆の上り豊原行き始発は7:57発とそこそこ早い。これは、小学校こそ白浜、祖納(西表)、上原と転々とあれど、中学校は祖納(西表)、船浦と限られた立地となるため、白浜→祖納、浦内・住吉・中野・上原→船浦といった通学の流れがあるためだろう。上り豊原行きの船浦到着は8:17と、8:30の始業に十分間に合うようになっている。
浦内からだと船浦よりも祖納の方が近いようにも思うが、祖納方向へは沖縄県最大の河川である浦内川を跨ぐこと、また船浦中学区域の5集落はほぼひとつながりの集落を構成していることなどから、船浦へ組み込まれているのだろう。よって、朝の時間帯に下り白浜行きを使う通学生は全くいないということになり、始発が10時過ぎという、なんとものんびりしたものになっている。
バスは1〜2分遅れながら、ほぼ時間通りにやってきた。 豊原から約1時間半を経ているにしては、殆ど遅れていないあたり感心する。フリーパスを見せて出発。10:06、浦内発。
浦内川ではやはり観光客が何人か降りていった。干立、祖納では地元客の乗り降りがわずかにあり、差し引き乗客10名程度でラストコースへ。バスは時間通り、10:23に終点・白浜へ到着。今日の白浜港は、晴れ渡っていた。
バスの写真を撮っていると、強面の乗務員さんに話しかけられた。昨日も見た顔だった。長駆、豊原からの乗務がまずは終わり、うまそうに紫煙を燻らせていた。
「兄ちゃん、バス好きなのか」「ええ、島を走るバス、好きなんですよ」
「そうかい。そりゃ、嬉しいね。どっから来たんだ」「東京です」「東京のどこだ?」
ずいぶん突っ込んで聞くもんだと思いながら、何となしに答えた。
「なんだ、近くじゃないか。俺もその辺なんだよ」
西表島なのに近くとはこれいかに、と不思議に思っていると、免許証を見せてくれた。なるほど、現住所がたしかに東京都内だった。どういうことなんだろう。
「定年して、こっちに来て、運転手やってるってわけよ。ボケ防止」
なんでも、都内でバス乗務員をやっていたわけでもなく、未経験ながら、セカンドライフとして西表島でバス乗務員をやることにしたのだという。家や家族はどうしたのか、とも思ったが、何となく聞かないでおいた。ずいぶん思い切ったセカンドライフなことだ。あまり目の前のことばかりに囚われず、この運ちゃんのような自由さがあっても、いいのかもしれない。
「兄ちゃん、何で西表島のバスは運賃先払いか、わかるか」
西表島のバスは区間制ながら整理券式でなく、利用区間を申告した上で運賃先払いとする方式を採っている。区間制ながら整理券を用いない、似たような方式である宮古島は後払いだったが、考えてみれば何故だろう。
「西表島は離島だろう。船に乗らなくちゃ、島の外に出れない。たとえバスが遅れても、船はあんまり待ってくれないからな。だから、港に着いて、1人ずつ順番に運賃を払ってもらうなんて余裕はないわけ。港に着いたら、パッとドアを開けて、船に向かって走れるようにしているんだよ。あんまり余裕がないときは、中扉も開けて、一気に降ろすことだってある。前払いだから、俺らも取りっぱぐれることはないのさ」
興味深い話だった。上原港から送迎バスがある西部地域はともかく、東部地域と大原港を結ぶ手段は路線バスしかない。時には、一分一秒を争う時だってあるだろう。高速船との接続がなによりも重要になる、離島ならではのバスの在り方と言えるだろう。
それにしてもこのバス、どこかで見覚えのあるデザインだなあと思っていたら、川崎市バスそのままだった。写真を撮り忘れたのが悔やまれるが、シートのモケットまでそのまま。川崎市の字を消し、シンボルマークをイリオモテヤマネコのシールに変えただけのよう。
工業都市・川崎のイメージを脱却すべく、青い空、青い海に白い雲をイメージしたという川崎市バスのカラーは、図らずも遠く離れた西表島に溶け込んでいるように見えた。
かつて西表島交通では都営バスがやはりそのままのカラーで走っていたというが、あまりデザインへのこだわりはないのだろう。もっとも、潮風が吹き付ける沿岸部を走り続けるという環境ゆえ、車体のダメージを受けやすいことから、西表島交通のバスは交代の周期が他と比べ、かなり早いそうだ。
川崎からやってきたバスに、東京からやってきた乗務員さん。西表島のバスは、案外都会の手によって走っているのかもしれない。
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ニューふなうき号に乗って船浮へ