九州・沖縄

【沖縄】悩めるイリオモテヤマネコの島…エコツーリズムの最先端で──船浮海運フェリー(2) #73

チャーター船はモーターボート!

船浮を歩くこと1時間少々、あっという間に白浜へ戻る時間となった。名残惜しいが、白浜へ引き上げることとしよう。

前回記事に示した通り、船浮海運のフェリー(定期船)上原港への送迎バスとの接続を優先しているため、島内運行の路線バスとの接続がすこぶる悪い。そのため、定期船は諦め、予めチャーター船をお願いしておいたのだ(詳細については前回記事参照のこと)。

…それにしても、約束の12:30の5分前になったというのに、港には誰もいない。「時間になったら港のあたりに来てくださいねー」とは言っていたが、5分前になっても誰もいないとは。船で渡った先の西表島交通バスは、沖縄のバスにしては時間に正確なだけに、あまり遅れられるとチャーターする意味がなくなってしまうのだが。

港でやきもきしていてもしょうがないので、港から200mほど先の、船浮海運の事務所を兼ねる民宿「ふなうき荘」まで顔を出してみると、ちょうど割烹着姿のアンマーが出てきた。やれやれ、一安心である。

「あっ、S駅さんですね?」「はい。すみません、急かしちゃったようで」「いえいえ、こちらこそすみません。おそばの支度をしていたら、ギリギリになってしまって」

ここで言う「おそば」とは、言うまでもなく八重山そばのことである。昼食の八重山そばでも茹でていたのだろうかと思ったら、民宿の軒先で旅行者が何人か肩を寄せ合い、そばを啜っていた。なるほど、急に何人分のそばを茹でる羽目になったというわけか。それなら、まあ、しょうがないな。

…それにしてもこの割烹着姿、朝に白浜港で見かけたあのモーターボート「ニューじゃじゃまる」を繰っていたアンマーじゃないか。スタンディングでモーターボートを自在に操るさまは、まさに海人だと感心したものであるが、そのアンマーのモーターボートに乗れるとは。

「出ちゃえばすぐですから。40分のバスには十分間に合いますよー」

そう言うと、定期船が出る浮桟橋ではなく、モーターボートが係留してあるマリーナの方へ向かっていった。ひょいと飛び移り、操縦桿を握った。僕も後に続き、おっかなびっくり「ニューじゃじゃまる」号に飛び移る。

「揺れますから、気をつけてね」「あっ、忘れないうちに、船賃お支払いします」「ありあら、どうもありがとうね」

船賃2,000円を支払うと、最初から全速力で出発。船浮は内海で波が高くないので、小型船舶の全速力でもそこまで揺れない。

岸から離れたところで、気になっていたことを聞いてみた。

「定期船には『網取』の字がありましたけど、今でも網取にあの船が行くことはあるんですか?」

「今はないね、やめちゃった。10年くらい前(注:2010年)までは週に1便だけやっていたんだけれども、誰も乗らなくなっちゃったからね。ただ、今の網取は釣りの名所になっているから、私もお父さんも網取までこの(チャーター)船を出すことはよくあるよ」

網取は1971年に廃村となった。それから約50年が経過しており、特に海中などはもはや自然に還っているのだろう。そうであれば、魚たちの楽園となっていることは想像に難くない。1976年以降は東海大学の施設が立地しているものの、海中に与える影響は大きくないだろう。

なにしろ、東海大学の関係者は海洋研究のために網取までやって来ているのであり、その海洋生物の生態を脅かすようなことはあり得ない。網取とは読んで字の如く網で(魚を)取る、という意味に他ならず、かつての網取は漁師たちの村であった。それが廃村となってしまったのだから、網取の海は魚たちの楽園となっているに違いない。船をチャーターしてまで、釣り人がやってくるのも当然だ。

「そうなんですね。ところで、船浮の方は、みんな船の操縦ができるんですか?」

「そりゃそうだよ、この村は船が車代わりでね。船に乗れなきゃ、どこにも行けないんだから。どこの家にも一隻は船があるよ」

この広い日本で、「どこの家にも一隻は船がある」集落など、いくつあるだろうか。国内唯一の”三次離島”に等しい船浮集落は、かつてはどこの島や漁村にもあったであろうその生活の在り方も、いまや唯一無二のものとなってしまったのかもしれない。

そんな会話をしていると、あっという間に白浜港の港内へ入ってゆく。今度は浮桟橋へとかなり鋭角にぶつかるようにして接近してゆき、これ以上進むと激突する!というタイミングで船体を船浮方向へ向かって捻り、フェンダーを噛ませて到着。実に鮮やかな船さばきである。小型で加速力が高いからか、定期船の半分、5分で着いてしまった。

「どうもありがとう。お気をつけて。今度は是非ゆっくり、船浮にいらしてくださいね」

「ええ、また来ますよ。ありがとうございました」

礼を言うと、海人のアンマーは踵を返し、またフルスピードで船浮へと帰っていった。その後ろ姿は、海とともに生きる、海人そのもの。凛とした美しさが、去りゆく背中にあふれていた。

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イリオモテヤマネコを西表で知る

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