イリオモテヤマネコを西表で知る
さて、これから目指すは「環境省西表野生生物保護センター」。東部・古見集落のはずれに位置し、「野生生物保護センター」バス停も設けられているので、路線バスでも訪れやすい。ただ、バス停を降りて目の前というわけではなく、バス停からやや奥まった場所にあるため、バス停からは徒歩8分を要する。
西表島といえば言わずもがなイリオモテヤマネコの島であり、西表島に行きさえすればその辺のノラネコのような感じで会えるのではないか…とややもすれば思われているが、実はイリオモテヤマネコに会うことは非常に難しい。ましてや、生きているイリオモテヤマネコに会うことなど、なおさらだ。
そもそも、沖縄本島に次ぐ広さを持つこの西表島に、100頭くらいしか生息していないのだ。イリオモテヤマネコは、これまた特別天然記念物に指定されているカンムリワシと並んで、西表島生態系の頂点に位置する存在である。そのため、子ネコができてもわずか1〜3頭だけで、繁殖能力も高くない。また、現地で「ヤマピカリャー」と言われ、暗い中でも夜目が光るように、夜行性の生き物(夕暮れと夜明けの頃に活発になる)でもある。このことから、日中に活動しているヤマネコに出会うことなど、まずないと言ってもいい。
そして、環境省西表野生生物保護センターであっても、特別天然記念物であるイリオモテヤマネコを飼育展示しているということはなく、あるのは剥製だけである。よって、動物園のような環境で、その姿を見ることもできない。
しかし、そうであってもどんなネコなのか、一目見てみたいという人も多いだろう。そして、数あるネコのなかで、なぜイリオモテヤマネコが有名になったのだろうか。普通のネコと何が違うのだろうか。剥製であってもこの目で見てみたいという探究心を抑えられず、少々きついスケジュールながら、センターを見学することにした。
白浜から野生生物保護センターまでは、通常1時間20分ほど。大原港まででも1時間40分ほどなので、ほとんど島の反対へ移動するようなものである。ただ、大原港からは15分と近く、2つ隣は美原を経て「由布水牛車乗場」であり、東部屈指の観光スポットである由布島にも近い。
また、大原港〜由布水牛車乗場間は、4〜9月であれば臨時便が5往復追加され、定期4往復に加えて9往復のバスが走る。10〜17時台にかけてはほぼ1時間1本ペースとなり、利用しやすい。由布島と野生生物保護センターをはしごするのもオススメだ。
今回は、バス展望動画を撮影する都合上、白浜から豊原行きをいったん大原港まで乗り通し、7分後の大原港始発由布水牛車乗場行き臨時に乗る行程とした。また、この日の晩は前日に引き続き西部・浦内の「ペンションイリオモテ」に宿泊する予定であったため、また引き返すことになる。
白浜12:40発─(西表島交通バス豊原行き)─大原港14:18着/14:25発─(西表島交通バス由布水牛車乗場行き)─野生生物保護センター14:39着…(環境省西表野生生物保護センター見学)…野生生物保護センター16:09発─(西表島交通バス白浜行き)─浦内17:12着
さて、定期バスで大原港に着き、7分後の臨時便を待つと、やってきたのは観光車。しかし、「大原港⇔由布水牛車乗場」と行き先を掲げており、やはり路線バスの仲間。
これは、観光地である西表島は観光バスの需要が旺盛であり、夏季に増えるその観光客もほとんどが大原港─由布水牛車乗場間を直通する乗客であることから、常駐している観光車の予備車を使うのが得策であるからだろう。この時期の臨時便だけのために、通年使わない路線車を多く保有するのは不経済でもある。
その大原港14:25発由布水牛車乗場行き臨時に乗り込んだのは、全部で15名ほど。西表島交通バスは、乗車時に降車停留所を自己申告し、そこまでの運賃を前払いするスタイルであるが、ほぼ全員が由布水牛車乗場まで。由布島まで行かない乗客など、僕くらいだった。この時間帯の日常流動が極めて細いことがよくわかる。14:25、大原港発。
大原港を出て仲間川を渡った先、大富で1名降車があったが、それ以外の停留所では乗降なし。大原港─大富のみの利用は、夏季限定の市内線のような機能を、このバスが持っている証左でもある。バスは定刻14:39、野生生物保護センターへ到着した。
野生生物保護センターまでは徒歩8分。県道は海岸沿いにあるため、センターまでの道は湿地に囲まれており、汽水域に生きるマングローブの若木も目立つ。センターの手前には「西表熱帯林育種技術園」があり、この道は野生生物と熱帯植物をセットで保護する体制が整っているといえよう。曇っていたが歩いているといきなりスコールに見舞われ、ここが熱帯の島であることを思い出す。
野生生物保護センターはさほど大きい施設でもないが、学校の体育館よりやや小さいくらいの施設を、なんと無料で見学できる。その設置目的が観光のためではなく、あくまで意識の啓蒙であるためだ。
ようやく出会えたイリオモテヤマネコ「よん」の剥製は、今にも獲物に飛びかからんとする眼光の鋭さで、こちらを見つめていた。
見れば見るほどイエネコとは違う。まず、その太くて短い尾が目立つ。イリオモテヤマネコはそのイメージに反して、森の中ではなく海岸近くの低地に暮らしているそう。そのため、身体のバランスを取るための長い尾は必要ないのである。
そして、いかにも脚力自慢といった太さの後脚である。その付け根はどこまでが筋肉でどこまでが太腿なのかがわからないほど、見事にパンプアップしている。これだけ瞬発力がありそうな後脚であれば、ネズミくらいの獲物に飛びかかるのは容易だろう。その脚力を活かし、鳥に飛びかかって落としてしまうこともよくあるそうだ。
そして、その毛並みはいかにもヤマネコといったゴワゴワとした感じ(に見える)。撫でてもチクチクするばかりで、とても触り心地が良さそうには見えない。山を生きる彼らには、良い毛並みなど無用の長物。少々の衝撃くらいなら身を守ってくれる、みっちり密集した毛の方が都合がいい。
顔は細長く、いかにも風を切って野山を駆けるヤマネコといった表情をしている。対照的に耳の角は丸く、これはイエネコとの相違点の一つ。耳の角が丸いのは、古来のネコの在り方であるそうだ。西表島が大陸と地続きだったのは2〜24万年前であり、それ以後は他のネコとの交雑を経ていない。そういったことからも、イリオモテヤマネコは生物史としても貴重な存在なのだそうだ。
しかし、痛ましいことに、イリオモテヤマネコが県道で交通事故に遭うのが後を絶たないのだという。
先述した通り、イリオモテヤマネコの生息域は山の中というよりも海岸近くの低地で、主にネズミや水鳥を捕らえて暮らしている。そうしたことから、どうしても海岸沿いに伸びる県道に出てきてしまうのだという。
また、イリオモテヤマネコに限らず、県道沿いは多くの野生生物が出没することから、交通事故に遭った動物の死骸が転がっていることもある。そうした動物の死骸は、当然イリオモテヤマネコにとっても格好の餌になるわけだが、島の生態系の頂点に立つ彼らは、死骸を住処に持って帰るようなことはせず、その場でかぶりついてしまう。そのため、道路上の餌に夢中になっている間に交通事故に遭うということも、悲しいことに多いという。「道路の近くに来れば、簡単に餌にありつけるということを、どうやら彼らは学習してしまったようです」と紹介されていたのが、胸に痛く刺さった。
だからといって、クルマの利用をやめることはできないだろう。大切なことは、どうすれば交通事故に遭うヤマネコをなくせるか、ということを考えることだ。
環境省は、その対策として、縁石に逆勾配をつけて野生生物が道路に出にくいようにしたり、また道路上を横断せずとも行き来できるように、アンダーパスを設置することを進めている。前者は、ヤマネコほど俊敏でない動物が道路上に出てきて交通事故に遭い、その死骸を目当てにヤマネコが道路上に出てくるといったことを減らす効果がある。アンダーパスは言わずもがなだ。
そして、もうひとつは「島内の最高速度は40km/h」という意識を、西表島のドライバーに浸透させることだという。西表島は車の絶対数が多くないため、どうしてもスピードを出しがちになってしまう。このため、道路上にデコボコの舗装を施したり、ヤマネコ出没ポイントに警戒の標識を立てるなどの努力が進められてはいる。しかし、最も大切なのは「ヤマネコを守る」ドライバーの意識であろう。
センターの受付では、安全運転宣言をしたドライバーに、300円でクルマのリアに貼るマグネットサインを販売している。「島の命を大切に」というスローガンがあしらわれており、後続車にスピードを落とさせる効果が期待できる。「観光客なんですが、いただけますか」と聞くと、「都会でこのことを宣伝してもらえるなら」と、快く応じてくれた。
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