九州・沖縄

【沖縄】日本最西端・与那国島を巡る”無料”路線バスのはなし――与那国町生活路線バス #76

【8日目】石垣バスターミナル8:30発─(東バス【4】空港線石垣空港行き)─石垣空港9:05着…10:05発─(RAC:琉球エアーコミューター741便・与那国空港行き)─与那国空港10:45着…(海底遺跡観光)…久部良港13:28発─(与那国町生活路線バス祖納行き)─祖納13:51着…(DiDi見学)…祖納16:45発─(与那国町生活路線バス比川周り祖納行き)─久部良港17:13着…(西崎・久部良バリ見学・夕食)…久部良港21:38発─(与那国町生活路線バス祖納行き)─アイランドホテル21:51着

日本最西端・与那国島を巡る「無料」路線バス。その不思議な実態は、西の果ての島が抱える課題を解決すべく、島の期待を背負って走るものであった。

久部良港のバス停はどこだ?

▲「与那国海底遺跡」見学のグラスボート。外洋に出るので相当揺れる

13:10ごろ、久部良港で海底遺跡遊覧船を降りた。遊覧船の送迎車で送ってもらえもしたが、13:28発の与那国町生活路線バス・祖納行きが迫っており、せっかくなのでバスに乗ることとし、送迎は丁重にお断りした。

▲久部良港に係留される海底遺跡ツアー船

遊覧船乗り場は鉤型に入り組んだ突堤のもっとも内側なので、久部良の市街地まではぐるっと突堤を回ることになり、目の前に見えてはいるのだが、10分ほど歩くことになる。それにしても、港の中でも海は澄み渡っている。

▲日本最西端・久部良簡易郵便局。本当に静かな町である

…しかし、肝心のバス停がどうも見当たらない。事前に他のブログ等で調べた限りでは、「バス停よりもよほど目立つメカジキの像のあたりに粗末なベニヤ板の看板が立っており、それがバス停」というような情報しかなかった。

▲漁師の町・久部良を象徴するカジキのモニュメント。ひときわ目立っている

県道216号(一周道路)に出ると、たしかに愛嬌のあるメカジキ像はすぐに見つけられた。しかし、バス停らしき「粗末な看板」は全く見つけられない。前回紹介したように、道路運送法における路線バスではないせいもあってか、GoogleMapやマピオン等、地図アプリにもバス停の位置は載っていないようだ。そうこうしているうちに13:28の発車時刻まで10分を切り、雲行きが怪しくなってきた。…となれば、取るべき行動はひとつ。

▲「日本最西端の商店」大朝商店さん。道案内してもらいました

「ごめんください、久部良港のバス停はどちらでしょうか」

目の前の商店に入り、道を尋ねた。人の良さそうなお姉さんが、わざわざ店から出てきてくれた。やっぱり島の人はみんな親切だ。

「あぁバス停?あの橋の花壇のところに、背の低いのがあるでしょう。橋の花壇の辺りで待っててもらえば大丈夫ですよー」

「すみません、ご丁寧にありがとうございました」

▲ようやく見つけた久部良港バス停。腰の高さくらいしかないので完全に見落としていた

そう言われて改めて見回してみると、よく「私有地内につき駐車禁止」とかの掲示に使われる、ホームセンターに売っていそうなサインキューブが、路上に置かれていた。なんと、与那国島のバス停はこのサインキューブが担っているというわけか。

バス停と言うからにはてっきり背の高いものを想像していただけに、これは予想外。でも、これならば耐久性もあるし、1基2万円程度と価格も安い。汎用品を用いて安く整備したわけで、アイデアの勝利といったところ。

与那国島を巡る青いポンチョ

▲姿を現した青いポンチョ。いよいよ日本最西端を走るバスに乗る

ちょうど停留所の位置に着いたあたりで、与那国の海を連想させる、深い青色の日野ポンチョ(ショート)がやってきた。

正直なところ、初めて与那国町生活路線バスを見かけたこの瞬間まで、日野ポンチョが導入されていることを知らず、てっきり三菱ローザあたりのマイクロバスか、トヨタ・ハイエースあたりの準中型10人乗り乗用車もあり得ると思っていただけに、度肝を抜かれたと言っても、過言ではなかった。

ポンチョと言えば、各地のコミュニティバスや狭隘路を通る路線に導入されている、近年のバス界における空前のヒット作。(バスにしては)小型ながらちゃんとノンステップバスであり、車椅子での乗車も容易。そのうえ収容力もマイクロよりはあり、通常の中尺ノンステップバスより廉価とあって、近年では敢えて都市部のピストン系統(新宿駅西口〜新宿パークタワーなど)に、小型のポンチョを無理矢理突っ込むような使用法すら見られるほど。

▲運賃無料のため運賃箱がなく、また次停留所案内表示がない以外はいたって普通の車内

それでも、ノンステップバスだけにマイクロバスよりはバリアフリー対応の装備の分だけ高価であるため、まさか運賃無料の与那国町生活路線バスに、与那国町がポンチョを充てがうなど、思いもしなかったのだ。コスト削減に目を向けるあまり、乗降に苦労するようなツーステップ車のような中古車を導入したのでは、生活路線バスの主たる乗客である移動弱者、すなわち高齢者のためにならない。与那国町がきちんと福祉目的でこのバスを維持しているという、本気の現れであろう。

「お待たせしました、祖納行きです」

久部良港の停留所から出るバスは全て「祖納行き」なのだが、それでもちゃんと行き先を案内するあたり、接遇の良さに好感を抱いた。与那国町生活路線バスはテニスラケット型の循環運行であるため、ラケットの柄の部分にあたる祖納を出発したバスは、一周してまた祖納に戻ってくる。このため、与那国町生活路線バス9.5便のうち、祖納行きでないものは、朝方の祖納→与那国空港間の区間運行の1便しかない。

▲各停留所に掲示されているバス時刻表。各便ごとに違う経路もすっきりまとめられており、とても見やすい

「次は、久部良小学校前です」

乗務員さんが肉声で、次の停留所を告げた。さすがに自動放送ではないようだが、それでもきちんと案内をするあたり、やはり接遇はしっかりしている。石垣島(東バス)はさすがに都市型輸送をしているだけに自動放送があったが、西表島(西表島交通)は乗車時に降車停留所を申告し、そこまでの運賃を支払うというスタイルであったため、自動放送はあったがあまり活用されている様子はなかった。

その点、運賃無料の与那国町生活路線バスでは、乗車時に降車停留所を申告することもないので、次の停留所をしっかり案内し、降車ボタンを押してもらう必要がある。そうした在り方の違いが、案内の違いを生んでいると言えるだろう。

久部良小学校前、久部良北を減ると、農地と原野が入り混じる景色が広がった。久部良を出ると、中間にある空港周辺を除き、この先の祖納に至るまで集落はない。

▲与那国島の原野が広がる

「次は、月桃の里です」

はて、月桃の里とは何だろうと思っていたら、与那国町営の高齢者住宅・特別養護老人ホームのことだった。月桃(ゲットウ)とは沖縄から台湾にかけて自生する観葉植物で、葉が甘い香りを放つため、ムーチー(餅)を包んで蒸したり、肉や魚の蒸し焼きに用いたりするものだという。沖縄名物、ブルーシールアイスクリームのフレーバーの一つでもあるという。

県道と高齢者施設はかなり細い道路で結ばれており、小さな日野ポンチョでもギリギリの幅しかない。また、ここで初めて「テキサスゲート」を通過し、かなりガタガタとバスが揺れた。買い物に便利そうな日中時間帯だったが、乗降ともなし。狭いロータリーでバックしながら切り返し、またテキサスゲートをガタガタと跨ぎ、県道へ戻ってゆく。

▲これが「テキサスゲート」。島内に数か所設置されており、馬の蹄が嵌ってしまう幅であることから、馬の脱走を防いでいる

テキサスゲートとは、道路上に設けられた幅広の溝のこと。与那国島では、島に3つの牧場が設けられており、与那国島固有の「与那国馬」が生産されているが、その馬が集落やこうした施設に入ってくることがないよう、馬の足がはまってしまう溝を設けているというわけだ。国内で設置されているのはここ与那国島だけといい、柵で囲われておらず放牧で馬が飼育されている与那国島ならではの設備と言える。バスでも相当揺れるが、バイクでは転倒の原因となるため、注意を要する。

▲人の足もすっぽり嵌ってしまうので、通行の際は注意を要する

13:38の与那国空港(停留所名は『空港』だが『与那国空港』と案内されることが殆ど)では、3名が乗車。石垣12:25発→与那国12:55着の便を受ける設定になっており、空港から祖納方面なら、40分ほどの待ち時間での接続となるため、バス利用も有効な選択肢だ。

先述したように与那国島はタクシーが少なく、空港と言えどタクシーが待機しているわけではない。バスが直接行かない久部良・比川方面ならともかく、祖納方面ならバス利用がメインになるのかもしれない。

比川方面へのルートが分岐する「アイランドホテル」は祖納集落の外縁部にあたり、ここからは停留所の間隔が密になってくる。いかにも沖縄らしい「製糖工場」停留所を経て、山を降りると、次は祖納集落の入り口にあたる「嶋中」。ここで1名が降りるとともに2名の乗車があり、市内線的な利用もあることが窺える。

嶋中からは「コ」の字を上から辿るようにして、祖納終点へと集落を一回りしてゆく。次の「ナンタ浜」は祖納を代表するビーチといわれ、観光客も多い。ただ、僕としてはこの「ナンタ浜」停留所から次の「西3」停留所にかけて広がる「浦野墓地群」の景観に、目を奪われた。

▲海を望む高台に広がる浦野墓地群。神秘的な光景が広がる

浦野墓地群とは、ナンタ浜の東方、祖納集落の北端部の海岸近くに広がる墓地のこと。海岸から祖納集落に至るなだらかな丘に、与那国島独特の形をした墓が点々と、かつ広大に散在している景観が特徴的だ。沖縄本島でもよく見られる、琉球式の亀甲墓が主流なのであるが、沖縄本島のような盛り上がりがあまりなく、なだらかな地形に沿った穏やかな亀甲墓は、与那国式亀甲墓とでも言いたくなる、独特のものだ。

▲どの墓地も海を向いている。神は東の海からやってくるという、ニライカナイ信仰の表れのひとつと言えるだろう

それにしても、バスが浦野墓地群の中を走り抜けるというのも、なかなかない経験のように感じた。殆どの墓が海の方を向いており、生者がいる集落にそっぽを向いているのは、沖縄ならではのニライカナイ信仰(創造神や死者の霊は東方の海からやってくると考えられた)の現れと言えるだろうか。

祖納集落をめぐるコの字ルートの右上にあたるのが与那国交流館「DiDi」停留所。現地の発音では「ディーディー(2つの『ィー』が強音となり、同じ発音を繰り返す)」と読まれ、与那国方言で「会おうよ」という意味になるそう。祖納の中心的な観光施設と言えるが、このまま祖納終点まで乗り通してから徒歩で引き返すこととし、そのまま通過。

▲与那国交流館・DiDi。入場料大人200円。島の歴史や文化を大まかに理解できる。与那国島に関する図書が充実しており、風に吹かれながらの読書が捗る。

DiDiに隣接して与那国小中学校(複式学校ではなく別の学校が隣接する形)があり、バスは学校の縁を回り込んでいく。コの字ルートの右下にあたる「与小前(与那国小学校前)」を過ぎると、中心部の「役場」停留所。ここでは1名が降りた。役場を出ると、まもなく祖納・終点である。

▲祖納終点に到着したバス。ここから回送で去っていった

13:51、祖納着。路上の特に何もない場所で終点となり、降りたのは自分ともう1名。乗客を降ろした深い青色のバスは、また空港方面へと回送で去った(方向幕は固定表示で変わらず)。バスの運行受託元である最西端観光の営業所は空港近くにあるため、次の祖納15:00発まで、営業所で待機するのかもしれない。

▲集落の中心部ながら特に目立った施設はない

祖納停留所は殆どのバスの起終点となる場所だが、特段の施設があるわけではなく、県道上のやや広い場所といったくらいのもの。かろうじて観光案内の看板が立っていることが、バスの起終点らしさを示していると言えるだろうか。

▲設置スペースがないのか、祖納のみ旧ヨナグニ交通のバス停掲示板を流用している。旧ヨナグニ交通時代の表記を塗りつぶした跡がある

ただ、この祖納停留所だけは、他の停留所でバスポール代わりに設置されているサインキューブがなく、隣接する民家のブロック塀に掲げられた掲示板が停留所の標識となっている。どうやらヨナグニ交通時代の時刻表をそのまま流用しているらしく、グーグルストリートビューで確認すると、ヨナグニ交通時代の時刻表がくっきりと読み取れた。

▲Googleストリートビューより。最終の時刻は今と比べ物にならないほど早い

それによれば、最終の久部良経由比川行きは祖納17:20発と、現行の与那国町生活路線バスの最終22:10発と比べ、5時間近くも最終が早い。また、本数も1日7便と現行の9.5便に比べて少なく、始発も8:00と、現行の7:30に比べて30分遅い。これでは飲み会後に使えないのはもちろん、航空との接続にも向いておらず、使い道がかなり限られてしまう。与那国町民に見向きもされなかったのは、必然と言えるのかもしれない。

日本最西端・西崎へ

祖納16:45発、比川回り・久部良経由の祖納行きの第6便に揺られ、久部良港へと向かった。目的は「日本一遅くに沈む夕陽」である。祖納からの乗客は、またしても自分だけだった。

▲祖納で発車を待つバス。例によって乗客は自分だけだった

先程とは逆に、祖納集落をコの字に左下から辿ってゆく。集落北部の西3、東部の嶋中で乗客を乗せ、祖納集落を出る。この二ヶ所は役場などがある中心部からやや離れており、祖納から嶋中までは集落をコの字に回ることもあり、8分かかる。祖納停留所から嶋中までは歩いても5分程度なので、大回りを嫌って嶋中から乗る人も少なくないのだろう。

車寄せまで入っていく「アイランドホテル」に停車すると、なんと先程チェックインで案内してもらったホテルフロントのお兄さんが乗ってきた。「あらら、偶然ですね!」と声をかけられ、お兄さんも驚いた様子。手には缶チューハイが握られており、通勤の足としてこのバスを利用しているようだ。

仕事から解放された喜びからか、お兄さんはえらく上機嫌だった。乗務員さんとも顔見知りで、缶チューハイ片手に話に花が咲いている。「このお兄さんね、うちのホテルのお客さんなの。お部屋に荷物を置いたと思ったら、すぐ久部良まで海底遺跡の遊覧船に乗りにいっちゃって。それで、今はもう祖納から帰ってきたってことでしょ。まあ、パワフルなこと!」と、トークが止まる気配はない。

正直言って、こうしたバスが通勤の足にも利用されているとは、非常に驚いた。ヨナグニ交通時代よりは便利になったとはいえ、それでも2時間に1本のバスを、島の若者が通勤の足としてきちんと使っているのだ。クルマ通勤が当たり前なのかと思っていたが、クルマの維持には燃料代ばかりでなく、車検代、保険代などの維持費もばかにならない。その点、このバスを利用するならば、そうした心配は無用である。自転車くらいは持っているのかもしれないが、お兄さんのバス通勤には驚かされた。

▲切り立った岩場が広がる島の中央部

祖納と比川を隔てる山にさしかかり、道がぐねぐねとうねり出す。やがて峠に至ると、ヨナグニ・ブルーの海が眼下へぱっと広がった。この海の向こうに、台湾が横たわっているのか──と思うと、ロマンを感じずにはおれない。

「お二人は、台湾を見たことはありますか?」と聞いてみた。すると「何回かあるけど、いつでも見られるってもんじゃないからね…あっ、でも○○さんは、こないだ2日連続で見たって言ってたなぁ」「えー、○○さんでしょ。またいつものおとぼけじゃないの」と、つれない返事。余程条件が合わないと、ガイドブックにあるような、海の向こうに横たわる、大きな大きな台湾島は見えないらしい。

▲比川集落周辺の海。まさにDr.コトー診療所の世界

「今日は、比川で降りるよ」「えっ、こんなとこで降りてどうするの」「比川から久部良までジョギングしていくよ。運動不足だからねぇ」「まぁ。頑張ってね」

まもなく比川というところで、お兄さんは比川で降りると告げた。比川から久部良までは約4.5km、ジョギングにはちょうどいいのかもしれない。

アイランドホテルを出て3km、比川は与那国島3集落の中で最も小さな集落である。比川には小学校こそあるが、中学校はないため、バスなどで久部良まで通うことになる。一応、朝の1便は比川7:47発→久小前(くしょうまえ、久部良小学校・久部良中学校に隣接)7:59着であるため、8:30の始業には余裕をもって間に合う。また、帰りも5便が久小前15:22発→比川15:34着、7便が久小前18:57発→比川19:09着と、放課後・部活後に合わせ、久部良先回り→比川経由祖納行きが設定され、比川から久部良への通学は可能である。

テレビドラマ「ドクター・コトー診療所」のロケ地となったことで知られており、「志木那島診療所」のセットが残され、観光スポットとなっている。しかしながら、お兄さんが降りていった比川集落は実に静か。共同売店も、開いているのか閉まっているのか判然としない。さすがは与那国で最も静かな集落だけある。

▲真新しい陸上自衛隊与那国駐屯地。停留所も設けられている

「南牧場」の真ん中を走り抜け、またもテキサスゲートを渡ると、次は「駐屯地」。2016年に開設された陸上自衛隊の駐屯地で、150名規模の隊員およびその家族が暮らしている。離島防衛の重要性が叫ばれるようになった折、自衛隊の誘致は与那国町を二分する大問題となったが、推進派の町長が当選したことによって決着。緩やかに減少していた人口が、隊員の駐屯によって一気に200名も増え、現在では島民と隊員の交流も進み、島の経済も活性化しつつあるという。検問所のような建物のすぐそばを通ったが、どれも沖縄らしい赤瓦で葺かれているのが印象的で、地元に配慮した景観になっている。空港や市街地と駐屯地を連絡するために、このバスも駐屯地に立ち寄る訳であるが、乗降客はなかった。

▲久部良港に戻ってきた

そして祖納から30分、先程乗ってきた「久部良港」で下車。今度は日本最西端の地・西崎を目指し、久部良の集落から岬へと向かった。久部良港から西崎までは徒歩約20分。

▲久部良港のすぐ隣にある「ナーマ浜」。まるでプライベートビーチのような静かな浜
▲「西崎灯台」へは上り坂を辿っていく
▲観光客が多数訪れる日本最西端の地・西崎灯台。ここでも町の名産・カジキをPRしていた
▲ここが日本の西の果て
▲西崎灯台。空が広い
▲西崎から眺める久部良集落。終戦直後、台湾との密貿易で栄えたころは夜も眠らぬ町であったというが、今は実に静かな町である
▲西崎灯台から戻り、久部良港から徒歩10分ほどの町外れにある「久部良バリ」を見学。バリとは岩の裂け目を指すが、2~3メートルの裂け目を飛び越えられない妊婦や老人はそのまま転落死させられたという。人頭税の苛烈な取り立てが招いた悲劇の場である
▲特に柵やガードはないため近寄って見物できる。確かに飛んで飛び越えられる気もするが、妊婦や老人には厳しいだろう。たとえ妊婦が飛び越えられたとしても、その衝撃で流産してしまうことも多かったという
▲久部良バリで命を落とした妊婦や老人、水子のために小さな地蔵が祀られている。この島が辿った苦難の歴史を今に伝えている
▲バリの下はかなり狭く、落ちたら岩に挟まれてしまう。転落死した人々の亡骸が引き上げられることはなかったというから、今でもバリの底には無数の遺体が眠っていることであろう
▲海とバリを望む地蔵。お供え物も多かった
▲久部良バリの近くにある製塩所跡。特に説明があるわけではないが、コンクリートの廃墟が久部良バリの脇に広がっているのには、えもいわれぬ不気味さを禁じ得ない
▲朽ち果てつつあるコンクリート建築と、何も変わらない青い海。人工の建造物などかくも脆いものかということを思い知らされる
▲久部良バリから集落へ戻る地点に「日本最後の夕日が見える丘」がある。西崎よりも若干手前にあり、厳密には日本最後ではないような気もするが、島の人曰く「夕日の眺めは西崎灯台よりもこちらの方がオススメ」とのこと
▲この日は曇っていて日没は眺められなかった。テッポウユリの群生が目を引く。テッポウユリは与那国町の花でもある
▲灯りが点き始めた久部良集落。そろそろ夕飯時だ
▲20時に予約していた「島料理 いすん」与那国を代表する居酒屋である
▲与那国名物・カジキの刺身。甘く淡白な舌触りがたまらない
▲ジーマーミ豆腐の揚げ出し。普通の豆腐よりも濃厚な味わいがくせになる
▲ゴーヤーのかき揚げ。さわやかな苦みが口いっぱいに広がる
▲赤魚のマース煮(塩煮)。魚介ダシのうま味を心行くまで堪能できる
▲最後はやっぱり麺類。八重山そば麺の塩焼きそばをチョイス

深夜の祖納行きは意外な混雑!

久部良港21:38発の祖納行き、第8便のバスを待った。すると、驚くことに15名ほどの乗客が列をなしていた。

▲久部良港21:38発の祖納行きバスを待つ人の列。想像以上の人出だった

皆赤ら顔で、宴会の後であることがわかる。バスで帰れば、誰かが運転のために酒を我慢しなくとも良いし、運転代行を頼む必要もない。そうしたことから、この「無料バス」は、飲酒運転の防止にたいへん効果を挙げているであろうことが窺えた。

▲やや遅れて到着した祖納行き。順番に乗り込んでいく

これまでのバスはほぼ時間通りにやってきたが、さすがに酔客が多くなってくるとちうことなのか、久部良港所定21:38発のところ、3分遅れでやってきた。5名ほど先客がおり、3名ほどが降りていった。祖納からの帰りなのだろうか。およそ15名の乗客は、順序よくバスに乗り込んでゆく。詰めれば座れそうだが、そこは仲間同士で立っている人もいるといった感じだ。21:41、久部良港発。

久小前、久部良北での乗降はなし。やはり施設内に立ち寄る月桃の里を経て、次は空港…ではなく、空港を通過してアイランドホテルとなる。空港の供用は19時台で終了しており、それ以降となるこの第8便、最終第9便は空港へは寄らず、空港の前を通過してゆくだけだ。

▲アイランドホテルに到着した祖納行き。10人以上の乗客が残っていた

所定21:51着のところ、やはり3分遅れて21:54、アイランドホテル着。降りたのは自分だけで、大勢の乗客はみな祖納まで行くようだ。ホテルの門限が22:00なので、危ないところだった。

* * *

バスが去ったあと、ホテルのロータリーには、変わらぬ静寂が訪れる。飲み会帰りの賑やかなバスに揺られてきただけに、宴のあとの寂しさも感じないではない。八重山最後の夜を、最西端の地・与那国で締めくくれてよかった。

(つづく)