九州・沖縄

【沖縄】遥かなる”果てうるま”への旅路──安栄観光波照間島航路 #74

定着しない離島間航空路線

ただ、地図を見ると島の東部に「波照間空港」なる記号がある。「島唯一のアクセスが高速船」と言った直後ではあるが、これは正真正銘の空港である。波照間島は、西表島のように空港がないから航空便がないのではなく、空港があっても定期便がないので、結果として高速船が唯一のアクセスとなってしまっているのである。

「飛行機さえあれば、もっと」 小規模離島は空路を渇望 観光や経済振興に「伸びしろ」 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/447846

これは、2008年をもって石垣─波照間線が運休してしまい、代替運航がなされていないことによるものだ。

波照間空港は1976年に開設され、SWAL・南西航空(現JTA・日本トランスオーシャン航空)によって週3往復が運航された。1992年よりRAC・琉球エアーコミューターへ移管され、週4日・1日2往復の運航が続けられてきたものの、機材の老朽化やパイロットの退職を理由として、2007年11月末をもって廃止となった。その後、「エアードルフィン」によって12月末から運航を再開したものの、1年足らずの2018年11月から再び運休。同社は経営破綻してしまい、運航の受け皿が無くなってしまったのだ。それ以来10年以上にわたり、波照間空港を発着する定期路線はない。

ただ、近年の観光客数の増加などの情勢変化を踏まえ、2018年12月には石垣島の小規模事業者が石垣─波照間線への参入を表明した。しかし、その後半年以上にわたり動きがない。そのため、上記のような報道が出る始末なのである。

波照間空路に「GOLD」社参入へ http://www.y-mainichi.co.jp/news/34639/

離島間コミューター航空は必要とされていてもなかなか経営・運航が安定せず、離島振興の足枷となってしまっている。沖縄県内には、同じくRAC撤退後に航空路線が無くなってしまった空港として粟国空港、慶良間空港がある。

粟国空港は2009年にRACが那覇─粟国線から撤退し、第一航空(大阪)が引き継いだものの、2015年に滑走路を逸脱する事故を起こし、それ以来わずかな時期を除いて運休が続いている(第一航空はその後沖縄から撤退)。また、慶良間空港は2006年にRACが那覇─慶良間線から撤退し、波照間と同じくエアードルフィンが引き継いだものの、経営破綻により運休し、やはり2008年から定期路線がない状態にある。

また、かつてRACが就航していた石垣─多良間線も2006年の廃止以来引き受け手がなく、運休が続いている。多良間空港は宮古─多良間線があるため休止状態にはないが、石垣島─多良間島間の移動には、いったん宮古島を経由せざるを得なくなり、移動距離がほぼ3倍になってしまっている(多良間島は石垣島─宮古島のほぼ中央に位置するため)。

離島間航空は、そのスピードの高さ、および大都市への航空路線が発着する空港に直接乗り入れることによる乗り継ぎのし易さから、島が持っている潜在的な観光需要を掘り起こす力がある。それと共に、海況に左右されない安定した交通を確保することに繋がり、救急搬送などにも貢献することは言うまでもない。

ただ、船舶に比べると運賃が高いのは如何ともし難く、島民は船舶を選ぶ傾向が強い。現に波照間航路の場合、船会社が船体を新しいものに変えたり、増発したりとサービスを改善させていったため、航空の方が撤退を余儀なくされた面もある。

かといって、空港造って飛行機飛ばずでは、まさに「工事のための工事」という誹りを免れない。航空機が1機も飛ばない中でも、緊急事態のために波照間や粟国、慶良間などの空港は税金で維持されているのだ。特に波照間は航路も不安定で、特に冬場は欠航率が50%が超える中でも航路を頼らざるを得ない。このような離島こそ、航空を活用すべきではないか。

波照間空港は定期便が飛ばない中でも、2014年から2015年にかけてターミナルビルを改築している。設備は立派に整っているのに、肝心の飛行機が1機も飛ばない。地元のオジイに聞いてみても、「あれだけ立派なもん建てても、1本も飛ばん。もったいないよね」と話していた。

ただ、波照間空港は滑走路が800mしかなく、国内では調布飛行場などと並び最も滑走路が短い部類に入る。RACが保有するボンバルディアDHC-8-Q400CCは、1,200mの滑走路を必要とし、滑走路の延長なしには現行機材を就航させられない。運用機材が限られ、専用の機材を保有しなければならなかったのがRAC撤退の一因ともなっているため、滑走路の延長と引き換えにRACの再就航があってもいいのではないかと思う。

少なくとも、あれだけ大きな「ぱいじま2」を満員にするだけの需要はあるのだから、2006年の撤退の頃とは、波照間島を取り巻く状況は大きく変わっている。最初は季節便でも十分だろう。波照間空港に飛行機が再びやってくる日は、そう遠くないのかもしれない。

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